百人一首
百人の歌人の秀歌を一首ずつ集めた歌集。特に『小倉百人一首』のこと
優れた歌人百人の歌を一首ずつえらび集めた歌集。また、それをカルタにしたもの。特に、『小倉百人一首』はこのジャンルの祖型をなすもので、一般に「百人一首」と言えばこれをさすことが多い。この形式はのちに広く踏襲され、『新百人一首』(足利義尚(あしかがよしひさ)撰)をはじめとして『武家百人一首』『女房百人一首』、近代に入っての『愛国百人一首』など、多種多様な異種「百人一首」が作られた。
『小倉百人一首』は藤原定家(ふじわらのていか)の撰。別名「小倉山荘色紙和歌(おぐらさんそうしきしわか)」。「小倉」の名は、定家の小倉山荘にちなんだもので、平安時代の歌人を中心に奈良時代から鎌倉時代初期に至る歌人の秀歌がほぼ時代順に配列され、内容は恋歌が43首と圧倒的に多く、春夏秋冬の四季歌がこれに次ぐ。作者の内訳は、男性79人、女性21人である。定家死後の室町時代には和歌・連歌の専門家に継承され、近世に入ると、北村季吟(きたむらきぎん)の『百人一首拾穂抄(ひゃくにんいっしゅしゅうすいしょう)』などの注釈書が数多く登場してひろく受け入れられ、庶民の古典入門書や手習いの手本としても普及した。この傾向は歌かるたの普及とともにさらに加速し、読み手が上の句を読み,他の参加者が取り手となって下の句の札を取るという「百人一首かるた」が正月の遊びとして親しまれ、散らし取り、源平合戦、坊主めくりなどが考案された。明治に入るとかるた会なども盛んに開かれるようになる一方、一対一で優劣を争う競技かるたも誕生し、現在では年に一度の名人位決定戦が行われている。
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さまざまな百人一首
百人一首の絵本・黄表紙・双六など
落語「ちはやふる」の元ネタが載っている「百人一首」のパロディ本
時代とともに人口に膾炙した「百人一首」は言葉遊び・パロディの格好の対象となったが、落語の世界にも取り入れられ、中でも在原業平の「ちはやふる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」を元にした「ちはやふる」のこじつけ解釈はよく知られている。歌の意味を八五郎に聞かれて困った隠居の考えた珍解釈は、
●「龍田川(たつたがわ)という相撲の大関が千早(ちはや)という花魁 (おいらん) に惚 れたが振られ、
●それではと口説いた妹女郎の神代(かみよ)もいうことを聞かず、
●失意の龍田川は故郷へ帰って豆腐屋になる
●10年後のある日、女乞食 が「おから」をくれといってくる、
●それが千早のなれの果て。龍田川は怒っておからをやらず、恥じた千早が井戸へ身を投げて死ぬ。
つまり「最初に千早が振ったから、「千早振る」、神代も聞かなかったから「神代も聞かず竜田川」、おからをくれないので「からくれないに」、井戸に飛び込んだから「水くぐる」だ」という呆れたものだが、これとほぼ同じ珍解釈が『百人一首和歌始衣抄』(国会図書館・デジタルコレクション所収)という本に載っている。『百人一首和歌始衣抄』の著者は、山東京伝。天明7年序跋(1787)刊。『百人一首』から18首を選び、江戸時代の和歌注釈書の形式(作者の系図・語釈・語注・参考文献の引用など)をもじって、細部まで滑稽にこじつけの解釈をする。
詳細は下記の画像で。(青い枠をクリックすると解説が表示されます。なお、読みやすいように原文の一部に漢字をあて、句読点を補っています)
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公益財団法人小倉百人一首文化財団が運営する、百人一首の歴史を紹介する施設。常設展示「百人一首ヒストリー」がある。所在は京都市右京区嵯峨天龍寺。
伊勢神宮に仕えた皇女・斎王とその居所・斎宮をめぐる歴史や文学、そして斎宮跡の発掘調査の成果を展示・映像をとおして紹介する県立の博物館。
小倉百人一首から異種百人一首まで3,000点以上の資料を有し、貴重な写本、各種版本、巻子本、錦絵、かるた、双六、注釈・研究書、女性教養書、外国語訳、工芸品などを幅広く所蔵する。国立国会図書館の「特殊コレクション要覧」にも加えられている。
跡見学園女子大学図書館が所蔵する「百人一首コレクション」をデジタル化し公開。貴重な資料が多数ある。
異種百人一首のうち、『後撰百人一首』『列女百人一首』『秀雅百人一首』のデジタルデータを見ることができる。
株式会社小倉山荘が運営するサイト。百人一首の現代語訳、作者、解説を一首ずつ載せている。
参考文献
- 尚学図書・言語研究所 編,小学館
- 「百人一首」の項。
- 「小倉百人一首」の項。
- 「百人一首」の項。