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【重要文化財】摩耶夫人および天人像(東京国立博物館蔵) / ColBase

日本の仏像(飛鳥時代~鎌倉時代)(教育・商用利用可)

日本の仏像の変遷

中国・朝鮮半島を経由して日本に仏像造像技法が伝わり、国内で仏像の造像が始まったのは飛鳥時代(6世紀末頃)と見られている。ここでは、日本の仏像の黎明期である飛鳥時代から、運慶・快慶ら慶派の仏師が活躍した鎌倉時代にかけてつくられた代表的な仏像を紹介し、各時代の仏像の特徴を見ていきたい。

飛鳥時代の仏像

飛鳥時代前期の仏像の主な造像技法は、銅または青銅で鋳造して鍍金(ときん。金めっき)をほどこした「金銅仏」、もしくは、クスノキを用材とした「木彫」である。後期には、粘土を材料にした「塑像(そぞう)」、漆を使った「乾漆(かんしつ)像」、型に銅板を当てて打ち出す「押出仏(おしだしぶつ)」など新たな技法が登場する。この時代の著名な仏師として、『日本書紀』などに名をのこす、日本初の本格的な仏師、鞍作止利(くらつくりのとり。止利仏師)がいる。鞍作止利は、中国からの渡来人の家系に生まれ、北魏様式の流れを汲んだ「止利様式」を確立。法隆寺金堂釈迦三尊像など多くの仏像を造像し、日本の初期仏像制作を牽引したと伝わる。飛鳥時代の仏像の顔付きの特徴としては、杏仁形(アーモンド・アイ)の目、口元に微笑を浮かべた「アルカイックスマイル」などが挙げられる。後期には、隋や唐の彫刻に影響を受けた童顔、童身の仏像が多くつくられた。

如来坐像

【重要文化財】 7世紀。大きく衣の裾を広げて座る如来。我が国最初の著名な仏師である止利(とり)によって623年に作られた法隆寺金堂の本尊、釈迦如来像によく似ており、本作も止利の様式に連なるものとみられる。大きく切れ長の目、弧を描いた眉と高い鼻筋。わずかにほほ笑んだ表情。面長な顔立ちや、細い体つきなどは、飛鳥時代初期の仏像の特徴。

観音菩薩立像

【重要文化財】 7世紀。白雉2年(651)に制作された菩薩像。奥行きのない薄い造形や全体を二等辺三角形にまとめた姿は、飛鳥時代前期に活躍した止利仏の流れを汲む様式。一方で衣の先端をわずかに後ろへ流した表現やおだやかで優しい顔つきは、止利の作風から一歩進んだもの。飛鳥時代の後半に、より自然な身体を持った仏像へ変わっていく過渡期の作品。

摩耶夫人および天人像

【重要文化財】 7世紀。摩耶夫人が庭園を散策中、木の枝に右手を伸ばしたところ、腋から釈迦が生まれたという伝説を表したもの。天人像は天衣をなびかせ、空中を飛来して祝う姿。本来、底にあけた穴に柱を立てて宙に浮かせたらしい。4月8日、法隆寺の誕生会に使われた。

阿弥陀三尊および僧形像

【重要文化財】 7世紀。阿弥陀如来を中心に、観音菩薩と勢至菩薩が両脇に立ち、その間から二人の僧侶が上半身をのぞかせる。銅の原型に薄い銅板をあてて打ち出すことで形を転写したもので、押出仏と呼ばれる。7世紀中頃から8世紀中頃にかけて見られる仏像の制作法。法隆寺献納宝物に伝わる11面の押出仏のうち、これは最も優秀な技術を見せる作品。

菩薩立像

7世紀。日本の仏像彫刻の黎明期の貴重な作品。古来、霊木としても信仰されたクスノキの一材から彫り出され、衣のひだや耳から首にかけては漆箔のあとが認められる。中国や朝鮮半島の金銅仏を模したと考えられ、大きな頭に対して、体を極端に薄く表わすのも、古代の金銅仏に多い特徴。

