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From the Tokyo Fuji Art Museum Collection: “THIS IS JAPAN IN TOKYO—Eternal Treasures of Japanese Art"

東京富士矎術通で2020幎9月1日から11月29日たで開催された䌁画展「THIS IS JAPAN IN TOKYO 〜氞遠の日本矎術の名宝〜」展のオンラむン展芧䌚です。

ごあいさ぀

2019幎9月、ICOM囜際博物通䌚議京郜倧䌚を蚘念しお、東京富士矎術通が所蔵する日本矎術の名品から遞りすぐった「癟花繚乱 ニッポン×ビゞュツ」展が、京郜文化博物通にお開催され、京郜を蚪れた蚪日倖囜人をはじめ、倚くの来通者から奜評を博したした。本展はその里垰り展ずなるものです。


圓通が所蔵する日本矎術䜜品は、平安時代から近珟代に至る倚様な分野にわたっおいたす。本展では千幎の歎史の䞭で育たれおきた日本文化の豊穣な芞術䞖界の゚ッセンスをコンパクトにわかりやすく楜しむこずができるように「キモカワ」「サムラむ」「デザむン」「黄金」「四季」「富士山」など日本矎術を特色付けるキヌワヌドを通し、ニッポンのビゞュツを俯瞰的に暪断したす。絵画、浮䞖絵版画、挆工、刀剣、歊具甲冑などの倚様な分野におよぶ93点の名品を通しお、日本の歎史ず文化の倚様性に぀いお理解しおいただけるずずもに、日本矎術の豊かさに觊れる絶奜の機䌚ずなるでしょう。


本展は、東京富士矎術通がこれたで䞖界各囜の政府・文化機関等の芁請を受けお、海倖15カ囜1地域で24回にわたり開催しおきた、圓通所蔵日本矎術の名宝展の集倧成ずもいえる展芧䌚です。来通者の皆さたにずっお本展が、日本の歎史ず文化の倚様性や、日本矎術の豊かさに觊れる機䌚ずなれば幞いです。

展芧䌚玹介映像YouTube

「THIS IS JAPAN IN TOKYO 〜氞遠の日本矎術の名宝〜」展ムヌビヌ日本語版
展芧䌚の芋どころに぀いお孊芞員による解説を぀けた玄15分の特別映像で詳しくご玹介したす。

キモカワ × 日本矎術 "Kawaii" Japan

日本矎術に登堎するモチヌフは、珟代の私たちから芋るず、ずきに倧倉かわいく思われたす。たずえば、円山応挙の描く犬や、長柀蘆雪の描くりサギは愛おしさを感じさせるカワむむ魅力を攟っおいたす。䞀方、曟我蕭癜の描く仙人、東掲斎写楜の描く人物などは、デフォルメが匷く、気持ち悪さや䞍気味さを持ちながらも、それゆえに可愛らしく感じられる、今でいう「キモカワ」的な印象を受けるかもしれたせん。「カワむむ」キモカワの持぀倚矩的な魅力は、日本矎術の特城の䞀぀ずもいえるかもしれたせん。

[Important Art Object] Fierce Tiger

右奥から流れ出る氎流の瞁に手をかけお䜇む虎。その口元を芋るず薄く圩色があり、口を開けおいるのか、舌を出しおいるのかは刀別できないが、氎をあり぀こうずする瞬間を捉えおいるず分かる。呚囲を窺うような芖線を送る衚情は、たるで猫のようで愛くるしい。倧胆な䜙癜の掻甚が尚信画の特長ずもいえるが、ここでも暪長の倧きな画面に䜙蚈なものは描かず、䞻題に芖線を向かせるようなすっきりずした画面構成が芋られる。

Elephant

象を画面いっぱいに真正面から描く。现長い画面を逆手にずった意衚を突く倧胆な構図である。象の背景ずなる郚分を党お墚で塗り぀ぶし、象を着色せず匕き立おる手法も効果的で、これは拓版画の効果を肉筆画に応甚したものず掚枬される。単玔な䜜颚に芋えるが、淡墚ず濃墚を现心の配慮を払っお甚いおいるこずが理解できる。背䞭を䞉本の曲線だけで衚わすなど抜象化されおいお興味深い。その萜欟ず印章から若冲70歳代半ばの䜜ず知れる。享保13幎1728、第8代将軍埳川吉宗の芁請で実際の象が日本に持ち蟌たれ、その翌幎、長厎から江戞たで歩いお移動したずいう。14歳を迎えた若冲は、おそらく京郜の地でその象を実芋したずみられる。本䜜は、実際に芋たであろう象の蚘憶そのたたに、畳䞀畳近くある倧型の画牋玙からはみ出るほどの迫力で描かれおいる。若冲が手がけた「正面曞きの象」は、代衚䜜ずしお名高い「暹䞋鳥獣図屏颚」「鳥獣花朚図屏颚」を合わせお、珟圚確認できるのは5点のみ。本䜜はそのうちの皀少な1点である。

Fowls

雄鶏の奥から雌鶏が顔を出し、手前に描かれた雛を芋守っおいる。雄鶏の姿は鶏冠や肉髥から矜、尟、脚にいたるたで濃密に描かれおいるのに比べ、雌鶏ず雛が単玔化されおいるため、芋逃しおしたいそうな構図である。雄鶏の背䞭の矜の郚分にはわずかではあるが、墚の滲みの効果を利甚した若冲特有のいわゆる「筋目描き」の描写も芋られる。巊端に蚘された萜欟には「米斗翁行幎䞃十九歳画」ずあり、若冲が倩明8幎1788の倩明の倧火埌に石峰寺珟圚の京郜垂䌏芋区深草の門前に構えた庵で制䜜しおいた時期でもある寛政6幎1794の䜜ず分かる。

Rooster

若冲は庭に鶏を数十矜飌い、写生しおいたこずで知られる。本䜜ではそのうちの1矜を捉えたものであろうか、米俵に乗り、たるでサヌカスのように片脚でバランスをずる鶏が描かれる。正面向きの鶏は若冲の代衚䜜である《動怍綵絵 矀鶏図》宮内庁䞉の䞞尚蔵通蔵や《仙人掌矀鶏図》西犏寺蔵にも登堎するが、暪向きの鶏に比べ、よりナニヌクな衚情を芋せる。本䜜は粗く描かれたように芋えるが、米俵のしめ瞄や、鶏の顔、矜、脚にいたるたで墚の濃淡を䜿い、䞁寧に描写しおおり、よく芋るず鶏冠や肉髯には埮现な点状の暡様が斜されおいる。

Folding Screen with Design of Cranes

六曲䞀隻屏颚に墚画淡圩で二矜の鶎を描く。鶎の呚囲を倖隈が斜され、その癜い身䜓が匷調され、さらに頭郚に甚いられた朱がアクセントずなり効果的である。鶎の衚珟や、速筆で描かれた画面を突き抜ける倧きな束、没骚で描かれた䞋草類などに蕭癜の氎墚技術が看取される。画面巊に埌補があり、匕手跡も確認できるこずから、襖が屏颚圢匏に改装されたこずがわかる。䜜颚、萜欟、印章などから20代末から30代前半頃の制䜜ず考えられる。

Jurojin, God of Longevity, on a Turtle

倪い尟のような苔を埓えた亀は蓑亀ずもいわれ、吉祥の図案ずしおよく絵画に甚いられた。亀に乗る仙人は䞭囜の仙人に぀いおたずめた『列仙䌝』巻之二に登堎する黄安仙人が知られる。同曞には「赀い銅色の身䜓を露出し、幎䞭衣服を着るこずがなかった」ずあり、その容姿に぀いお挿絵入りで玹介した『繪本故事談』には亀の䞊に乗り、䌞び切った髪ず髭を生やした半裞姿の黄安仙人が描かれおいる。しかし本䜜に芋られる仙人は、服を着蟌み、長い犿頭が特城的に描かれ、明らかに䞃犏神の䞀人である寿老人を思わせる颚貌をしおいる。珟に亀に乗る寿老人をモティヌフずした絵画や眮物なども残っおいるこずから、本䜜のように別の仙人を䞃犏神に芋立おた図案が、蕭癜の生きた時代に吉祥図の䞀぀ずしお流通しおいたずいうこずも考えられる。いずれにしおも、やや䌁み顔の仙人ず存圚感のある亀の顔぀きに蕭癜特有の愛嬌があり面癜い。たた、もう䞀぀泚目すべきは本䜜に付された印朱文壺印である。この印は元々正方圢であったが、時代を経お欠損が進み、印圱がたるで壺の圢のように倉化するこずで知られる。蕭癜䜜品には珍しく「安氞䞃戊戌春」ずの幎蚘が入った《蘭亭曲氎図》個人蔵には、本䜜よりもやや欠損が進む前の状態にある朱文壺印が芋られるこずから、本䜜は安氞7幎1778以降に描かれたものず掚察するこずができる。

Toad Sage

蝊蟇仙人は䞭囜の仙人葛玄あるいは劉海蟟をさす。3本足の蝊蟇ヒキガ゚ルを操るずされる。仙人はお腹の着衣の䞭に蝊蟇を抱え、西王母ず蝊蟇ずの逞話にちなみ仙桃を想起させる桃の枝を手にしおいる。蝊蟇仙人は鉄枎仙人ずの察で描かれるこずが倚いが、本䜜もそうした察幅のうちの䞀幅ず考えるのも面癜い。いずれにしおも「曟我暉雄」「蕭癜」「鞞山」印ずその状態からしお30代前半頃の比范的早い時期の䜜ず考えられる。

Puppies

3匹の仔犬が愛らしい衚情を芋せながら䜇んでいる。画面巊偎に䜕か興味をそそるものがあったのだろう、2匹は巊に芖線を送っおおり、その心の動きをも感じ取るこずができる。明和8幎1771頃には《写生図巻》を制䜜し、小動物を耇数の角床から写生しお残しおいる。「狗子図」では倩明4幎1784に手がけた《朝顔狗子図杉戞絵》が代衚的であるが、本䜜はその埌、人気を博した応挙の狗子図の掟生䜜品の䞀぀ずいえる。

Rabbits in Snow with a Nandina Bush

雪に䜇む2匹の兎。䞀芋しお、垫である円山応挙の《朚賊兎図》倩明6幎1786䜜を想起させる。本䜜は楷曞䜓の眲名や癜文方印から盧雪の䜜画の最初期にあたる倩明元幎頃の䜜ずみられる。この頃の盧雪は応挙の画颚に忠実に描くこずが倚かった。本䜜に登堎する黒ず癜が混じる兎は、応挙が明和7-安氞元幎1771-72に手がけた《写生図巻・甲巻》にも描きずめられおおり、盧雪はおそらくこれを参考に制䜜したのではないかず掚察される。

The Tale of Uso-Hime (Princess Bullfinch) from Japanese Fairy Tale “Owl”

埡䌜草子絵巻。加賀囜に䜏む83歳の梟ふくろうは、矎しい鷜うそ姫に䞀目惚れする。山雀やたがらの協力で片思いは実り、姫の心を぀かめなかった諞鳥は恋の歌を詠む。しかし、倱恋した鷲わしは逆䞊しお姫を殺害、梟は出家し、圌女の菩提を匔ったずいう。倧型奈良絵本を改装したこの絵巻は物語埌半を欠くが、数少ない『ふくろふ』の䜜䟋ずしお貎重。華麗な挿絵には、圓時の機智なども盛りこたれおいる。䟋えば、山雀の前に胡桃が眮かれおいるのは、慣甚衚珟の「山雀が胡桃回す」もおあたしおいじり回すの意を螏たえたものである。

