曾我廼家五郎旧蔵資料
国立劇場所蔵の芸能資料より、元祖日本の喜劇王・曾我廼家五郎の旧蔵資料をご紹介します。
曾我廼家五郎旧蔵資料は、昭和45年(1970)に和田秀子氏より国立劇場に寄贈されたものです。記録によれば、脚本類671点、遺品類81点の合計752点の資料が寄贈されました。その後、これらの資料のうち、その一部については何度か資料展示の機会を得ましたが、曾我廼家五郎の初の特集展として寄贈資料を中心に展観したのが、令和4年(2022)に開催した企画展『曽我廼家五郎—喜劇の誕生』(国立演芸場資料展示室)です。本展は、展示監修に成蹊大学教授の日比野啓氏を迎え、国立劇場所蔵資料を通じて五郎の生涯と業績を辿るとともに、五郎劇の周辺や松竹新喜劇などその後継の喜劇を紹介し、好評を得ました。その後、日比野氏は令和6年(2024)に、五郎の人生と作品を演劇近代化の歴史に跡付ける初の本格評伝『「喜劇」の誕生—評伝・曾我廼家五郎』を刊行しています。今回は、あらためて日比野氏に資料の調査と解説の執筆を依頼し、令和4年の企画展で紹介できなかった資料を含め、曾我廼家五郎旧蔵資料をデジタルアーカイブとして公開します。
国立劇場調査養成部調査資料課
日本ほど様々なジャンルの演劇が生まれ育った国はない。伝統芸能を大きく分けるだけでも能狂言、人形浄瑠璃、歌舞伎があり、近代以降には新劇、新派、新国劇等が、そしてアングラや小劇場がそれぞれ別の上演慣行を保って発展してきた。人形劇や台詞劇、商業演劇等、 他国の演劇でも同種のものを見出すことができるジャンルもあるが、能や歌舞伎のように独自の形態として長らく認められてきたものも多い。
なかでも特異なのが喜劇だ。喜劇は西欧のコメディの訳語とされるが、明治末期以降日本に結成された喜劇団がそうしてきたように、一つの番組で「笑いあり、涙あり」のものからドタバタまで、多岐にわたる内容の演目を三本から五本並べるという興行形態をとるものは西欧のコメディにはない。西欧の正統なコメディは上演にまるまる一晩かかる多幕物であり、 また社会や人間を鋭く諷刺するものが多いが、現在の松竹新喜劇を見ても多幕物はほとんどなく、人の心の機微をきめ細やかに描くことはあっても、政治や社会の風潮をチクリと刺すようなことはない。
喜劇という日本独自の演劇ジャンルを開拓したのが曾我廼家五郎(1877〜1948)だ。五郎は「兄貴分」だった十郎(1869〜1925)とともに20世紀初頭に曾我廼家十郎五郎兄弟劇を旗揚げする。「曾我廼家劇」は、大阪俄というこれまた特異な芸能から大きく影響を受けながらも、西欧にもそれまでの日本にもない演劇としてまたたく間に観客の支持を集めた。その人気にあやかろうと同種の喜劇団が陸続と生まれたことで、前述のような独自の上演慣行と内容の「喜劇」というジャンルが社会に認知されるようになったわけだ。
しかし今「曾我廼家劇」「五郎劇」が喜劇の嚆矢だったことを覚えている人は少ない。猪首で太りじしの曾我廼家五郎の姿、「浪花節語りのような」と評されたその割れた低い声、そして何よりも新橋演舞場や大阪・中座に詰めかけた老若男女の涙をひとしく搾り取った情感あふれるその芸は、もはや語り継がれていない。なぜ曾我廼家五郎が忘れられた存在になったのかについては拙著を読んでいただくとして、ひとまず日本近代演劇史において重要な足跡を残した五郎が、どんな人間でどんなことを考えていたのか、その遺品を手がかりに想像していただければ監修者としてこれほど嬉しいことはない。
日比野啓(成蹊大学文学部教授)



































































