菩薩半跏像

7世紀。霊山として知られる那智山で、経典類を埋納する経塚から出土した金銅仏。片脚を組み、思案する姿の半跏思惟像は、日本では仏滅から56億7千万年後に現れる弥勒菩薩として信仰されることが多く、飛鳥時代を中心に数多くつくられた。

如来立像

7世紀。飛鳥時代後期につくられた木の仏像。S字の姿勢や薄い体躯の表現は、飛鳥時代の仏像の特徴。同時代の仏像は金銅仏が多いなか木彫像は珍しく、霊木として信仰されることもあったクスノキでつくられている。法隆寺から皇室へ献納された仏像のうちの1体。

誕生釈迦仏立像

7世紀。誕生釈迦仏は、両手で天と地を指し「天上天下唯我独尊」と唱えたという、釈尊の誕生時のエピソードにもとづく。4月8日の灌仏会の本尊として制作されたため、遺例は多い。あどけない顔だちや自然な体躯の表現は7世紀末頃の金銅仏の特徴である。

十一面観音菩薩立像

7世紀。経典類を未来に伝えるために埋納する経塚から出土した金銅仏。頭上の10面の顔と本体の顔とあわせて11面ある十一面観音菩薩。写実的な表現がみられはじめる飛鳥時代後期の作とされ、日本における十一面観音菩薩のなかでは最も古い作例の1つ。

観音菩薩立像

7世紀。三面宝冠の正面に坐化仏を現し、左手を垂下して水瓶を受ける観音菩薩立像。法隆寺献納宝物の銅造観音菩薩は持物を欠くがほぼ同形で、三山形に平たく結った髻(もとどり)、上下につまった面相と涼しげに微笑む表情、鬢髪(びんぱつ)の形、天衣のかけ方などをはじめとする服制など共通点が多い。ただし本像の方が小振りで、表現も簡略化されたものとなっている。

観音菩薩立像

7世紀。大きな坐化仏をつけ、右手は腹上に当てて瓔珞を挟み、左手を垂下する観音菩薩立像。細身で良く伸びた優しげな体躯が、柔和な表情とよくあって、白鳳仏に一般的な寸の詰まった童子形像とは一種異なる魅力を備えている。臘型の一鋳で作られ、蓮肉部までを中空とし、体部はムクである。後頭部に光背用のほぞ穴をあける。

観音菩薩立像(百済観音)(模造)

昭和8年(1933) 原品=7世紀。原品は法隆寺蔵の国宝。近世の記録に百済から渡来の虚空蔵菩薩像といい、明治に阿弥陀化仏付きの宝冠が発見されて以来「百済観音」と呼ばれる。止利派とは異なる、軟らかな肉身表現や前後の動きへの関心は飛鳥後期につながる要素。原品の趣をよく伝える。

奈良時代の仏像

奈良時代、聖武天皇が在位していた天平年間(729~749)を中心に、唐の影響を受けた華やかで仏教的色彩の強い貴族文化(天平文化)が展開された。天平勝宝4年(752)には、聖武天皇発願による国家的事業として制作された、東大寺金堂の本尊・盧舎那仏(るしゃなぶつ)銅像(奈良の大仏)が開眼。仏像造像はさらに盛んになり、唐の様式を参考にした、より写実的で生き生きとした彫刻がつくられるようになった。造形的特徴としては、飛鳥時代の素朴で幼げな容貌から、成熟した大人の顔付き、豊かな表情、均整がとれた体軀へと変化を遂げる。また、このような細かな表現を描写するため、加工しやすい乾漆や塑像が主流な造像技法となった。