Ichikawa Ebizo as Takemura Sadanoshin

寛政6幎1794の5月に河原厎座で䞊挔された「恋女房染分手綱」の䞀堎面で、前半の山堎・道成寺の䞻圹である胜垫圹の竹村定之進を描いたもの。挔ずる垂川鰕蔵は5䞖垂川団十郎のこずで、圓代随䞀の名優ず謳われた。倧ぶりの䜓栌、圫りの深い顔ず顔党䜓を䜿った豊かな衚情が、この圹者がも぀堂々たる颚栌を䌝えおくれる。たた定之進の顔、襟や裃の描線、組たれた䞡手ずがリズミカルか぀安定した構図を巧みに挔出しおいる。

Asahina Yoshihide Fighting to Capture Two Crocodiles on the Occasion of the Lord Minamoto no Yoriie's Sea Excursion off the Coast of Kamakura-Kotsubo

海䞭で鰐を捕たえおいるのは、この絵の䞻人公で歊勇に優れた鎌倉時代初期の歊将、朝比奈䞉郎矩秀。数々の䌝説に圩られた人物ずしお物語や歌舞䌎にも床々登堎する。のちに北条氏に反旗を翻した和田矩盛の䞉男で、安房囜朝倷郡あさいぐん珟圚の千葉県南房総あたりに生たれたのでその名がある。ここに描かれおいるのは、鎌倉時代の歎史曞『吟劻鏡』に登堎する䞀堎面。正治2幎12009月2日、源頌家みなもずのよりいえは小壺珟圚の神奈川県逗子垂小坪の海蟺を遊芧した際に、い぀ものように埡家人たちに歊芞の披露を行わせた。その埌、海䞊に船を浮かべお酒を振舞っおいた時に、泳ぎの名人ずの評刀が高かった矩秀にその技を披露するように呜じた。そこで矩秀は芋事な泳ぎを芋せた挙句、海䞭に朜るず生きた鮫を3匹捕たえお浮䞊しおきた。驚いた船䞊の人々は矩秀を喝采で迎えた。鮫はここでは鰐ずしお衚珟されおいる。この鰐は、江戞時代埌期の蘭孊者、森島䞭良が著した『玅毛雑話』倩明7幎1787刊行に掲茉されおいる「カむマン」の図をもずに描かれおおり、その埌も同じく囜芳の「讃岐院眷属をしお為朝をすくふ図」嘉氞4幎1851にも鰐鮫ずしお登堎する。

Princess Takiyasha Calling up a Monstrous Skeleton Specter at the Old Palace in Soma

山東京䌝の読本『善知安方忠矩䌝』に取材した本図は、囜芳の代衚䜜の点。盞銬の叀内裏は、盞銬小次郎こず平将門が䞋総囜に建おた屋敷で、将門の乱の際に荒れ果おおしたっおいた廃屋。劖術を授かった将門の遺児滝倜叉姫ず良門は、父の遺志を継いでこの廃屋に仲間を募り、やがお劖怪が出没するようになる。それを知った源頌信の家臣、倧宅倪郎光囜は劖怪を退治しおその陰謀を阻止する。原䜜では耇数の骞骚が珟れるが、囜芳はこれを巚倧な䞀䜓の骞骚に眮き換えるこずによっお、迫力ある画面構成を生み出すこずに成功しおいる。

Hotel for Sparrow

倩保の改革によっお圹者絵や遊女に関わる絵が犁止され、浮䞖絵界は倧打撃を受けたが、囜芳は圹者や遊女を動物に芋立おお描き、その芏制をかいくぐり、ナヌモア溢れる䞖界を創出した。本図は吉原の栌子先の賑わいが題材ずなっおいる。匘化2幎1845の暮れ、吉原が火灜に遭い、仮宅吉原以倖の仮の営業所での営業を䜙儀なくされた暡様を取り䞊げおいるが、先の理由で、登堎人物党おを雀の姿に芋立おお描いたのが本図である。

Looks Fierce but is really nice

戯画のうち「寄せ絵」ず呌ばれるもので、人間の目、錻、口から眉毛、䞁髷にいたるたで、そしおおそらくは着物の䞭の身䜓぀きに぀いおも、さたざたな姿態の人間を組み合わせお衚珟するずいうナニヌクな趣向に富んだ䜜品。西掋の画家・アルチンボルトが怍物や果物などを䜿い、同じ手法で人䜓を衚珟する詊みをしおいるが、䞡者の関係性に぀いおは定かでない。たた着物の文様から鎌倉時代の歊将・朝比奈矩秀の関係性も取り沙汰されおいる。

Asakusa Ricefields and Torinomachi Festival, from the Series One Hundred Scenic Spots of Edo

栌子の倖を芋぀める猫の埌ろ姿が可愛らしく印象的だが、栌子窓のこの郚屋は吉原の劓楌の二階であろう。飌い䞻の遊女は接客䞭のようで、畳には客が持参したものか、浅草の鷲神瀟の酉の垂土産の熊手型の簪が転がっおいる。窓の倖には浅草の田んがの向こうに熊手を持っお行き亀う人々の姿が描かれ、遠く富士山ず空高く雁行する雁の矀れが芋える。空は倕日に赀く染たっお、吉原も忙しくなる頃合いである。猫は、瞁起物の熊手を買い求める参詣客で賑わう酉の垂の喧隒に耳をそばだおおいるようだ。

Jumantsubo Plain at Fukagawa Susaki, from the Series One Hundred Scenic Spots of Edo

「十䞇坪」は珟圚の江東区千田および千石呚蟺に圓たる。享保8幎1723から行われた干期の埋め立おにより10䞇坪に及ぶ新田が開発されたため、「十䞇坪」ず呌ばれおいた。高朮の被害が発生するなど居䜏には適さない土地で、䞀時幕府が鋳銭堎いせんばを眮いたりしたが、寛政8幎1796にはには䞀橋ひず぀ばし埳川家の所有ずなった。江戞時代埌期には、この付近は春の海蟺での朮干狩りや初日の出、月芋を楜しめる名所ずしお人気を集めるようになり、海岞に面した掲厎匁倩瀟すさきべんおんしゃ珟圚の掲厎神瀟にも倚くの参拝者が蚪れおいた。倩保幎間に出版された広重の『東郜名所』や『江郜名所』などのシリヌズでは、そのような朮干狩りや初日の出、掲厎匁倩瀟の賑わいの様子が描かれおいる。広重は『名所江戞癟景』で再び同地を描くにあたり、それたで描いた題材から倧きく趣向を倉えお、海偎からの鳥瞰ちょうかんずいう倧胆な構図によっお、湿地垯の荒涌ずした冬の雪景ずしお描き出した。しんしんず雪が舞う浜蟺に静けさが挂う䞀方で、倧きく翌を広げた鷲が䞊空から獲物を狙う様子は躍動感に溢れおおり、この静ず動の察比が本䜜の倧きな魅力ずなっおいる。遠方には、富士山ず䞊ぶ関東の霊峰、筑波山が静かに䞋界を芋䞋ろしおいる。

Shachihoko-Shaped Kabuto Helmet

兜鉢は薄鉄の五枚匵りで、その䞊に鯱の圢を和玙で厚く匵り抜いおある。党䜓を厚く挆で塗り固め、口ず錻孔は朱挆塗り。目は金胎の薄板を貌り付け、錏しころは鉄板付盛䞊札を朱挆塗りずし、その䞊から黒挆を塗っおいる。日根野圢五段を玫絲嚁ずし、吹返しは䞀段䞞圢で、黒挆塗りずしお銀の芆茪をめぐらせる。䜜域は、匵り抜き技術、挆仕事にすぐれ、たずたりのよい匵懞兜である。

サムラむ × 日本矎術 Samurai Japan

絵巻や屏颚などの合戊絵に描かれた歊士は、歊具甲冑を身に垯び、日本独自の戊闘図の䞻人公ずしお存圚感を瀺しおいたす。そしおもずもず歊士の身の回りの実甚品でありながら、珟圚は「矎術品」ずしお鑑賞される歊噚や歊具の数々。珟圚芋るこずができる歊士の遺品は、消費され倱われた倚くの実甚品ずは䞀線を画し、いずれも圓時の歊士のこだわりや矎意識を反映し、莅を尜くした逞品です。刀剣はぜひ歊士が手に取っお鑑賞したスタむルで名刀の矎をあたすずころなくお楜しみください。

Folding Screen with Design of the Scenes from The Battle of the Genji and Heike Clans

源平合戊の䞭でも有名な䞀の谷合戊を右隻に、巊隻に屋島合戊を描く。右隻には平家の陣屋の埌方から攻め入ろうずする、源矩経によるいわゆる「鵯越の逆萜ずし」の堎面や、熊谷盎実ず平敊盛による「敊盛最期」のシヌンが描かれる。巊隻には陣屋に攻め入る矩経軍ず海䞊に逃れる平家の軍勢ずが、陞䞊ず海䞊に察峙する屋島合戊の暡様を描く。所狭しず金雲をあしらい、極圩色ず繊现なタッチで兵士䞀人䞀人の衚情たで䞹念に描き、芋る者を魅了する。

Picture Scrolls of the Late Three Year War (copy)

埌䞉幎の圹は氞保3幎1083から5幎間、奥矜の枅原氏の血族の争いからおこった合戊で、陞奥守源矩家ず奥矜の豪族枅原䞀族の間で戊われ、矩家はこの乱によっお歊名をあげ、たたこの乱が奥州藀原氏繁栄の基瀎ずもなった。埌䞉幎合戊絵巻は鎌倉期の代衚的戊蚘絵巻であり、元々播磚の池田家の重宝ずしお䌝䞖したが、珟圚は東京囜立博物通の所蔵ずなっおいる。本䜜はその写本である。特に凄惚な合戊の堎面は芳る者の県を匕き぀ける。

The Loyal General, Takeda Samanosuke, from the Series One Hundred Brave Generals at the Battle of Kawanakajima

歊田巊銬之助信繁は歊田信玄の匟。知勇に優れ、歊田の副倧将ずしお信玄の右腕ずなっお掻躍した。川䞭島の合戊では、死を芚悟した信繁は家臣に息子ぞの圢芋を蚗しお、蚎死したずされる。『甲陜軍鑑」では「毎事盞敎う真の副将なり」ず評され、嫡子歊田信豊に残した「歊田信繁家蚓」は、江戞時代の歊士の心埗ずしお広く読み継がれおいた。たさしく文歊䞡道の士ずしお人気を博しおいた。

Battle of the Ujigawa River

『平家物語』に登堎する「宇治川の戊い」の䞀堎面。平安時代末期の寿氞3幎11841月、朚曜矩仲ず源頌朝が掟遣した源範頌・源矩経ずの間で行われた合戊の様子が描かれる。雪解け氎で増氎しお激流が枊巻く宇治川を前に、先陣争いをする階の歊者、䜐々朚四郎高綱ささきしろうたか぀なず梶原源倪景季かじわらげんたかげすえ。頌朝より賜った名銬「生唌池月いけづき」を駆る高綱は䜕ずしおも先陣を切りたい。そこで先を行く景季に銬の腹垯が緩んでいるず声をかける。慌おお垯を締め盎す景季。その暪を远い越し、川に飛び蟌む高綱。圓代䞀の名銬「生唌池月」いけづきは、宇治川の速い流れを、力匷く䞀文字に察岞ぞず枡りきる。磚墚するすみに乗った景季は、流れに抌し流されお遥か䞋流の岞ぞ。芋事先陣を切った高綱は、倧声で名乗りをあげながら敵陣に突撃したのである。画面䞭倮、連銭葊毛れんぜんあしげの銬にたたがる勇壮な歊者姿の人物が䜐々朚四郎高綱。波しぶきを䞊げながら勢いよく岞に駆け䞊がっおいる。その右偎埌方には、黒銬ずずもに必死に川を枡る梶原源倪景季の姿がある。

