醍醐天皇の勅命を受け、紀貫之(きのつらゆき)、紀友則(きのとものり)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね)の4人が撰者となって編纂した、日本最初の勅撰和歌集。全20巻、約1100首の作品を収録。歌体のほとんどは短歌で、長歌5首、旋頭歌4首を含む。本書には、仮名文で記された「仮名序」(紀貫之作)、漢文で記された「真名(まな)序」(紀淑望[きのよしもち]作と伝わる)の二つの序文が付されており、両序には多少の相違はあるが、どちらも和歌の本質や歴史、六歌仙評、編纂の経緯などが記述されている。これらの序文から、成立年は延喜5年(905)頃、収録作品の制作年代は、奈良時代末期(8世紀末期)から『古今和歌集』が成立した10世紀初頭までとみられる。
春・夏・秋・冬・賀・離別・羈旅(きりょ)・物名(もののな)・恋・哀傷・雑・雑体(長歌・旋頭歌・誹諧)・大歌所御歌(おおうたどころのおんうた)の部立で構成されており、この構成は、『後撰集』以下の勅撰和歌集をはじめ、後世の歌集の規範となった。代表的な歌人には、撰者の紀貫之・凡河内躬恒や僧正遍昭(そうじょうへんじょう)・在原業平(ありわらのなりひら)らの六歌仙が挙げられるが、古い時代を中心に、「詠み人しらず」の歌が全体の約4割を占める。表現技巧を駆使した理知的で繊細な歌風は、「古今調」として長く和歌の主潮流とされ、日本の文学・芸術・美意識に多大な影響を及ぼした。
関連するひと・もの・こと
奈良時代に編纂された、現存する日本最古の歌集。約4500首に及ぶ幅広い地域・階層の作者の歌を収録。
自由奔放な美男子として語り継がれる平安時代の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。『古今和歌集』の歌人。
六歌仙・三十六歌仙に数えられる、平安時代の女流歌人。歌才溢れる絶世の美女として伝説化された。『古今和歌集』の歌人。
百人の歌人の秀歌を一首ずつ集めた歌集。特に『小倉百人一首』のこと。『古今和歌集』の歌が収録されている。
歌人・在原業平をモデルとした主人公の一代記的構成をもつ、平安中期の歌物語。『古今和歌集』と同じ歌が収録されており、関係性が指摘されている。
平安時代の女性作家、紫式部が著した王朝物語。貴公子光源氏を主役とした華やかな物語は、絵画芸術にも影響を与えた。「梅枝」巻に、『古今和歌集』に関する描写がある。
本で知る
三井高大氏寄贈,Gift of Mr. Mitsui Takakiyo,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【国宝】 『古今和歌集』の仮名序から巻第20までを完存するなかで現存最古の遺品。和製(わせい)の唐紙を使用した豪華な綴葉装(てつようそう)の冊子本で、もとの体裁をほぼ伝えている。筆者は、「巻子本古今和歌集」など、一群の名筆を残しており、藤原行成の曾孫定実(さだざね)とする説が有力である。上巻の最後に「元永三年(1120年)七月廿四日」と日付が記されていることから、元永本と呼ばれる。 文様を摺った紙と小さく切った金箔や銀箔を蒔いた紙とを、見開きで交互になるようにとじられ、文様のバリエーションは十数種類に及ぶ。
三井高大氏寄贈,Gift of Mr. Mitsui Takakiyo,東京国立博物館,Tokyo National Museum
元永本『古今和歌集』の仮名序。
後伏見天皇筆,By Emperor Gofushimi (1288-1336),東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 元亨2年(1322)4月の巻末奥書により、藤原定家の貞応本の系統になる『古今和歌集』と知られる。能書で数多くの鑑定をしている烏丸光広の跋、近衛信尹の添状があり、いずれも後伏見天皇の宸翰鑑定している。後伏見天皇の父、伏見天皇は能書として名高く、その書は「伏見院流」として鎌倉時代の和様の書の流れをつくりました。後伏見天皇の書も伏見天皇によく似て、美しく気品高いことで知られます。この作品は、仮名序と巻第一から巻第二十まで古今和歌集のすべてを一人で写したもので、後伏見天皇の書に対するなみなみならぬ情熱が感じられます。
後伏見天皇筆,By Emperor Gofushimi (1288-1336),東京国立博物館,Tokyo National Museum
冒頭の仮名序。
後伏見天皇筆,By Emperor Gofushimi (1288-1336),東京国立博物館,Tokyo National Museum
寛永9年(1632)の烏丸光広(からすまるみつひろ)による跋。
二条為明筆,By Nijo Tameaki (1295-1364),東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 十世紀の初めに成立し、多くの写本が制作された古今和歌集の中でも、この本は藤原定家による校合の跡を伝える重要なものとして、二条流和歌の宗家に伝えられた。江戸時代には基準的な本とされ、流布した写本や版本のほとんどがこの本に基づくといわれる。元亨4年(1324)書写の奥書と二条為世、二条為定らの伝授奥書、さらに、貞応2年(1223)7月23日の藤原定家(1162~1241)の本奥書が記され、近衛信尹の消息が附属している。
二条為明筆,By Nijo Tameaki (1295-1364),東京国立博物館,Tokyo National Museum