日光菩薩坐像

【重要文化財】 8世紀。切れ長の目とみずみずしくふっくらとした顔立ちは、この時代の特徴。柔らかでリアルな表現は、木でおおよその形をつくった上に、漆に木の粉などを混ぜてペースト状にしたものを盛り上げて仕上げる「木心乾漆造」という技法ならでは。穏やかな丸みや柔らかな質感を出すのに適した技法だが、手間と時間が必要とされるため、この時代以降は余りつくられなくなった。

薬師如来坐像

8世紀。クスノキの一材から大半を彫り出したうえ、表面にペースト状のものを塗り重ねて成形する「木心乾漆造」という技法で制作されている。この技法は、主に奈良時代の8世紀に用いられたもので、それ以降の時代の仏像は、表面のペースト状の物質の層が薄くなり、木造に分類される。面長な顔立ちや簡略な衣の襞が奈良時代末の特色を示す。

薬師如来坐像

8世紀。ずんぐりとした体軀を粘りの感じられる着衣で包み、豊かな頬とうねりのあるややつり目の表情を見せる作風は、奈良時代後半の木心乾漆造の諸像にも共通する。下半身を包む裳はさらに蓮台を覆って、蓮弁の先端に引っかかりながら垂下する。中国・唐時代の作例に見られる形式で、本像が渡来作品を強く意識して造像されたものであることを示唆する。

侍者坐像(法隆寺塔本塑像)

8世紀。腹前で両手を合わせて正座する男子供養者の小像。表面にほどこされた彩色は、ほとんど剝落している。本像の構造及び作風は、奈良・法隆寺の五重塔初層に安置される塔本四面具と呼ばれる塑像群と共通するため、元来は群像を構成する一躯だったと考えられる。

観音菩薩立像

8世紀。やや頭部が過大な、重厚感に富む観音像。右手で宝珠をつまみ、左手は第一・第二指で瓔珞(ようらく)をはさむ。頭頂から台座に至るまで一鋳するが、台座部分は一度で完成せず、鋳掛けを行っている。香川県三豊市の伊舎那院伝来という。

観音菩薩立像

8世紀。押出仏制作用の仏像型とみられる品。厚手の長方形の銅版に、頭上に大きく化仏を表して左手に水瓶をとり、頭光を背負って蓮台上に直立する観音像を陽鋳する。面部・胸・腹などの肉身描写には、唐風の成熟した写実表現が示される。

聖観音菩薩立像(模造)

明治26年(1893)、原品=7~8世紀。原品は、薬師寺東院堂の像で銅造。その鋳造技法や銅質などから、同寺金堂の薬師如来三尊像と同時期に造られたものと考えられる。細部の装飾などに、中国・唐時代の影響がみられる。当模造は、山田が木彫技法を使って模したものである。 

広目天立像(模造)

明治25年(1892)、原品=8 世紀。原品は東大寺戒壇堂の国宝で、天平彫刻を代表する塑像の名作として知られる。竹内はその像を木彫技法で模刻している。剥落の進行によって、現在では失われてしまった天平の極彩色や切金文様なども模写されており、以前のさまをよく伝えている。

執金剛神立像(模造)

明治24年(1891)、原品=8世紀。東大寺法華堂に所在し、毎年12月16日のみ開扉される秘仏の模造。原品は塑像であるが、竹内は木彫技法で模刻している。現状では見ることのできない原像背面やその後剥落の進行によって失われた彩色までよく伝えている。

平安時代の仏像

平安時代前期、唐で学んだ最澄(さいちょう)・空海(くうかい)が日本に密教を伝えたことにより、曼荼羅(まんだら)を中心とした密教美術が発展。仏像においても、大日如来や不動明王など、密教独自の諸尊像が登場する。造像技法の面では、一本の木から頭部と胴部を彫り出す「一木造(いちぼくづくり)」が主となる。やがて、寛平6年(894)に遣唐使の派遣が断絶すると、平安時代中期より仏像は和様化の道をたどる。中期を代表する仏師で、平等院鳳凰堂の本尊・阿弥陀如来坐像を造像した定朝(じょうちょう)は、優美な「定朝様(和様)」と呼ばれる日本風の仏像彫刻様式を大成。また、複数の木材を組み合わせて仏像をつくる「寄木造(よせぎづくり)」の技法も完成し、以後、この技法は日本の仏像造像の基本となった。平安時代末期には、末法思想と浄土信仰が貴族社会に広まり、人びとを極楽浄土に導くとされる阿弥陀如来像がさかんにつくられた。平安時代の仏像の造形的特徴としては、ふっくらとしたボリュームのある体と穏やかな顔立ちなどが挙げられる。

