本文に飛ぶ
/

魅せられチャイナ!? 中国陶磁名品展 オンライン展覧会

東京富士美術館で2014年1月12日から3月30日まで開催された企画展「中国陶磁名品展」のオンライン展覧会です。

ごあいさつ

世界四大文明の一つ、黄河文明の発祥の地である中国では、約1万年前に「やきもの」が誕生し、優れた造形美と高い技術によって、世界の陶磁器をリードしてきました。


新石器時代の彩陶や灰陶などに始まり、紀元前15世紀頃の商時代にはいち早く灰釉陶器が生み出されました。その後、前漢時代(紀元前3~紀元後1世紀)には鉛釉陶器が盛んに作られ、後漢時代(1~3世紀)には青磁が誕生しました。唐時代(7~10世紀)になると東西交易が盛んになり、唐三彩のような国際性豊かなスタイルが生み出されました。宋時代(10~13世紀)になると、青磁・白磁は完成度を増し、北部の金では掻き落としや上絵付による器面装飾が始まりました。元時代(13~14世紀)には青花磁器が生み出され、明時代(14~17世紀)には色鮮やかな五彩磁器が花開きました。さらに、清時代(17~20世紀)にはより鮮やかな色彩の粉彩磁器が開発されました。


東京富士美術館の中国陶磁は、新石器時代から清時代にいたる4500年の中国陶磁史が俯瞰できる作品群で構成されていますが、本展では、各時代の主要な作品の中から厳選した、重要美術品2点を含む125点の名品を公開します。


本展は当館所蔵の中国陶磁器の白眉をまとめて紹介する館外初の展覧会として当館が企画協力し2012年9月に日本六古窯の一つである丹波の地に立地する兵庫陶芸美術館で開催された「日中国交正常化40周年記念 東京富士美術館所蔵中国陶磁名品展」がご好評をいただき、その里帰り展として開催するものです。この展覧会を通して多くの方々が中国陶磁への関心と理解を深められ、その作品を生み出した豊潤な美の精神にふれていただくことを念願してやみません。

第1章 黎明期から青磁の誕生まで

新石器時代に黄河流域や長江流域で文明の栄えた中国では、紀元前16世紀に商王朝が成立した。その後諸侯の並立する春秋・戦国時代(紀元前8~紀元前3世紀)を経て、B.C.221年に中国最初の統一王朝秦が誕生したが短命に終わり、B.C.202年に漢帝国が成立した。220年には後漢が滅亡し、その後華北に流入した遊牧騎馬民と南の漢族王朝が対峙する南北朝時代(5~6世紀)を迎えた。


中国における「やきもの」の誕生は約1万年前に遡り、その後、黒や褐色の顔料で文様を描いた彩陶や、灰陶が作られた。商時代には器面に釉薬を施釉した灰釉陶器が生み出され、後漢時代の成熟した青磁へと発展し、南北朝時代には白磁が出現した。また戦国時代に始まった厚葬の風習は、秦時代から漢時代にかけてますます盛んとなり、貴人の墓の副葬品(明器)として人の形を写した俑や、青銅器、漆器を写した灰陶や加彩などが数多く作られた。それとともに、鉛釉陶器が開発され、緑釉、褐釉の明器が前漢時代後半から盛んに作られた。

彩陶渦文双耳壺

中国の土器の起源は10000年前。華南では農耕の始まりとともに土器が作られ始めた。浙江省河母渡遺跡(紀元前6000年頃)では猪の絵を描いた土器が出土している。この土器は彩陶と呼ばれ、肩に渦巻の文様を描いている。このような彩陶は黄河中流域から、甘粛省、青海省の新石器時代の墓の副葬品として入れられることが多い。西アジアの新石器時代にも彩陶があり、時代、文様に共通するところがあり、関連性を指摘する説がある。

灰釉刻文双耳壺

釉薬を掛けた陶磁器は商時代、さらにそれより前の夏時代(二里頭期 紀元前1200年頃)に始まるとされているが、その技術のルーツ、始まりが華南か、華北かははっきりしない。原始青磁、原始磁器と呼ばれる。この壺は金属器の壺を忠実に写した器形であり、さらに釉薬が掛ることで、金属器の雰囲気をより強くしている。華南の戦国時代の墓からは、こうした金属器を写した灰釉陶器が副葬品として納められており、青銅器の代用品として製作されたのである。

灰陶加彩雲気文双耳壺

焼成前に文様を描いている彩陶に対し、この壺は焼いた後に施文している。土器の上に、赤、灰、紫などの絵具で、雲気文、鋸歯文などの文様を描いている。華北の戦国時代の墓にはこうした金属器、漆器を写した土器が副葬されることが多い。秦始皇帝兵馬俑も全身に彩色されていた。華南の漢墓からは加彩土器は少なく、灰釉陶器がそれに代わることが多い。

灰陶印花文双耳壺

灰陶加彩雲気文双耳壺と同じ器形であるが、彩色はない。頸には菱形文、円文を、高台には鋸歯文をハンコで巡らしている。胴の中央には鋪首と呼ばれる鬼面を張り付けている。頸、肩、胴には圏線を巡らせている。こうした装飾は青銅器の壺を写したものである。現状では彩色はないが、もとは加彩されていた可能性がある。

灰陶加彩雲気文尊

奩(れん)ともいうが、奩は鏡箱を指す呼称である。これは酒を入れる器であり、温酒尊と呼ぶべきである。筒型の器の底に、梟(しきょう)の形の足が3本付いている。珍しいのは胴に描かれた雲形の文様で、赤、緑、黒、紫の絵具で波形の雲気文が表現されている。前漢時代の漢墓の壁画に通ずる彩色、文様であり、興味深い作品である。雲気文は灰陶加彩雲気文双耳壺のような規格的な文様ではなく、フリーハンド風であり、他にあまり例がない。

灰陶加彩鴟鴞形壺

鴟鴞とは梟の姿をした怪鳥。商時代の青銅器にこの形の器が盛んに作られている。夜の世界を支配する梟は、古代中国人に畏怖され、祭器の形にも取り入れられたのである。型で器を作り、胡粉を塗っている。かつては彩色されていたが、絵具は剥落している。冥界に送る死者にたむける酒が入れられていたのだろう。

加彩女子

俑は人の形を写したもので、土や、木、金属を使った例がある。華南では木俑が多く、長沙馬王堆漢墓では着物を着せた木俑が数百体出土している。この俑は型作りで、着物には赤、白、黒の絵具で彩色している。秦始皇帝兵馬俑坑では等身大の俑が6000体余り出土しているが、漢時代になると俑は人形ぐらいのサイズになる。この俑は女性と思われるがはっきりしない。しかしその着衣は華北特有の袍(わたいれ)であり、河南省あたりの前漢墓で出土したと考えられる。

加彩武人

俑は秦、漢、南北朝時代で構成は変化していく。秦時代は屈強な兵士と将軍、漢時代は地上世界の様々な人々、そして南北朝時代になると俑は形式化し、表情は乏しくなる。この俑は武官と思われ、両の手には剣を携えていたのであろう。踝(くるぶし)で絞ったパンツ、上には厚手のコートを羽織り、胴の上で帯をギュッと締めている。頭には冠を被る。いかにも役人の顔つきである。胡粉を塗り、朱で彩色している。河北省の鮮卑系の墓の出土か。

加彩耳杯

耳杯は「さかずき」のことで、案はお盆をさす。本来は漆器で作られるが、これは墓の副葬品として土で作られており、赤と黒の絵具で彩色することで漆器の質感を表している。杯と案は一具であり、そろっているのは珍しい。おそらく華北の前漢墓から出土したと考えられる。冥界での死者の宴を願い、副葬したのである。さらには華北では華南産の漆器が人気があったことが窺えて興味深い作品である。

加彩案

耳杯は「さかずき」のことで、案はお盆をさす。本来は漆器で作られるが、これは墓の副葬品として土で作られており、赤と黒の絵具で彩色することで漆器の質感を表している。杯と案は一具であり、そろっているのは珍しい。おそらく華北の前漢墓から出土したと考えられる。冥界での死者の宴を願い、副葬したのである。さらには華北では華南産の漆器が人気があったことが窺えて興味深い作品である。

緑釉印花文耳杯

銀化の美しい耳杯である。耳杯は楕円形の杯の長辺に弧形の把手が付く。漆器が一般的であり、華南の漢墓から多く出土している。洛陽金村古墓出土品には、銀製耳杯(永青文庫蔵)がある。この耳杯の口縁の釉は滴状になっている。上下を逆にして焼いたためである。耳杯は酒器である。この耳杯は、死者が冥界での宴席で、酒宴を楽しむように副葬されたのである。