二条為明筆『古今和歌集』巻一・春上
紀貫之等奉勅編
室町時代写。二十巻。 文明十八年(1486)八月二十三日妙阿相伝の奥書あり。
[紀貫之][他] [編]
室町末から江戸初期にかけての写本。伝飛鳥井雅俊筆。 貞応2年(1223)の藤原定家の奥書を有する。
古今和歌集の注釈書
著者:藤原清輔
平安後期の歌人・藤原清輔による歌論書。天治1年~天養1年(1124~1144年)頃に著された。全3巻。本資料は江戸時代の写本。上巻には六義(りくぎ)や歌病などが述べられ、中・下巻には難しい歌語の注釈や歌体について論及する。歌語の注釈は、『古今和歌集』の歌を対象とするものが40%を占める。崇徳天皇、のちに増補して二条天皇に奉られた。掲出本は、国立公文書館所蔵の江戸初期の写本。
[藤原教長] [註],貴重図書影本刊行会 編,貴重図書影本刊行会
平安時代後期の公卿・歌人、藤原教長(ふじわらののりなが)が治承(1177‐81)頃著した『古今和歌集』の注釈書。現存する『古今和歌集』の注釈書では最古。本資料は、昭和6年(1931)に出版された複製本。
著者:顕昭
平安末期~鎌倉初期の歌人・歌学者、顕昭(けんしょう)の著による『古今和歌集』の注釈書。顕昭は、藤原顕輔の猶子。幼い時から比叡山延暦寺で修業。のち仁和寺に移り、覚性法親王や守覚法親王と親交をもち、親王のために多くの注釈書、歌学書を奉った。義兄・清輔とともに六条家の歌学を確立。掲出本は、国立公文書館所蔵で江戸時代初期の写本。林羅山の旧蔵書。
智妙写
『古今和歌集』の注釈書。注釈者は未詳。巻第十一から二十までを存する。巻十一の首1丁は欠(第1丁の懸け紙にその断片を貼付してある)。装訂は大和綴(結び綴)。破損が大きく、全紙に裏打ち補修を施し入紙する。所々に朱引き、朱・墨の振り仮名、傍注を付す。歌は掲げず、語句のみの注釈である。巻末に文正元年(1466)五月の書写奥書がある。書写者智玅の伝は未詳。「舟木庄」は傍注に「江」とあり、近江国蒲生郡または高島郡所在か。表紙左上に「後柏原院/百首/古今集注」と記すように、入紙には「後柏原院百首」を書写している(末10丁は入紙の続き)。印記「加持井御文庫」(梶井宮。宮門跡寺院の一つで大原三千院の前身)。
宗祇,肖柏,写
『古今和歌集』の注釈。題簽には「古聞」とのみある。歌の上二句を掲げ、語句の解釈等を記す。朱、墨の書入れがある。各冊の巻頭や奥書によれば、文明13年(1481)8~10月に行われた約40回にわたる宗祇の講義を弟子の肖柏が聞書きしたもので、翌年正月に宗祇の認可証明を得ている(第5、6冊)。さらに文明19年(1487)、延徳2年(1490)にも受講し、明応5年(1496)、文亀3年(1503)には宗祇の聞書に基づき加筆している。別に、永正3年(1506)に宗訊(1483-?)が肖柏から聞書きした旨の奥書、天文5年(1536)の養松なる人物の奥書もある(第5冊)。寺田望南旧蔵。
[宗祇] [講]
室町時代の連歌師宗碩(1474-1533)が、文亀1年(1501)6月7日から9月18日にかけて、師の宗祇から古今伝授受けたときの自筆の聞き書き(受講本)。掲出は宗碩による奥書部分。「予此集伝受之儀、於越後府中自然斎宗祇旅館/文亀元辛酉六月七日令始行同九月十八日終功訖/文亀元年九月日宗碩(花押)/後年又宗祇老聞書引合不審之所少々書改之畢」とある。
[紀友則, 紀貫之, 凡河内躬恒, 壬生忠岑] [撰]
天文16年(1547)頃の古今和歌集の注釈書。巻頭及び題簽には「古今和歌集」とある。『古今和歌集』の古注釈は数多く伝存するが、本書と内容が一致するものは見当たらないようである。誰人かの講義を聞書きした体裁。装訂は綴葉装(列帖装)で両面書写。第1丁は巻第二春歌下の一部で、綴じ違いと思われる。また、第6丁裏、第7丁表は白紙だがその前後の内容は続いている。現在の巻次は巻1~9、16~19、11~15、仮名序の注、巻10、巻20、墨滅歌の順。仮名序の注の後に「此十巻 十九巻已後講尺也/此十巻講尺アリテ序をよめる也/序の已後廿巻アル也」と講釈に関する記述がある。本文には異筆の細字書入がある。また、「天文十六丁未年〔1547〕十二月吉日」の奥書がある。第2丁表と巻末に「門外不出松本道別蔵書」の蔵書印がある。霊学研究家松本道別(1872-1942)のものか。
(序)かもの真渕
(蔵書印)伯州河本氏篦津。寛政元年(1789)4月刊行。国文学者・賀茂真淵が著した『古今和歌集』の注釈書。
古今伝授書
東常縁筆,By Tō no Tsuneyori (1401–1494),東京国立博物館,Tokyo National Museum
文明4年(1472)8月7日、東常縁(とうのつねより)が、飯尾宗祇の要望に答えて「古今和歌集」解釈の奥義に関する秘事口伝を与えた文書の奥書。「宗祇庵主所望候間/令書写之即奉授/当流之説畢/文明四年八月七日/常縁(花押)」とあり、常縁72歳の筆。常縁は室町時代における武家の故実家で二条家の末流に連なり、東家に伝わる秘伝のほかに頓阿の流れをくむ尭孝の秘伝をあわせて、古今伝受の原型をつくった。
写
古今伝授の際、最高の秘伝は切紙に書かれ伝授された。本書はそれを1冊にまとめたもの。書名は題簽による。細川幽斎から八条宮智仁親王への伝授資料を主とする「古今伝受資料」(宮内庁書陵部所蔵)に含まれる幽斎筆『伝心集』の写しと思われる。ことばの一般的解釈の後に、「重大事」「口伝」などとして、神道的あるいは儒教・仏教的な解釈を記している。同筆の『伝心抄』(三条西実枝の古今集講義の幽斎による聞書。4冊。木箱に収納され伝来した。
