松尾芭蕉
江戸時代前期の俳人。蕉風を確立して後世に大きな影響を与えた
1644-1694(正保1-元禄7)
江戸時代前期の俳人。名は宗房。俳号は初め宗房、のち桃青、芭蕉。別号は釣月軒、泊船堂、風羅坊など。伊賀国上野(現在の三重県伊賀市)で松尾与左衛門の子として生まれる。伊勢津藩(藤堂藩)の侍大将家に仕え、その嗣子(しし)の藤堂良忠(よしただ/俳号は蝉吟[せんぎん])の連衆(れんじゅ)として北村季吟(きぎん)系の貞門(ていもん)俳諧に励んだ。良忠の死後、主家を辞し、寛文12年(1672)俳諧師として立つことを志して江戸に下った。のち西山宗因(そういん)を盟主とする談林派の新鋭として知られるようになる。延宝6年(1678)立机披露(りっきひろう)をして俳諧の宗匠(そうしょう)となり、延宝8年(1680)には深川に草庵を構え、住居は芭蕉庵とよばれた。その後、談林風の俳諧にあきたらず新風を求め、漢詩文調、破格調を経て蕉風を確立した。貞享元年(1684)の『野ざらし紀行』以降、しばしば旅に出て『笈の小文(おいのこぶみ)』や『更科(さらしな)紀行』などの紀行文を残した。そして、信奉する西行の五百年忌にあたる元禄2年(1689)に奥羽・北陸旅行を敢行し、その旅を題材とした『奥の細道』は日本文学史上でも屈指の紀行文学となった。なお、のちに蕉風復興の宣言をした与謝蕪村は、芭蕉に帰依して多数の『奥の細道図』を描いたことでも知られる。元禄7年(1694)西国行脚を志したが、旅の途中の大坂で客死、近江国(おうみのくに)(現在の滋賀県)大津の義仲(ぎちゅう)寺に葬られた。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」は辞世の句で、芭蕉の句は『冬の日』『曠野(あらの)』『ひさご』『猿蓑(さるみの)』などに収められている。門下の優れた俳人は「蕉門十哲」と称され、『奥の細道』行脚に随行した曾良(そら)や、上方旅行中に芭蕉の死に行きあった其角(きかく)などが知られる。
関連するひと・もの・こと
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『奥の細道』の初版本。元禄15年(1702)井筒屋庄兵衛刊。能書家の柏木素龍に清書させ芭蕉自らが題簽をしたためた「素龍清書本」を遺言によって去来が譲り受け、素龍の跋文のみを省き、表紙・枡型の形・書体・字配り・題簽などを忠実に再現して出版した初版本。俳文学研究者で収集家としても知られた雲英末雄先生(きらすえお1940-2008)の旧蔵書を収蔵する早稲田大学図書館・雲英文庫の一冊。
元禄7年(1694)、芭蕉門下の素龍が書写した『奥の細道』。芭蕉晩年の成稿を書家でもあった素龍に浄書させて所持し、遺言により去来に渡った本で、題簽(だいせん)は芭蕉自筆とされる。素龍は江戸前期の書家、俳人。掲出本は、写真版による複製本。
芭蕉作『奥の細道(おくのほそ道)』のうち、この書は江戸時代後期から明治時代の俳人、穂積永機(晋其角)の手になる。永機は、芭蕉の弟子である榎本其角の流れに連なる。
俳諧撰集。1冊。荷兮 (かけい) 編。貞享2年(1685)刊。「俳諧七部集」の第一集。前年の10月から11月にかけての「野ざらし紀行」の途次、名古屋に立ち寄った芭蕉と尾張の連衆によって興行された歌仙5巻、および追加の表6句からなる。書名は、各連句の発句がいずれも冬の季であるところより由来。掲出は、巻頭部分。芭蕉発句「狂句こからしの身は竹斎に似たる哉 」。
江戸前期の俳諧集。6巻2冊。去来・凡兆編。元禄4年(1691)刊。芭蕉七部集の第5撰集。書名は巻頭の芭蕉発句「初しくれ猿も小蓑をほしけ也」(掲出)による。不易流行の理念、匂付(においづけ)の手法、景情一致の作風など、蕉風の最も高い達成を示す。
貞享5年(1688)の「笈の小文」の旅の後、江戸への帰途に信州更科の名月を仰ぎ、善光寺に詣でた折の紀行文と発句を綴った草稿。更科紀行の諸本としては現存する唯一の自筆稿で、更科紀行の推敲過程を明らかにする貴重な資料。「庚子春二月尚白」の識語が巻末にある。「庚子」は、享保五年。
芭蕉作の俳諧紀行文。1冊。作者死後の宝永6年(1709)刊。門人乙州(おとくに)編。貞享四年(1687)10月に江戸を出発、尾張を経て、郷里伊賀に入り、伊勢、吉野、奈良、大坂、須磨、明石などを巡った7か月の旅を記す。別称に、卯辰(うたつ)紀行、芳野紀行、大和紀行、庚午紀行など。掲出は宝永6年刊本。
