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宗祇 / 国立国会図書館デジタルコレクション

宗祇

和歌の西行、俳諧の芭蕉と並び称される連歌界の漂泊の詩人。

1421-1502(応永28-文亀2) 

室町時代の連歌師(れんがし)。生国は紀伊、あるいは近江(おうみ)といわれる。別号は自然斎(じねんさい)、種玉庵(しゅぎょくあん)。姓は飯尾(いいお/いのお)というが確かではない。30歳頃から和歌、連歌に専念し、はじめ宗砌(そうぜい)、ついで専順(せんじゅん)に師事した。文正元年(1466)東国へ下向し、関東流寓中の心敬(しんけい)に学び、宗砌風に心敬風を採り入れて連歌を大成。文明3年(1471)には伊豆で東常縁(とうつねより)から『古今和歌集(こきんわかしゅう)』の講釈を聴聞、いわゆる古今伝授を受けた。同5年に京都の上京(かみぎょう)に種玉庵の草庵を営んで句集の『萱草(わすれぐさ)』を編み、先達7人の句を集めた『竹林抄(ちくりんしょう)』を撰し、心敬、専順らが没した後の連歌界において第一人者となった。文明12年(1480)に大内政弘(まさひろ)の招きによって周防(すおう)山口に下り、その勢力下となっていた北九州を回って、紀行文の『筑紫道記(つくしみちのき)』を著した。明応3年(1494)には猪苗代兼載(いなわしろけんさい)、三条西実隆(さんじょうにしさねたか)らとともに連歌集の『新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)』の編纂に着手し、翌年に完成をみた。生涯を通じて旅を好み、漂泊の詩人ともいわれる。明応9年(1500)に越後(えちご)へ出立、文亀2年(1502)越後から美濃(みの)へ向かう途中、相模の箱根山麓あたりで没し、弟子の宗長(そうちょう)らが駿河桃園(するがももぞの、現在の静岡県裾野市)の定輪寺(じょうりんじ)に遺骸を葬ったという。

連歌句集として『老葉(わくらば)』『下草(したぐさ)』『宇良葉(うらば)』などがあり、弟子の肖柏(しょうはく)・宗長とともに張行(ちょうぎょう)した『水無瀬三吟百韻(みなせさんぎんひゃくいん)』は、のちの『湯山三吟(ゆのやまさんぎん)』とともに百韻連歌として著名。連歌論書として『長六文(ちょうろくぶみ)』『吾妻問答(あづまもんどう)』『老のすさみ』などがあり、『古今和歌集』『源氏物語』など数多くの古典を講釈し、その注釈書も残している。松尾芭蕉は、尊敬する歌人として西行とともに宗祇の名を挙げている。

関連するひと・もの・こと

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伊勢物語肖聞抄

『伊勢物語』の注釈書。綴葉装。1帖。原題簽には「肖聞」とのみある。宗祇の講義を弟子肖柏(1443-1527)がまとめたもので、それまでの注に対しては批判的な態度をとっている。文明9年(1477)成立の初稿本のほかに、文明12年本、延徳3年(1491)本があり、掲出は室町時代後期の写本。

伊勢物語聞書 上巻

『伊勢物語肖聞抄』を、慶長14年(1609)に嵯峨本(古活字版)として刊行した豪華本。色変り料紙。藤色地に、銀色の忍模様がある原表紙を存する。題簽を欠き、上巻の表紙中央に「伊勢物語聞書」の墨書がある。この国会図書館所蔵本は、上巻56丁(11葉欠)、中巻33丁(7葉欠)のみで下巻を欠くが、下巻の刊記には「也足叟素然(中院通勝)」の署名がある。

自讃歌註

宗祇著。寛永13年(1636)刊。新古今時代歌人の秀歌選『自讃歌』の注釈で、宗祇注と兼載注が知られるが、宗祇注の文明16年(1484)霜月奥書本が江戸初期に版本で流布したのが本書。寛永10年(1633)刊の古活字本、後には慶安元年(1648)村上平楽寺版、寛文8年(1668)版のほか、師宣の絵本に、延宝8年(1680)松会版、刊年不記松会版、湯島天神前書肆版、須原屋茂兵版がある。

自讃歌註 : 宗祇繪抄 上巻

宗祇が注を施した『自讃歌注』の下半分に菱川師宣の画を入れた絵本。当該本は上巻のみの端本で、片面30図の絵と巻頭に見開き図1葉を入れる。延宝8年(1680)松会版かその後印の松会版の端本と思われる。

