魅せられチャイナ!? 中国陶磁名品展 オンライン展覧会
東京富士美術館で2014年1月12日から3月30日まで開催された企画展「中国陶磁名品展」のオンライン展覧会です。
ごあいさつ
世界四大文明の一つ、黄河文明の発祥の地である中国では、約1万年前に「やきもの」が誕生し、優れた造形美と高い技術によって、世界の陶磁器をリードしてきました。
新石器時代の彩陶や灰陶などに始まり、紀元前15世紀頃の商時代にはいち早く灰釉陶器が生み出されました。その後、前漢時代(紀元前3~紀元後1世紀)には鉛釉陶器が盛んに作られ、後漢時代(1~3世紀)には青磁が誕生しました。唐時代(7~10世紀)になると東西交易が盛んになり、唐三彩のような国際性豊かなスタイルが生み出されました。宋時代(10~13世紀)になると、青磁・白磁は完成度を増し、北部の金では掻き落としや上絵付による器面装飾が始まりました。元時代(13~14世紀)には青花磁器が生み出され、明時代(14~17世紀)には色鮮やかな五彩磁器が花開きました。さらに、清時代(17~20世紀)にはより鮮やかな色彩の粉彩磁器が開発されました。
東京富士美術館の中国陶磁は、新石器時代から清時代にいたる4500年の中国陶磁史が俯瞰できる作品群で構成されていますが、本展では、各時代の主要な作品の中から厳選した、重要美術品2点を含む125点の名品を公開します。
本展は当館所蔵の中国陶磁器の白眉をまとめて紹介する館外初の展覧会として当館が企画協力し2012年9月に日本六古窯の一つである丹波の地に立地する兵庫陶芸美術館で開催された「日中国交正常化40周年記念 東京富士美術館所蔵中国陶磁名品展」がご好評をいただき、その里帰り展として開催するものです。この展覧会を通して多くの方々が中国陶磁への関心と理解を深められ、その作品を生み出した豊潤な美の精神にふれていただくことを念願してやみません。
第1章 黎明期から青磁の誕生まで
新石器時代に黄河流域や長江流域で文明の栄えた中国では、紀元前16世紀に商王朝が成立した。その後諸侯の並立する春秋・戦国時代(紀元前8~紀元前3世紀)を経て、B.C.221年に中国最初の統一王朝秦が誕生したが短命に終わり、B.C.202年に漢帝国が成立した。220年には後漢が滅亡し、その後華北に流入した遊牧騎馬民と南の漢族王朝が対峙する南北朝時代(5~6世紀)を迎えた。
中国における「やきもの」の誕生は約1万年前に遡り、その後、黒や褐色の顔料で文様を描いた彩陶や、灰陶が作られた。商時代には器面に釉薬を施釉した灰釉陶器が生み出され、後漢時代の成熟した青磁へと発展し、南北朝時代には白磁が出現した。また戦国時代に始まった厚葬の風習は、秦時代から漢時代にかけてますます盛んとなり、貴人の墓の副葬品(明器)として人の形を写した俑や、青銅器、漆器を写した灰陶や加彩などが数多く作られた。それとともに、鉛釉陶器が開発され、緑釉、褐釉の明器が前漢時代後半から盛んに作られた。
彩陶渦文双耳壺
灰釉刻文双耳壺
灰陶加彩雲気文双耳壺
灰陶印花文双耳壺
灰陶加彩雲気文尊
灰陶加彩鴟鴞形壺
加彩女子
加彩武人
加彩耳杯
加彩案
緑釉印花文耳杯
褐釉耳杯
緑釉双耳壺
緑釉鼎
緑釉狩猟文尊
緑釉囷
緑釉楼閣
緑釉犬
灰釉刻花鳥文双耳壺
灰釉刻花鳥文双耳壺
青磁四耳盤口壺
青磁神亭壺
第2章 東西文化の融合と華やかな色彩の展開
589年、隋により中国は再び統一され、華北と江南を結ぶ大運河が整備された。この運河は、ユーラシア大陸の「草原の道」、「オアシスの道」と、アラビア半島から中国に至る「海の道」を結びつけ、中国と西アジア・地中海の交易路が連結した。618年に建国された唐には、諸外国から人々や文物が集まり、都の長安は国際都市として繁栄した。8世紀半ば以降の対外戦争での敗北、内乱、北方民族の台頭などにより、907年に唐帝国は崩壊した。
