最も原始的な照明は、焚火である。これを携行用としたものが松明(たいまつ)で、日本では松の脂が多い部分や竹・葦などを束ねて、その先端に火を灯して使用した。鉄製の籠(篝)に松などの薪を入れて燃やす篝火(かがりび)も古来の照明器具で、夜間の儀式や警護、漁などのため、主に屋外で用いられた。
日本における油を使った照明器具の始まりは明らかではないが、確実な例が現れるのは飛鳥・奈良時代以降である。その最も単純な形式は燈明皿(とうみょうざら)で、これを台座にのせたものが燈台(とうだい)である。平安~鎌倉時代には主要な照明器具として用いられ、江戸時代まで発達した。油を使った屋外用の照明器具、燈籠(とうろう)は中国大陸から仏教とともに伝来したとされ、形状には台燈籠と釣燈籠があり、材質には木製・石製・金属製などがある。
行燈(あんどん)は、燈明皿の周囲に枠をつくり、紙を張って風よけにしたもので、室町時代に始まり、江戸時代を通じて最も多く使用された照明器具であった。一方、日本で蝋燭(ろうそく)の生産が始まったのは平安時代後期とみられ、室町時代には木蝋(和蝋燭)がつくられ、江戸時代に普及した。蝋燭を灯すための照明器具としては燭台(しょくだい)、携行用の燭台である手燭(てしょく)、紙を張った籠状の火袋に蝋燭を入れて携行用にした提灯(ちょうちん)などがある。
江戸時代末期には西洋から石油ランプが輸入されるようになり、明治時代に全国に広まる。明治時代は日本の照明の転換期で、明治5年(1872)に横浜でガス灯、明治11年(1878)に銀座で電気街灯(アーク灯)の初点灯が行われ、明治23年(1890)には日本初の白熱電球が製造された。
関連するひと・もの・こと
長寿や高潔の象徴。景勝地には欠かせない樹種。松明に使用される。
絵と詞書(ことばがき)を用いて物語を展開する巻物形式の絵画作品。中世の日本の照明器具の様相が分かる資料。
江戸時代に盛行した浮世絵の中でも、多色刷りの木版画の総称。江戸時代、明治時代の照明器具が描かれている。
明治時代の浮世絵師。文明開化期の東京の光と影を巧みに描いた「光線画」で人気を博した。文明開化の象徴として、ガス灯を描いた錦絵を多く残している。
錦絵を大成した美人画の名手。照明器具を錦絵の小道具として効果的に描いた。
江戸時代末期を代表する浮世絵師。作品数は全浮世絵師の中で最多。照明器具を錦絵の小道具として効果的に描いた。
本で知る
内阪素夫 著,東京電気
大正6年(1917)刊。東京電気株式会社(株式会社東芝の前身)発行。日本の照明器具の変遷を解説。
内坂素夫 著,広文堂書店
大正5年(1916)刊。著者は東京電気株式会社(株式会社東芝の前身)の技師・内坂素夫。
柳田国男 著,実業之日本社
昭和19年(1944)刊。明治~昭和時代の民俗学者・柳田国男が著した火の文化史。日本の照明の歴史について解説している。
関重広 著,岡村夫二男 絵,学習社
昭和18年(1943)刊。照明に関する青少年向けの科学書。著者は大正・昭和期の電気工学者で、電気照明学の権威、関重広。
山崎好雄 著,清水書房
昭和24年(1949)刊。照明の歴史を解説した青少年向けの科学書。
装飾研究会 編,装飾研究会
大正15年(1926)刊。
武間主一 編,装飾研究会
昭和6年(1931)刊。
照明学会照明智識普及委員会 編纂,照明学会照明智識普及委員会関西委員会
写
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もっと知りたい
松明・篝火
絵:土佐光信筆、詞書:三条実香・甘露寺元長筆,Illustrations by Tosa Mitsunobu; text by Sanjō Saneka and Kanroji Motonaga,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 室町時代・永正14年(1517)。清水寺縁起絵巻は今も多くの観光客でにぎわう京都の名所、清水寺の始まりと本尊千手観音にかかわる物語を描いた作品です。全部で3巻がのこされています。今回展示される巻中には、平安時代に東国を平定した坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が清水寺を建て、本尊十一面観音と地蔵菩薩、毘沙門天像を奉納する場面などが描かれています。絵の中にはおなじみの清水の舞台や仁王門が見えますが、仁王門から舞台までの間にあるはずの建物は描かれていません。その代わりに霞と樹木が配置されています。このような霞は、場面の切り替えや省略を表しています。絵師の土佐光信(とさみつのぶ)は宮廷に仕え、そのトップにまで昇りつめた室町時代を代表する絵師です。
[常盤光長] [画],[飛鳥井雅経] [詞書]