The Battle of Shijo Nawate

ここに描かれおいるのは、楠朚正成の息子正行が壮絶な蚎ち死を遂げた四條畷の戊いである。四條畷は珟圚の倧阪府四條畷垂にあたる。正行は父正成の死埌、南朝方ずしお北朝の足利尊氏を蚎぀べく準備をしおいた。父譲りの戊略でいく぀かの戊では勝利を埗たものの、勢力の差はいかんずもしがたかった。四條畷においお、決死の芚悟で敵陣に突っ蟌み、無数の匓矢を射かけられるなか敵の倧将高垫盎たであず䞀歩ずせたるが取り逃がし、最埌は自刃しお果おたず蚀い䌝える。この暡様は「倪平蚘」に詳しく曞かれ、忠孝の父子ずしお江戞の庶民に広く読み継がれおいた。

Sixty-two Plate Riveted Suji Kabuto Helmet, with Crescent Moon Shaped Maedate

「垞州䜏早乙女家成」の銘を鐫ほる六十二間の筋兜である。筋兜は瞁を折立おた矧板を、頭が平坊な鋲で留めたもので、鉢衚は䞀面に折立おた瞁の筋が䞊ぶこずからその名があり、その筋間の数を「間けん」ず呌ぶ。鉢は比范的穏やかな圢で、四方に響孔ひびきあなを開け四倩しおんの鋲を打぀が、埌頭郚の笠暙付かさじるし぀けの鐶は蚭けおいない。倩蟺おぞんは六重の菊金物の八幡座で食り、角本に立おた革補金箔抌の倧きな䞉日月の前立が印象深い。眉庇たびさしは斜め䞋方に突き出したいわゆる駒の爪圢である。𩊱は黒挆塗鉄板札五段を玺糞で玠懞に嚁し、䞀段の吹返に「䞞に䞉柏」の据文金物すえもんかなものを打っおいる。早乙女掟の䞻芁な拠点は垞陞の䞋劻茚城県䞋劻垂が有力芖されおいるが、膚倧な圚銘品を残しながら良質な史料に乏しく䞍明な点が倚い。家成の圚銘品は六十二間筋兜が倚く、六十二間小星兜がこれに次ぎ、江戞時代前期から䞭期にかけお耇数代続いたようである。

Sixty-two Plate Riveted Suji Kabuto Helmet, with Deer Horn Shaped Wakidate

本䜜は、六十二間の筋兜の代衚的なものの䞀぀。兜鉢の呚囲に取り付けられた錣は、金挆塗りの地に叀代玫糞を切付小札で五段に嚁しおおり、装食物の脇立には、朚圫に金箔を抌した鹿角型のものを眮いおいる。吹返の「六文銭」から、信州珟圚の長野の束代城䞻真田家䌝来の兜ず知るこずができる。

Suit of Armor in O-yoroi Style

幕末の薩摩藩䞻島接斉圬が着甚したず䌝えられる倧鎧。制䜜圓初の状態で各郚が完党に揃っおいるものずしお、倧倉貎重である。兜の鉢は、叀く鎌倉時代のものを転甚しおおり、各所に取り付けられた金具の装食は豪華な䜜りで、他に䟋を芋ないほど手の蟌んだ金具である。たた胎前面の獅子牡䞹文様の匊走の韋、籠手の蒔絵に加え、癜色、萌黄色、玺色の䞉段の嚁絲など、党䜓に勇壮さ、重厚さに優雅さ、軜快さの感じられる䞊品な䜜颚である。昭和3幎5月に東京矎術倶楜郚で開催された公爵島接家藏品入札目録に目録番号375番ずしお掲茉されおいる。

[Important Cultural Property] Tachi: Signed ‘Ichi’

本䜜は、身幅みはば広く腰反こしぞり高く、䞭鋒ちゅうきっさき詰たっお猪銖いくびになるなど鎌倉時代䞭期の力匷い倪刀姿を呈し、平肉ひらにくも良く付き、埀時の姿を留めおいる。よく緎ねれた地鉄じがねには乱れ映う぀りが立ち、足あし・葉ようが豊富に入り、華やかな重花䞁子に蛙子䞁字かわずこちょうじを亀えた倧暡様の刃文は力匷さず迫力に満ちおおり、犏岡䞀文字掟の真䟡が十二分に発揮された屈指の䞀口ずいえる。现川護貞氏旧蔵。昭和25幎1950、囜の重芁文化財に指定されおいる。

Katana: Signed ‘Izumi-no-Kami Fujiwara Kanesada Saku’

本䜜は、先反さきぞりの぀いた兞型的な末叀刀すえこずう姿で、鍛きたえは板目いため肌が流れお柟たさがかり、地沞じにえが厚く぀き、関物せきもの特有の癜しらけ映う぀りが立぀。刃文は、互の目に小湟このたれ、尖ずがり刃、䞁子など亀たじり小足こあし入り、匂口においぐち締したりごころに小沞こにえ぀く。茎なかごの鑢目やすりめは鷹の矜、目釘孔めくぎあな暪、鎬地しのぎじに和泉守藀原兌定䜜ずノサダ八字銘がある。この刀は、ノサダの優れた技量が発揮された代衚䜜ずいえる。

Katana: Signed ‘Nagasone Okisato Nyudo Kotetsu’ / (Gold-inlaid Inscription) ‘Kanbun Go-nen Juni-gatsu Juroku-nichi Yamano Kaemon Rokujuhachi-sai Nagahisa (Kao); Yotsu-do Setsudan’ (December 16, 1665, Yamano Kaemon, aged 68, Nagahisa (Kao seal); Capable of cutting four bodies at once)

本䜜は、反そり浅く、鋒きっさきが詰぀たり、鎬幅しのぎはば広く鋭い感じがする姿。地鉄じがねは小板目こいためがよく詰み矎しく、刃文は、湟のたれお刃瞁はべりに小沞こにえが埮塵みじんに぀き明るく冎えるなど、たさに虎培の兞型䜜である。なお、虎培の刀には、本刀のように幕府の詊圹ためしやくを勀めた山野加右衛門氞久・勘十郎久英芪子の裁断せ぀だん金象嵌ぞうがん銘を入れたものが倚数あるのも特城である。䞀般に䞉ツ胎み぀どう以䞊の截断銘は少なく、四ツ胎截断銘の入る本䜜は、虎培の䜜のなかで最も切れた蚘録を残すもののひず぀。

Katana: Signed ‘Musashi no Kami Fujiwara Kanenaka’ / ‘Echizen Ju’

本䜜は、越前関の代衚刀工兌䞭の䜜で、反り浅く、元先幅の差が付く兞型的な寛文䜓配。鍛えは板目が肌立ち、凊々黒い肌合いを芋せる越前肌。刃文は先の尖る互の目に匂口締たりごころで数条の砂流しがいる。垜子は、乱れ蟌んで小䞞。茎は生ぶ、鑢目は勝手䞋がり、目釘孔䞀個、先は入山圢、銘は、衚に䜜者銘、裏に囜銘を切る。良く緎れた肌合いず関䌝を圷圿ずさせる䞉本杉の刃文は芋事である。

デザむン × 日本矎術 "Rimpa" Design Japan

俵屋宗達に始たり、尟圢光琳が発展させ、酒井抱䞀や鈎朚其䞀に代衚される「琳掟」の絵垫。圌らの掻動は、盎接の垫匟関係によらず江戞時代を暪断し、京郜から江戞ぞ広がり、絵画や工芞をたたぐずいう既成の流掟の抂念に収たらないものでした。宗達、光琳、抱䞀、其䞀ず描き継がれた颚神雷神図、其䞀は抱䞀たでの二曲䞀双で䞊び立぀二神を、倧胆に襖四面の広倧な空間の衚裏に描き分けたす。斬新な発想力に由来する独自の造圢デザむンに圌らの真骚頂がありたす。

Folding Screen with Design of White Chrysanthemums

垣根の呚囲を芆い尜くすように咲き誇った倧ぶりの癜菊に花の持぀匷い生呜力を感じる。六曲䞀双ずいう金地の倧画面に癜菊ず垣根、土坡、氎流のみを描く豪快な衚珟様匏は桃山時代党䜓の障屏画における倧きな特長ずいえる。䞭でも自然そのものが持぀矎しさを単玔か぀明快に衚珟した倧らかな䜜颚は長谷川掟のそれに近いものを感じさせる。垣根や氎流に倉化を持たせながら、䞻題である癜菊の端正な矎しさを芋事に䌝えた桃山障屏画の品栌溢れる名品。

Folding Screen with Design of Pine and Cherry Blossoms

画面を察角線で区切るように倥しいたでの束の緑の塊が連なり、巊䞊方の金地空間ず鮮やかな拮抗をなす斬新で奇抜な構図。束ずいえば逊源院の《束図襖》が有名であるが、本䜜では束の葉をより簡略化しお描いおいる。束の暹間には宗達がモティヌフずしお採甚した槙や檜も描かれおおり、宗達䜜品を想起させる。右䞊郚の八重桜は、独特の盛り䞊げ圩色による厚みを備え、束葉の矀れに負けじず咲き誇っお、画面にひずきわ興趣を添えおいる。

Folding Screen with Design of Rough Sea

比范的小さな寞法に仕立おられた八曲䞀隻の屏颚。画面右䞋に「察青印」らしき朱文円印があるが、にわかには刀読しがたい。本䜜では俵屋宗達・尟圢光琳の双方が描いた《束島図》にも芋られる波頭の図案が簡朔にリズムよく描かれ、波の躍動感を䌝えおいる。波圢の描写は波の倖偎にだけ濃い矀青色を匕き茪郭を際立たせ、波頭郚に胡粉で癜を着圩し、飛沫や波のうねりの郚分に金泥の線で調子を぀けお仕䞊げおいる。

Folding Screen with Design of Plum Tree

しなやかに枝を䌞ばし、ちらほらず蕟が咲きだした梅を、金地の察角線状に配眮した意匠性の高い䜜品である。画面の䞊䞋をはみ出しお描かれた梅は枝振りや幹の䞀郚のみを描き、独特の圢態の矎しさを捉えお簡朔にたずめ䞊げられおいる。薄墚のたらし蟌みで衚された暹幹に、点苔ずしお加えられた緑青が最いを感じさせる。梅の花は尟圢光琳がよく甚いたモティヌフで、花匁をひず぀なぎの茪郭線のみで描いた梅は「光琳梅」ずも称された。

White Plum Tree

花匁の描写を略し、花の茪郭だけを捉えた䞖に蚀う「光琳梅」ず呌ばれる意匠化された梅の花ず、たらし蟌みの技法を駆䜿した幹の衚珟は、琳掟を継承した抱䞀の確かな技量を感じさせる。䞊郚には「梅の花 八千代の春に 匂うずも 赀く色銙の なずこもるらん」ずの歌が添えられおいる。この歌の䜜者は京郜出身の囜孊者であり歌人の富士谷埡杖で、おそらく抱䞀ず䜕らかの亀友をもっおいたず考えられる。

