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マネの銅版画コレクション オンライン展覧会
東京富士美術館で2019年10月5日から2020年1月19日まで開催された企画展「マネの銅版画コレクション」展のオンライン展覧会です。
ごあいさつ
このたび、「フランス絵画の精華」展の開催に伴い、東京富士美術館所蔵のエドゥワール・マネ(1832-1882)による「銅版画作品ポートフォリオ」(全30点)を展覧いたします。
マネは代表作として名高い《オランピア》をはじめとした油彩画作品をサロン(官設展)に出品する中で、多くの批難を浴びながらも当時のフランス美術界の慣習を打ち破り、「近代絵画」のあるべき姿を示しました。
また彼は、多くの油彩画とともに当時の画家には珍しく、版画の制作にも意欲的に関わったことで知られています。このポートフォリオは、マネの死後、1905年に版元であるアルフレッド・シュトレーリンによって、生前に制作されたマネの銅版画の中から30点を厳選したもので、そのほとんどが彼の主要な作品に関わるものです。
これら一連の版画作品をとおして、彼の偉大な画業を振り返るとともに、彼が残そうとした作品の「イマージュ」を味わっていただけたら幸いです。
エドゥアール・マネ 銅版画作品ポートフォリオ
「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」の表紙
本シリーズは出版業者兼画商であったアルフレッド・シュトレーリンにより100部限定で版行されたもので、タイトルページ中央にはマネの友人のアンリ・ファンタン=ラトゥールによる《ドラクロワ礼讃》(オルセー美術館蔵)に描かれたマネの肖像が掲げられている。マネは1862年の「腐蝕銅版画協会」創立にも参加し、初期の頃からエッチングを中心に自身の作品に関する版画を制作してきた。その動機は浮世絵やスペイン画家ゴヤの影響、自身の作品イメージの喧伝など様々考えられるが、制約を設けず、あらゆる手段を用いて作品を残そうとした彼自身の近代的理念に基づいていたとも言えるかもしれない。本シリーズの序文にはマネと深い交友のあった批評家テオドール・デュレによる下記のような文章が掲載されている。序文:マネは、初期の1860年から1866年にかけて、エッチング師として多くの作品を残した。この時代に彼はスペイン人をモデルにすることを好んでいたが、実際にスペインに旅行するのは1865年になってからである。したがって、スペインを題材にした作品は、ピレネー山脈のこちら側、フランス側で制作されたことになる。モデルは、数年にわたってパリに興行にやってきた一座のダンサーや歌手であった。ここに集めた30点の作品は、100部完全限定版である。原版は破壊されている。作品は出来る限りの範囲で年代順に整理されている。マネの版画作品の中で最古とされている《シレンティウム(沈黙)》を最初の一群の中に置き、次に1961年作の《カンプルービ》、そして最後の1882年作の《ジャンヌ》までを網羅している。『19世紀の版画師たち』の著者ベラルディ氏は、マネのエッチングに関して当時存在していたものの中で最も完全なカタログを、同書の中で提示している。以下のカタログでは、それぞれの作品の番号に、ベラルディ氏のカタログ番号を「B. xx」として掲載した。 テオドール・デュレ
ギターと帽子(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本作は1862年に制作した《スペイン帽とギター》(カルヴェ美術館蔵)に描かれた主要な部分を版刻したもので、同作はマネのアトリエの扉の上に飾られていたという。こうしたスペインの異国情緒を醸し出した、いわゆる「スペイン趣味」の画題はマネの初期作品を象徴している。本作と同じモティーフは、マネが1862年、最初に版行した8点のエッチング集の表紙の一部に採用されている。その後、第2版(1874年)では帽子、ギター、マントという3つのモティーフにタイトルをつけた形で再構成され、本作ではそのタイトルの部分も取り去られ、モティーフのみが作品として収録されている。
スペインの歌手(ギタレロ)(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本作は1861年、初めてサロンに入選した《スペインの歌手》(メトロポリタン美術館蔵)に由来している。当時の批評家テオフィール・ゴーチェは同作を称賛し、「ギタレロ」と名付けた。本作は原作に比べ左右が反転しているものの、細かなタッチで男性の顔や衣装をはじめ画面全体に丁寧に陰影をつけ、原作の雰囲気を忠実に再現することに成功している。マネは1850年から6年間、トマ・クチュールの画塾へ通い、59年のサロンに初めて《アブサンを飲む男》(ニイ・カールスベルグ美術館蔵)を送ったが、あえなく落選した。ここでは修行時代、ディエゴ・ベラスケスらのスペイン画家から受けた影響を如実に感じさせる。