薬師如来坐像

【国宝】 9世紀。平安初期彫刻の著名な木彫仏で、京都・若王子社の本地仏であったと伝える。両手首を除く、本体および蓮肉部までを栢(榧)の一材から丸彫りしている。眉目の切れが長く、顎を小さくつくる特異な面相、なで肩で猫背気味に背を丸めて臂を外に張る体型、切れ味鋭い彫刻刀の捌きなど、強さと確かさが充溢した造形力で、九世紀の木彫の魅力が十分にあらわれている。

如意輪観音坐像

【重要文化財】 9~10世紀。江戸時代に丹後国の海中より発見されたという伝承をもち、その後、京都市内の回向院に伝来したという。大ぶりの筒型宝冠や眉の連なった厳めしい表情、奥行きの深い頭部や体軀の造形など、平安時代前半期にさかのぼる造像であることを物語る。

不動明王立像

【重要文化財】 11世紀。巻き髪で、左肩に弁髪を垂らし、右目を見開き、左目は眇める、右下牙で上唇を、左上牙で下唇を噛む姿は、9世紀末に成立し、流行した不動明王のスタイル。ヒノキの材を彫って形をつくり、表面に彩色をしている。

兜跋毘沙門天立像

【重要文化財】 11世紀。「兜跋毘沙門」と称されるこの東寺像は、宝冠をかぶって外套状を呈する金鎖甲(鎖を編んだ鎧)をまとい、二鬼(尼藍婆・毘藍婆)を従えた地天女が差し出す両手の上に立つなどの特徴がある。本像はその忠実な模像で、原像の精悍な顔立ちや引き締まった体つきもよく再現されている。

大日如来坐像

【重要文化財】 11~12世紀。木造の大日如来像。パーツごとに彫刻した部材を組んで作り、表面に金箔をはり、顔や髪に彩色をしている。細身の体つきや、なだらかな衣文に平安時代後期の特色を示す。

阿弥陀如来立像

【重要文化財】 12世紀。平安後期に造られた高さ3尺の阿弥陀如来像の優品。3尺の阿弥陀像は鎌倉時代に盛んに造られたが、平安時代に遡る作例は少なく貴重。温和な表情を見せる目鼻立ちや浅く流れるような衣文表現など、京都・平等院阿弥陀如来像を制作した定朝の様式を正統に受け継いだ仏師の制作と考えられる。

十一面観音立像

【重要文化財】 12世紀。新薬師寺に伝来した十一面観音像で、南都の平安仏に多いいわゆる板光背を伴っている。目を伏せた優しい表情、なで肩で華奢な体型、浅く穏やかな彫りでまとめられた衣文などに平安後期彫刻の典型的な特徴が認められるが、体軀に比して頭部が非常に小さいプロポーション、肉身や着衣のいたって簡潔な造形など、その作風はユニーク。

毘沙門天立像

【重要文化財】 応保2年(1162)頃。片手に宝塔を捧げ持つ毘沙門天の像。均整のとれた姿と華やかな彩色が洗練された美意識を伝えるが、水晶で瞳をあらわす玉眼の技法を用いるなど、鎌倉彫刻の先駆ともいえる。日本画家・川端龍子の旧蔵品。