慶長9年(1604)閏8月11日、細川幽斎が三条西実条(さんじょうにしさねえだ) 」に古今伝授を伝えた際の契状(証文)。細川幽斎は、安土桃山時代の武将、歌人。関ヶ原の戦いの際に丹後の田辺城で石田三成軍に包囲され、歌道が絶えることを危惧した後陽成天皇が中院通勝 (なかのいんみちかつ) 、三条西実条を派遣して和睦させ、これによって幽斎から、智仁親王(としひとしんのう)、後水尾天皇、三条西実条、烏丸光広らに古今伝授が伝わることとなった。
嶋津豊後守忠朝(花押)
小林写真製版所
天和3年(1683)4月16日、後西天皇が後水尾天皇から古今伝授を受けた際の證明状の案文。掲出は、歴代天皇の宸翰を収録した宮内省編『宸翰集』による複製。
もっと知りたい
『古今和歌集』の古筆切(断簡)
伝紀貫之筆,Attributed to Ki no Tsurayuki,森田竹華氏寄贈,Gift of Ms. Morita Chikuka,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 平安時代(11世紀)。第三種の筆者は、高野切の三人の筆者の中で一番若い人物だったと推定されている。のびのびとした気持ちのいい筆の動きを見せる。その中でも、「の」や「や」「き」「ゆ」などの文字は、現代の私たちが使うひらがなに似た美しい形である。
伝紀貫之筆,Attributed to Ki no Tsurayuki,九州国立博物館,Kyushu National Museum
【重要文化財】 平安時代(10~11世紀)。平安時代中期の書写になる「継色紙」は、当初は粘葉装の枡形の冊子本であったが、後世その優美な筆跡が愛好され、分割されて古筆切となった。当初の冊子の3頁分を貼り継いで掛幅装とした本作品は、『古今和歌集』巻第17に所収される読み人知らずの1首「我みても久しくなりぬ住江の 岸の姫松いく夜経ぬらん」を、濃い藍と薄い縹の料紙2頁に、連綿を積極的に用いて揮毫する。その書きぶりである「散らし書き」は、行頭を揃えない各行が紙上に揺らいで余白を意味あるものに変え、高い芸術性が見て取れる。また、本作品は、江戸時代前期、後水尾院の上覧に供されて紀貫之筆とのお墨付きを得、京都大工頭・中井家に伝来したことが付属資料から判明する。近世における作品の伝来の姿と古筆尊重の気風が如実に確認でき、歴史的価値も高い。国立博物館として収蔵するに相応しい平安古筆の逸品である。
伝紀貫之筆,Attributed to Ki no Tsurayuki,九州国立博物館,Kyushu National Museum
【重要文化財】 平安時代(11世紀)。伝紀貫之(きのつらゆき)筆。古今和歌集巻2・巻4の十七葉三十九首。丹波国(京都府)亀山藩主であった松平家に伝来したもの。一面に雲母(きら)を撒いた料紙に、筆線は繊細にして流麗であり、よく暢達している。字形は簡略にして寛弘、連綿は巧妙にして自在な展開をみせ、平安の雅の面影をよく遺した名品である。
伝紀貫之筆,Attributed to Ki no Tsurayuki,浅野長武氏寄贈,Gift of Mr. Asano Nagatake,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】平安時代(11世紀)。江戸時代初期の武将で茶人の佐久間将監実勝(さくましょうげんさねかつ)が、大徳寺龍光院の中に建立した寸松庵に伝来したことから、「寸松庵色紙」と呼ばれる。本作は他所に伝来したものだが、同じ名で呼ばれている。もとは粘葉装(でっちょうそう)の冊子本で、舶載(中国製)の唐紙(からかみ)に『古今和歌集』を散らし書きしている。 もとは『古今和歌集』の冊子本だったのを切り離して掛け軸にしたものです。江戸時代の茶人佐久間将監実勝(1570~1642)が京都・大徳寺の塔頭(たっちゅう)の茶室、寸松庵(すんしょうあん)に所蔵していたことから「寸松庵色紙」の名がつけられました。「継色紙」(つぎしきし)、「升色紙」(ますしきし)とともに「三色紙」と呼ばれて、茶の湯の席の掛物として尊重されてきました。 中国製の唐紙(からかみ)を使っており、白地になにかの文様が刷られていたと思われますが、現在はほとんど見えません。 書かれているのは、古今和歌集の秋の歌です。秋の月 山辺さやかに照らせるは落つる紅葉の数を見よとか(『古今集』巻第五 秋歌下) 美しい紅葉が一面に散っている秋の山を、月の光が照らしている様を詠んだ歌です。 見どころは、瀟洒で美しい仮名でしょう。複数の文字をつなげて書く連綿(れんめん)、一部蛇行しながらも全体としてバランスのとれた文字の散らし方、そして余白の美を味わってください。
伝藤原行成筆,Attributed to Fujiwara no Kōzei (972–1027),深山龍洞氏寄贈,Gift of Mr. Miyama Ryūdō,東京国立博物館,Tokyo National Museum
平安時代(11世紀)。もとは冊子本の『古今和歌集』。この一葉は牡丹唐草文および亀甲文を雲母で摺り出した料紙を用いる。江戸時代、烏丸光広の家臣で能書の荒木素白(1600~85)が所蔵していたため、この名でよばれる。小ぶりの連綿が流麗な仮名である。
伝小野道風筆,Attributed to Ono no Tōfū (894–966),森田竹華氏寄贈,Gift of Mrs. Morita Chikka,東京国立博物館,Tokyo National Museum