買い物かごを抱えた子供と犬(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本作は1860年から61年にかけ制作された原作(個人蔵)を左右を反転させて版刻されたもの。少年の喜ぶ表情など細かなところまで正確に描写している。マネは17歳の頃、家にピアノを教えにきていたシュザンヌ・レーンホフと1863年10月、結婚した。彼女の息子レオン・レーンホフ(戸籍上は弟とされていた)の父はマネと推測される。レオンは《剣を持つ少年》(1861年/メトロポリタン美術館蔵)、《シャボン玉を吹く少年》(1867年/グルベンキアン美術館蔵)、《昼食(アトリエにて)》(1868年/ノイエ・ピナコテーク蔵)などでもモデルを務めたが、その特徴的な顔立ちから本作も同じくレオンがモデルであると思われる。
ローラ・ド・ヴァランス(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本作は1862年の夏から秋にかけて、パリのイポドローム劇場で公演を行ったマドリード王立劇場舞踊団の花形であったローラをモデルにした原作(オルセー美術館蔵)を版刻したもの。原作は舞台袖に立つモデルのドレスの黒と赤のコントラストが鮮やかで異国情緒を醸している。この点について、本作の下部には詩人であり批評家でもあったシャルル・ボードレールによる「ここかしこ美し女の数多はあれば、友よ、焦がるる想いもまた定めなくここかしこ されどローラ・ド・ヴァランスのうちに耀うは バラ色のはたまた黒き宝玉の心おどろかす妖しのちから」との散文詩が付されている。
赤ん坊を抱いた少女(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本作は1862年に制作されたマネの初期の大作《老音楽師》(ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)の中に描かれた少女の姿を反転させ、上半身の部分を版刻している。原作ではヴァイオリンを手にした老人と貧しい子どもたち、2人の紳士が描かれ、素朴な群像に仕上げている。この作品でマネは、他の作品に登場する人物を組み合わせ、再構成する試みをしており、例えば右側のシルクハットを被った男性は自身の描いた《アプサンを飲む男》(ニイ・カールスベルグ美術館蔵)で描いた男性を採用している。少女は当時、サロンで活躍していたアンリ・ギョーム・シュレシンジャーの《さらわれた子ども》(所蔵先不明)が由来していると指摘されている。
身繕い(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
入浴後に身繕いをしようとする女性と背後で準備する従者が描かれている。本作の着想についてはスペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスの版画《ロス・カプリーチョス:彼女のために祈っている》の影響が取り沙汰されており、であればここで描かれるのは娼婦である。また別の可能性として、1861年にマネが妻シュザンヌをモデルにした《驚くニンフ》(アルゼンチン国立美術館蔵)の影響も指摘したい。同作は元々、《救い出されたモーゼ》と題した大作の一部として描かれ、角度は違うが、身体を布で隠し、こちらを向き驚くニンフの表情や女性のフォルムに本作との共通点を複数確認することができる。
死せる闘牛士(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本作は1864年にマネがサロンに出品した《闘牛士のエピソード》(下部にあたる《死せる闘牛士》はワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)の一部を版刻したものである。一部というのは、マネはこの作品をサロン閉幕後、上下に裁断してしまい、その下半分をモティーフとしているからである。元々の作品では上部に小さく描かれた牛と観客が配されていたという(上部のうちの一部は《闘牛》と題してワシントンのフリック・コレクションに収蔵されている)。本作では倒れた闘牛士の姿態や肩から床に広がる血だまりなど、原作に勝るとも劣らない描写を適えるとともに闘牛士の死という厳粛な題材を巧みに描出している。
小型の騎士たち、ベラスケスによる(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
1838年から48年にかけて、パリでは国王ルイ・フィリップの個人コレクションを展示した「スペイン絵画館」が市民に開放され、身近にスペイン絵画と親しむことができた。こうした中でマネのスペイン画家への憧れも育まれていったと考えられる。本作は、マネがルーヴル美術館所蔵の《13人の会合》を模写した油彩画に基づいている。同作は当初、スペインの巨匠ベラスケスの作品とされていた。本作は丹念に仕上げられており、13人の騎士の各々の着こなしやポーズが特徴的で、その一部が後のマネの作品に生かされることもあった。
マリアーノ・カンプルービ(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本シリーズの《ローラ・ド・ヴァランス》(オルセー美術館蔵)と同様、1862年にパリで出張公演し、喝采を受けたマドリード王立劇場舞踊団にまつわる作品。本作は舞踊団の座長を務めていたマリアーノ・カンプルービをモデルとした油彩画作品(個人蔵)を版刻したもの。作品の下部にはマネによる「don Mariano Camprubi primer bailarin del teatro royal de Madrid(マドリード王立劇場舞踊団の座長 マリアーノ・カンプルービ」との言葉が書き加えられている。マネは同時期に取材した踊り子たちの群像の水彩やエッチングも残している。