蔵王権現立像

【重要文化財】 12世紀。左手を腰に当て、右手を高く挙げて持物(欠失)を握り、左足で全身を支え、右足を高く挙げる蔵王権現像。均衡の整った頭体部、豊かな胸の肉取り、細身の手足などは平安後期(12世紀)の特色。しかし、顔つきは厳しく、当代の蔵王権現像としては古様である。古式の形制を残した平安後期の蔵王権現の秀作。

薬師如来坐像

9世紀。頭から腰まで一木から彫出し、漆と木粉を混ぜたペースト状の木屎漆という素材で表面を成形して仕上げる、木心乾漆造りという技法でつくられる。肉どりや衣の皺などに漆の特質を生かした粘りのある造形がうかがえる。こうした技法や表現は奈良時代を中心に流行した。

五大明王像

10~11世紀。五体が完存する東密系の五大明王像の佳作で、各像とも全体をカヤの一材から彫出しており、内刳はない。小像ながらも木の材質感を巧みに生かした造形が行われており、張りのある下ぶくれの頭部やがっしりとした体躯は堂々たる風格を漂わせている。

不動明王立像

11世紀。頭髪を直毛とし、両眼を見開いて下唇を噛むのは空海ゆかりの姿だが、額に冠帯をつけ、肩に垂れる髪束がねじれるなど、円珍が中国からもたらした表現も採用する。10世紀末ごろに成立した立像形式の不動明王像における古作として貴重。サクラ材を用いた仏像としても珍しい。

観音菩薩立像

12世紀。細身で頭部が小さく低い髻、なで肩、おだやかな顔、動きの少ない立ち姿、浅く繊細に刻まれた衣の襞など典型的な平安時代後期の像。こうした作風が11~12世紀の平安貴族に好まれた。肘から先の形、銅製装身具に違和感があるが、これらは後世の補修によるもの。

大威徳明王騎牛像

12世紀。四肢を折って蹲る水牛の背に坐す、六臂六足の大威徳明王像。本像はその持物を失うが、左方には戟や輪索、右方には剣や棒を持ったと思われる。平安時代後期以降、経軌に勝軍法を説くところから、戦勝祈願のための造立の事例も多い。穏やかな作風はいかにも平安時代後期らしい。

鎌倉時代の仏像

鎌倉時代に入り、政権が貴族から武士へ移行すると、よりダイナミックで力強い武士好みの仏像が現れた。鎌倉美術の写実主義的傾向、そして木彫技術の円熟を受け、この時代の仏像はまるで生きているかのようなリアリティーある表現が追求されるようになる。瞳に水晶をはめる「玉眼(ぎょくがん)」の技法が一般化し、人体を参考に骨格、筋肉、血管にいたるまで細かな肉体描写にこだわった仏像が多く生み出された。また、寄木造の技法が発達したことで、巨大な仏像を効率的に制作できるようになる。鎌倉時代を代表する仏師は、東大寺南大門の金剛力士立像を手掛けた、運慶(うんけい)とその弟子、快慶(かいけい)である。写実的で躍動感溢れる仏像の新様式を確立した運慶、快慶が率いた慶派は、鎌倉時代の彫刻界のみならず、後世の仏像彫刻に多大な影響を与えた。

菩薩立像

【重要文化財】 13世紀。類品から弥勒菩薩と考えられる。この像は目や唇に水晶を嵌めることで、生々しさを醸しているのが特色。肌に金粉を膠で溶いた金泥を施すのも含めて、未来に到来する仏に現実感を与える工夫といえる。特徴的な切れ長の目は善円の作風に近い。

文殊菩薩騎獅像および侍者立像

【重要文化財】 文永10年(1273)。獅子に乗る文殊菩薩が、合掌する善財童子とインド人僧の仏陀波利、獅子の手綱を引く優填王、頭巾をかぶる最勝老人という4人の従者をともなって海を渡る「渡海文殊」の群像をあらわす。銘文などから興福寺勧学院の本尊で康円作と分かっている。