平安時代(12世紀)。舶載(中国製)の唐紙に、『古今和歌集』を書写しています。本幅は、巻20と巻11の断簡を継いで色変わりを演出していて、特徴的な小ぶりの仮名が映えています。もとは巻子本で、本阿弥光悦が愛蔵したことから、「本阿弥切」と呼ばれます。
伝藤原佐理筆,Attributed to Fujiwara no Sari (944–98),東京国立博物館,Tokyo National Museum
平安時代(12世紀)。藍と紫の飛雲(とびくも)を漉きこみ、金銀の揉み箔を一面にまき、さらに銀泥(ぎんでい)の線を引いた料紙に『古今和歌集』巻第4の巻頭を書写しています。もとは粘葉装(でっちょうそう)の冊子本です。藤原佐理筆と伝わりましたが、今日の研究で藤原行成の曾孫定実(さだざね)自筆と推定されています。
伝藤原行成筆,Attributed to Fujiwara no Kōzei (972–1027),植村和堂氏寄贈,Gift of Mr. Uemura Wado,東京国立博物館,Tokyo National Museum
平安時代(11世紀)。もとは冊子本の『古今和歌集』の断簡。加賀前田家に伝来、明治15年(1882)に愛知・関戸家の所蔵となったため、「関戸本」と呼ばれる。高野切と同じ平安時代・11世紀の名筆。少し色を変えた染紙2頁に、筆をくねらせるような連綿が冴えている。
伝藤原佐理筆,Attributed to Fujiwara no Sari (944-998),植村和堂氏寄贈,Gift of Mr. Uemura Wado,東京国立博物館,Tokyo National Museum
平安時代(12世紀)。古今和歌集の断簡。巻15に収められる和歌2首とそれに続く詞書を書写したもの。切の名称は、紙面に篩のような痕があり、篩はとおしとも読まれることに因む。平安時代末の能書、藤原定実(~1088~1154~)の筆と推定される。
藤原定実筆,By Fujiwara no Sadazane (before 1077–after 1119),森田竹華氏寄贈,Gift of Mrs. Morita Chikka,東京国立博物館,Tokyo National Museum
平安時代(12世紀)。薄紅地に草花を刷り出した蝋箋に『古今和歌集』巻第16・哀傷歌を書写した断簡。料紙の雰囲気にあわせてダイナミックに筆を運んでおり、筆者の巧みな書技と美意識が窺われる。「元永本古今和歌集」など一群の古筆遺品と同筆で藤原定実の筆と推定される。 巻子本古今和歌集(かんすぼんこきんわかしゅう)は、平安時代後期(12世紀初め)につくられた「古今和歌集」の古い写本です。もとは巻子装、つまり巻きものだったことから、この名が付けられました。「古今和歌集」全二十巻に仮名序を加えて、全部で21巻あったと考えられますが、現在完全なかたちで残っているのは仮名序の巻だけです。また、巻十三が約半数の歌を残して巻子のかたちで伝わっています。そのほかは、この作品のように一部分が分割されて、掛け軸のかたちでのこされています。 薄紅地に草花模様が表された紙を使っており、とても華やかな印象です。これは平安時代に中国から渡来した唐紙(からかみ)の一種です。染めた紙を模様を彫った木版に当て、上から玉(ぎょく)や牙(げ)などのかたいものでこすって空刷りしたものです。表面に蝋(ろう)をぬったような光沢があるので蝋箋(ろうせん)と呼ばれました。ガラスケース越しでは判りにくいかもしれませんが、紙の表面には版をこすった際にできた凹凸があります。 筆跡は、当館所蔵の国宝「古今和歌集元永本」と同じ藤原定実(ふじわらのさだざね)と考えられていますが、一部に文字の震えがあることから、定実の晩年の筆跡ともいわれます。料紙の華やかな模様に調和させるためか、ひらがなに画数の多い万葉仮名を交えるなど遊び心のある作品です。
藤原俊成筆,By Fujiwara no Shunzei (1114–1204),古筆了悦氏寄贈,Gift of Mr. Kohitsu Ryōetsu,東京国立博物館,Tokyo National Museum
平安時代(12世紀)。平安時代末期の歌人、歌学者として著名な千載集の撰者でもあった藤原俊成(しゅんぜい)が書写した『古今和歌集』の断簡。後世「俊成風」と呼ばれる奇癖の強い書風が特徴的。後に古筆了佐が極札(きわめふだ)をしたためたことにちなみ「了佐切(ぎれ)」と呼ばれる。同集巻第六冬歌の部分の書写である。
『古今和歌集』の歌人
歌仙信仰の長い歴史の中で、柿本人麿は歌道の聖として崇められ、人々からひときわ高い信仰を集めてきた。以来、人麿を祀る人麿影供(人麿供とも)が生まれた。これは、歌会において、床に人麿の画像を掛け、歌聖柿本人麿を供養する儀礼で、歌道の向上を願い、あるいは歌会の成功を祈ったのである。平安時代・12世紀から起こった風習である。本図は、その人麿影供に常用したもので、数多い人麿像の中でも、比較的古い遺品である。上畳に坐し、萎烏帽子・直衣姿の人麿が立て膝で座り、前に硯箱を置き、筆と料紙を両手にして歌を按ずる図様に描く。人麿画像の類型の構図である。上方には、右から紫・茶・白・緑・紫色に地塗りされた5枚の色紙形に人麿の伝歴を書写する。その賛文は、書博士藤原敦光の起草になる文である(『本朝続文粋』十一・『古今著聞集』所載)。その右下の変形縦長の緑・朱地の色紙形には、人麿の詠歌が2首書写される。1首目は『古今和歌集』(仮名序・巻第六(冬歌))および『拾遺和歌集』(巻第一)に、2首目は『古今和歌集』(巻第九)に、それぞれ人麿の詠歌として収められるものである。人麿の容姿、とりわけ面貌のきめ細やかな描写は、非凡の絵師の手になるものを思わせる。