がぶ飲みする子供(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本作は1863年と67年に公開された現在消息不明の油彩画と本シリーズの《ジプシーたち》(No.4)に基づいている。原作であったと思われる油彩画は確認できないが、公開された当時、その背景に描かれた「頭をのけぞらせて口の中へ水差しの水を流し込んでいる人物」が賞賛された新聞記事が残っている。また原作の断片であるとの説もある、《水を飲む人》(シカゴ美術研究所蔵)という油彩画作品も現存し、当初、《ジプシーたち》と同様に背景に描かれていた少年のモティーフに対して、マネが強い愛着を抱いていたことが窺える。
子供と犬(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本作は、マネが画家アルベール・ド・バルロワと共同で初めて構えたアトリエで1858年から59年にかけて助手をしていたアレクサンドルという少年を描いた水彩画に由来している。アレクサンドルはマネの初期の油彩画《サクランボを持つ少年》(グルベンキアン美術館蔵)のモデルにもなったが、60年に彼はマネのアトリエで自らの命を絶ってしまう。詩人であり批評家であったシャルル・ボードレールはこの衝撃的な出来事を散文詩「紐」に託してマネに送った。細かなタッチをきかせ、丁寧に仕上げられた本作は、友人への返辞、彼への追悼の想いも込めて手がけられたのかもしれない。
タバコを吸う男(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本作のモデルはサロンで活躍した画家ジョゼフ・ガルで、彼はギュイヨ街のマネのアトリエと同じ建物の中にアトリエを構えていた。彼はマネと親しく交友していたのであろう、マネが1861年に制作した《読書する人》(セントルイス美術館蔵)ではモデルを務めたとされ、同じく彼が持ち込んだ椅子も描き込まれている。また本作には同様の油彩画の存在が確認されており、同作は1866年にアルマ橋近くで開催されたマネの個展へ出品されている。マネは本作を仕上げた後に、第2ステート(ステートは版画における段階の意)としてNo.15を手がけたが、仕上がりに納得がいかず、それ以上は手を入れなかったという。
スペイン皇女マルガリータ、べラスケスによる(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本作は、ルーヴル美術館所蔵のディエゴ・ベラスケスの作とされていた《王女マルガリータ》に基づき、マネが制作した水彩画に由来していると見られる。マネが生涯交友することになるエドガー・ドガとルーヴル美術館で出会った際、ドガは同作をまさに銅版に写そうとしていたという。マネは本作に取りかかったものの、版の初段階で手を入れることを放棄してしまった。見てのとおり、髪の毛の陰影や背景とのコントラストの点では原作の雰囲気を感じさせるものの、目や服装の描写がやや稚拙で、マネ自身も出来ばえに納得がいかなかったものと考えられる。
海景(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
マネにとって海景画は、主要画題の一つともとなっている。本作は、1864年に描かれた《ブーローニュ沖に停泊するキアサージ号》(メトロポリタン美術館蔵)と68年の《蒸気船、イルカのいる海景》(フィラデルフィア美術館蔵)の双方の油彩画のイメージを組み合わせて構想されたと考えられる。その証拠に、左側の船は前者に描かれた船を反転させたシルエットをしており、中央下に顔を出したイルカは、後者のイルカのイメージを重ねていると見られる。海面の反射による微妙な色の階調も、タッチの密度に変化をつけ、見事に表現しており、マネの光に対する繊細な意識を垣間見ることができる。
海兵の夢(テオドール・ド・バンヴィル)(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
詩人が詩を生み出そうと思いを巡らせる様子が描かれる。画中の詩人は友人のバンヴィルで、おそらく彼とマネは共通の友人であったシャルル・ボードレールを介して、1860年代半ば頃に知り合ったと見られる。バンヴィルはマネに対してたびたび好意的な批評記事を寄せており、1874年6月にはマネの唯一のカラーリトグラフである《道化役者(ポリシネル)》の下部に記された2行詩を送っている。マネはその御礼としてこのエッチング制作を提案したようだ。詩人の構想の中には、マネが青年時代に目指した海兵の夢と重ね合わせたかのように海に浮かぶ帆船が描き込まれている。
横顔のボードレール(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