Sliding Door with Design of Moon with Bush Clovers

萩ず月は秋を衚す奜画題ずいえよう。巊右から䌞びた玅癜の萩は緩やかな動きをもっお、察角線䞊に配眮されおいる。花房ず葉の衚珟には、茪郭線を匕かず色の階調を䜜る付け立おの技法がずられ、葉の葉脈には金泥が斜されおいる。月䞋の葉色に倉化を぀け、絹地の背景に銀泥を匕くこずで月光を挔出するなど、こうした其䞀の现郚ぞのこだわりが画面に皋よい緊匵感をもたらすずずもに、江戞琳掟特有の矎麗で瀟排な品栌を醞し出しおいる。

Sliding Door with Design of Wind God and Thunder God

俵屋宗達、尟圢光琳、酒井抱䞀ずいう琳掟の巚匠たちによっお手がけられおきた重芁画題である「颚神雷神図」を抱䞀の高匟其䞀が再構成した䜜品。3人の巚匠が二曲の金地屏颚に二神を収めたのに察し、其䞀は絹本の襖四面に各々を描いた。この襖絵は元々4面が衚裏にくるよう仕立おられおいたずいう。癜ず緑の軜やかな色圩を埗た颚神・雷神は、墚の滲みを䜿った柔らかな雲を埓えお、䞎えられた広々ずした空間を我が物顔で支配しおいる。其䞀は、垫である酒井抱䞀ずずもに、倧らかで兞雅な気颚の京琳掟に察しお、瀟排で機知的な近代性を䜵せもった「江戞琳掟」を確立させた。本䜜では颚神・雷神の二神の胎䜓・腕・足の凹凞を衚す描線や目玉の呚囲にわずかな陰圱を斜し、立䜓性をより匷調しおいるのが芋お取れ、他の3巚匠にはないリアリティぞの远求が窺える。萜欟には「為䞉堂」「噲々」の印、「祝琳斎其䞀」の眲名がなされおおり、抱䞀の死埌、其䞀独自の䜜颚を確立しゆく30代半ばから40代埌半の充溢した時代の䜜ず考えられる。

Phoenix

珟圚、雪䜳の描いた「癜鳳図」ずしおよく知られるのは、倧正時代末頃の制䜜の双幅《朝陜老束・癜鳳図》個人蔵ず、昭和倩皇即䜍の倧瀌の際に制䜜された《癜鳳図》现芋矎術通蔵である。いずれの䜜品も本䜜ず類䌌しおおり、癜鳳の銖の角床や顔の衚情が違うものの、身䜓の向きはほが同じである。癜鳳は束の幹にずたり、芖線の先にいる䜕者かを嚁嚇するような衚情を芋せる。束ず癜鳳ずいう取り合わせは、䌊藀若冲の《動怍綵絵 老束癜鳳図》宮内庁䞉の䞞尚蔵通蔵を想起させるが、その描法を芋るず、倧らかな線で描かれた癜鳳に、たらし蟌みの技法を䜿った束の幹、こんもりずした束葉の塊など、琳掟䜜品から継承した画技が冎えわたっおいる。萜欟・印章から制䜜時期は倧正末頃から昭和初期あたりず掚枬される。

[Important Art Object] Fragment of the Imperial Poetry

埌柏原倩皇の筆による唐の詩人・癜居易の詩「華陜掞裏 秋壇䞊 今倜枅光 歀處倚」ず平安時代䞭期の歌人・藀原雅正の和歌「い぀ずおも 月みぬ あきは なき物 を わきお今倜の めづらしき哉」『埌撰和歌集』の曞写。

[Important Art Object] Fragment of the Imperial Poetry

 埌柏原倩皇の筆による『和挢朗詠集』の曞写。埌柏原倩皇は埌土埡門倩皇を父ずし、その死去を受けお即䜍した。圚䜍は1500幎〜1526幎。土埡門倩皇ず同様、応仁の戊乱で衰退した朝儀ちょうぎの再興に尜力する䞀方、詩歌や管匊などにも長け、歌集『柏玉集はくぎょくしゅう』をたずめおいる。 写されおいるのは『和挢朗詠集』巻䞋、慶賀に収められおいる橘正通たちばなのたさみちの挢詩ず、䜜者未詳の和歌である。たず挢詩は「君ず私は、花月などを愛でながら亀流を深めおきた。しかし、今君は高貎な身分の人ずなり、埮官に留たっおいる私ずは倩地ほども離れおしたい、目に届かなくなっおしたった」ず蚳せ、旧友ぞの今昔の感を読み取るこずができる。 続く和歌は、「昔は嬉しさを袖に包んだずいうが、今宵の私の嬉しさは袖に包むどころか、身にも䜙っおしたうほどである」ず蚳せる。『和挢朗詠集』では、この歌に䜜者名は付されおいないが、『撰集抄せんじゅうしょう』では、藀原斉信ただのぶより先に昇進した藀原公任きんずうの喜びを衚した歌ずしお出おいる。しかし『公任集』自撰和歌集では芋るこずができない。解読文「花月䞀窓 亀昔眀 雲泥䞇里 県今窮」「うれしさをむかし は袖に぀ゝみけり こよひは身にも 䜙りぬるかな」曞き䞋し文・珟代衚蚘「花月䞀窓かげ぀いっそう亀たじわり昔眀む぀たじかりき 雲泥䞇里うんでいばんり県たなこ今窮きわたりぬ」「うれしさを むかしは袖に ぀぀みけり こよいは身にも 䜙りぬるかな」

[Important Art Object] Imperial Poem on a Square Cardboard

埌陜成倩皇の筆による鎌倉時代前期の歌人・藀原家隆の和歌「秋の倜の月 やをしたの あたの原 明方ちかき おきの釣舟」『新叀今和歌集』の曞写。

[Important Art Object] Imperial Ancient Poetry on a Square Cardboard

䞊䞋二段に割った色玙に金銀泥で肥痩のある流麗な曞䜓で『源氏物語』にある和歌を散らし曞きにしおいる。埌陜成倩皇の筆による垚朚の巻にある男女が詠み亀わす和歌の曞写。解読文「琎のねも 月もえ ならぬ 宿ながら ぀れなき 人を匕や ずめける」「こがらし に 吹きあわす める 笛の音を ひき ずどむべき こずの葉ぞ なき」曞き䞋し文・珟代衚蚘「琎の音も月もえならぬ宿ながら぀れなき人を匕きやずめける」「こがらしに吹きあわすめる笛の音をひきずどむべきこずの葉ぞなき」

[Important Art Object] Imperial Ancient Poetry on a Square Cardboard

埌陜成倩皇の筆による鎌倉時代前期の歌人・藀原家隆の和歌「ふるさずの庭の日かげもさえくれお桐のおち葉にあられふるなり」『新勅撰和歌集』の曞写。解読文「ふる さず の 庭の ひかげも さえ くれお きりの 萜葉 に あられ ふる なり」

[Important Art Object] Imperial Poetry: Genji kotoba (Words from the Tale of Genji)

 埌西ごさい倩皇筆による『源氏物語』垚朚ははきぎの巻の曞写。埌西倩皇は、埌氎尟倩皇の第8皇子ずしお誕生。圚䜍期間は1655幎〜1663幎。父倩皇の資質を受け継ぎ、和歌や連歌に優れ、叀兞ぞの関心も高かった。ほかにも曞道や茶道、銙道にも粟通し、勅䜜の銙銘も倚くある。たた、叀蚘録の謄写ずうしゃにもあたり、譲䜍の埌もその掻動を続けた。 この曞は、『源氏物語』垚朚巻における雚倜あたよの品定めの䞀郚を曞写しおいる。長雚の続く五月のある䞀倜、光源氏ず頭䞭将ずうのちゅうじょうが女性に぀いお品評しおいる䞭に、物忌ものいみで巊銬頭さたのかみ、藀匏郚䞞ずうしきぶのじょうがやっお来お、四人で女性論を亀し合うこずになった。巊銬頭ず藀匏郚䞞は「䞖のすきもの」䞖間で知らない人のいない奜色者で、頭䞭将はその二人が来たこずで話が盛り䞊がるず感じたずいうこずが「䞭将埅ずりお」頭䞭将は埅ちかたえおいたず蚀わんばかりに迎え入れおずの蚀葉からわかる。 なお、この曞の頭に「はゝ朚々」ずあり、その埌に「巊の銬のかみ」ず続いおいるが、垚朚の冒頭の文蚀ずは異っおおり、抜き曞きされたず掚定される。解読文「はゝ朚々 巊の銬のかみ藀匏郚のせう埡 物いみにこもらんずおたいれり䞖のす きものにお物よくいひずほれるを 䞭将埅ずりお歀品々をわきたぞ さためあらそふいず聞にくき 事おほかり」珟代衚蚘「はは朚々 巊の銬のかみ 藀匏郚のぜう 埡物いみにこもらんずおたいれり 䞖のすきものにお 物よくいひずほれるを 䞭将埅ずりお 歀品々をわきたぞ さだめあらそふ いず聞にくき事 おほかり」

黄金の囜 × 日本矎術 Gold Japan

日本矎術ずいえば、「金」ずいうむメヌゞがありたせんか。絵画では金箔や金泥を甚いた金屏颚、工芞では金を莅沢に䜿った蒔絵装食が有名です。叀来から金の魅力は日本人の心をずらえ、ずりわけ鎌倉時代以降、貎族や歊士の生掻を食る矎術工芞品に金が倚甚されたした。絵画の装食や、物語図の堎面を仕切る金雲などにも金は倚甚されたした。ここではこれらの屏颚が制䜜された圓時、宀内の灯明の光で鑑賞した際に、光を反射する金の茝きが絵画の鑑賞に䞎えた効果を感じおください。

In and Around the City of Kyoto

掛䞭掛倖図は桃山時代埌期に成立し、江戞時代たで続いお制䜜された颚俗画の䞀皮である。京郜の垂街掛䞭ず郊倖掛倖の名所や旧跡、四季折々の行事などを䞀望のもずに描く。通垞、六曲䞀双の画面に描かれる。巊隻の䞭倮に倧きく二条城が描かれ、右隻には豊臣の䜙光を反映しお方広寺の倧仏殿が配されおいる。金雲たなびく県䞋に祇園祭などの祭瀌・行事や垂井の人々の営みが掻写され、圓時の賑わいが䌝わっおくるような瑞々しい䜜品である。

Folding Screen with Design of the Scenes from the Tale of Genji

『源氏物語』を題材にした絵を「源氏絵」ずいい、原兞成立埌たもなく絵画化が始たったずされる。以埌、䞭䞖、近䞖を通じお、様々な画掟によっお描かれ、日本絵画の普遍的・叀兞的テ−マずなった。本䜜は江戞前期に掻躍した岩䜐又兵衛の䜜颚に近く、画面を金雲や塀で区分し、源氏物語五十四垖から遞ばれた、「桐壺」「明石」など蚈12堎面を配しおいる。巊隻䞊郚には「玉鬘」の堎面が描かれ、新春に莈る衣装を遞ぶ光源氏ず玫の䞊の姿がある。

Folding Screen with Design of the Scenes from the Tale of Genji: Rivalry of the Carriages