岩佐 勝以
紀貫之は平安前期の歌人で、『古今和歌集』の撰者。『土佐日記』の作者、『新撰和歌』の編者でもある。本図の作者は、江戸時代初期に活躍した絵師・岩佐又兵衛(勝以)。
天木宗忡、智仁親王(八条宮・桂宮)
藤原公任〈ふじわらのきんとう・996-1041〉撰になる『三十六人撰』は、当時の秀歌の規範として貴族たちの文芸の座右に重んじられた。やがて、平安時代末期・12世紀になると、これら歌人の画像を描いてその代表歌1首を書き添えた歌仙絵が生まれた。なかでも「佐竹本三十六歌仙絵巻」「上畳本三十六歌仙絵巻」が有名である。後世、歌道の流行を歌仙信仰にともなって、絵巻形式の巻子本から、各歌仙ごと貼り込んだ色紙帖なども考案された。本図は、寸法から推して、もとは6曲1双(12図)×3組(36図)の屏風につくられていたものではなかったか。これはその1図。凡河内躬恒〈おおしこうちのみつね・生没年未詳〉は平安時代前期の歌人で、三十六歌仙の一人。『古今和歌集』の撰者の一人でもある。束帯の正装は、当時の公卿の朝服であった。上部の和歌(『古今和歌集』巻第七所収の躬恒の歌)は、智仁親王〈としひとしんのう・1579-1629〉の自筆。誠仁親王〈さねひとしんのう=陽光太上天皇・1552-86〉の第六皇子で、豊臣秀吉の厚遇を受け、八条宮(のちの桂宮)を創立した。和漢の学・絵画・茶の湯・蹴鞠など広範囲にわたる学識と趣味を持った人で、ことに書道は、持明院基孝〈じみょういんもとたか・1520-1611〉から入木道の秘伝をうけている。くねくねとした線に特徴がある筆跡で、父帝の書風を受け継いでいる。左下にみえる「天木宗忡」の朱文印は、絵師の印章で、「花下遊楽図屏風」(サントリー美術館蔵)と同一印。伝記は不明ながら、この歌仙図の賛者との関係から活躍時期が絞れる意味から、資料的価値も高い作品といえる。
土佐光起筆,By Tosa Mitsuoki (1617–91),東京国立博物館,Tokyo National Museum
伊勢物語の主人公とされる在原業平は、歌人としても尊ばれた。過去の恋を思って歌を詠む第四段「西の対」を描く本図では、梅を眺める姿は中国の林和靖、座る姿勢は柿本人麻呂など、伝統的な風流人や歌仙を連想させる。如慶筆「伊勢物語絵巻」にも同様の姿で描かれる。
北斎,図南
江戸後期の浮世絵師・葛飾北斎の「文字絵六歌仙」。六歌仙の肖像描かれ、上部には詠歌が記される。「文字絵」とは文字をあしらって絵を描いたもの。本シリーズは歌仙の衣裳の輪郭線が名前の文字で構成されている。在原業平は「在ハらのなり平」の7文字が衣装に隠れている。
春信〈1〉
江戸中期の浮世絵師で錦絵を大成した、初代鈴木春信の作。手に扇を持った立ち姿の小野小町を描く。
岩佐又兵衛
岩佐又兵衛は江戸初期の絵師。伊丹城主荒木村重の子として生まれ、数奇な運命を経て越前松平家の御用絵師をつとめた後、幕府の招きで江戸に移った。土佐派や狩野派などの影響を受けつつ独自の画風を展開。本図の他にも、川越東照宮の「三十六歌仙額」をはじめ、歌仙絵が数点残っている。
広重〈1〉,藤彦 藤岡屋彦太郎
僧正遍照(816~890)は、平安初期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の一人に数えられている。桓武天皇の孫で、素性法師の父。『古今和歌集』以下の勅撰集に35首入集。
栄之,永寿板
文屋康秀(生没年不詳)は、平安初期の歌人。六歌仙の一人。『古今和歌集』『後撰和歌集』に数首の歌がおさめられている。
北斎,図南,- 江崎屋 吉兵衛
喜撰法師(生没年不詳)は、平安時代の歌人。六歌仙の一人。『古今和歌集』巻十八雑下に、一首入集し、この歌は「小倉百人一首」にも選ばれているが、確実な作はこの一首のみである。
伊藤若冲 ITO Jakuchu,Six Poetic Immortals,sumi on paper,木村定三コレクション / Kimura Teizo Collection
江戸中期の絵師・伊藤若冲の作。六歌仙が豆腐田楽をつくる様子を描いたユーモラスな墨絵。右上から、すり鉢で田楽味噌をする喜撰法師、提箱から豆腐をとりだす小野小町、田楽を炙り団扇で扇ぐ大友黒主、豆腐に串を打つ在原業平、大盃で酒を飲む僧正遍昭、酒瓶の残りを確かめる文屋康秀。
国芳,並木湊小版 湊屋小兵衛
江戸末期の浮世絵師で武者絵を得意とした歌川国芳の作。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>『千載集(せんざいしゅう)』の撰者藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)(1114~1204)筆と伝える歌仙絵。従来、「時代不同歌合絵」とされてきたが、ここに記される和歌は時代不同歌合採録歌ではない。時代不同歌合や藤原定家(ふじわらのていか)の百人一首等とは異なる、何らかの別の秀歌撰に基づく歌仙絵であった可能性が高い。<br /></p>
狩野山楽、松花堂昭乗