小倉山庄色紙和哥

宗祇による『小倉百人一首』の注釈書。『百人一首抄』ともいう。末尾に明応2年(1493)4月20日の年紀に加えて「宗祇在判」とある。近世初頭刊行の古活字版。

宗祇小鏡

児童に対する教訓を歌にした家集。宗祇著。掲載は和学講談所旧蔵の写本。

宗祇法師集

群書類従本。

連歌集・紀行文・連歌論書など

新撰莵玖波集 上

室町後期の連歌選集。明応4年(1495)の成立。周防国山口の守護大名、大内政弘 の発起により、一条冬良 (ふゆら) 、三条西実隆 、宗祇らが共同編集。『菟玖波集』以後の連歌の発句および付句を対象に編まれた。

新撰菟玖波集(零本)

『新撰菟玖波集』全20巻のうち、巻19発句上と巻20発句下、後補の作者部類を1冊に収めた零本(端本)。天文本(天文21年(1552)4月1日奥書)と朱書で校合しており、「印本」(刊本)とも校合している。

萱草(わすれぐさ)

宗祇の第一自選句集。伝本は清書本、草稿本の2系統に大別され、前者には文明6年(1474)2月の奥書がある。本写本は草稿本系統に属するが、他の伝本と異なり詞書をまったく記さず、本文系統も別。

竹林抄 上

宗祇編の連歌撰集。紅葉山文庫旧蔵。文明8年(1476)成立。書名は中国の竹林七賢の故事にちなむ。宗祇が宗砌(そうぜい)、宗伊、心敬、行助(ぎようじよ)、専順、智蘊(ちうん)、能阿の同時代の先輩連歌師7人の作品から佳句を選んだもの。

老葉(わくらば)

宗祇による自撰連歌集。初編・再編・注釈の三種から成り、初編は大内政弘から周防山口に招かれ、その間の北九州旅行からの帰洛後、すなわち文明13年(1481)8月頃の成立とされる。続群書類従本。

筑紫道記

宗祇による紀行文で、文明12年(1480)の成立。『筑紫紀行』ともいう。群書類従本。文明12年に大内政弘の招きで周防山口に下着した宗祇は、9月6日に山口を出立、筑紫国の太宰府天満宮や博多の住吉社などを巡って10月12日に山口に帰着した。文中に和歌・連歌の発句が配されており、完成度の高い紀行文である。

水無瀬三吟百韻

室町時代の連歌百韻。後鳥羽院の水無瀬の廟(現大阪府三島郡島本町)に奉納するために、宗祇とその高弟である肖柏、宗長を連衆として、長享2年(1488)正月22日の院の月忌に山城国山崎(現京都府乙訓郡大山崎町)で催された「賦何人連歌(ふすなにひとれんが)」の通称。発句は宗祇の「雪ながら山もとかすむ夕かな」。続群書類従本。

[連歌集]

「延徳二年三月五日政宣宗祇等何舟百韻」他9種の百韻を合写する。 仮名垣魯文旧蔵本。渡辺刀水の文庫印記「刀水書屋」もある。

湯山三吟

室町時代の連歌百韻。「湯山」の読みは「ゆのやま」または「ゆやま」。延徳3年(1491)10月20日に宗祇とその高弟である肖柏、宗長を連衆として、摂津国湯山(兵庫県神戸市北区の有馬温泉)で張行された「賦何人連歌(ふすなにひとれんが)」の通称。

吾妻問答

宗祇の連歌論書で、『角田河』『都鳥』ともいう。奥書に、応仁・文明の乱を前にして関東へ下ったとき、隅田川のほとりで著作したとある。成立は、応仁元年(1467)とも文明2年(1470)ともいわれる。26の問答から成る実作本位の指導書。群書類従本。

老のすさみ

宗祇の連歌論書で、文明11年(1479)3月の成立。『吾妻問答』と並ぶ宗祇の連歌論書である。群書類従本。

古今和歌集古聞 [1]

『古今和歌集』の注釈。題簽には「古聞」とみえる。歌の上二句を掲げ、語句の解釈などを記す。各冊の巻頭や奥書によれば、文明13年(1481)8月から10月にかけて行われた約40回にわたる宗祇の講義を、高弟の肖柏が聞き書きしたもので、翌年正月に宗祇の認可証明を得ている(第5、6冊)。

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月岡芳年 『新形三十六怪撰』宗祇

江戸末期から明治の浮世絵師、月岡芳年(1839―1892)作の浮世絵。「新形三十六怪撰」という妖怪をテーマとしたシリーズの一作。明治25年(1892)刊。旅先の宗祇が、苦吟する幽霊に付句を与えて成仏させたという伝説にもとづく絵。「今宵の月は空にこそあれ」の上の句に苦心する幽霊に宗祇が「やどるべき水も氷にとぢられて」の句を与えている。

