解説
昭和12年(1937)4月、五郎は三十六歌仙にちなんだと称して自作から36本の作品を選び、「三十六快笑」と名づけて赤坂・日枝神社に奉告する。明治38年(1905)6月初演『ハッピリー』から、昭和10年(1935)6月初演『湯の街』まで、よく上演されたものが選ばれたようだが、選択の基準は不明で、その後もとくにこれらの作品の上演回数が多くなった、ということはなかった。市川團十郎家の「歌舞伎十八番」、尾上菊五郎家の「新古演劇十種」など歌舞伎俳優の「家の芸」の向こうを張ったともとれる、この「三十六快笑」の題目は、古風に巻物に筆書で記されて桐箱に収められており、歌舞伎に負けない喜劇の伝統を作ろうという五郎の心意気をよく表している。
収録されているデータベース
文化遺産オンライン
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最終更新日
2026/03/03