十大弟子像(大報恩寺)

【重要文化財】 13世紀。京都・大報恩寺は、鎌倉時代を代表する仏像彫刻家たちの作品を数多く所蔵する。十大弟子像は、運慶とともに東大寺南大門の金剛力士像を制作した快慶が、晩年に手がけた作品。釈迦のそばに仕えた10人の弟子たちの像で、かつては、本堂に本尊の釈迦如来坐像をかこむように安置されていた。

多聞天立像

【重要文化財】 13世紀。奈良国立博物館保管の増長天像、興福寺に残る広目天像、現在は広島・耕三寺にある持国天像とともに一具の四天王像を構成していた。面相はともに肉の隆起を強調して迫力があり、大きなポーズをとり、全体として活動的なものとなっている。また、甲や衣の表現も、よくその質感を表している。

四天王眷属立像

【重要文化財】 文永4年(1267)。他に類例のない四天王眷属像で、台座裏面の墨書銘から、文永4年(1267)に康円によって造られたことが知られる。もと奈良県天理市にあった内山永久寺の真言堂に安置されていた可能性が高い。これらと一具の像が靜嘉堂文庫とMOA美術館に分蔵されている。

十二神将立像(申神)

【重要文化財】 13世紀。浄瑠璃寺に伝来したといわれる十二神将のうちの一躯。鎌倉彫刻らしく動きのある姿で、清新な表現が特徴。空間の奥行を感じさせる体の動き、リアルな表情、シャープで整った形は、有名な運慶に代表されるような、12世紀末期ころより起こった彫刻の表現の特徴を表しており、新しい時代のおとずれを告げている。

釈迦如来立像(清凉寺式)

【重要文化財】 文永10(1273)。10世紀に中国・宋からもたらされた京都・清凉寺の釈迦如来立像は、釈迦在世中にその姿を写した像として信仰を集め、「清凉寺式釈迦」と呼ばれる模像が多数制作された。本像もその一体。異国的な像容が忠実に再現される一方で、いかにも鎌倉彫刻らしい現実感漂う風貌が、巧みに造形されている。

阿弥陀如来立像

13世紀。両手に来迎印を結び、前傾しながら左脚を前へ出して歩み寄る姿は、臨終者を迎えにくる様子をあらわす。鎌倉時代にはこうした三尺ほどの大きさの阿弥陀立像が数多く制作された。衣には金箔を細く切って文様を描く截金がよく残っており、美しくも厳かな雰囲気を醸している。

文殊菩薩立像

13世紀。知恵を司る仏として信仰される文殊菩薩。知恵は純粋無垢な子どもの性格にたとえられることから、少年のような姿でつくられている。頭に5個の髻を結うのは密教のスタイルで五髻文殊と呼ばれる。色鮮やかな衣には、細く切った金箔で美しい文様が表わされている。

愛染明王坐像

建長8(1256)。六臂を有し、三眼で牙を生やし、忿怒の相もすさまじい。愛染明王は愛染貪欲をそのまま浄菩提心に昇華させる明王とされ、煩悩即菩提を説く密教の尊像。像内に納入されていた経典の書写奧書や、台座底面に金泥で書かれた銘文によれば、作者は仏師快成で、快尊・快弁が小仏師として参加した。

毘沙門天立像

13世紀。京都・石清水八幡宮の宝塔院内に安置されていた像と知られる。右肘を強く張ったポーズは運慶作の静岡・願成就院の毘沙門天像を想起させ、力強い作風からも慶派の流れをくむ仏師の作と考えられる。彩色に金泥彩を多用することや、文様のモチーフに雲龍・鳳凰・花葉など具象的なものが多いことなどが特徴。

関連するギャラリー

参考文献

  1. 辻惟雄 監修,美術出版社
  2. 河野元昭 監修,平凡社 
  3. 山本勉 [著],平凡社 
  4. 薬師寺君子,西東社