藤原公任〈ふじわらのきんとう・996-1041〉撰になる『三十六人撰』は、当時の秀歌の規範として貴族たちの文芸の座右に重んじられた。やがて、平安時代末期・12世紀になると、これら歌人の画像を描いてその代表歌1首を書き添えた歌仙絵が生まれた。なかでも「佐竹本三十六歌仙絵巻」「上畳本三十六歌仙絵巻」が有名である。後世、歌道の流行を歌仙信仰にともなって、絵巻形式の巻子本から、各歌仙ごと貼り込んだ色紙帖なども考案された。本図は、寸法から推して、もとは巻子本でも色紙帖でもない。あるいはもともと36幅に調進されたものであったか。これはその1図。藤原興風〈ふじわらのおきかぜ・生没年未詳〉は平安時代前・中期の歌人で、三十六歌仙の一人。烏帽子・狩衣の片膝立ちの姿に描く。右端下に「狩野」と「光頼」の印が捺される。これは狩野山楽〈かのうさんらく=光頼・1559-1635〉の所用印であろう。山楽は、浅井長政の家臣たる木村長光の子で、豊臣秀吉の推挙で狩野永徳に入門、すぐれた画才を発揮した。元和元年〈1615〉豊臣家が滅びると、同家の絵師であった山楽は、石清水八幡宮の松花堂昭乗〈しょうかどうしょうじょう・1584-1639〉を頼って身を寄せた。この賛は、その昭乗の自筆。奇しき因縁というべきか。温和で優しい典型的な松花堂流の書風である。「藤原興風/誰をかもしる人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」
伝土佐光則、近衛信尹
藤原公任〈ふじわらのきんとう・996-1041〉撰になる『三十六人撰』は、当時の秀歌の規範として貴族たちの文芸の座右に重んじられた。やがて、平安時代末期・12世紀になると、これら歌人の画像を描いてその代表歌1首を書き添えた歌仙絵が生まれた。なかでも「佐竹本三十六歌仙絵巻」「上畳本三十六歌仙絵巻」が有名である。後世、歌道の流行を歌仙信仰にともなって、絵巻形式の巻子本から、各歌仙ごと色紙に貼り込んだ色紙帖が考案された。歌仙と歌が一体となったものや、歌と歌仙像を分離して左右一対に組み合わせた歌合形式の色紙帖などが作られた。いずれも、歌仙像は当時の名だたる絵師に、歌は能書の公卿に書写を依頼して制作されたものである。本図は、歌仙・和歌が一体となって作られた三十六歌仙色紙帖から剥離されて、掛幅に仕立てられたもの。像主・壬生忠岑は平安時代初期の歌人。『古今和歌集』の撰者の1人である。青色の袍(正装の際の上着)を着用して、腰に太刀を佩き、巻纓(内側に巻き黒く塗った木ではさむ)の冠に老懸(冠の両側につけた菊花を半切りにした形の飾り)をつけた絵姿に描かれる。衛府の下級武官の姿である。筆者を土佐光則〈とさみつのり・1583-1638〉の筆と伝えるが、確証はない。また、賛は、書風・筆致から近衛信尹〈このえのぶただ・1656-1614〉の自筆である。信尹は、桃山時代、摂関家近衛家の当主。文禄元年〈1592〉、秀吉の朝鮮出兵にみずからが総指揮をとるべく、渡航従軍を企てたが失敗。同3年、義兄たる後陽成天皇の勅勘に触れ、薩摩国最南端、坊の津に配流となった。後に帰洛し、還俗後、関白・氏長者さらには准三宮となった。歌道・書道に秀で、ことに書においては、近衛流(三藐院流)と称され、本阿弥光悦・松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」の1人に挙げられ、不羈奔放の性格のままに、豪放自在、すこぶる個性的な書をかいた。この賛の書風もその典型である。「壬生忠岑/春立つといふばかりにやみよし野の山も霞みて今朝は見ゆらむ」
東京国立博物館,Tokyo National Museum
行平、伊勢、元方は、もとは一具であった作例。線描はやわらか、かつ繊細で細部まで揺るぎがない。冠や髪などの濃墨、衣文線の淡墨を対比的に使い分けるなど白描画としても極めて高い完成度をほこる。時代不同歌合絵諸例の中でも最も優れた作例の一つである。
宗教法人専修寺
縦14.5㎝、横18.8㎝、掛幅装。色紙形の小画面に、あっさりした軽妙なタッチで「小大君」・「伊勢」・「中務」の歌仙を描き、その詠一首を右方に添書する。三十六歌仙像の断簡の一部である。この断簡は全国で15人分が知られており、これはそのうちの3幅で、全て女性である。「小大君」は平安朝の引目鈎鼻の清雅な容姿を、「伊勢」は雨を厭い袖をかざして花の蔭に隠れる典雅な容姿を、「中務」は雪の山里で肩すぼめる清楚な容姿を描いている。江戸時代初期の文人烏丸光広の「後鳥羽院宸翰画」との極め書きが付けられており、世に「後鳥羽院本」と言われる。13世紀初頭の製作と推定される歌仙画の名品である。
栄之,永寿板
大伴黒主(生没年不詳)は平安時代の歌人。大友黒主とも。六歌仙の一人で、『古今和歌集』仮名序で歌風が紹介されている。『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』などに約10首おさめられている。
『古今和歌集』をテーマにした意匠
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 室町時代(15世紀)。図柄と文字を組み合わせて一つのテーマを暗示する、葦手絵の手法で飾られた硯箱。画中には「君・賀」の2文字が隠されており、『古今和歌集』巻七の賀歌「しおのやま さしでの磯に住む千鳥 君が御代をば八千代とぞなく」による意匠であることを示している。 筆記に用いる硯や筆などの道具を納めるための箱が「硯箱」です。こうした箱は、日本では10世紀ころより作られ始めたと考えられています。硯箱の多くは木製で、表面に漆を塗ったり、金粉で文様を表す「蒔絵」や、文様の形に切った貝を貼り付ける「螺鈿」で装飾した作品も登場しました。しだいに内容品の種類は整理されるとともに、箱の内外や内容品のデザインの統一が図られ、コンパクトにまとまった硯箱が作られるようになりました。