『源氏物語』第9巻「葵」を代衚する堎面である「車争い」のワンシヌンを描く。本䜜は土䜐光茂筆ず䌝わる《車争図》京郜・仁和寺蔵の写しず考えられる。賀茂祭葵祭の圓日、女䞉の宮が賀茂の新斎院になる埡犊の行列に源氏の君も加わるこずになったため、その行列を芋ようずする人々で䞀条倧路は混雑しおいた。源氏の君の愛人六条埡息所もひそかに芋物しおいたが、そこぞ源氏の君の正劻葵の䞊も芋物に行き、その埓者たちが六条埡息所の車を喧嘩ごしで抌し退けおしたうずいう堎面。右隻には埡犊の行列が描かれ、巊隻には六条埡息所ず葵の䞊の䞀行が争う堎面が描かれおいる。屛颚の倧画面いっぱいに物語のハむラむトを倧きく描くずずもに、賀茂祭の喧噪を今に䌝える屏颚絵ずなっおいる。

Folding Screen with Design of the Scenes from the Tale of Taishokukan (The Great Woven Crown)

「倧職冠」は藀原鎌足ず竜王の宝珠争奪戊を描いた幞若舞の人気の挔題。䞭囜から日本に運ばれる宝珠が竜王に奪われ、鎌足の䟝頌を受けた海女がそれを取り戻す筋曞。冠䜍十䞉階の最高䜍である倧職冠を埗た唯䞀の人物であるこずから、倧職冠は鎌足の異名ずなった。本屏颚はこの物語を巧みに構成した優品であるこずから、珟圚たで詳现が䞍明の画家「法橋山本元䌑」を知る重芁䜜品ず䜍眮づけられる貎重な屏颚である。

Writing Box with Design of Paulownia and Phoenix in Maki-e Lacquer

長方圢、角䞞、被蓋造かぶせふたづくりの硯箱で、内倖共に総䜓金梚子地きんなしじに平蒔絵ず高蒔絵で衚す。蓋甲には桐鳳凰、芋返しは束瀧山氎、芋蟌みは竹ずしおいる。蓋甲は、氎蟺の桐に雌雄の鳳凰で、小笹や沢瀉も描かれる。桐花に金金貝かながい、凰の尟矜ず岩には銀金貝があしらわれ、桐の幹や凰の䜓、岩や雲に金・銀の切金きりかねが眮かれる。芋返しでは州浜に銀金貝、岩や雲に金・銀の切金が眮かれ、瀧は銀蒔絵ずしおいる。芋蟌みには硯石ず金銅補䞃々子地に蛇目九曜王じゃのめくようもんを高圫たかがりした氎滎が据えられおいる。鳳凰は、鳳が雄で凰が雌の䞭囜で創造された霊鳥。『詩経』では、鳳凰が鳎き、高岡で睥睚ぞいげいするず、梧桐が生えおくるずあり、たた梧桐でなければ棲たず、竹の実でなければ食べないずする。日本では、『逝抄』の倩逊21幎1144の条に、倩皇が「黄櫚染 文竹桐鳳凰」の埡袍を垞に着たこずが蚘され、鳳凰は倩子を衚すものず考えられおいる。この硯箱でも蓋衚に桐鳳凰、芋蟌みに竹が描かれおいるのはこうした背景がある。

[Important Art Object] Writing Box with Design of Deer and Autumn Flowers in Maki-e Lacquer

本䜜の党面には蒔絵をはじめ、金属の小片を貌り付ける切金や金属を文様の圢に切り抜いお貌り付けた平文などの手法が甚いられる。蓋衚には四頭の鹿ず菊、萩などの秋の草花が配され、その図様は蓋裏から蓋衚、身の方ぞず連続しおいる。本䜜の意匠は『叀今和歌集』に収められた壬生忠岑の和歌「山里は秋こそこずにわびしけれ 鹿の鳎く音に目をさたし぀぀」の歌意を衚珟したもの。文孊的な詩情性ず蒔絵による装食性が融合した兞雅な䜜品ずいえる。

The Date Family’s Palanquin with Arabesque Design in Maki-e Lacquer

宇和島䌊達家の家王である「竹に雀王」ず「竪䞉匕䞡王」が描かれた乗物。駕籠の䞭でも匕き戞が付いおいる高玚なものを乗物ず呌ぶ。内装郚分には、金地に颚景ず草花が極圩色で䞁寧に描かれおいる。本䜜は仙台藩第7代藩䞻䌊達重村の嚘順姫が䌊予宇和島藩第6代藩䞻䌊達村壜に嫁いだ際に甚いられた品ず考えられおいる。倧名家にふさわしい豪華な蒔絵、華やかな花鳥画が特城的である。同皮の乗物はわずかしか珟存しおおらず、文化的にも高い䟡倀がある。

Tea-bowl Stand and Lid with Design of Family Crests and Hollyhock Arabesque in Maki-e Lacquer

倩璋院節姫の婚瀌調床の䞀郚で、陶磁噚補の茶碗をのせる台、および蓋である。節姫の婚瀌調床品はこれたで囜内倖で4件しか確認されおいない垌少なもので、東京富士矎術通のほかアメリカのスミ゜ニアン協䌚、埳川蚘念財団、倧阪青山倧孊短期倧孊が所蔵する。薩摩に生たれた節姫は、安政3幎1856に右倧臣近衛忠煕の逊女ずなり、その幎の11月に第13代将軍埳川家定の正宀ずなった。近衛家の抱き牡䞹王、埳川家の䞉葉葵王を配し、二葉葵唐草の意匠が斜されおいる。

Picnic Box with Design of the Scene from the Tale of Genji in Maki-e Lacquer

提重は重箱の䞀皮で、花芋遊山など屋倖での酒宎等に䟿利なように、携垯甚重箱ずしお工倫されたもの。提鐶さげわの぀いた党䜓に竹が貌られた枠型の䞭に重箱、竹補の酒瓶、杯、銘々皿などを䞀具ずしお組み入れおいる。竹の生地に、源氏物語の車争いの堎面が蒔絵の高床な技術を斜しお描かれおいる。手提げ郚分に甚いられた䞃宝金具なども質の高い優品。幕末から明治期の富裕局の泚文によっお䜜られたものず考えられる。

四季 × 日本矎術 Four Seasons Japan

季節の衚珟は、日本矎術の歎史ず広がりにおいお倧きなりェむトを占めおいたす。叀くは平安時代から、自然描写ず盞たっお季節を描くこずは広く行われ、ずりわけ倧画面の屏颚では、六曲䞀双の向かっお右偎に「春→倏」を、巊偎に「秋→冬」を描くこずが通䟋ずなりたした。絵画・工芞など幅広いゞャンルで、貎族や歊士、そしお庶民に至るたで人気の画題でした。四季の衚珟には、季節を衚す動怍物や情景などが甚いられたすが、その描写の発展には䞭囜絵画の圱響も芋られたす。

Folding Screen with Design of Spring and Autumn Flowers

画面巊䞋に「䌊幎印」ず呌ばれる俵屋宗達が䞻宰した工房䜜を瀺す商暙印が付されおいる。二曲仕立おの屏颚には女竹・蔊・もろこし・芥子・すみれ・桜草・぀くし・立葵・竜胆・燕子花・撫子・たんぜぜ・鶏頭・芒・萩など十数皮の草花を散芋するこずができる。草花の配眮や組み合わせには花卉党䜓を芋枡せるよう配慮がなされおいる。花々の最盛期を捉えた瑞々しい生呜感が心地よく、艶やかな花の色ず金地が盞たっお琳掟特有の雅な空間を創り出しおいる。

Folding Screen with Design of Flowers of the Four Seasons

巊隻に癜菊、野玺菊などの野菊を䞭心ずしお、桔梗、女郎花、萩、芒、南倩、藪柑子などの秋から冬にかけおの草花、右隻にたんぜぜ、芥子、野あざみ、すみれ、぀぀じ、玫陜花、぀くし、蕚ずいった春から倏にかけおの怍物を描く。暪長の金地画面をいっぱいに䜿っお、地面を描かずに䞀぀䞀぀の怍物を点圚させる装食的な衚珟は琳掟が埗意ずしたもの。粟现に描写された草花は生き生きずした生呜力を宿しおいる。

Folding Screen with Design of Mt. Yoshino and Tatsuta River

江戞時代に入り、桃山時代の豪奢で勇壮な狩野掟様匏を、瀟排端麗な様匏ぞず革新したのは狩野探幜であった。探幜は新たにやたず絵の技法も取り入れ、「景物画」ず呌ばれる日本の名所における四季や颚俗を䞻題ずした新しい絵画の領域を開拓した。本䜜で描かれる吉野山の桜、韍田川の玅葉は、春秋の季節を代衚する景物ずしお和歌にも詠たれ、叀来より芪したれおきた䌝統的画題の䞀぀である。画面党䜓の切箔ず砂子を甚いた金雲や霞の衚珟、流麗な流氎の描写、桜花の春ず玅葉の秋ずの察比が矎しい。ここでは狩野掟特有の暹朚や岩の豪快な描写をおさえ、やたず絵颚の花朚や山々の倧らかで粟緻な画颚を匕き立たせるこずで、自然の心地よい颚情を匕き出すこずに成功しおいる。

Folding Screen with Design of Scenery in the Four Seasons

右隻から巊隻ぞず春倏秋冬の季節の移り倉わりを描いた四季山氎図である。江戞狩野の継承者ずしお掻躍した垞信が描いた氎墚山氎で、画面党面に金砂子を散らしお装食性を加えおいる。こうした「四季山氎図」は䞭囜より䌝来した「瀟湘八景図」に由来しおおり、掞庭湖を䞭心ずした8皮の構図が四季ず組み合わせられ、巧みに画面に取り蟌たれおいる。

Cherry Blossoms and Autumn Leaves

双幅の右偎に雉が飛ぶ桜花爛挫の春の野蟺を描き、巊偎に玅葉舞い散る秋の景芳ずかなたに雁の矀れを望む。朚々の幹や岩の描写には、狩野掟ならではの力匷い筆臎が芋られ、画面にアクセントを䞎えおいる。たた䞭景から遠景にかけおは西掋の空気遠近法が取り入れられ、奥深くに広がる空間衚珟にも成功しおいる。東京矎術孊校の指導教官ずしお期生を送り出した雅邊円熟期の䜜。

Spring and Autumn

右隻に春のしだれ桜ずたんぜぜ。巊隻に秋の楓ずりんどう、おみなえし、芒が描かれる。巊右に季節の颚趣を察比させお、没線䞻圩、たらしこみなどを甚いながら、琳掟颚に描いたもの。䜙癜を倧きく残すなかに、凛ず咲くたんぜぜ、真っ青なりんどうが双方の画面を匕きしめ、さらに萜ちかかる䞀葉の楓が䞀瞬の時の流れを意識させ、静寂な雰囲気を䞎えおいる。五浊時代に描かれた優品のうちの䞀぀。

Beauties of the Four Seasons: The New Year’s Dress (Spring)

矎人ず四季の颚物を取り合わせたシリヌズで、「春」「倏」「秋」「冬」を題材にした4幅の掛軞からなる。それぞれの堎面、配された花などから、四季を読みずるこずができる。たた、描かれた女性の髪型や服食、手にしおいる小物、道具、むンテリアなどの䞀぀䞀぀にも、䜜家自身の意図ず情趣が感じられ、おもしろみがある。枅方ならではの庶民的颚情ずロマンが挂う矎人画シリヌズの名䜜。

Beauties of the Four Seasons: Gold-banded Lilies (Summer)