隋・唐時代の貴人の墓には、三彩や加彩の俑や器物、動物が数多く副葬された。活発な東西交易を象徴するかのように、俑は陸上交易を担ったイラン系のソグド人を彷彿とさせる風貌の人物や服装が表現され、「草原の道」や「オアシスの道」のキャラバンで活躍した馬や駱駝、「海の道」でもたらされた象などがリアルに作られた。また、緑釉、褐釉、藍釉の華やかな釉彩で彩られた鉛釉陶器の唐三彩が誕生し、西方の金銀器やガラス器と通じる造形の三彩・白磁も作られた。
加彩牛車
緑褐釉騎駝胡人
褐釉胡人
灰陶加彩女子
灰陶加彩鷹匠
灰陶加彩鷹匠
三彩馬
白磁象形燭台
三彩鴨形容器
緑釉兎形枕
緑釉壺
三彩弦文壺
三彩弦文壺
三彩筋文壺
三彩合子
三彩貼花文長頸瓶
三彩龍耳瓶
白磁龍耳瓶
三彩貼花文鳳首水注
三彩貼花文水注
三彩貼花宝相華文水注
藍釉水注
褐釉龍耳水注
第3章 青磁・白磁の完成と彩釉の萌芽
907年唐が滅亡し、中国国内は分裂状態となるが、979年に宋により統一された。北方では、唐時代からウイグル、キルギスなどの遊牧民族の国家が興亡をくり返し、キタイ族(契丹族)が興した遼(キタイ帝国)(916~1125)や、タングート族(党項族)が建国した西夏(1038~1227)が華北を領土の一部とした。宋は、遼にとって代わった女真族の金(1115~1234)に攻められ、1127年に都を江南に移し、以後北部の金と南部の南宋が並立した。
国家の興亡はあったものの、陶磁器生産は隆盛を極め、北部の定窯、耀州窯、磁州窯、鈞窯や、南部の越州窯、龍泉窯、景徳鎮窯、吉州窯をはじめ、各地に数多くの窯が勃興した。定窯や景徳鎮窯で生産された白磁や、越州窯から龍泉窯へと生産の中心が移った青磁は完成度を増した。磁州窯では、白と黒のコントラストの鮮やかな白地黒掻落や、赤色や緑色の釉薬で上絵付する器面装飾が始まった。また、鈞窯ではナマコ色をした澱青釉が生み出され、吉州窯では釉調が鼈甲に似た玳皮釉が誕生した。
白磁瓜形水注
白磁刻花牡丹文盤
白磁鳳首水注
白磁刻花牡丹文碗
白磁刻花蓮華文鉢
白磁瓜形水注
青磁刻花蓮弁文多嘴壺
青磁刻花牡丹文輪花形盤
青磁袴腰香炉
青磁琮形瓶
青磁八卦文香炉
青磁酒会壺
青磁稜花盤
青磁梅瓶
青磁刻花牡丹唐草文酒会壺
澱青釉紫紅斑杯
緑釉皮嚢壺
褐釉皮嚢壺
三彩花文盤
白地鳳首瓶
白地五曜文瓶
白地鉄絵花卉文水注
白地印花象嵌唐草文枕
緑釉白地掻落牡丹文枕
白地刻花牡丹文鉢
白地刻花七宝文鉢
白地黒掻落牡丹文梅瓶
白地鉄絵牡丹文瓶
[重要美術品]白地鉄絵牡丹文梅瓶
白地鉄絵鳳凰文壺
翡翠釉鉄絵牡丹文梅瓶
黒釉銹斑壺
黒釉銹花草花文壺
黒釉銹花草花文瓶
黒釉堆線文瓶
白地紅緑彩牡丹文碗
白地紅緑彩牡丹文碗
玳皮釉双鸞文碗
第4章 景德鎮窯における色彩と文様の栄華
1206年に興った北方遊牧民のモンゴル帝国は、またたく間にユーラシア大陸を席巻し、1279年には金と南宋が対峙する中国をも組み込んだ。元(大元ウルス)がそれであるが、政治的混乱や農民反乱などによって弱体化し、モンゴル高原に退却し、1368年に漢族の明王朝が成立した。満州族(女真族)が1616年に建国した後金(のちに清)は、1644年の明の滅亡を機に中国を支配下に入れ、北アジアから中央アジアまで統治する大帝国をつくりあげた。
元時代後半には青磁に加え、白磁にコバルト顔料で絵付けした青花磁器が景徳鎮窯で誕生した。明時代になると、景徳鎮窯に設けられた官窯で宮廷用什器が作られ、青花磁器とともに、青、赤、黄、緑、黒の絵具で彩色された色鮮やかな五彩磁器が高度に発達した。明時代後期には、輸出用の粗製の青花磁器や五彩磁器が福建省南部などでも盛んに作られた。さらに、清時代には西洋の技術を取り入れて、より鮮やかな色彩でかつ微妙なグラデーションが表現できる粉彩が発明され、最盛期を迎えた。





























































































