やがて硯箱は、文房具では必須のアイテムとなり、貴族、僧侶、武家など文字を使う有力者の間では、洗練されたデザインと高度な装飾技法を用いた硯箱が好まれました。 では作品を見てみましょう。全体は木製で、表面に漆を塗り、蒔絵でデザインをあらわしています。硯の上には、銅製の水滴(すいてき)があります。水滴は、硯で墨をするさいに使う水を入れておく容器です。硯の左右には、取り外しの出来る底の浅い容器が2つ配置されています。もとはこの中に、筆や小刀(こがたな)などが置かれていたのでしょう。蓋表は、下半に州浜(すはま)と岩をあらわし、右方には松を配しています。上方には千鳥(ちどり)が群れ飛び、州浜や岩にも遊んでいます。蓋裏と内面も同じデザインで統一されています。蒔絵は部分に応じて、金粉を高く低く蒔き、また金銀の小さな箔や、銀の板を貼るなど、多彩な技法が駆使されています。蒔絵の技法がほぼ出そろい、またコンパクトで洗練された硯箱が多く制作された15世紀の作品と考えられています。 岩には「君」(きみ)「賀」(が)の2文字が見えます。これは10世紀初期に編纂された『古今和歌集』に掲載される和歌「しおのやま さしでの磯に住む千鳥 君が御代をば八千代とぞなく」から2文字をとったものです。蒔絵のデザインは、古くから名所として和歌によまれてきた、山梨県の「塩ノ山」の情景を表しています。このように、物語や和歌などの古典文学を題材にとり、また文字自体をデザインの一部として取り込む手法は、日本美術によくみられる特色です。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
【重要文化財】 室町時代。古今和歌集所収「塩の山さしでの磯にすむ千鳥、君が御世をば八千代とぞなく」を意匠した硯箱。蓋の表裏から側面にかけて濃梨地の上に金銀の千鳥、錆上げ高蒔絵の岩、沃懸地に金の切金を散らした土坡、研出蒔絵で表わした波など、多彩な蒔絵技法を駆使して磯にあそぶ千鳥を表している。また図中に「志本能山散新亭(しほのやまさしで)」「君加見代遠盤(きみがみよをば)」「八千世登曽(やちよとぞ)の文字が芦手風に散らされている。文様全体は大和絵風だが、岩石の所々に漢画的表現がみられる。技法・文様からみて室町時代の漆芸の典型例の一つとされる。なお、見込みの波文蒔絵、硯、筆架は後補と考えられている。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
室町時代(15世紀)。蓋表に、浜松に千鳥の図が描かれた扇面が大きく表わされている。画中に「志本乃(しほの)・佐之(さし)て・のいそ・君之」の文字が散らされており、『古今和歌集』巻七の賀歌「しほの山さしでの磯に住む千鳥 君が御代をば八千代とぞなく」による図柄であることがわかる。慶賀の意匠であり、この和歌を主題とした作品は多い。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
室町時代(16世紀)。蓋表は画中に隠された文字から、『古今和歌集』の「月夜にはそれともみえず梅の花 かをたずねてぞしるべかりける」という歌を表した意匠であると知られる。また蓋裏にも文字を配しており、『和漢朗詠集』にある「白片の落梅は澗(たに)の水に浮かび…」という詩の一節を表現している。
江戸時代(17世紀)。柿本人麻呂(生没年不詳)作とされる和歌を絵画化した作品。『古今集』巻第9・羇旅歌所収の歌「ほのぼのとあかしの浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ」を表現する。海景を行き交う千鳥がかわいらしい。金色の盛り上がった各モチーフは高蒔絵であらわし、岩の点苔は小さな方形の金属片を貼り付けた切金の技法を用いている。 人麻呂は後世に神格化され、崇拝の対象となった。歌会では上記の和歌と肖像画を飾ることで、歌道の上達を祈願したほどである。現代よりも歌を詠む行為が身近であった時代には、文房具の一種である硯箱に歌聖のモチーフを取り入れて、その霊験にあやかったのかもしれない。 箱内側には金泥で書き込みがあり、筆置きに「おぎのゑ」、また蓋裏に「よそにのみ見てややみなむかつらきやたかまの山のみねのから荻」と記している。和歌は『新古今集』巻第11・恋歌一収録のものと類似するが、第5句のみが異なる。
伝本阿弥光悦作,Attributed to Hon'ami Koetsu (1558-1637),山本達郎氏寄贈,Gift of Mr. Yamamoto Tatsuro,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)。『古今和歌集』の有名な和歌、「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに みだれむと思ふ我ならなくに」を表現した硯箱。表面は金平(ひら)蒔絵による忍草で埋め尽くしており、蓋表中央に「たれゆえに」の文字を配している。文字をデザインの中心に据えた、伝統的な蒔絵にはない、斬新な意匠である。
五十嵐派,Igarashi School
江戸時代前期-中期(17-18世紀)。本作の全面には蒔絵をはじめ、金属の小片を貼り付ける切金や金属を文様の形に切り抜いて貼り付けた平文などの手法が用いられる。蓋表には四頭の鹿と菊、萩などの秋の草花が配され、その図様は蓋裏から蓋表、身の方へと連続している。本作の意匠は『古今和歌集』に収められた壬生忠岑の和歌「山里は秋こそことにわびしけれ 鹿の鳴く音に目をさましつつ」の歌意を表現したもの。文学的な詩情性と蒔絵による装飾性が融合した典雅な作品といえる。