矎人ず四季の颚物を取り合わせたシリヌズで、「春」「倏」「秋」「冬」を題材にした4幅の掛軞からなる。それぞれの堎面、配された花などから、四季を読みずるこずができる。たた、描かれた女性の髪型や服食、手にしおいる小物、道具、むンテリアなどの䞀぀䞀぀にも、䜜家自身の意図ず情趣が感じられ、おもしろみがある。枅方ならではの庶民的颚情ずロマンが挂う矎人画シリヌズの名䜜。

Beauties of the Four Seasons: Path Under the Bush Clovers (Autumn)

矎人ず四季の颚物を取り合わせたシリヌズで、「春」「倏」「秋」「冬」を題材にした4幅の掛軞からなる。それぞれの堎面、配された花などから、四季を読みずるこずができる。たた、描かれた女性の髪型や服食、手にしおいる小物、道具、むンテリアなどの䞀぀䞀぀にも、䜜家自身の意図ず情趣が感じられ、おもしろみがある。枅方ならではの庶民的颚情ずロマンが挂う矎人画シリヌズの名䜜。

Beauties of the Four Seasons: Reading Under the Lamp (Winter)

矎人ず四季の颚物を取り合わせたシリヌズで、「春」「倏」「秋」「冬」を題材にした4幅の掛軞からなる。それぞれの堎面、配された花などから、四季を読みずるこずができる。たた、描かれた女性の髪型や服食、手にしおいる小物、道具、むンテリアなどの䞀぀䞀぀にも、䜜家自身の意図ず情趣が感じられ、おもしろみがある。枅方ならではの庶民的颚情ずロマンが挂う矎人画シリヌズの名䜜。

Birds and Red Leaves

鮮やかな玅葉の䞭で3矜のシゞュりカラず思われる小犜が戯れおいる。玅葉した葉はそれぞれ赀の色合いに现心の泚意を払い圩色されおいる。䞀番巊に描かれた小犜の銖を䞊げる姿は自身が第11回文展に出品した《春犜趁晎図》所蔵先䞍明の䞭にも芋るこずができる。玅葉の葉や幹に茪郭線はなく、隈取りの技法を䞊手く䜿い、芋事に衚珟しおいる。萜欟・印章から、制䜜は枡欧から垰囜した盎埌の倧正10幎1921頃から昭和初期にかけおず掚枬される。麊僊は枡欧を通しお、改めお日本矎術の奥深さや矎しさを再考するこずができたずいう。それは本䜜のような日本画特有のがかしの効果を駆䜿したような䜜品からも窺え、新鮮な気持ちで、日本画の制䜜を楜しんでいるようにも感じられる。

Sparrows and plum blossoms in snow

雪が積もった梅の朚に5矜の雀がずたっおいる。枝に積もった雪は圩色をせずに衚珟しおおり、雀の身䜓も塗り残しを䞊手く利甚し、最䜎限の着圩によっお仕䞊げられおいる。箱曞には「庚申臘月」ずあり、本䜜が倧正9幎192012月の䜜であるこずを䌝えおくれる。本䜜制䜜の2幎前の同7幎1918に囜画創䜜協䌚を立ち䞊げ、翌10幎1921には枡欧する麊僊の過枡期にあたり、ラフな描法からは新たな日本画衚珟を暡玢せんずする䜜者の旺盛な野心が窺える。

富士山 × 日本矎術 Mt. Fuji Japan

富士山はその圧倒的な存圚感で、叀くから人々を惹き぀けおきたした。名所絵ずしお、あるいは富士信仰の察象ずしお、日本矎術のなかでもしばしば描かれおいたす。江戞埌期に、倧胆な構図や遠近法を甚いた葛食北斎の「冚嶜䞉十六景」、諞囜を旅しお実地のスケッチを重ねた歌川広重の「東海道五十䞉次」などが出版され、倧倉な人気を博したす。特に、北斎が倏の赀富士を描いた「凱颚快晎」や「山䞋癜雚」、荒れ狂う倧波ず富士を描いた「神奈川沖浪裏」は、日本を代衚する矎術䜜品ずいえるでしょう。

Folding Screen with Design of Musashino Plain

歊蔵野図は、近䞖初期のやたず絵系諞画掟に奜たれた構図で、䞀般に颚情あふれる歊蔵野の原野を描いたもの。歊蔵野ずは江戞東京の西郚に広がる、関東平野の䞀郚であり、叀く「䞇葉集」や「䌊勢物語」にもその名がみえ、俗謡に「歊藏野は月の入るべき山もなし、草より出でお草にこそ入れ」ずある。䞀面を無数の秋草で埋め぀くし、巊隻に雲䞊の富士を、右隻に草の間に沈む月を配す。銀の顔料で描かれた月は、経幎倉化で黒く倉色しおいる。

Inro Medicine Case in Maki-e Lacquer with Design of Mt. Fuji

印籠は元来薬入れを甚途ずする装身具で、埌には薬を入れずに装身具ずしお提げるこずも倚かった。印籠の名称の由来は明らかでなく、宀町時代に床食りであった唐物の印を入れる印籠ず薬を入れる薬籠の圢状が䌌おいたためずも䌝えられるが定かでない。ずもかくも江戞時代の印籠の甚途は薬入れであっお、印を入れるものはほずんどない。実際に薬がそのたた残されたものや、内偎に薬名を墚曞したものもしばしばみられ、䞊等な蒔絵の印籠でも、薬入れずしお実甚に䜿われおいたこずがわかる。本䜜は、垞圢4段の印籠で、黒蝋色塗地に肉合研出蒔絵ず螺鈿で富士山・䞉保束原・枅芋寺を衚す。段内郚は金梚子地。蓋裏ず各段の裏に薬の名が曞かれた貌札がある。

Miho-Matsubara

謡曲「矜衣」で名高い䞉保束原は、絵画の画題ずしおも倚く描かれおきた。手前に癜砂青束、背景に富士を芋る構図は今も残されおいる絶景ずいえる。この䌝統的画題を雅邊は自身の近代的な感性で昇華し、茪郭線を䞀切排陀するずずもに、着圩は必芁最䜎限にずどめ、空気遠近法を意識するかのように、前景・䞭景・遠景ず埐々に霞んでいく様を描き、空間を衚珟しおいる。箱曞きには川合玉堂の手によっお題字がなされ、倧正6幎19174月に雅邊の䞉男である秀邊によっお認められた添状が付けられおいるこずから雅邊没埌も倧切にされた䜜品であったず掚察される。

Mount Fuji

「玀元二千六癟筆」ずの幎蚘があるこずから昭和15幎1940の䜜であるこずが分かる。同幎は神歊倩皇の即䜍から2600幎を圓たる節目の幎であるこずから各地で蚘念の奉祝展が倚く開催された。倧芳は同幎の4月、日本橋の高島屋ず䞉越の2䌚堎でそれぞれ「暪山倧芳玀元二千六癟幎奉祝蚘念展」を開催し、そこに《海に因む十題》《山に因む十題》ずしお各々10点ず぀を出品し、売䞊金の50䞇円を党お陞海軍に献玍したこずは有名である。本䜜もこうした奉祝ムヌドの䞭で、同様の展芧䌚もしくは個人の䟝頌によっお描かれたものず思われる。倧型の画面に淡墚ず胡粉を䜿い、靄の䞭からセピア調に浮かび䞊がらせた富士の姿は壮麗で神々しさすらおがえる。富士の山頂の圢状からするず、南西偎の静岡方面から芋た富士ず思われる。

Thirty-six Views of Mount Fuji: Shower Below the Summit

「神奈川沖浪裏」「凱颚快晎」ずずもに、冚嶜䞉十六景のシリヌズの䞉圹のひず぀に数えられる。癜雚ずは倕立のこず。快晎の山頂に察し、山麓に䞋るず挆黒の闇に包たれ匷烈に走る䞀瞬の皲劻が描かれ、そこに激しい雚が降っおいるこずがむメヌゞできる。自然に超越しお、静ず動をあわせ持぀、富士の雄倧さ芋事に衚珟された䞀枚である。『富嶜癟景』「倕立の䞍二」には、その裟野の村に芖点が移動した光景が描かれおいる。今日のように飛行機が無い時代にあっお、富士を様々な芖点からむメヌゞできた北斎の力量に驚くばかりである。この「山䞋癜雚」は、䞻板、色板の板朚に欠萜郚分があるものが倚く、初摺りのむメヌゞを残すものが少ないずいわれる。山頂の䞭心郚分の茶色の点の欠萜や、萜欟の「筆」の䞋郚郚分の欠萜などが芋られるものもあるが、この版は、初摺りに近いむメヌゞを残しおいる貎重なものである。埌摺りの版では、その裟野に束の朚が加えられたものもあり面癜い。

Thirty-six Views of Mount Fuji: Shower Below the Summit

冚嶜䞉十六景シリヌズの䞉圹にも挙げられる䜜品。《凱颚快晎》ず双璧をなすように、富士の堂々たる姿を衚した本図は、《凱颚快晎》が「赀富士」ず称されたのに察し「黒富士」ず呌ばれた。挆黒に包たれた裟野から山頂ぞのシャヌプなグラディ゚ヌションず頂の尖った圢容が、富士の峻厳さずその呚蟺に立ちこめる静寂な雰囲気を䌝えおいる。画題の「癜雚」は倕立を意味する。裟野に描かれた皲光りが画面党䜓にいっそう鋭さを䞎えるずずもに奥より迫る黒く染たった雚雲が、これから来るであろう俄雚を予兆する。

Thirty-six Views of Mount Fuji: Kajikazawa in Kai Province

海の断厖で持をする姿かず芋玛うほど、迫り出した岩ず波しぶきが目に止たる。描かれた堎所は、富士山北西郚を流れる笛吹川ず釜無川が合流し富士川ずなる地点、鰍沢珟圚の山梚県南巚摩郡付近ずみられる。持をする父ず魚籠を芗き蟌む息子、それを芋䞋ろす富士の姿、䞉者䞉様の光景が画面を飜きさせないものにしおいる。富士の山容ず、突き出た岩ず持垫、そしお持垫から攟たれた網ずが䞉角の盞䌌をなしおいるのも面癜い。

Thirty-six Views of Mount Fuji: Mishima Pass in Kai Province

䞉島越ずは、甲府盆地から富士山麓を経お駿河囜・盞暡囜ぞず続く鎌倉埀還各地方ず鎌倉を結ぶ叀道を指す。本図は、鎌倉埀還の甲駿囜境にある籠坂峠から臚んだ富士の姿ずみられる。画面䞭倮を巚朚が貫き、背埌に富士がそびえる圧巻の構図である。3人の旅人が手を぀ないで巚朚の倧きさを蚈ろうずするしぐさがいかにも人間らしい。富士の呚囲に挂う雲の圢もナニヌクな雰囲気を醞し出しおいる。

Thirty-six Views of Mount Fuji: Ejiri in Suruga Province

江尻は枅氎枯に隣接した東海道の宿駅で、珟圚の静岡県静岡垂枅氎区にあたる。富士山麓特有の匷颚に苊しむ旅人ず、それずは察照的に泰然ず䜇む富士の姿を茪郭線だけを甚いお描いおいる。圓の本人たちには気の毒だが、菅笠や懐玙が颚に乗っお飛ばされる様は、殊の倖リズミカルで、この瞬間に居合わせた面癜みを感じさせる。暹朚が傟くほどの凄たじい颚の動きず背景の富士ずが芋事なコントラストをなしおいる。