褐釉耳杯

酸化鉛に、酸化鉄を加えると褐色に発色する。器形は緑釉印花文耳杯と同じであり、漆器の耳杯を写したものである。しかし把手、器の形はこちらの作品がより漆器にちかい。

緑釉双耳壺

この壺は後漢時代の作品。蓋が伴っているのは珍しい。青銅器の壺を写した器形で、胴や肩の圏線にその名残が窺える。青銅器の壺は銅と錫と鉛の合金であり、作られた時は金色に輝いていた。この緑釉は銅錆を表現したものではない。金属の持つメタリックな雰囲気を緑釉で表したのである。こうした鉛釉陶器は後漢時代中期の2世紀頃まで華北を中心に作られているがその後は作られなくなる。

緑釉鼎

緑釉や褐釉などは、鉛釉陶器と呼ばれる。灰釉陶器は木灰を釉薬とし、高い温度で焼いた陶器であるが、鉛釉陶器は酸化鉛に酸化鉄、酸化銅を加えて低い温度で焼いた陶器である。鼎は三足の器で、商時代の銅器に始まる祭礼用の器。この鼎の蓋には四葉文と呼ばれる漢時代に流行した文様を描き、足には蹲った熊の文様を描いている。鉛釉陶器は土の中に長く置かれると、表面に雲母のような白い膜ができ、銀化と呼んでいる。この鼎にもそれがみられる。

緑釉狩猟文尊

灰陶加彩雲気文尊と同形であるが、博山形の蓋を伴っている。博山(はくさん)は仙人がすむ神仙世界といわれ、古代の器物にはよく使われる。博山炉がその典型で、山から立ち上る煙がいかにも神仙世界を物語っているようなのである。胴には狩りをする人物が型押しで表されている。そこには熊の形の足が3本付いている。熊は力強さを意味している。そうした漢時代の神仙思想が表された尊であり、冥界のための器としてふさわしい作品である。

緑釉囷

囷は穀物倉庫。今日でも華北の農村にはこうした形の穀物倉庫がある。筒形の胴に、傘形の屋根が付く。足は熊形。漢時代の明器には豚舎、井戸、鳥小屋、楼閣、塔、そしてこのような囷などがあり、この時代の生活風景を考えるには興味深い資料である。この作品は作行、緑釉の発色とも鮮やかである。後漢時代中期、1~2世紀の作である。

緑釉楼閣

楼閣は重層の建築物で、3層、5層、さらにそれ以上の楼閣がある。この楼閣、今は3層であるが、この上に建物がのせられていた可能性がある。各階には欄干が巡り、欄干の上には、瓦葺の屋根がせり出している。1階の四方には斗橋が配され、屋根には鳥がいる。鳥は豊穣を意味し、死者の魂を天空に運ぶ使命を持つ。家の明器が漢時代に多くみられ、型式も様々である。家はすなわち、死者の生前の権勢を象徴するものであり、競って墓に副葬したのである。

緑釉犬

漢時代、犬は家犬として飼われていた。死者が生前、身近において愛玩したのである。この犬も飼主の死を悲しみ、遠吠えしているようである。犬の遺例は多く、姿も様々である。緑釉は美しく銀化している。

灰釉刻花鳥文双耳壺

灰釉陶器は、前漢時代後期から後漢時代にみられる。この灰釉陶器は、素地が赤褐色で、肩にのみ施釉されており、原始青磁のなかに入れるべきかどうかは疑問がある。いわゆる炻器と呼ぶべき灰釉陶器である。壺の上半部には、突帯で3つに区画したなかに、簡略化した鳥文を線刻している。肩の両側には湾曲した把手(鋪首)が一対付く。把手には鬼面が線刻されている。

灰釉刻花鳥文双耳壺

緑釉双耳壺と同じ形の炻器の壺。緑釉双耳壺は頸がきわめて短いが、この壺は筒形の頸部に、ラッパ形の口縁が伸びる。施釉は肩だけで、3段の突帯のなかに、線文で鳥を意匠化した文様を巡らせている。このタイプの灰釉陶器は浙江省杭州近郊の窯で作られている。いわゆる原始青磁を焼いた窯と同じ地域であるが、後漢時代後期にはこのタイプの炻器は姿を消す。

青磁四耳盤口壺

青磁の完成した時期について、中国では後漢時代後期と考えられている。しかし本格的な青磁生産は三国時代以降である。釉が器面を均等に覆い、素地が緻密な磁器が青磁である。浙江省杭州市近郊の窯で作られたことから古越磁といわれる。この壺は典型的な三国時代の青磁。口が皿型なところから盤口という。肩に逆U字形の耳が4つ付いている。

青磁神亭壺

壺の上に楼閣をのせた器を神亭壺、魂瓶という。墓室の隅に置かれ、亡き人の魂が宿るところからその名が付けられている。この神亭壺は3層式で、各層には屋根がせり出し、屋根の上には鳥がいる。鳥は豊穣を意味するとともに、死者の魂を天空に運ぶ役目をすると考えられている。胴の周りには鬼面が5つ配されている。一種の魔除けである。この神亭壺は3~4世紀にのみみられ、南朝時代には姿を消す。

第2章 東西文化の融合と華やかな色彩の展開

589年、隋により中国は再び統一され、華北と江南を結ぶ大運河が整備された。この運河は、ユーラシア大陸の「草原の道」、「オアシスの道」と、アラビア半島から中国に至る「海の道」を結びつけ、中国と西アジア・地中海の交易路が連結した。618年に建国された唐には、諸外国から人々や文物が集まり、都の長安は国際都市として繁栄した。8世紀半ば以降の対外戦争での敗北、内乱、北方民族の台頭などにより、907年に唐帝国は崩壊した。


隋・唐時代の貴人の墓には、三彩や加彩の俑や器物、動物が数多く副葬された。活発な東西交易を象徴するかのように、俑は陸上交易を担ったイラン系のソグド人を彷彿とさせる風貌の人物や服装が表現され、「草原の道」や「オアシスの道」のキャラバンで活躍した馬や駱駝、「海の道」でもたらされた象などがリアルに作られた。また、緑釉、褐釉、藍釉の華やかな釉彩で彩られた鉛釉陶器の唐三彩が誕生し、西方の金銀器やガラス器と通じる造形の三彩・白磁も作られた。

加彩牛車

屋根を付けた車を牛が牽いている。貴人のための乗物である。河北省の北斉時代の壁画には牛車を描いた出向図が描かれており、貴人の威容を象徴したのである。牛車の中に人のいることが窓越しに見える。牛の背には飾りがつけられている。全体に胡粉が塗られているところから、赤や黄、緑の彩色が施されていたのであろう。

緑褐釉騎駝胡人

駱駝をかたどった動物や、壁画に駱駝が描かれるのは北朝時代以降である。それは鮮卑族が北朝に加わるようになったことと無関係ではない。山西省太原の楼叡墓(570年)の壁画には駱駝の群像が描かれている。この駱駝に騎乗する髭を蓄えた男は胡人。胡人とはソグド人で、中央アジアに源をもつ商業民族である。駱駝を運送手段に、西方の珍宝を運んだのである。駱駝の背にはカーペットが敷かれ、その上には大きな荷が積まれている。荷台には胡人のペットのサルが乗る。長旅の友なのであろうか。

褐釉胡人

駱駝をかたどった動物や、壁画に駱駝が描かれるのは北朝時代以降である。それは鮮卑族が北朝に加わるようになったことと無関係ではない。山西省太原の楼叡墓(570年)の壁画には駱駝の群像が描かれている。この髭を蓄えた男は胡人。胡人とはソグド人で、中央アジアに源をもつ商業民族である。駱駝を運送手段に、西方の珍宝を運んだのである。この胡人も駱駝を引く御者である。身には皮のコートを羽織っている。

灰陶加彩女子

俑は男性と女性があるが、はっきりと女性とわかる俑が現れるのは唐時代になってからである。三彩と加彩があり、どちらも宮廷に仕える女性を写した俑が多い。この女性もその一人である。髪を高く結い上げ、たっぷりとした着物を身にまとっている。両の手を前に合わせ、ケープのような長い布で隠している。今は絵具が剥落しているが、顔と衣には朱や緑、黒で彩色が施されていたに違いない。

灰陶加彩鷹匠

鷹狩は古代中国の王侯、貴族のとくに好んだ遊びであり、それに従うのはこのような鷹匠である。鷹狩は古代ペルシャにその起源があり、西方から伝えられた遊戯である。本作は髪を結った俑、もう一体はフエルトの帽子を冠った俑。二人とも男性と思われるが、後者の俑は心持ち表情がやさしく、頬がふっくらしており、男装の麗人かもしれない。唐時代の壁画や、俑にはこうした麗人がよくみられる。しかし服装はまったく同じ。折り返した幅広の襟の付いたコートを羽織り、胴のところで細いベルトで縛っている。ベルトには飾り紐を数本垂らせている。胴の下の着物には襞があり、ズボンをはいていたのか。いま彩色は剥落しているが、朱や褐色、黒、緑の絵具で彩色されていた。