池大雅筆,By Ike no Taiga (1723–76),久世民榮氏寄贈,Gift of Ms. Kuze Tamie,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。住吉明神を寿ぐ謡曲 「高砂」 の前半の場面を描いたもの。翁の持つ竹杷(さらえ)は福を集め、媼(おうな)の持つ杉箒は邪気を払い、夫婦がたすけ合って長生きすることを主題とする。古今和歌集の 「住之江の/まつを/秋風ふく/からに/声打ちそふる/おきつ/しら浪」 を書き添える。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。「雨降れば 笠取山のもみじばは 行きかふ人の 袖さへぞ照る」(『古今和歌集』秋)を題材としたのでしょう。貞享~元禄期に刊行された雛形本に同様の模様があります。王朝風の模様を型鹿の子と刺繡であらわした衣装は、元禄期に流行した様式を示します。 小袖とは、袖口の開きが狭いという意味から来る名称で、今の着物の原型です。白くつやのある絹地に、紅葉と、頭にかぶる笠が散らされたデザインです。 笠に紅葉の組み合わせは、当時のデザインブックにも載っていた人気の模様で、古今和歌集・秋の「雨降れば笠取山(かさとりやま)のもみじばは行きかふ人の袖さへぞ照る」が題材となっています。「笠取山」を笠であらわすというようなひねりを効かせたデザインは、当時流行のものでした。 笠や紅葉には、刺繍と、型を使って絞りのような模様を摺り表す摺匹田(すりびった)と呼ばれる技法が使われています。まるで本当に絞り染がされているかのように、表面の凹凸まで再現されています。絞り染がぜいたくだという理由で幕府からおとがめがあったことから、型染による摺匹田が行われるようになりました。 和歌をモチーフとした文芸的要素や、小袖全体に華やかに配される模様は、ともにみやびやかな王朝趣味が好まれていた江戸時代中期・元禄期の小袖の特徴といえます。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。塩山は甲斐国笛吹川のほとりにある有名な歌枕だが、不思議に蒔絵の主題に採られることが多い。この太刀も鞘に「志本の」などの歌文字を隠して「しほの山さしでのいそにすむ千鳥 君が御代をばやちよとぞなく」(『古今和歌集』巻7)を表わしている。(旧題箋)
永田友治,Nagata Yuji,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
<p>硯箱には観世水の傍らに憩う雌雄の鹿、料紙箱には片身替り風の土坡に槙と鹿が、蒔絵、錫板、螺鈿で表されている。料紙箱蓋裏には銀板による大きな月を背景に槇が描かれ、古今和歌集「秋の月山辺さやかに照らせるは落つる紅葉の数をみよとか」の文字が散らされている。<br /> 作者、永田友治については未詳だが、光琳の作風を慕ってその妙を得た、正徳、享保の頃の人とされている。永田友治の銘や印をもつ作品は現在かなりの数があるが、この一具のような大作はほとんどなく、本品を友治の代表作としてよいだろう。</p>
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四季折々の美しい風物をうつした和菓子。江戸時代の元禄期頃に京都で生まれたと言われています。文芸復興が盛んになり、「古今和歌集」のような和歌が広まっていった時期、菓子も文学に想を得た、雅な意匠のもの、美しい菓銘がつけられたものが広まっていきました。創業およそ500年の和菓子屋が代々受け継いできた見本帳には、江戸時代に考案したデザインなど、1300種類ほどの和菓子が描かれています。同じ「かえで」の形の和菓子でも、多様なデザインが。色合いの変化や菓銘の違いで、移ろいゆく季節を感じるのも、和菓子の醍醐味です。<br>(この動画は、2017年に放送したものです。)
平安神宮は、京都に平安京が遷都されて1100年の記念事業として明治28年に創建されました。社殿は中国、唐の時代の王宮風といわれる左右対称の建築様式です。社殿の周囲には、4つに分かれた広さ1万坪に及ぶ広大な日本庭園があります。<br><br>(この動画は、2007年に放送したものです)
長野県千曲(ちくま)市姥捨(おばすて)の棚田。長い年月をかけて一段ずつ作られてきた棚田は、全国で初めて国の名勝に指定されました。9月下旬、金色に輝く棚田は収穫の時を迎えます。<br><br>(この動画は、2005年に放送したものです)
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古今和歌集の撰者で、土佐国司であった紀貫之の邸跡。『古今和歌集』の和歌32首にちなんだ草木と曲水の流れが配され、平安朝をテーマにした「古今集の庭」が隣接している。
『古今和歌集』に収録されている1,111首の和歌をすべて掲載。
高校教育課程の基礎を学ぶ「高校講座」(NHK)の『古今和歌集』の音声講座。講師は、聖光学院中学校高等学校教諭・内田洋氏。
参考文献
- 藤平春男 [ほか]著,有斐閣
- 小学館
- 秋山虔, 三好行雄 編著,文英堂
- 責任表示
- 二次利用について
ただし、画像は個々の権利表示による
- 最終更新日
- 2024/03/05