マネと詩人シャルル・ボードレールは、マネ家と親しかった人物を介して、1859年頃から交友をもっていたようだ。本作は、マネが1862年に制作した代表的な群像である《チュイルリー公園の音楽会》(ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)の中に描かれたボードレールのフォルムを踏襲している。マネはこの他にもボードレールに関するエッチングを4点制作している。マネにとって、ボードレールは初期時代の大事な理解者であり、擁護者であったが、1867年に彼が没すると、それに代わる存在として、作家のエミール・ゾラがマネを擁護することとなる。そしてゾラが意見を変えた際には詩人ステファン・マラルメがそれにとって代わるのである。
オランピア(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本作は、マネの代表作《オランピア》(オルセー美術館蔵)を版刻したもので、No.23も同様である。ベッドに横たわる娼婦に花を届ける黒人の従者と黒猫の描かれたこの絵画は1865年のサロンに入選したものの、「ヤクザな小娘」「可愛げのない体」など、これまでに味わったことのない批難を浴びることとなった。あまりの批判の激しさに危険の感じた運営側は2人の守衛をつけたほどであった。No.22はNo.23に比べ、大きさがあるもの、タッチの線が強く原作のイメージと少し距離がある。No.23は小ぶりだが、娼婦の体とベッド、背景の色との階調が繊細に処理され、原作の雰囲気を伝える要素が多いといえる。
ベルト・モリゾ(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本作は1872年に描かれたマネの傑作《菫の花束をつけたベルト・モリゾ》(オルセー美術館蔵)を元に版刻したもの。マネとモリゾは1868年、アンリ・ファンタン=ラトゥールの仲介で、ルーヴル美術館で出会った。彼女の持つ雰囲気に好感を覚えた彼は同年のサロンに出品することとなる《バルコニー》(同館蔵)のモデルを依頼した。そしてモリゾは後にマネの弟ウジェーヌと結婚し、マネの義妹ともなった。本作は原作に比べ、顔に当たる光と影のコントラストが強く、表情の描写が不十分ではあるが、彼女の帽子や髪型のフォルムは正確に描写され、原作の雰囲気を残すことに成功している。
猫(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本作のような猫の複数の姿態を並べて配置する構図は、北斎漫画をはじめとした浮世絵の影響が大きいものと考えられる。マネの作品には《オランピア》(オルセー美術館蔵)を筆頭に構図に猫が配されるケースがしばしば見られるとともに、友人シャンフルーリの著作『猫』のための挿絵やポスターも手がけるなど、猫にまつわる多くの作品が存在し、彼の特別な愛情を感じる。本作の左側の毛繕いをするような仕草で丸まる黒猫は、すでに1868年に制作された《昼食(アトリエにて)》(ノイエ・ピナコテーク蔵)の中に登場しているが、マネはこの黒猫を描くために16点に及ぶ習作を手がけたという。
肉屋の列(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
1870年の7月、隣国プロイセンが宣戦布告し、普仏戦争が始まると、翌71年2月、プロイセン軍はパリへ入城した。フランス政府軍は降伏したが、その後、政府に反発するパリ市民によるパリ・コミューンと政府軍との間で内戦が起こり、死者3万人という「血の1週間」を経て、ようやく混乱はおさまった。マネはこの間、家族をスペイン国境近くに疎開させ、ドガとともに軍に入隊すると、パリの防衛にあたった。本作は、戦乱によって食糧難を極めるパリの一角で、肉屋に殺到する市民の列を捉えたもの。揺れ動く時代の中で、眼前に広がる現実の光景を描き止めようとするマネの意気が伝わってくるようだ。
ジャンヌ・春(「マネ、30点のオリジナル・エッチング集」より)
本作は1882年、マネの生涯最後となるサロンへ出品されたうちの1点である《春(ジャンヌ)》(J.ポール・ゲッティ美術館蔵)に由来している。原作は、親友アントナン・プルーストから発注されたもので、当初は四季になぞらえた4点の作品を制作する計画であった。同作以外に《秋(メリー・ローランの肖像)》(ナント美術館蔵)と題した作品が残っている。モデルは女優のジャンヌ・ドマシー。マネは同作の制作にあたり新たに帽子を購入し、モデルにプレゼントしたという。晩年のマネは病を発症し、療養でパリを離れることも多かったが、見舞いに来る女性をモデルに筆をとるなど、美しいもの、新しいものへの関心は最期まで衰えることはなかった。
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東京富士美術館は、1983年11月3日に東京西郊の学園都市・八王子にオープンしました。「世界市民を育む美術館」をモットーに、世界31カ国・1地域の美術館や文化機関との友好関係を築きながら、各国の優れた芸術を紹介する海外文化交流特別展を企画・開催しています。収蔵品は日本・東洋・西洋の各国、各時代の絵画・版画・写真・彫刻・陶磁・漆工・武具・刀剣・メダルなど約3万点に及び、とりわけルネサンス、バロック、ロココ、ロマン主義、印象派、現代にいたる西洋絵画500年の流れを一望できる油彩画コレクションと、写真の誕生から現代までの写真史を概観できる写真コレクションは国内有数のコレクションとして知られています。






