灰陶加彩鷹匠

鷹狩は古代中国の王侯、貴族のとくに好んだ遊びであり、それに従うのはこのような鷹匠である。鷹狩は古代ペルシャにその起源があり、西方から伝えられた遊戯である。本作品はフエルトの帽子を冠った俑。男性と思われるが、心持ち表情がやさしく、頬がふっくらしており、男装の麗人かもしれない。唐時代の壁画や、俑にはこうした麗人がよくみられる。しかし服装はまったく同じ。折り返した幅広の襟の付いたコートを羽織り、胴のところで細いベルトで縛っている。ベルトには飾り紐を数本垂らせている。胴の下の着物には襞があり、ズボンをはいていたのか。いま彩色は剥落しているが、朱や褐色、黒、緑の絵具で彩色されていた。

三彩馬

唐三彩の動物で、その姿がもっとも美しいのは馬である。細く、すっと伸びた脚の馬はアラビア産で、古代中国では汗血馬と呼んで絶賛した。王侯、貴族の墓には競ってこうした三彩の馬が副葬された。馬をたくさん所有することは彼らのステイタスシンボルなのである。この馬は褐釉の地に白釉と緑釉が流し掛けされ、その姿とともに、複数の釉を加えることで、エキゾチックな雰囲気を与えている。背には大きく白釉が掛かっており、鞍を付けていたのかもしれない。

白磁象形燭台

類例の少ない作品である。本体を象の形に作り、背に6本の筒型のロウソク立てを備えている。台座は長方形で、台座の周りには蓮弁を巡らせている。象の体には様々な飾りが取り付けられ、背には丸いカーペットの敷物が敷かれている。白磁は6世紀後半、河南省鞏義窯や、河北省邢窯で本格的に生産が始まったが、その完成は8世紀後半である。この作品の年代は蓮弁の様式や造形、白磁の釉溜まりなどからみて、唐時代前期、7世紀後半の作と考えられる。象の姿、台座、ロウソク立てに巡らされた蓮弁など、仏教的要素が強く感じられる作品である。

三彩鴨形容器

鳥の形の三彩で、とくに多いのは鴨である。背が繰り抜かれ、容器の形に作られている。静嘉堂美術館蔵の三彩鴨形容器がその代表で、この鴨も水鳥の優美な形を器に取り入れている。実際には、竹でこのような形のバスケットが作られていたのかもしれない。型作りで、胴で2つの型を合わせている。褐釉の地に緑釉、白釉、褐釉を流し掛けしている。

緑釉兎形枕

陶枕は唐三彩に多くみられる。箱型がその主な形で、このような台座が兎の形をした作品は少ない。長辺が13.4㎝と比較的小さな作品であり、いわゆる寝具の枕ではなく、器台のようなものとも考えられる。緑釉が総掛けされており、鮮やかな濃い発色をみせている。頂板は楕円形で中程は少しくぼんでいる。河南省鞏義窯、もしくは陝西省耀州窯の唐時代後期の作と思われる。

緑釉壺

緑釉が美しく発色した共蓋の壺。俗に万年壺(まんねんこ)と称され、コレクターから喜ばれた。中に穀物を入れ、死者がいつまでもそれを食料にしたと考えたところから万年壺と呼ばれたが、根拠はない。素地は少しピンクがかり、化粧土を掛けて、緑釉を掛けている。裾と底は素地見せとなる。河南省鞏義窯の作。

三彩弦文壺

緑釉と藍釉を縞模様に掛けた壺。白い素地に、さらに化粧土を掛けており、発色はまことに鮮やかである。三彩壺のなかでも、とりわけ美しい作品である。こうした釉を掛け分けることのヒントは、染織の技法にあると考えられる。

三彩弦文壺

縞模様の三彩で、緑釉をベースにして、褐釉を充填している作品である。裾から下は素地見せになっている。

三彩筋文壺

三彩陶器は初めに高火度で素焼きし、その後に鉛釉を施釉して800度前後の低火度で再焼成している。河南省鞏義窯跡の発掘で素焼き、施釉したもの、再焼成した三彩が出土している。この三彩は緑釉、褐釉、藍釉を縦縞に掛け、さらに緑釉のなかに白い花形の円文を散らせている。白い円文は蝋を掛けて釉をはじいたと考えられたが、最近の河南省鞏義窯跡の調査で、模様を円文に描いていることが確認された。

三彩合子

唐時代の合子は銀製、銅製、陶製などがあり、化粧入れに使われたと考えられる。この三彩合子は藍釉と褐釉を斑掛けにしている。三彩のなかで藍釉はとくに好まれ、コレクターが好んで収集している。この合子の外面は三彩釉を充填しているが、内面は白素地のままである。

三彩貼花文長頸瓶

唐三彩の器形は、金属器を写したものが多い。この瓶もサハリの瓶を写したものである。肩と胴、そして裾に宝相華文、連珠文を千鳥に貼り付けている。貼花文は型抜きで作り、器表に貼り付けた模様である。模様には緑釉を掛け、それが釉流れとなり、効果的である。

三彩龍耳瓶

瓶の左右の肩から把手が伸びて口縁に取り付いている。アンフォラ形と呼ばれるが、とくに関係はない。把手は龍形で、あたかも中の水を飲もうとする龍の姿は商周青銅器からみられる形である。肩から胴に三彩釉を斑掛けしている。

白磁龍耳瓶

龍耳瓶は三彩、白磁に多くみられるが、貼花を施した作品は少ない。頸の上部には連珠文、下部には花文、肩には獅子頭形の貼花文を飾っている。高さ53㎝超と長大な作である。把手の龍の姿は古格であり、貼花も同じく古風である。白磁の釉も初期の釉調を備えており、隋時代~唐時代初めの作と考えられる。

三彩貼花文鳳首水注

注口が鳳首形になった水注で、ササン朝の銀器がその祖形である。さらに胴に飾られた連珠文、花文もササン朝の雰囲気を備えている。把手は蔓草風で、高台には蓮弁文を貼り付けている。このタイプの水注は2つの型を合わせて作っており、これもその方法で作られているが、全体に丁寧な作りである。緑釉をベースに褐釉、白釉が点彩され、造形をよりエキゾチックにしている。

三彩貼花文水注

胴は大きく張り出した球形で、それに対して頸と高台がきゃしゃに作られ、やや不安定な姿の水注である。口は両方からすぼませた弁口で、肩から伸びた把手が取り付いている。胴にはパルメット形の貼花文が3段、千鳥に飾られ、藍釉が掛けられている。地は緑釉が総掛けされているが、やや斑な釉調となる。

三彩貼花宝相華文水注

大きな宝相華文の貼花が器に飾られた水注。地には藍釉が全体に掛かり、宝相華文とともに、豪奢な雰囲気を漂わせている。藍釉はコバルトであり、緑釉や褐釉に比べ、希少であり、それがふんだんに使われていることがこの三彩をより豪奢にみせている。水注の姿はササン朝風であり、藍釉が加わり、よりエキゾチックな雰囲気を強めている。

藍釉水注

小ぶりな水注。白い素地に藍釉が掛り、裾は素地見せとなる。藍釉はラピスラズリの色をヒントに作り出されたと考えられるが、その顔料は中国産か、西方産かは検討の余地がある。器体が小ぶりであるのは、量産のためであり、さらには、この形の水注がとくに好まれたためであろう。

褐釉龍耳水注

広口で、胴が張り出し、短い注口が付いた水注。この形の水注は、典型的な唐三彩より時代の下った時期、8世紀後半の作と考えられる。しかし素地、釉は唐三彩と同じであり、生産地も河南省鞏義窯と考えられる。唐三彩は8世紀前半でその生産を終えるが、その後実用器としての三彩の製作がおこなわれたとされている。この水注が明器なのか、実用の器なのかは検討の余地がある。

第3章 青磁・白磁の完成と彩釉の萌芽

907年唐が滅亡し、中国国内は分裂状態となるが、979年に宋により統一された。北方では、唐時代からウイグル、キルギスなどの遊牧民族の国家が興亡をくり返し、キタイ族(契丹族)が興した遼(キタイ帝国)(916~1125)や、タングート族(党項族)が建国した西夏(1038~1227)が華北を領土の一部とした。宋は、遼にとって代わった女真族の金(1115~1234)に攻められ、1127年に都を江南に移し、以後北部の金と南部の南宋が並立した。


国家の興亡はあったものの、陶磁器生産は隆盛を極め、北部の定窯、耀州窯、磁州窯、鈞窯や、南部の越州窯、龍泉窯、景徳鎮窯、吉州窯をはじめ、各地に数多くの窯が勃興した。定窯や景徳鎮窯で生産された白磁や、越州窯から龍泉窯へと生産の中心が移った青磁は完成度を増した。磁州窯では、白と黒のコントラストの鮮やかな白地黒掻落や、赤色や緑色の釉薬で上絵付する器面装飾が始まった。また、鈞窯ではナマコ色をした澱青釉が生み出され、吉州窯では釉調が鼈甲に似た玳皮釉が誕生した。