宗房・桃青の時代
俳諧撰集。6冊。重頼編。寛文4年(1664)奥付。発句・付句のほか、俳諧式目歌、貞室に対する論難文、名所付合語集を収める。「(伊賀上野)松尾宗房」の名義で2句が入集し、刊行された書物に見られる芭蕉の作品としてはこの2句が最古となる。掲出はその巻6。「枩尾宗房」の句で、「姥さくら老木をそれと御覧せよ」が載る部分。
『続山井』は、北村湖春編の四季類題別発句・付句集。寛文7年(1667)刊。北村季吟の季寄せ(歳時記)『山之井』を増補した『増山の井』をさらに補った書。本書の刊行は芭蕉24歳の時で、 発句28句と付句3句が入集している。掲出は、「春之発句中 梅」から、「盛なる梅にす手引風も哉 伊賀松尾/宗房」(右頁)。
芭蕉がはじめて出版した著作。郷里伊賀上野の俳人の発句に自句を交え、左右につがえて三十番の句合とし、自らの判詞を加えて勝負を定めたもの。寛文12年(1672年)刊。内題に「貝おほひ 三十番俳諧合 松尾氏宗房撰」とある。なお、刊本は残存せず、唯一天理図書館に一本が所蔵されている。掲載は、刊本を書写したと思われる東京大学総合図書館所蔵の写本。
延宝6年(1678)俳諧宗匠として立机した直後に芭蕉が刊行した俳諧集。芭蕉、伊藤信徳、山口信章(素堂)の3人で巻いた三百韻を収録する。掲出は延宝5年冬の百韻の冒頭。発句は桃青の「あら何共なやきのふハ過て河豚(フクト)汁」。原本は天理図書館所蔵本。
俳諧の連句集。桃青(芭蕉)編。延宝8年(1680)刊。2冊。杉風(さんぷう)、卜尺(ぼくせき)、嵐蘭(らんらん)、嵐亭(嵐雪),螺舎(らしゃ=其角)等、初期蕉門の俳人21名の独吟歌仙を収める。2年前に宗匠となった桃青の、談林調から天和調への移行期の野心的な著作。
桃青編。延宝9年(1681)7月寺田重徳の刊。桃青(芭蕉)、其角、才丸、揚水の4人で興行した50韻1巻と100韻2巻の合計250句を収め、巻末に「余興」と題して連衆4名の発句各1句を掲げる。本書次韻は、先にでた伊藤信徳の『七百五十韻』に強く刺激を受け、250韻をついで1,000句を満尾させたもので、談林末期に新風をうちたてようとする芭蕉の姿勢が強く伺える作品として、俳諧史上高く評価されている作品である。(岡雅彦)
天和2年(1682)の桃青(芭蕉)歳旦吟。「くれぐれて餅を木魂のわびね哉 桃青」。この年の春頃から、芭蕉の俳号を用い始めるので、桃青名としては最末期のもの。延宝8年(1680)冬、深川の草庵(芭蕉庵)に居を移しているが、その隠棲生活時代の句でもある。
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松尾芭蕉ゆかりの地「江戸深川」、すなわち東京都江東区に所在。芭蕉関係資料の収集および展示を行っています。
昭和13年、天理教中山真柱家より寄贈された連歌・俳諧書中心のコレクション。
早稲田大学図書館の俳諧資料をまとめて収録。「芭蕉と門人たち」は、俳文学研究に大きな業績を残した故雲英末雄(きら すえお、1940-2008)の収集にかかる雲英文庫を中心とした俳書、書簡等、俳画、短冊、摺物などのコレクション。
三重県HPより。その他にも、https://www.pref.mie.lg.jp/common/04/ci500005280.htm には、「松尾芭蕉の紀行文」「松尾芭蕉の生涯」「奥の細道」「笈の小文」「更科紀行」「野ざらし紀行」などのページがあり、芭蕉についての解説がなされている。
公益財団法人芭蕉翁顕彰会が運営するサイト。芭蕉の生涯や三重県伊賀市内の俳蹟、芭蕉を偲ぶ行事などを紹介している。
公益財団法人「関西・大阪21世紀協会」HPより。
参考文献
- 阿部喜三男 著,吉川弘文館
- 尾形仂 [著],講談社
- 芭蕉 [著],田中善信 注釈,新典社
- [松尾]芭蕉 [原著],今榮藏 著,角川学芸出版,角川書店
- サンプルページ「芭蕉」の項
- 「松尾芭蕉」の項
- 「松尾芭蕉」の項
- 歴史学研究会 編,岩波書店
- 『松尾芭蕉集』が載っており、芭蕉の全発句、『おくのほそ道』や『野ざらし紀行』、『鹿島詣(鹿島紀行)』、『笈の小文』などの全紀行、『嵯峨日記』などの日記、俳文・連句など、芭蕉のすべての作品が網羅されている。