「伴大納言絵巻」は、平安時代末期の説話絵巻。国宝。嘉応2 (1170) 年前後に成立したと推定される。貞観8 (866) 年に、大納言伴善男が応天門に放火した応天門の変を描く。本資料は写。
歌川広重,うたがわひろしげ,UTAGAWA Hiroshige
歌川広重といえばだれしも「東海道五十三次」を反射的に連想するだろう。そして、そのとき念頭にあるのは、おそらく必ずといっていいほど、版元(出版社)の名をとって“保永堂版”と呼ばれるシリーズである。 しかし、広重の描いた東海道シリーズは、この一作にとどまらず、実数はわかっていないが、ひとによっては四十種類以上もあるというほど、多く描いた。“保永堂版”は、その記念すべき第一作で、これが大ヒットしたために、広重は類作を描かされるはめになった。 ここに掲出したものは、やはり版元の名をとって“丸清版”と呼ばれる、広重としては最晩年に描いたシリーズのひとつである。 箱根山中を真夜中、松明(たいまつ)をたよりに、旅する様子が描かれる。背後には、旅の不安をいっそうかきたてるように、闇(やみ)に沈んだ尾根。広重の風景画のなかでは自然と人事がしばしば交錯する。 (山口泰弘 中日新聞 1989年6月10日掲載)
伊賀一ノ井松明講(伝承者)
お水取りの名で知られる東大寺二月堂の修二会で使用する松明を調製し、これを3月12日に東大寺に奉納する行事である。行事は松明の製作、松明調進法要、および松明送りからなり、一ノ井の三小場(下垣内、堂の前、上の畑)の従来からの住民で構成する松明講によって執行される。当年の行事に当たるのは、松明衆五人、香水衆二人の年番七人で、講長と極楽寺住職がこれに加わる。 松明の製作は2月10日ころに行われる。伐採するのは直径20cmぐらいの檜1本で、直ちに極楽寺に運んでその日の内に松明に作られる。松明の形やくくり方には古来の規格があり、計20束を拵え、仕上がった松明はそのまま極楽寺本堂に納められる。 1ヶ月後の3月10日に松明調進法要が行われ、法要後に道観塚への調進練行となる。3月12日に松明送りとなり、松明送りの一行は、講長・住僧・松明衆・香水衆で、参詣者が随伴する。東大寺に向かい、本坊に松明を奉納。二月堂主管がこれを受け取り報告法要が行われて調進行事のすべてが終わる。
向山雅重
月耕,-,横山良八
国貞〈2〉、広重〈2〉,蔦吉板 蔦屋 吉蔵
広重,-
川瀬巴水 KAWASE Hasui,Cormorant Fishing on the Nagara River,woodcut on paper
燈明皿
灯明皿
江戸時代(19世紀)に関西地方で生産されたものと推測される灯明皿。昭和52年(1977)に鴎島付近で引き揚げ。■2015年/佐藤雄生/「江差鴎島沖の海揚がり遺物」/『弘前大学國史研究』138号で紹介(表2の№139)。
燈台
病草紙 小舌の男
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
【国宝】 平安時代(12世紀)。高坏燈臺。「病草紙」は様々な奇病を集めて絵巻物にしたてたもので、寛政期の模本によれば、名古屋の歌人大 館高門のもとに十五図一巻の形で所蔵されていたが、現在このうちの九図が国有となり 、それ以前に断簡となって逸出した図が諸家に分蔵されている。また寛政模本には含ま れていないが、画風からもともとこれと一連のもので、模本が作られる前に逸出したと 見られる四図がある。 

画風は暢達した線描を主体にし、淡い彩色を加えたもので、病気にかかった人物を中心 に描くものと環境描写を加え、風俗画的な趣を持つものとがある。人物表現には京都国 立博物館本餓鬼草紙や沙門地獄草紙などに通じるものがあり、これらと近い環境で描か れたものと考えられる。こうしたことから、病草紙を、人道苦相の表現として、六道絵 の一部と考える見方があるが、地獄草紙などにみる厭離穢土の思想が強調されることは なく、むしろ病にまつわる説話的興味から制作されたものと考えたい。

10面のうち霍乱は下痢と嘔吐を繰り返す病気で、苦しむ女と、部屋の中でさりげなく 擂鉢を擂る女との対比がおかしく、また里の生活を窺わせる資料としても貴重である。 二形は男女両性を具有する一種の奇形で、ここでは占師という設定で、その住居の様子 が知られる。歯の揺らぐ男は、歯槽膿漏かと考えられているもので、食事の途中で歯を 気にする様子が描かれる。眼病は、眼が見えなくなっている男のところに、医者を自称 する男がやってきて、眼球を鍼で治療したために失明してしまったという話を描いている。
法然上人絵伝
松永安左エ門氏寄贈,Gift of Mr. Matsunaga Yasuzaemon,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 鎌倉時代(14世紀)。鎌倉時代初頭の僧で浄土宗の開祖・法然の伝記絵巻。東京・妙定寺には近世の9巻本の模本が伝わり、この系統の遺品は琳阿本(りんあぼん)と呼ばれている。東京国立博物館本は、琳阿本の巻第8に相当する。