白磁瓜形水注

胴の5箇所に縦筋をいれて瓜形にし、把手は、蔓を模したようにみえる。把手の根元は3箇所に別れて、付け根には、型押しで作った六弁の花文をそれぞれ3箇所に貼り付ける。短い注口が付き、蓋にも同様に、型押しされた六弁の花文が付く。定窯系の技術で製作されたと考えられる水注だが、現在のところ、この形の水注は、遼の地域の墓からの出土が知られているため、遼国内で使用された可能性が高い。

白磁刻花牡丹文盤

見込みいっぱいに、ゆったりと大柄な牡丹文を片切り彫りで表し、花弁には、櫛目をつける。外面は無文で、その上に透明釉を施すが、口の先端は釉薬を剥ぎとり、底裏には目跡の痕跡がないため、口を下にして、伏せて焼成したと考えられる。伏せ焼きの窯詰め方法は、景徳鎮窯において、11世紀末から始まり、12世紀後半から増加する。この作品には、無釉の口を補強するため、覆輪と呼ばれる金属製の覆いが付けられている。

白磁鳳首水注

丸みをもった胴部を持ち、頸には2本の突帯を付ける。頭部は鳳凰の頭をかたどり、花弁形の鶏冠(とさか)が口となっている。鳳凰の目や眉状の部分は貼り付けで、毛並みなどは片切り彫りを施し、より立体的に仕上がる。前代の隋時代や唐時代にも、鳳凰の飾りがある水注が知られるが、この作品はより時代が進み、すでに把手はなく、細長い注口が付く形に変化している。この種の鳳首水注は、広州省の窯で生産され、とくに東南アジアでの出土例が多いことで知られる。

白磁刻花牡丹文碗

定窯は、宋時代随一の白磁の名窯として知られている。この作品は小さい高台をもち、薄く仕上げられた内面に、片切り彫りの牡丹文を配した典型的な定窯の白磁碗である。花弁や葉は細かい櫛描きで表現されており、優美な仕上がりとなっている。牡丹文は、色とりどりの花を豊かに咲かせることから富貴の象徴として、宋時代以降、文様として盛んに描かれるようになった。外面には、涙痕(るいこん)と呼ばれる釉溜まりがあり、これも定窯の見所の一つとなっている。

白磁刻花蓮華文鉢

大変薄作りの深鉢で、外側には三重に鎬(しのぎ)蓮弁を浮き彫り風に施し、内面には蓮の葉を線刻で伸びやかに表す。定窯では、碗や鉢を量産するために、口の部分を下にし、匣鉢(さやばち)と呼ばれる陶製の容器の中で幾つも重ねて焼成する。これは伏せ焼きと呼ばれる方法で、釉着を防ぐため、口は、釉薬を剥ぎ取り無釉にする。また、定窯に特徴な象牙色の肌は、窯の燃料が薪ではなく、石炭であるため、炎が高く上がらず、酸化気味に焼成されることに起因すると考えられている。

白磁瓜形水注

10本の縦筋をいれた瓜形の胴部には、細長い注口と、平紐状の把手が付く。紐などを結んで使用するために蓋と把手には環が付いている。良質の胎土の上には、底周辺まで、やや青みがかった透明釉が施されている。この青みがかった白磁は、青白磁とも呼ばれるもので、宋時代~元時代にかけて、後に青花磁器の生産で知られる景徳鎮窯を中心とする地域で盛んに作られた。蓋の摘みは後補。底裏には、4箇所に大きな目跡が残されている。

青磁刻花蓮弁文多嘴壺

多嘴壺とは、肩から5、6本の管が上方に立ち上がった、墳墓に埋葬するための壺。この壺は、胴部を5段に区切り、各段には蓮弁文がやや粗く彫り出される。蓋は4つの花弁形に区切り、その中心に蕊(しべ)をかたどった摘みが付く。多嘴壺が製作された北宋時代中期は、越州窯が急速に衰え、代わって龍泉窯が発展し始める過渡期にあたることから、現時点で生産窯を特定することは難しく、越州窯や龍泉窯を含む浙江省周辺の製品である可能性が考えられる。

青磁刻花牡丹文輪花形盤

工具の刃を立てて文様の輪郭を象り、その外側から斜めに切り込んで文様を彫り表す「片切り彫り」の技法と、燃料が石炭であることからオリーブグリーンに発色する青磁釉は、北宋時代における耀州窯製品の特徴である。皿の内面には、花弁が5段に重なる大輪の牡丹の花や葉が、片切り彫りによる鋭く流麗な線で表現されている。文様の輪郭に沿って釉薬が厚くたまり色が濃くなることで、文様が鮮明に浮かび上がっている。

青磁袴腰香炉

中国の古銅器「鬲(れき)」を模した、張り出した腰から足が伸びる形が、袴を着けたように見えることから、日本では「袴腰」と呼ばれる。薄い胎土に釉薬を厚く掛けることで清澄な釉色となるのが、南宋時代の龍泉窯青磁の特徴。同様の青磁釉をまとう花入の形が、布を打つ砧(きぬた)の槌(つち)に似ていることなどから、この釉色の青磁は日本で「砧(碪)青磁」と呼ばれ珍重された。これを納める江戸期を下らない木箱の蓋表にも「碪香爐」の墨書がある。

青磁琮形瓶

中国古代の玉製品である「琮」を模したもの。型成形による胴部に、円形の口と底部を貼り付けている。このように、玉器の形に青緑色の美しい釉薬を施した青磁からは、稀少で高価な古代の玉器に対する強い憧れが窺える。日本に伝わったものは、胴部の角に沿って凸状に浮き出た縦横の直線が、占いで使う算木のように見えることから、「算木手」と呼ばれ、茶の湯の世界で賞玩された。徳川美術館所蔵の尾張徳川家伝来品など類例は多い。

青磁八卦文香炉

中国の古銅器「奩(れん)」を模した形で、胴には占いの算木を組み合わせた八つの形象である「八卦」がデザインされている。1323年頃に中国寧波を出発し博多に向かう途中、韓国の新安沖で沈没した貿易船から類品が発見されており、その製作年代や日本への輸入時期が推測できる。また、鎌倉市の材木座付近で発掘された火葬骨蔵器としての使用例が確認されている。「碪青磁 香爐」と金字で記された黒漆塗の箱に納まる。

青磁酒会壺

胴が強く張った蓋付壺は「酒会壺」と呼ばれ、酒を貯めておく器であったとされる。茎を模した摘みが付く蓮葉形の蓋に彫られた葉脈以外は無文で、清澄な青磁釉が美しい。南宋時代末期の類品が四川省遂寧市で発掘されたほか、縦方向の鎬が施された類品として、金沢貞顕(1333年没)の蔵骨器と伝えられる壺(横浜市称名寺蔵)や、新安沖沈船のものが知られている。古い木箱の蓋表に「碪酒會 共蓋」の墨書がある国内伝世例。

青磁稜花盤

元時代の龍泉窯では、イスラム教圏の食文化を反映して盤が大型化した。さらに明時代前期には、宮廷が景徳鎮と龍泉の両窯へ「様(よう)」と呼ばれる図面で器形や文様を指示し、「官器(かんき)」と呼ばれる宮廷用製品を製作させた。これにより、景徳鎮窯の青花や釉裏紅磁器と龍泉窯青磁に、共通する器形・寸法・文様の製品が生まれた。永楽年間(1403~24)に製作されたこの盤は、同時期の景徳鎮窯にも同様の器形・寸法の作例があることから、官器と考えられる。

青磁梅瓶

胴の曲線と濃緑色の青磁釉が美しい。このように胴部上半が膨らんだ酒瓶は「梅瓶」と呼ばれる。2006年に行われた龍泉市大窯村の楓洞岩(ふうどうがん)窯跡の発掘調査で、明時代前期の官器が発掘されたことにより、そこが官器を製作する中心的な窯であったことが判明した。ここからは宝珠形の摘みが付く蓋を伴った同様の梅瓶が発掘されており、また同じ形態の景徳鎮窯製青花磁器も存在していることから、この梅瓶も官器であると考えられる。

青磁刻花牡丹唐草文酒会壺

底のない胴部を作り、鉢形の底部を内側から落とし込み、釉薬をかけて焼成し底部を融着させる。この製作技法は、南宋時代から明時代にいたる龍泉窯の大型製品に用いられている。明時代前期の濃い青緑色の青磁は、日本で「天龍寺青磁」と呼ばれ、これを納める木箱の蓋表にも「天龍寺花瓶 壱」と墨書される。名称については、天龍寺造営資金調達のための貿易船が、この類の青磁を日本にもたらしたことに由来するなど、諸説ある。

澱青釉紫紅斑杯

杯に施された失透性の青い釉薬は、日本では「澱青釉」、中国では「天青(てんせい)」と呼ばれる。釉薬に硅酸(けいさん)分が多く含まれる成分を加えることで白濁させる。さらにその上に、銅を主成分とする釉薬を施して、杯の内外面に紫紅色の斑文を作り出している。これらの釉薬は鈞窯に特徴的な技法である。澱青釉と紫紅斑の織りなす不定形で抽象的な文様は、まるで天体望遠鏡で覗いた星雲の様に幻想的である。

