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飯尾宗祇筆書状 Letter by Iio Sogiイイオソウギヒツショジョウ

解説

飯尾宗祇〈いいおそうぎ・1421-1502〉は、室町時代後期の連歌師。種玉庵・自然斎・見外斎と号す。若くして相国寺(しょうこくじ)に入って修行したが、30歳を過ぎて連歌を志し、宗砌〈そうぜい・?-1455〉・専順〈せんじゅん・1411-76〉・心敬〈しんけい・1406-75〉らに師事した。また和歌を飛鳥井雅親〈あすかいまさちか・1416-90〉、和学の古典を一条兼良〈いちじょうかねよし・1402-81〉、歌学の秘事口伝を東常縁〈とうつねより・1401-?〉から受けた。この歌学の伝授が「古今伝授」の初めで、のちに三条西実隆〈さんじょうにしさねたか・1455-1537〉や牡丹花肖柏〈ぼたんかしょうはく・1443-1527〉に伝えられた。宗祇は諸国を行脚して連歌の興隆につとめ、越後の上杉氏、越前の朝倉氏、周防の大内氏などをたびたび訪ねて、文化の地方普及に尽力した。また、猪苗代兼載〈いなわしろけんさい・1452-1510〉らと准勅撰集『新撰菟玖波集』(20巻)を撰進したほか、『種玉編次抄』(『源氏物語』の注釈書)や『水無瀬三吟百韻』(肖柏・宗長との連歌集)などを残している。この書状は、懐を広くとった結構で、流暢な筆運びで書かれている。文面によれば、久々の宗祇の上洛を知った近衛尚通が、彼の集(『古今和歌集』)の奥義を聴聞すべく参入をうながしたが、宗祇は所用にまぎれた上に腰痛で、不参を詫びたもの。宛名は、近衛家の諸大夫をつとめた進藤筑後守長泰である。 「罷り上り候とも、参りて申し述ぶべく候処、一両日積もり候用ども取り乱れ、遅々、口惜し候つる処、結句(かえって)、本違い候。腰おこり候て、立居も不自由に候間、参り申さず候。恐れ入り存じ候。仍って、殿下(近衛尚通)御諚(仰せ)の事、尤も身に思出たるべく候。然りと雖も、所労此くの如く候間、申さず候。誠に彼の集は、歌道の奥義に候間、御諚も余儀無く存じ候。取り直す事に候わば、六義などまで申し上げ候て、残りは聞書を御目に懸くべくと存じ候。返すがえす、所労不運此の事に候。次に、南方の三か国不思議の事に候。拝面を以って、斯様の事をも申し承り度きこそ存じ候へ。また御出仕などもなき由、承り候。御心元(許)無く候。恐々謹言。十一月九日宗祇(花押)/見外斎/進藤(進藤筑後守長泰)殿御宿所/宗祇」

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2022/09/07