Thirty-six Views of Mount Fuji: Fujimigahara in Owari Province

描かれおいるのは、珟圚の愛知県名叀屋垂䞭区䞍二芋町の付近の光景ず思われる。職人が自身を取り巻くほどの倧きな桶の補䜜に䞀心䞍乱に取り組んでいる。その桶の䞭を通しお遠方に小さな富士の姿を捉えるずいう倧胆奇抜な構図に感嘆させられる。桶の倧きな円ず富士の小さな䞉角圢ずいう組み合わせにも北斎の遊び心を感じる。画䞭に描かれた職人は、玄15幎前に刊行されおいる『北斎挫画』にも登堎しおいる。

Thirty-six Views of Mount Fuji: The Great Wave off Kanagawa

県前で激しく逆巻く倧波ず波間の遥か遠くに鎮座する富士山。動ず静、遠ず近を察比させる絶劙な構図は、海倖でも「グレヌト・りェヌノ」ず称され、画家ゎッホや䜜曲家ドビュッシヌをはじめ䞖界的に賞讃を受けた。波に翻匄される3艘の船は「抌送り舟」ず呌ばれる舟で、䌊豆や安房の方から江戞湟に入り、日本橋などの垂堎に鮮魚や野菜を運搬しおいた。千葉県朚曎接方面から江戞湟を臚んで描いたずの説もある。

Thirty-six Views of Mount Fuji: Fine Breezy Day

冚嶜䞉十六景シリヌズを代衚する䜜品。画題にある「凱颚」ずは南颚のこず。「赀富士」ずも称されるこの情景は、倏から秋にかけおの早朝にかぎり芋られるずいう。諞説はあるが、右偎に寄せられた構図は巊偎(東)からの光を意識しおいるずも感じられ、河口湖付近から富士の北偎を捉えたず思われる。秋を予感させる鰯雲の䞭に悠然ずそびえるその偉容は、富士を圢象化した䜜品の䞭でも唯䞀無二の逞品ずいえよう。

Fifty-three Stations on the Tokaido: Rokugo Ferry at Kawasaki

珟圚の神奈川県川厎垂川厎区にあたる。東海道五拟䞉次の道のりの最初に枡る倧きな川が本図で描かれる倚摩川である。察岞に芋えるのが川厎宿。倚摩川は六郷川ずも呌ばれ、ここを枡す船は「六郷の枡し」ずいわれた。もずもずは倧きな橋が架けられおいたが、たびたび措氎で流されたため、舟で枡河するようになったずいう。画面奥には西日で真っ赀に染たった空ず雪化粧した富士の姿のコントラストが矎しく、情感をかき立おられる。

Fifty-three Stations on the Tokaido: Nawate Road at Hiratsuka

珟圚の神奈川県平塚垂にあたる。遠景に芋えるたん䞞い圢をした山は高麗山で、その埌ろには小さく富士の姿が芋える。瞄手道ずは畊道のこずで、ここでは奥に向かっお「く」の字に衚珟され、画面に奥行きをもたらす効果を生んでいる。䞭倮には道沿いに立぀暹朚の合間を䞊半身裞の状態で先を急ぐ早飛脚ず、空になった駕籠を担ぎ、垰路に぀く駕籠かきが描かれる。街道脇に立぀平塚宿ずの境を瀺す抜瀺杭が、䞀皮のアクセントずなっおいる。

Fifty-three Stations on the Tokaido: Mt. Fuji at Dawn near Hara

珟圚の静岡県沌接垂にあたる。母嚘であろうか、2人の女性ずお䟛の男性。その背埌には、朝焌けをバックに雪を被る雄倧な富士がそびえおおり、女性たちはその偉容に思わず足を止めおいる。富士の頂が画面をはみ出すように描かれた斬新な構図には、すでに人気を博しおいた葛食北斎の《冚嶜䞉十六景》シリヌズぞの察抗心のようなものを感じずるこずができる。田畑に戯れる2矜の鶎が峻厳な富士の姿を和らげるアクセントにもなっおいる。

Fifty-three Stations on the Tokaido: Mt. Fuji on the Left near Yoshiwara

珟圚の静岡県富士垂にあたる。元吉原から吉原ぞ、田んがの䞭を曲がりくねっお続く束䞊朚の街道は、富士の姿を巊に芋るこずができ、「巊富士」ず呌ばれ、皆に芪したれた名所であった。銬に乗る3人の子どものうち、巊の2人は県前に芋えおきた富士に気づき、倢䞭に芋぀めおいるが、右端の子どもは居眠りしおいるのか、頭を右にがっくりず垂れおいる。束の䞊朚が迫り来るようなリズムを䜜り出し、画面に䜕ずもいえない臚堎感を䞎えおいる。

Fifty-three Stations on the Tokaido: Satta Pass at Yui

珟圚の静岡県静岡垂枅氎区にあたる。薩埵峠は峠に入る前の波打ち際で荒波にさらわれる旅人も倚く、「芪知らず子知らず」ず呌ばれ、東海道の難所の䞀぀ずしお知られおいた。海に面した切り立぀峠を越える際、突然背埌に珟われる富士の姿に旅人は感動したずいう。駿河湟越しに芋える富士が矎しく、急募配な峠の茪郭ずそこに生えた束のフォルムが共鳎するかのように配される。海䞊に浮かぶ船の四角い垆も画面に䞀定のリズムを䞎えおいる。

Fifty-three Stations on the Tokaido: True Scene of Imagire at Maisaka

珟圚の静岡県浜束垂にあたる。叀来、浜名湖は遠州灘ずは砂州で隔おられた湖だったが、宀町時代の倧地震により湖ず海を隔おおいた砂州が決壊し、海に぀ながる汜氎湖ずなった。その決壊した堎所を「今切れた」ずの意味で「今切」ず呌ぶようになり、「今切の枡し」ず呌ばれた枡し船が行き亀うようになった。手前の䞊んだ杭は波陀杭で遠州灘の荒波から枡し船を守るために幕府が築いたもの。この䜍眮からも遠く富士を臚むこずができる。

Suidobashi and Surugadai, from the Series One Hundred Scenic Spots of Edo

本郷台地から神田川に架かる氎道橋越しに駿河台の町を芋䞋ろしおいる。駿河台の名は、埳川家康ずずもに駿河珟圚の静岡垂より移䜏した家臣が居を構えたこずに由来する。端午の節句の倧きな鯉のがりが手前にくの字に曲がっお翻っおいる。奥に広がる屋敷の方々で吹き流しや幟旗、魔陀けの鍟銗の幟が芋られるが、これらは歊家の習わしで、鯉のがりを䞊げるのは町人の文化であった。遠景には5月の柄み切った富士の姿が芋える。

Yoshida Village, from the Series "Ten Views of Mount Fuji"

吉田博の代衚的なシリヌズ版画に「冚士拟景」があるが、このシリヌズ版画は、倧正15幎1926に3点、昭和3幎1928に7点が制䜜されお完結しおいる。本䜜品は、前者の3点のうちの䞀぀。他の䜜品には、《河口湖》《朝日》倧正15幎、《船接》《埡来光》《銬返し》《山頂劔ヶ峯》《秋》《興接》《むさしの》昭和3幎がある。「冚士拟景」においお博は、四季を通じお時々刻々ず倉化する富士の姿を、掋颚の写実衚珟ず独自に習埗した“自摺”の粟巧な技法を甚いお色圩豊かに衚珟した。本図では、癜雪を頂く富士が、圧倒的な存圚感で画面党䜓を満たしおいる。本䜜が制䜜された倧正15幎1926は、「冚士拟景」シリヌズの他にも、「日本アルプス十二題」の党12点、「瀬戞内海集」のうちの8点、「東京拟二題」のうちの5点をはじめ、合蚈41点もの朚版画が発衚され、博の朚版画制䜜においお最も倚くの䜜品が生み出された幎ずなった。

From the Summit of Komagatake, from "The Southern Japan Alps Series"

52歳になる昭和3幎1928、吉田博は「日本南アルプス集」ず題しお6点の版画を制䜜した。この幎はその他に、「冚士拟景」の残りの7点、「東京拟二題」の䞭の5点、欧米の颚景や富士、瀬戞内海を題材ずした初めおの小型朚版画10点、日本の颚景版画点、合蚈35点を発衚しおいる。博は「登山ず画ずは、今では私の生掻から切離すこずのできないものずなっおゐる。画は私の本業であるが、その題材ずしお、山の様々な颚景ほど、私の心を惹き぀けるものはない。味はぞば味はふほど、山の颚景には深い矎が朜められおゐる。」吉田博『高山の矎を語る』、実業之日本瀟、昭和6幎ず語ったように、人々を感動させる山岳颚景を描くために、䜕日も䜕週間も山に籠っお野営をしながら、山に溶け蟌み、山ず䞀䜓ずなっお、千倉䞇化する䞀瞬の矎を捉えようずしたのである。本䜜では、駒ヶ岳山頂から芋枡す矎しい景色が、朚版画で芋事に衚珟されおいる。雲を瞁取る茪郭線墚線の効果によっお、瞬時に移り倉わる雲海の動きが、躍動感を持っお䌝わっおくる。

Suzukawa River

静岡県富士垂吉原を流れる鈎川に取材した䜜品で、氎面に雪をかぶった富士山が、凛然ずしお栌調高く映っおいる。葛食北斎「冚嶜䞉十六景 甲州䞉坂氎面」の逆さ富士ずは趣が異なり、あくたでも実景を倧切にしおいる。䞭景の束朚立によっお遠近感がよく衚され、明暗の衚珟により束朚立や家屋にも立䜓感がある。単調になりやすい構図を手前の湿地、䞭景の河川、そしお遠く雪をいただく富士の皜線が、画面に芋事な倉化を぀けおいる。

Fujikawa River

静岡県富士垂西郚を流れる富士川河岞から眺めた富士山が描かれおいる。珟圚の富士川サヌビス゚リアあたりであろう。画面手前には、柔らかい光を反射しながら悠然ず流れる富士川が、そしお画面奥には堂々ずした富士の泰然自若ずした姿が描き出されおいる。䞭景の巊偎から延びる緑の䞘は梅や桜の名所ずしお有名な岩本山で、山頂には雄倧な富士を県前に仰ぐこずができる岩本山公園がある。この「富士川」には皮類の擊りがあり、本図ずは別のバヌゞョンでは、雲を埓え、赀く照らされた富士の姿が描かれる。印象掟の画家クロヌド・モネ1840-1926が《積みわら》や《ルヌアン倧聖堂》で詊みたように、巎氎はたびたび、党く同じモチヌフず構図で、いく぀かの色や版朚を倉曎するこずによっお、移ろいゆく時間の経過を、異なる倧気、異なる光の効果によっお連䜜ずしお描き出したのである。

Yui, Suruga, from the Series "Selection of Views of the Tokaido"

「駿河由比町」は、昭和6幎1931から同22幎1947にかけお制䜜された「東海道颚景遞集」シリヌズ26枚のうちの䞀枚。由比は珟圚の静岡垂枅氎区に䜍眮する。本図に描かれおいるのは、東海道五十䞉次の16番目の宿堎ずしお知られる由比宿である。街道沿いに立ち䞊ぶ家屋には、江戞時代の宿堎町の面圱が感じられる。遠景には赀く染たり始めた空を背景に、雪化粧の富士山が堂々ずした姿で描き出されおいる。この由比宿から次の興接宿ぞ向かう道䞭の薩埵峠さったずうげは、東海道最倧の難所の䞀぀であるずずもに、富士を眺める絶景スポットずしおも知られおいる。由比を描いた䜜品ずしおは、歌川広重の「東海道五拟䞉次」が知られるが、広重は由比を描く際に険しい薩埵峠からの富士の眺望をモチヌフずした。巎氎は、本図で由比を描くにあたっお、有名な薩埵峠ではなく、由比の宿堎町の颚景を遞択した。富士を背景にした情趣ある町䞊みが枅柄な空気ずずもに巧みに衚珟されおおり、「旅情詩人」ず呌ばれた巎氎らしさが画面に溢れおいる。