緑釉皮嚢壺

遊牧民族である契丹族の王朝である遼を代表するやきものが皮嚢壺である。その特徴的な形は、遊牧民の生活で水や酒を運ぶ時に用いられる革袋をかたどったものである。この皮嚢壺は、下方がふっくらとし、上方がすぼまった胴部を持ち、その上には、やや横に広がった筒型の注口と、蓮弁形の大きな釣手が付く。胴部が膨らみ、大きな釣手の付くこの形は、皮嚢壺の中でも、より古い型式である。白化粧の後に低火度の緑釉をかける。

褐釉皮嚢壺

やや時代が下った皮嚢壺である。それ以前の丸みを帯びた胴部はもうなく、細く縦長な瓶に変化し、釣手は蔓状になっている。遼時代を通じて生産された皮嚢壺の変遷は、胴の丸いふっくらした形態から、次第にこの作品のように細長く、写実性を失い形骸化した形に変化する。皮嚢壺の釉薬は、三彩などの組み合わせはなく、褐釉や緑釉が単色であることも、特徴の一つとなっている。

三彩花文盤

遼三彩は、遼時代後期に盛んに作られている。皿や盤がよく知られており、型作りで形や文様の輪郭が表されているのが一般的である。文様で最も多いのが花文であるが、遼の花文は、褐色の花の両側に緑色で葉をつける文様構成が多い。本作品もその文様構成ではあるが、文様に型押しなどの輪郭はなく、そのまま白化粧の上に花文らしき褐色釉をおき、その両側には、葉とおぼしき緑釉をのせる。精巧さはないが、遼三彩独特の素朴さに溢れた作品である。

白地鳳首瓶

この鳳首瓶も遼独特の形としてよく知られている。底は小さく、胴部が膨らむ形態で、細長い頸にはしっかりとした突帯を巡らし、より簡素化された鳳首の上に輪花状の口縁が付く。鳳首の目には、鉄絵を施す。この鳳首瓶も、その祖形は、唐時代の鳳首水注などに求められ、遼時代中期(11世紀)以降に緑釉や褐釉など低火度釉のものが数多くみられる。しかし、この作品のような白化粧して、透明釉を掛けたものは、あまり知られておらず、貴重な作例である。鳳首上半は後補。

白地五曜文瓶

磁州窯では、鉄分を多く含む灰色の素地に白化粧をし、透明釉を掛けて焼成するのが基本で、この技術から派生して様々な装飾技法が生み出された。この作品は、なで肩で丸みをもった胴部に、鍔状の口作りを持った瓶である。高台を残して白化粧を施し、その上に鉄釉で五曜文を規則的に配している。点描での文様表現は、磁州窯における鉄絵技法の初期的なもので、後の筆で模様を描く作品より先行するものと考えられている。

白地鉄絵花卉文水注

円筒状の頸部に注口と平紐状の把手が付いた水注は、宋時代を通じてよく知られた形式である。この作品は、胴部との境が明瞭で、平面的な肩部を持つ。胴裾と底部を残して白化粧を施し、肩部分にのみ、赤褐色の鉄絵で簡略化された花弁とおぼしき2つの花卉文を素早い筆致で描いている。磁州窯は、このような水注のほかに、碗、皿、鉢、枕など、主に庶民の生活を支えた日常雑器を生産した窯であった。

白地印花象嵌唐草文枕

中央が凹み、頭に沿った形で両側が上方に尖っている箱形の枕である。側面はいずれも型押しで、長辺には花卉文を、短辺には獣面を配している。その上に白化粧を施し、枕面には印花で方形に蔓唐草文を、そのなかに七宝唐草とシダの葉の文様を施し、その上に鉄絵で象嵌する。象嵌とは、線刻や印花などで、窪んだ部分にほかの色の土を埋め込み装飾する方法である。側面には焼成時に空気を逃がすための孔がある。

緑釉白地掻落牡丹文枕

半月形のこの枕は、上下をそれぞれ型で成形し、接合している。白化粧を施した後、櫛描きで枠をとり、2輪の牡丹唐草文を線刻し、地の部分の白化粧を掻き落としている。その上に緑釉をかけ焼成すると、白化粧が残ったところは、緑色に発色するが、削られた素地の部分は黒色に発色する。陶枕は、唐時代より知られ、実用品として広く使用された。なかでも磁州窯では、さまざまな種類の陶枕が生産されている。底裏には墨書が残るが判然としない。

白地刻花牡丹文鉢

白化粧を施し、見込みには、線刻で大きな牡丹文を表し、余白は櫛描きで埋める。周りには、蔓唐草らしき文様がまわり、透明釉を掛けて焼成する。白化粧を施し、まだ乾かぬうちに素早く先の尖った竹や木で文様を線刻する技法は、磁州窯でよく知られた装飾技法の一つである。当初は、線刻のみを用いたが、後に櫛状の工具を加えた技法が現れた。余白を櫛描きで埋めることで、主文様を際立たせる効果を生んでいる。見込み中央には、5箇所の目跡が残る。

白地刻花七宝文鉢

内にかかえこむ口造りで胴部がふっくらと丸く、高台が付く深鉢である。裾を残して、白化粧の後、胴部中央には、上下2条の線文の間に、線刻で七宝繋(しっぽうつなぎ)文を巡らせ、地の部分に櫛描きを施すことで、文様を浮き立たせている。この深鉢は、磁州窯に特徴的な形であり、線刻を施したもの以外にも白地鉄絵の作例がよく知られている。白化粧と胎土の灰色が、柔和で優しい印象を残す。胴部下半に墨書が残っているが判然としない。

白地黒掻落牡丹文梅瓶

全面に塗った白化粧の上に鉄釉を掛け、6箇所に線刻で上向きの大振りな牡丹唐草文を配し、肩部と裾部にはそれぞれ花弁文を線刻する。余白部分は鉄釉を掻き落とし、白地に黒の牡丹文を表す。その後、鉄釉を掻き落とした部分にさらに白釉を補っている。白地黒掻落の技法は、磁州窯を代表する装飾技法であり、白と黒の対比が明確で美しく、技術力の高さを窺うことのできる作品である。

白地鉄絵牡丹文瓶

白地黒掻落の白と黒の視覚効果をより簡単に可能としたのが、金時代に登場する白地鉄絵の技法である。この作品は、白化粧の後、鉄絵で2面に牡丹折枝文を描き、花弁には櫛描きを、花の輪郭と葉脈には線刻を加えている。文様の細部を表現するために、鉄絵の上に線刻を施すことによって、より全体が引き立ち、軽快な仕上がりとなっている。梅瓶の下半分を切り落としたような形のこの瓶は、「太白尊(たいはくそん)」や「吐魯瓶(とろびん)」などとも呼称される。

[重要美術品]白地鉄絵牡丹文梅瓶

磁州窯における典型的な白地鉄釉の梅瓶である。口がすぼまり緩やかな曲線で形作られた梅瓶に、白化粧を施し、軽快かつ伸びやかな筆致で、牡丹折枝文を描く。類品は、いくつか知られるが、なかでもこの作品は、より、牡丹文が端正で、バランスよく配している。白絵鉄絵の技法は、白い器面に筆で文様を描くために、いきいきとした筆使いが大きな見所となっている。口は後補。底裏に窯印のような線刻がある。

白地鉄絵鳳凰文壺

平底で丸い胴部をもち、短い頸が直立する壺である。肩部と胴部に文様が区画され、肩部には菊唐草文が、胴部には菱形の窓に鳳凰文が描かれている。窓の外は花文と波文がそれぞれ鉄絵で描かれ、鳳凰文と雲文は鉄絵を下敷きに線刻によって表現されている。空間を埋め尽くすような文様配置や、大まかな鉄絵の上に線刻で文様を表現するのは、元時代の作風とされる。内側には黒釉が掛かり、底に重ね焼きの痕跡が残っている。篠山城二の丸跡から類品が出土している。

翡翠釉鉄絵牡丹文梅瓶

白化粧を施した後、鉄絵で文様を3段に描いている。上段には菊唐草文を、中段には牡丹唐草文を施し、下段には唐草文を回す。透明釉を掛けて焼成した後、さらに翡翠釉を施し、青く澄んだ美しい器に仕上げている。翡翠釉は、中国でトルコ青釉を指す語で、孔雀釉ともいう。この釉は一種の低火度の釉で、西アジアで早くから発達した釉薬である。中国でこれが現れるのは、元時代のこととされ、モンゴルの西方進出によって、中国に伝わったものとされる。

黒釉銹斑壺

丸い腰部をもった深鉢で大変薄作りである。甲盛りのある小さな摘みの付く蓋を伴う。表面は、やや厚めの黒釉を掛け、その上に加えられた柿色の鉄斑も流れているようにみえる。これは、黒釉銹花といわれる技法で、素地に鉄釉を掛けた後、さらに鉄分の多い顔料で文様をつけ焼成する技法である。この作品のように、華北一帯で焼かれた黒釉の陶磁器は、俗に「河南天目」と呼ばれている。