宗祇法師 『紀伊国名所図会』後編

『紀伊国名所図会』に掲載された、宗祇の肖像。吉備郡下津野を宗祇誕生の地とする解説に添えられたもの。肖像の作者は古法印(狩野)元信としている。『紀伊国名所図会』は、江戸時代後期に刊行された紀伊国全体に関する地誌。名所だけでなく、広範な地名や寺社について掲載する。江戸時代後期の紀州に関する基本的文献の一つ。

宗祇水

岐阜県郡上市八幡町本町に所在する湧き水。一説に、文明3年(1471)宗祇が郡上の領主である東常縁から古今伝授を受けたと伝え、京へ戻るとき、師弟二人がこの泉のほとりで歌を詠み交わしたことから、「白雲水」とも呼ばれている。

宗祇像 『紀伊有田郡先賢伝記』第1輯

南部伯爵家旧蔵。作者は狩野元信作という。

宗祇法師肖像 『先哲像伝』 第4冊

『先哲像傳』 第4冊(詞林部)所収の宗祇法師肖像。

宗祇屋敷跡(『紀伊有田郡先賢伝記』第1輯)

吉備郡下津野(現在の有田郡有田川町)にあったとされる宗祇の屋敷跡。宗祇の生まれを紀州とする説による旧跡の一つ。

近衛尚通宛 飯尾宗祇筆書状

宗祇の上洛を知った近衛尚通が、『古今和歌集』の奥義を聴聞すべく参上をうながしたが、宗祇は所用にまぎれた上に腰痛で、不参を詫びたもの。近衛家の諸大夫、進藤筑後守長泰宛の書状だが、実質は近衛尚通にあてたもの。

近衛尚通宛 飯尾宗祇書状

前夕に書状を受け取り、ことに尚通の「御詠」を贈られたことに恐縮し、翌朝参上の可否を問う内容。この書状も近衛家の諸大夫、進藤筑後守宛の形をとっている。

(飯尾宗祇書状写)〔詠歌合点〕

相良家文書のうち。明応4年(1495)4月13日のものとされる。宛所は「相良殿参 尊答」とあり、相良為続に送ったものである。

宛先不明 宗祇書状(『古文書時代鑑 上』 所収)

宛名は不明だが、伊勢国阿濃郡の豪族草生氏かとされる。伊勢国下向に際して伊賀路を廻る予定であることを述べ、河內正覚寺で、猪苗代兼載、牡丹花肖柏等と会を催したことなどを記す。

宗祇の弟子、ゆかりの人々

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参考文献

  1. 『日本大百科全書(ニッポニカ)』(JapanKnowledge)外部サイト「宗祇」の項
  2. 『改訂新版 世界大百科事典』(JapanKnowledge)外部サイト「宗祇」の項
  3. 『国史大辞典』(JapanKnowledge)外部サイト「宗祇」の項
  4. 『日本人名大辞典』(JapanKnowledge)外部サイト「宗祇」の項
  5. 宗祇小西甚一 著,筑摩書房
  6. 連歌師宗祇島津忠夫 著,岩波書店
  7. 志賀太郎「ボストン美術館蔵伝宗祇像の像主考―伝来と像容―」(『美術史論集』6、2006年)外部サイト
  8. 日本史年表(第5版)歴史学研究会 編,岩波書店
  9. 『全文全訳古語辞典』『日本大百科全書(ニッポニカ)』『改訂新版 世界大百科事典』(JapanKnowledge)外部サイトサンプルページ「連歌」の項
  10. 『国史大辞典』『日本大百科全書(ニッポニカ)』『改訂新版 世界大百科事典』(JapanKnowledge)外部サイトサンプルページ「竹林抄」の項
  11. 『国史大辞典』『日本大百科全書(ニッポニカ)』『改訂新版 世界大百科事典』(JapanKnowledge)外部サイトサンプルページ「新撰菟玖波集」の項
  12. 『国史大辞典』『日本大百科全書(ニッポニカ)』『改訂新版 世界大百科事典』(JapanKnowledge)外部サイトサンプルページ「水無瀬三吟百韻」の項
  13. 『国史大辞典』『改訂新版 世界大百科事典』(JapanKnowledge)外部サイトサンプルページ「吾妻問答」の項
  14. 日本古典文学全集(Japanknowledge)外部サイトサンプルページ『連歌集』
  15. JapanKnowledge所収コンテンツの最終アクセス日は、いずれも2023/02/10。