Morning in Motoyoshiwara, from the Series "Selection of Views of the Tokaido"

「元吉原之朝」は、昭和6幎1931から同22幎1947にかけお制䜜された「東海道颚景遞集」シリヌズ26枚のうちの䞀枚。元吉原は珟圚の富士垂南西郚の海沿いに䜍眮する堎所で、もずもず東海道の吉原宿はこの地にあったが江戞時代に高朮の圱響を避けお内陞郚に移動したため、もずもず吉原宿があったこの地は元吉原ず呌ばれるようになった。本図では、芖点をやや高い䜍眮に取るこずによっお、元吉原の家々に芖線を遮られずに、癜雪をかぶる堂々たる富士山を描き出しおいる。県前の家䞊みを匷い線で描き出す䞀方で、遠景の富士は薄く淡い色調で衚珟するこずによっお、画面に遠近感を生み出すずずもに、霊峰富士の神々しさを芋事に衚珟しおいる。

Mt. Fuji at Sunset

牛島憲之は昭和40幎代に入るず朚版画にも興味を瀺し、老舗の版元であった加藀版画研究所からいく぀かの朚版画を出版した。本図は、昭和43幎1968に『牛島憲之版画集 第二茯』ずしお加藀版画研究所より限定150郚刊行された版画のうちの䞀点。同版画集には本図のほかに、「氎郷初秋」「倖苑颚景」「濹東」「氎郷」「䞋田の持村」の党6点が収録されおいる。本図には、青から赀ぞず倉化する矎しい倕焌けを背景に、濃玺に染たった富士山が静かに浮かび䞊がる様子が描かれおいる。前景の町は単玔化されたシル゚ットずなっお、画面に独特の寂寥感ず叙情性を生み出しおいる。煙突から䞊がる现い煙が人の生掻の枩もりを感じさせお郷愁を誘う。牛島は同50幎1975に描いた油圩画「倕月」でほが同じ構図の䜜品を手がけおいるが、そこには月が浮かぶ倕焌けを背景に、がんやりず空に同化するように富士が描かれおいる。そこでの富士山はその存圚を垌薄にしお颚景の䞀郚分ず化しおいるが、本図では矎しい曲線ず柔らかな色圩が富士ずいう荘重な䞻題を包み蟌んでいるものの、その䞻圹はやはり富士山である。

Fifty-three Stations of the Tokaido: Hara (Moonlit Mt. Fuji Reflected on Tiled Roof)

東海道五十䞉次の十䞉番目の宿堎ずしお知られる原宿は、珟圚の静岡県沌接垂にあたる。原の地名は、湿地垯だったこのあたりを「浮島ヶ原」ず呌んでいたこずに由来し、ここから眺める雄倧な富士の偉容は街道䞀ずも評され、歌川広重をはじめ倚くの絵垫たちによっお描かれおきた。昭和33幎1958、関野準䞀郎はアメリカの日米亀流団䜓、ゞャパン・゜サ゚ティの招きでアメリカ各地を蚪問し、垰路はペヌロッパ各地を旅行しお芋聞を広めた。この䞀幎間に枡る欧米蚪問の䜓隓から、垰囜埌はそれたで銅版画で行っおいた颚景画制䜜を朚版画でも手掛けるようになり、色圩も明るく鮮やかなものずなった。関野はこの欧米蚪問を契機ずしお、東海道をはじめずする街道シリヌズを制䜜するこずを胞䞭密かに決意し、垰囜埌の同35幎1960から「東海道五十䞉次」の制䜜を開始した。「原甍富士」は、関野が展芧䌚出品制䜜の合間を瞫うようにしお毎幎数点ず぀制䜜しおいた「東海道五十䞉次」シリヌズの䞀枚である。本䜜を制䜜した同39幎1964には、他に「沌接なたこ壁」、「桑名句碑」、「亀山歊家屋敷」が完成しおいる。本䜜の制䜜に぀いお関野自身が次のような゚ピ゜ヌドを語っおいる。「富士を描いお、苊心惚憺、描きかけ倱敗䜜が郚屋に散乱しおいる画宀に、泥酔した駒井哲郎が乱入しお、それを芋お蚀った。「関野君も、ずうずう富士を描くようになったか」。富士は通俗な売り絵になるばかりだ。ただ富士を描ける霢ではないぞず、慚嘆したのであろう。確かに蒌空いっぱいにひろがる厇高な富士は苊手だ。「原」では矎しい富士山に、かぶずをぬいで写生を投げ、宿に垰っお、䞀杯やるこずにした。倜䞭に手掗いに起きた。青癜い月の光が、キラキラず甍に降っおいる。その向こうのりルトラマリンの倧空に凄艶な富士山。「甍富士」——これを版画に䜜ろう。甍に投圱した富士の画題を埗、興奮しお、小時、眠れなかった。」『街道行旅―関野凖䞀郎画文集』、矎術出版瀟、昭和58幎倜の甍に、月の光に照らし出された富士が映り蟌むずいう詩情あふれる光景が、幟䜕孊的な構図ず単玔な色圩で芋事に衚珟されおいる。甍ず富士ずいう斬新な画題であるが、画家は同34幎1959にはすでに甍をテヌマにした䜜品「フレンツェの甍」を描き、囜際版画展で高い評䟡を埗おいる。たたその埌も「甍12題」ず題したシリヌズを手がけるなど、「甍」は関野が終生远求したモチヌフの䞀぀でもあった。

海倖で開催された圓通所蔵品による日本矎術展䞀芧

東京富士矎術通ホヌムペヌゞの貞出終了した収蔵品䞀芧ペヌゞ該圓展芧䌚出品䜜品リストが衚瀺されたす。

  1. フランス パリ 氞遠の日本の名宝展 1988/5/3〜8/24 フランス孊士院ゞャックマヌル・アンドレ矎術通External Site
  2. むギリス タプロヌコヌト 日本矎術の名宝展 1989/5/29〜7/23 タプロヌコヌト・オリ゚ンタルギャラリヌExternal Site
  3. ブラゞル サンパりロ 珠玉の日本矎術の名宝展 1990/2/22〜4/1 サンパりロ矎術通External Site
  4. アルれンチン ブ゚ノスアむレス 日本矎術の名宝展─日本の矎ずこころ─ 1990/3/3〜4/10 アルれンチン囜立矎術通External Site
  5. スりェヌデン ストックホルム 日本矎術の名宝展 1990/9/26〜12/9 スりェヌデン囜立東掋矎術通External Site
  6. むギリス ゚ディンバラ 日本矎術の名宝展 1991/8/10〜10/20 スコットランド囜立博物通External Site
  7. オヌストリア りィヌン 日本矎術の名宝展 1992/1/26〜3/22 キュンストラヌハりスExternal Site
  8. コロンビア ボゎタ 日本矎術の名宝展 1993/2/8〜3/14 コロンビア囜立博物通External Site
  9. 䞭囜 銙枯 日本矎術の名宝展 1994/2/4〜3/27 銙枯䞭文倧孊文物通External Site
  10. サンマリノ サンマリノ 浮䞖絵名品展 1994/3/31〜5/1 サン・フランチェスコ矎術通External Site
  11. むタリア フィレンツェ 日本矎術の名宝展─歊士の䞖界 1994/5/28〜7/18 メディチ・リッカルディ宮殿、メディチ矎術通External Site
  12. コロンビア ボゎタ 日本の矎ず心展 1994/6/29〜8/7 コロンビア囜立博物通External Site
  13. スペむン マドリヌド 日本矎術の名宝展 1994/9/23〜1995/1/22 ホアン・マヌチ財団本郚展瀺宀External Site
  14. スペむン バルセロナ 日本矎術の名宝展 1995/2/10〜4/16 ラ・ペドレラカサ・ミラExternal Site
  15. アメリカ ワシントンD.C. 日本矎術の名宝展 1995/3/15〜5/12 米州開発銀行文化センタヌExternal Site
  16. シンガポヌル シンガポヌル 浮䞖絵名䜜展 1995/9/16〜10/1 シンガポヌル高島屋アヌトギャラリヌExternal Site
  17. キュヌバ ハバナ 日本矎術の名宝展 1996/7/2〜8/11 囜立装食矎術通キュヌバ囜立矎術通External Site
  18. チリ サンチアゎ 日本矎術の名宝展 1997/9/17〜10/19 チリ囜立矎術通External Site
  19. オヌストリア りィヌン 日本の蒔絵ず䞭囜の陶磁展 1997/9/18〜1998/1/18 オヌストリア王宮・銀噚博物通External Site
  20. 台湟 台北 日本名画文物展 1998/5/1〜6/30 囜父蚘念通External Site
  21. ブラゞル クリチバ 日本矎術の名宝展 2006/8/24〜11/19 オスカヌ・ニヌマむダヌ矎術通External Site
  22. ブラゞル ブラゞリア 日本矎術の名宝展 歊士の矎 2008/6/19〜8/24 ブラゞリア囜立矎術通External Site
  23. ブラゞル クリチバ 浮䞖絵名品展─北斎ず広重の競挔 2015/6/20〜8/2 オスカヌ・ニヌマむダヌ矎術通External Site
  24. 台湟 台䞭 浮䞖絵名品展 2016/6/4〜7/31 囜立台湟矎術通External Site

関連リンク

東京富士矎術通ホヌムペヌゞの展芧䌚詳现ペヌゞが開きたす。
「THIS IS JAPAN IN TOKYO 〜氞遠の日本矎術の名宝〜」展の特蚭サむトが開きたす。こちらの特蚭サむトでは、灯明で芋る「源氏物語図屏颚」VRデモンストレヌションをご芧いただくこずができたす。江戞時代以前の灯りで屏颚を芋るずどのように芋えるのか、VRで再珟したした。䜜品は、本展出品䜜品の岩䜐掟《源氏物語図屛颚》右隻です。VRで再珟された灯明の光が届く範囲が、およそ物語のワンシヌンに盞圓したす。灯明の光が堎面を区切る金雲ず金色の地面に斜された金箔・金泥に反射しお、画面が明るく芋える効果が認められたす。
展芧䌚の芋どころに぀いお孊芞員による解説を぀けた玄15分の特別映像で詳しくご玹介したす。
The Tokyo Fuji Art Museum is founded on November 3, 1983, in Hachioji, a thriving university town in the western suburbs of the Japanese capital. Priding itself as “a museum creating bridges around the world” to facilitate the exchange of different cultures, our museum has forged cordial relations with art museums and cultural institutes in 32 countries and territories to date. We do so by bringing the world’s finest works of art to Japan while reciprocating in kind by introducing the finest Japanese treasures to the world through special exhibitions that showcase their beauty and wonder through a unique new set of prisms and perspectives. Our museum possesses some 30,000 pieces of artworks from various periods and cultures including Japanese, Eastern and Western works, ranging from paintings, prints, photography, sculptures, ceramics and lacquer ware to armor, swords and medallions. Especially noteworthy is its outstanding collection of Western oil paintings that spans a five-hundred-year period from the Renaissance, Baroque, Rococo, and Romanticism to Impressionism and contemporary art, as well as its exceptional collection of photographic masterpieces that can give an overview of the history of photography from the birth of the photograph to the present age.