黒釉銹花草花文壺

胴部が張った壺で、短い頸部が付く広口短頸壺である。これも、黒釉が掛けられ、その上に鳥とも花ともとれる文様が描かれている。磁州窯における筆を用いた絵付けは、白地鉄絵がよく知られているが、黒釉のこれらの作品は、より文様が奔放で簡略化されていることから、白地鉄絵より、やや時代が下るとされている。内面にも施釉されるが底部は釉剥ぎされており、壺の中に製品を重ねて焼成した可能性がある。

黒釉銹花草花文瓶

小さい高台の付いた下膨れの胴に、細い頸が付き、口が広がる。この作品も黒釉の上に、素早い筆致で、鳥もしくは、花ともみられる文様が鉄絵で描かれ、胴部を巡る。口部から高台にかけて、なだらかな曲線をえがくこの形は、中国では、「玉壺春瓶」(ぎょっこしゅんへい)などと呼ばれている。宋時代に大いに流行し、定窯、耀州窯、磁州窯など各地の窯で生産され、元時代にも、龍泉窯や景徳鎮窯などで生産された。

黒釉堆線文瓶

裾が広がった高台を持ち、胴部は膨らみを持つ。長い頸部からラッパ状に開いた口縁に、切り込みを入れて6つの花弁状になった百合口を持つ瓶である。胴部には、素地に白土の線を連続して貼り付け、その上から黒釉を全体に掛けて、白い筋が浮き上がった文様を生み出している。このような文様は「堆白線文」(ついはくせんもん)と呼ばれ、金時代に多用された。百合の花に例えられた百合口は、宋時代以降にみられる形である。

白地紅緑彩牡丹文碗

白化粧の上に透明釉を掛け、高温で焼成した後、赤や緑で文様を描き、低火度で焼き上げる上絵付の技法が用いられている。この技術は、磁州窯における鉄絵の展開の過程で出現したもので、その後、明、清時代の五彩磁器へと発展していった。この碗の見込みには、牡丹文がすばやく描かれている。もともとは「宋赤絵」と呼ばれていたものであるが、現在では、紀年銘の存在や、考古学の発掘調査などから、金時代に生産されたものと考えられている。

白地紅緑彩牡丹文碗

白い化粧土の上に透明釉を掛け、三重の圏線のなかに、見込みいっぱいに牡丹文を描く。牡丹は、輪郭線を描かずに、大きく開いた花弁がそのまま簡略した表現で描かれ、緑色で葉や花芯を添えている。見込みには3個の目跡があり、高台にも目跡がみられることから、重ね焼きによる量産品であることがわかる。碗や皿などの小物が多いこともこの種の作品の特徴である。高台内に「仙興」、高台脇に「陳仙興記此□□」の墨書がある。

玳皮釉双鸞文碗

黒い鉄釉の地に飴色の斑文が生じた外側面の様子が、玳瑁(たいまい)の甲羅である鼈甲(べっこう)の模様に似ていることから「玳皮釉」と呼ばれる。内面は黒釉を掛けた後、想像上の鳥である「鸞」や梅花、蝶の形に切った型紙を置き、その上から白濁する釉薬を掛け、型紙を外して焼成している。日本へは南北朝時代(14世紀)には請来され、「鼈盞(さん)」や「玳皮盞」と呼ばれ、茶碗として珍重されてきた。この碗も江戸期の木箱に納まる。

第4章 景德鎮窯における色彩と文様の栄華

1206年に興った北方遊牧民のモンゴル帝国は、またたく間にユーラシア大陸を席巻し、1279年には金と南宋が対峙する中国をも組み込んだ。元(大元ウルス)がそれであるが、政治的混乱や農民反乱などによって弱体化し、モンゴル高原に退却し、1368年に漢族の明王朝が成立した。満州族(女真族)が1616年に建国した後金(のちに清)は、1644年の明の滅亡を機に中国を支配下に入れ、北アジアから中央アジアまで統治する大帝国をつくりあげた。


元時代後半には青磁に加え、白磁にコバルト顔料で絵付けした青花磁器が景徳鎮窯で誕生した。明時代になると、景徳鎮窯に設けられた官窯で宮廷用什器が作られ、青花磁器とともに、青、赤、黄、緑、黒の絵具で彩色された色鮮やかな五彩磁器が高度に発達した。明時代後期には、輸出用の粗製の青花磁器や五彩磁器が福建省南部などでも盛んに作られた。さらに、清時代には西洋の技術を取り入れて、より鮮やかな色彩でかつ微妙なグラデーションが表現できる粉彩が発明され、最盛期を迎えた。

青花魚藻文酒会壺

胴部が大きく張り、頸部が短く直立する酒会壺。口縁には銅の覆輪がかけられている。本来は蓋を伴う。白磁にコバルトを呈色剤とする顔料で文様を施文する青花は、元時代後期の景徳鎮窯で始まる。本作品はこのタイプの壺の典型的な文様配置で、口頸部に波濤文、肩部に牡丹唐草文、胴部に魚藻文、四方襷文を挟んで裾部にラマ式蓮弁文が描かれている。イギリスの陶磁研究者、ハリー・ガーナー卿の旧蔵品。

青花花卉文八角瓶

いわゆる玉壺春タイプの八角に面取りされた瓶。底部からなだらかな曲線をえがきながら比較的細い頸部にいたる胴部は下方でやや張り、口縁部は大きく外反。外面の頸部に蕉葉文、斜格子文、ラマ式蓮弁文、胴部に唐草文、花卉唐草文、唐草文が描かれ、裾部にラマ式蓮弁文が配されている。口縁部内面には、如意頭文が描かれている。頸上部は後補。

青花菊唐草文瓶

玉壺春タイプの瓶。玉壺は中国では酒瓶を意味し、『水滸伝』に玉壺春という名前の酒がみられることから、用途に由来する名称と考えられる。宋時代に流行し、元時代にも引き続き生産されるが、頸部は太く短くなり、胴部の張りも強くなる。この作品は、外面の頸部に蕉葉文、雷文、ラマ式蓮弁文、胴部に雷文、菊唐草文、唐草文、裾部にラマ式蓮弁文が配され、口縁部内面に渦文が描かれている。頸上部は後補。

釉裏紅牡丹唐草文瓶

頸部が太くかつ短く、胴部下方の張りも強い玉壺春タイプの瓶。釉裏紅は、素地に銅を呈色剤とする顔料で文様を施文し、その上から透明釉を掛けて還元焔焼成し、文様を紅色に発色させた釉下彩。この作品は、不安定な銅の発色が紅色に美しく仕上がっている。口頸部に蕉葉文、雷帯、唐草文が配され、胴部に牡丹唐草文、裾部にラマ式蓮弁文が描かれ、高台に唐草文が配されている。頸上部は後補。

青花葡萄文盤

内湾気味の立ち上がり部に、鍔(つば)状の口縁部を持つ盤。明時代になると、元時代の器面を多段に分けて文様帯を重ねる構成から、伸びやかで均整のとれた筆致の表現、写実的な絵画表現へと変化。この作品の内面底部には、豊かに実った3連の葡萄の房を中心に、大小の葉とくるくると巻いた細い蔓が軽やかに描かれ、立ち上がり部に四季花唐草文が、口縁部に波濤文が配されている。外面には、四季花唐草文が描かれている。

青花宝相華唐草文梅瓶

底部からほぼ直線的に立ち上がり、外反して胴部上方が大きく張る梅瓶。なで肩の肩部に小さな頸部が付き、外反気味の口縁部の端部は玉縁状。二重圏線4組を配し、文様帯を3組に分ける。肩部に石榴・桃・枇杷・茘枝の瑞果折枝文が描かれ、胴部に宝相華唐草文、裾部に牡丹と菊の2種の花卉文が配されている。宝相華は、牡丹・蓮・石榴などのいろいろな植物の要素を組み合わせて構成された空想上の花。

青花花卉唐草文扁壺

扁平な胴部がわずかに膨らむ、大型の扁壺。頸部は内傾気味に立ち上がり、高台は楕円形。扁壺は、イスラム圏の金属器に範をとった、同地の需要によるもので、1405年に始まる鄭和の南海大遠征に伴って生産が開始されたものであろう。この作品は、頸部に唐草文が配され、胴部に菊などの四季の草花の花卉唐草文が描かれている。口縁部から頸部中程は後補。

青花花文双耳扁壺

頸部に扁平な把手を持ち、口縁部が小さく膨らむ柑子口の扁壺。高台は方形。口縁部に花唐草文が配され、把手の基部にパルメット文が描かれている。胴部の文様は表裏で異なり、2組配した二重圏線間に山形文と唐草文が配され、アラベスク文(イスラム風の唐草文)を中国風に再構成した8弁の花文が中央に描かれている。口縁部上方には、6字横1行の青花銘。

青花果樹文仙盞瓶

下膨れの胴部に太い頸部を持つ、玉壺春タイプの瓶に、太く長い注口と扁平な把手が付いた仙盞瓶。口縁部は受口状。頸部には、蕉葉文と宝相華唐草文が配されている。胴部中央の一方の四稜花形の枠内に石榴折枝文、他方の枠内に葡萄折枝文が描かれ、周囲に四季花唐草文が配されている。また、裾部にラマ式蓮弁文、高台に唐草文、注口に蔓唐草文、把手に花卉文が描かれている。注口先端は後補。

法花蓮池水禽文壺

やや下すぼまりの胴部の上方が張る壺。なで肩の肩部に内傾気味の頸部が付き、端部に面を持つ口縁部は外反。法花は、文様の輪郭を陶土や磁土の堆線文で描き、素地に直接色釉を施釉して低火度で焼成した明三彩の一種。この作品は、濃い藍を地に白と薄い水色の釉薬で文様が描かれている。頸部に雲文、肩部に蓮弁文、圏線を挟んで如意頭文と瓔珞文、胴部に蓮池水禽文、裾部に波濤文が配されている。内面は施釉。

白磁龍文盤

内湾気味の立ち上がり部に、外反する口縁部が付く盤。線刻で、底部内面に五爪の団龍文、波濤文、雲文、外面に五爪の飛龍文が描かれている。青緑色がかった透明釉が全面に施釉された後、龍文と雲文の部分は釉が拭き取られ、焼成されている。露胎の龍文と雲文は淡いオレンジ色に発色し、波濤文は釉下にうっすらと浮かび上がっている。底裏には、ニ重圏線内に3字2行の青花銘。

白磁緑彩龍文鉢

立ち上がり部からそのまま直線的に口縁部にいたる鉢。永楽年間(1403~24)に始まる白磁緑彩は、素地に線刻した文様部分を露胎として1次焼成した後、文様部分に緑釉を掛け低火度焼成。この作品は、底部内面に五爪の団龍文、波濤文、雲文、外面に五爪の飛龍文、雲文が配され、龍文と雲文は緑彩されている。龍の髭や五爪は透明釉の上に緑彩で描かれている。底裏には、ニ重圏線内に3字2行の青花銘。

黄地青花花果文盤

口縁部が外反する盤。黄地青花は、青花を焼成後、文様部分を残して黄釉を塗り、再度低火度で焼成されたもので、宣徳年間(1426~35)に始まる。この作品は、内面底部に梔子と思われる五弁花の折枝文が描かれ、立ち上がり部に石榴・茘枝・葡萄・蓮の折枝文が配されている。外面には、山茶花風の花唐草文が描かれている。底裏には、ニ重圏線内に3字2行の青花銘。

黄地青花花果文盤

口縁部が外反する盤。内面底部に柘榴の花木文を描き、立ち上がり部に石榴・茘枝・桃・柿の折枝文が配され、外面に宝相華唐草文が描かれている。青花の青と黄釉の黄が鮮やかなコントラストをみせ、補色関係の色調の対比が独特の色彩効果を醸し出している。底裏には、ニ重圏線内に3字2行の青花銘。

五彩花鳥文壺

頸部は内傾気味に立ち上がり、口縁部は玉縁状。明時代の万暦年間(1573~1620)以前に景徳鎮民窯で作られた五彩磁器は、わが国では「古赤絵」と呼ばれている。文様の輪郭をすべて赤の上絵付で描き、緑や黄を副次的に用いるのが特徴。古赤絵のこの作品は、頸部に蓮花文、肩部に花卉唐草文、胴部に蓮池水禽文、裾部に蓮弁文が描かれている。内面および底裏も施釉され、底裏には紅彩のニ重圏線が巡る。

五彩双鳳文盤

立ち上がり部からそのまま口縁部にいたる盤。この作品は古赤絵で、内面底部に相対する鳳凰文と雲気文が描かれ、山形文を挟んで立ち上がり部に菊唐草文が配され、口縁部に波濤文が巡らされている。外面には菊唐草文が描かれている。窯キズ隠しに緑釉の点彩された底裏には、ニ重圏線内に2字2行の紅彩銘。

青花花鳥文八角合子

蓋上部がわずかに膨らむ、正八角形の大型の合子。身内部に懸蓋を伴う。蓋上部の正八角形の二重圏線内に、樹下に孔雀を中心とする花鳥文が描かれ、側面に折枝花鳥文が配されている。身には、花卉文が描かれている。捻り花風の区画を持つ懸蓋上面に、青みある透明釉が施釉されている。底裏には、3字2行の青花銘。圏線のない銘は、嘉靖期に始まる。

青花紅彩魚藻文壺

胴部は上方で張り、頸部が短く直立する広口の壺。頸部に唐草文、肩部に蕉葉文、胴部に魚藻文、裾部に蓮弁文が配されている。魚藻文は、青花で水生植物が描かれ、黄地に紅彩を塗り重ねた鯉はオレンジがかっている。青花は蓮や菱・浮草などは濃く、水藻は淡く、と巧みに使い分けられている。底裏には、ニ重圏線内に3字2行の青花銘。

五彩魚藻文壺

やや丸みを持った胴部に、短く直立する頸部が付く壺。口縁部は玉縁状で、宝珠形の摘みが付く蓋を伴うが、文様は身と手が異なる。五彩は、赤・緑・黄・青・黒など上絵付で文様が描かれ、わが国の「赤絵」もしくは「色絵」に相当。この作品は、身の肩部に蓮弁文、胴部に魚藻文、裾部に蕉葉文が描かれているが、下絵付の青花は一部に限られ、五彩による上絵付が中心。底裏には、3字2行の青花銘。

五彩龍花蝶文方盤

方形の盤。本格的な五彩は宣徳年間(1426~35)に始まり、嘉靖期から万暦期に盛行。この作品は、内面の底部に青花で太湖石と土坡が描かれ、太湖石から牡丹が伸び、蝶などの虫類が群れる様が五彩で描かれている。立ち上がり部には、窓枠内に五爪の飛龍文と雲文が描かれ、周囲に四方襷文が配されている。外面には、太湖石、草花文、虫類が描かれている。底裏には、3字2行の青花銘。

赤地金彩孔雀文仙盞瓶

扁平な洋梨形の胴部に、細長い頸部を持つ仙盞瓶。長い注口と扁平な把手が付き、犬形の摘みの被せ蓋が伴う。赤地金彩は、赤色の地に金彩で文様を描く技法で、わが国では「金襴手」と呼ばれ、嘉靖期に盛行。この作品は、頸部に蕉葉文が配され、胴部の逆ハート形の枠内に孔雀牡丹文が描かれ、周囲に宝相華唐草文が配されている。注口と把手に草文、蓋に花唐草文が描かれている。底裏には、ニ重圏線内に2字2行の青花銘。

青花紅彩龍濤文鉢

口縁部が外反する鉢。底部内面に五爪の龍文、波濤文、外面に五爪の龍文、波濤文、如意頭文が配されている。龍文は紅彩され、波濤文と如意頭文は青花で描かれている。底裏には、ニ重圏線内に3字2行の青花銘。

五彩蓮池水禽文甕

魚缸と呼ばれる、いわゆる鼓胴形の大型の甕。口縁部は玉縁状。口縁部に唐草文、裾部に蕉葉文が配され、胴部に蓮池水禽文が描かれている。胴部文様は余白を生かした構図で、緑を主調とした配色。口縁部内面には、6字横1行の青花銘。

青花人物図梅瓶

やや肩の張る胴部に、小さな口頸部を持つ梅瓶。口縁部は外反し、端部は受口状。二重圏線5組を配し、文様帯を4組に分ける。肩部に菊と牡丹の花卉如意頭文が描かれ、間に八宝文が配されている。胴部には樹木のある庭を童子を伴い散策する高士の図が4面に描かれ、花文を挟んで裾部に蓮弁文が配されている。肩部を巡るように、6字横1行の青花銘。

[重要美術品]五彩魚藻文面盆

鍔状の口縁部を持つ五花形の面盆で、明時代の万暦期に好まれた形。万暦年間は、明時代の景徳鎮窯における五彩磁器の全盛期。赤色ばかりでなく、緑・黄・青・黒など、繁褥(はんじょく)ななかにも洗練された色使いが特色。この作品は赤を主調とし、内面は魚藻文が濃密に描かれ、外面に花卉唐草文、八宝文が配されている。底裏には、二重圏線内に3字2行の青花銘。

五彩人物図面盆

轆轤成形の後、素地が生乾きの状態で内型に押し当てて成形する印坏によって作られた面盆。この作品は青と緑を基調とした五彩で、内面に人物図、外面に花卉唐草文、八宝文が描かれている。内面の底部に老子出関の図が配され、立ち上がり部と口縁部には童子を連れた人物の図様が繰り返し描かれている。同じ図様の反復、機械的な彩色は万暦期の特徴の一つ。底裏には、ニ重圏線内に3字2行の青花銘。

五彩蓮池水禽文瓶

下膨れの胴部に、頸部上方が柑子口風に膨らむ、大型の瓶。緑を基調とした五彩で、口縁部に雷文、柑子口風の部分に内部に花卉唐草文を持つ如意頭文と瓔珞文、頸部に太湖石、草虫文が配されている。如意頭文を挟んで胴部に蓮池水禽文が描かれ、高台に雷文が巡らされている。底裏は無釉であるが、内面は施釉されている。口縁部外面には、6字横1行の青花銘。

五彩唐子図瓶

いわゆる尊形タイプの大型の瓶。底部から直線的に内傾して立ち上がり、頸部は球形の胴部からほぼ直立し、口縁部は外反。頸部に膨らみを持つ。口頸部に花木文、頸部に蕉葉文、膨らみ部の花唐草文を挟んで草花の折枝文、さらに八宝文と唐草文の文様帯を経て、胴部に唐子遊図が描かれている。裾部に唐草文、太湖石と草花の折枝文、花文が配されている。口縁部外面には、ニ重圏線内に6字横1行の青花銘。

五彩力士形燭台

力士をかたどった燭台。ロウソク立ての付いた盤を頭部に捧げ持ち、盤のなかに赤・黒・緑に彩色された食物とおぼしきものが置かれている。力士の体は肌色に彩色され、目・眉毛・髭などは青花で描かれている。衣服は赤・黄・緑で彩色され、上着の雲文など赤地に描かれた文様は白く残され、黄地には緑彩で文様が描かれている。長方形の台座の裏面には、6字横1行の青花銘。

五彩獅子鳳凰文盤

口縁部が短く外反する盤。内面の底部には、雲形装飾の上に玉取獅子文が描かれている。立ち上がり部から口縁部にかけての3方に鳳凰文が描かれ、間に菊・蓮・牡丹の花卉文が配されている。粗い砂粒が底裏に付着。この作品のような粗製の五彩磁器は、わが国では「呉州赤絵」と呼ばれ、赤を主調とした「赤呉州」と、青を主調とした「青呉州」に分類でき、本作品は前者。

五彩鳳凰文盤

立ち上がり部からそのまま口縁部にいたる盤。この作品は、呉州赤絵のうち青を主調とした青呉州。文様は黒色顔料で縁取りされ、青色の上絵付が施されている。内面は、赤彩の3組の圏線を配し、文様帯を3組に分ける。底部中央に簡略化された山水文が配され、周囲に牡丹唐草と飛翔する鳳凰を一対ずつ対置する牡丹飛鳳文が描かれている。立ち上がり部には、海老・亀・蟹などによる魚尽文が配されている。粗い砂粒が底裏に付着。

藍釉堆花草花文盤

口縁部が短く外反する盤。器面に白濁釉を掛け、さらに藍釉(コバルト釉)を施した後、白泥を絞り出して文様を描き、再度透明釉を施釉。わが国では、「餅花手」と呼ばれている。本作品は、内面底部に図案化された菊花文が描かれ、立ち上がり部に樹花の一種と羽毛のような柔らかい線で表された唐花文が一対ずつ配され、口縁部に花文、葉文が描かれている。粗い砂粒が底裏に付着。

五彩人物図香炉

胴部中央がやや張る香炉。受口状の口縁部には、落とし蓋(火屋)が伴う。蓋には獅子の摘みが付き、獅子の口・鼻および蓋上部の2箇所に孔が穿たれている。蓋には花文が配され、胴部に輿に乗る人物図が絵画的に描かれている。口縁部に釉剥げがみられ、器壁は厚い。この作品のような特徴を持つ一群の五彩は、わが国では「天啓赤絵」と呼ばれている。木箱蓋表に、「南京赤繪/香爐」の墨書。

五彩山水図鉢

口縁部が外反する鉢。この作品は天啓赤絵で、いわゆる「古染付」に五彩を加えたもの。5客のうち4客の底部内面には供を連れて旅する人物が描かれ、他の1客は瀧を見る人物が描かれている。焼成時の窯キズ隠しのための緑釉が随所に点彩されているが、外面では文様の一部に取り込まれている。砂の付着する碁笥底の底裏には、一重圏線内に2字2行の青花銘。

五彩鳥兎文輪花皿

口縁部が不規則な輪花形の盤。内面の底部は、中央に赤地に白兎、周囲に白地に鳥が描かれ、地文様として稔花形に祥瑞文様が配されている。立ち上がり部に祥瑞文様と花卉文が配され、外面に花卉唐草文が描かれている。この作品のような特徴を持つ一群の五彩は、わが国では「色絵祥瑞」と呼ばれている。底裏には、二重圏線内に年紀といわゆる角福の青花銘。

青花人物図輪花盤

鍔状の口縁部が輪花形の盤。轆轤成形の後に型打ち、すなわち印杯により成形されている。内面の底部に騎馬人物図が描かれ、立ち上がり部から口縁部は窓枠内に騎馬人物図と花卉文が配されている。外面には、唐草文と花卉文が描かれている。花卉文の枝には棘を持ち、薔薇と想定できる。ヨーロッパ向け製品とすると、1683年の海禁政策の解除以降の産品か。底裏には、ニ重圏線内に3字2行の青花銘。

青花釉裏紅団文瓶

上部がやや膨らむ胴部に、細長い口頸部が付く瓶。胴部中程の四方に釉裏紅の団文が配され、裾部に青花による3本の圏線が巡り、その上に釉裏紅で鋸歯文が描かれている。文様は、北宋時代の『宣和博古図』(1588年復刻)にみられる周時代の青銅器「錞(じゅん)」の意匠がルーツ。器形は、打楽器の錞に細長い頸を付け、康煕期に新たに考案。底裏には、ニ重圏線内に2字3行の青花銘。

五彩花鳥文瓶

尊形タイプの大型の瓶。下すぼまりの胴部が肩部でわずかに張り、口縁部は大きく外反。器体全面に絵画的に花鳥文が描かれ、一方向からの鑑賞性が強い。文様はすべて黒の輪郭線で描かれ、丁寧な彩色が施されている。花・鳥には金彩がみられる。

五彩花鳥文盤

四角錐の三足を持ち、口縁部が外反する盤。内面の底部に花鳥文が大きく描かれ、立ち上がり部の4箇所の窓枠内に魚と藻、海老と藻が描かれ、周囲に花文が配されている。外面は、内面の立ち上がり部と同じ文様が描かれ、口縁部は鉄釉が掛けられている。口縁部と地文様の花文、魚と海老は金彩が施されている。

五彩蓮池水禽文甕

底部から内彎気味の立ち上がる下すぼまりの胴部に、玉縁状の口縁部を持つ、大型の甕。外面の口縁直下に花卉唐草文、渦文が配され、胴部は密度の濃い描写で、蓮池水禽文が全面に描かれている。魚の鱗には、金彩が施されている。内面には、大きな4匹の魚文を中心に魚藻文が配されている。

五彩蓮池文方瓶

やや上部の広がる方形の胴部に、口縁部が外反する口頸部が付く瓶。白磁の器胎に口縁端部と稜線を残して黒で塗り込め、さらに緑釉を塗り重ねて、光沢のある漆黒色の黒色を作り出している。黒地の器面は白い縁取りの画面に仕立てられ、頸部と胴部4面は緑を主体とし、くすんだ赤・黄・紫で蓮池文が描かれている。底裏中央部は四角に彫り込まれ、青花で葉文のマークが描かれている。

粉彩百鹿図双耳壺

下膨れの胴部に双耳が付く、商周時代の青銅器の壺を模した壺。粉彩は、ヨーロッパの無線七宝の技術を取り入れて開発された、五彩に比べ微妙なグラデーションが表現できる彩画技法で、康煕年間(1662~1722)に始まる。この作品は、器面全面にそびえる山々を背景に、鹿が木々の間を自由に群れ遊ぶ百鹿図が、風景画のごとく描かれている。「鹿」は、「禄」と通音する吉祥図案。底裏には、2字3行の篆書の青花銘。

関連リンク

東京富士美術館ホームページの展覧会詳細ページが開きます。
東京富士美術館は、1983年11月3日に東京西郊の学園都市・八王子にオープンしました。「世界市民を育む美術館」をモットーに、世界31カ国・1地域の美術館や文化機関との友好関係を築きながら、各国の優れた芸術を紹介する海外文化交流特別展を企画・開催しています。収蔵品は日本・東洋・西洋の各国、各時代の絵画・版画・写真・彫刻・陶磁・漆工・武具・刀剣・メダルなど約3万点に及び、とりわけルネサンス、バロック、ロココ、ロマン主義、印象派、現代にいたる西洋絵画500年の流れを一望できる油彩画コレクションと、写真の誕生から現代までの写真史を概観できる写真コレクションは国内有数のコレクションとして知られています。