星光寺縁起絵巻 巻上
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 室町時代(15世紀)。京都の六角大宮にあった星光寺の本尊、地蔵菩薩像の由来とそれにまつわるありがたくも不思議なお話を描いた絵巻です。前半では現在の京都府、山城国の国司だった平資親(たいらのすけちか)が僧のお告げにより茨の中から地蔵菩薩を見つけて持ち帰り、これを安置する星光寺を建立したという経緯が描かれています。後半は地蔵菩薩を信仰していた尼の家の屋根が大風で吹き飛んでしまったところ、知らないうちに若い僧が来て屋根を葺き直してくれたことや、夢に地蔵菩薩が現れ尼が往生したことが描かれています。この話から、星光寺の地蔵は「屋根葺地蔵」とも呼ばれました。地蔵菩薩は座っていたり、立っていたり本当に動いているようにユニークに描かれています。また、資親の屋敷の襖や屏風に中国風の水墨画が描かれていることにもご注目ください。中国から入ってきた水墨画は当時の人々にとってステータスの象徴でした。
高燈台
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 鎌倉時代(13~14世紀)台座・支柱・反射板の3部からなる燈台。反射板中央につけた鉄製の輪の上に、燈明皿を掛けて用いる。反射板表面は、光を反射させるため白く胡粉地に仕立て、3人の稚児(ちご)を描いている。巻物を広げて見るもの・筆をとるもの・うつ伏して眠るものという、3者3様に愛らしい姿である。夜間読み書きをする際必要な燈台に、居眠りをする人物という組み合わせの妙のためであろうか、「眠り燈台」の俗称がある。
燈籠
難有御代ノ賀界絵
香蝶楼豊国,丸清
歌川国貞(三代豊国)筆。明かりをテーマにした錦絵シリーズ「難有御代ノ賀界絵(ありがたきみよのかげえ)」の一枚。吊り燈篭の明かりで本を読む女性が描かれている。弘化年間(1844~1848)頃の作。
釣燈籠
奈良国立博物館,Nara National Museum
【重要文化財】 室町時代・永禄7(1564)。福島・如法寺伝来の鉄鍛造製の釣燈籠。笠と脚部を猪目透かしの葛形葉状につくり、火袋に片開き扉2面をもうける。扉は1面を斜め格子に霰文、他面を網地に霰文を透彫し、残りの火袋4面には沢瀉に橘文、桜カタバミ文、松竹梅文、籬に菊文をそれぞれ文様透かし(文様を透かし、地を残す透彫技法)で表している。火袋の上部欄間にも透彫が施されている。欄間には「奥州会津稲荷之庄如法寺之御堂之金」、「燈爐之寄進大旦那鍛冶渡邊孫兵衛」、「長吉作内□取持猪野弥五良房宗金之」、「旦那永禄七年甲子五月十七日奉懸之也」、「當住寺頼真之御代鍍旦那長治太良衛門通□(両)」という刻銘があり、また笠頂部の宝珠に「奉執金剛神大槻形部少輔与定」と刻銘されており、永禄7年(1564)に如法寺御堂の執金剛神に奉納された由緒が確かめられる。
銅梅竹透釣燈籠
畑野勇治郎氏寄贈,Gift of Mr. Hatano Yūjirō,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 室町時代・天文19年(1550)。形姿、透文様の美しい釣燈籠。火袋(ひぶくろ)は円筒形にして、梅樹と竹を透かす。台、火袋、笠まですべて共造で、高い技術を示す。笠に天文十九年の銘文があるが、当時茶の湯釜の生産地として名高かった下野佐野(しもつけさの)(栃木佐野市)の天明で製作されたと考えられる。 寺院で軒につるして使われた燈籠です。中に小さな皿を入れて油を満たし、そこに灯心を入れて灯りをともして使われました。火は、水、花、香とともに供物として仏に捧げられるもの。燈籠は仏教ではたいせつな道具のひとつです。 バランスがよく美しい姿もさることながら、見どころはやはり透し文様でしょう。可憐な梅の花としなやかな竹が表わされています。梅の花のしべや竹の節、さらに小さなたけのこまで、丁寧に表わされています。灯りがともされて、梅と竹が影絵になってゆらゆらとゆれるさまを想像してみてください。幻想的で、うっとりするような美しさです。 笠には天文十九年の銘文があり、当時茶の湯釜の生産地として名高かった下野佐野(しもつけさの)(現在の栃木県佐野市)の天命(てんみょう)で製作されたと考えられています。茶釜は通常鉄でつくられるもの。天命でつくられた銅の作品は珍しくたいへん貴重なものといえるでしょう。
鉄製釣燈籠
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
【重要文化財】 鎌倉時代。鉄鍛造、六角形の大きな釣燈篭で、火袋に七宝繋と松皮菱文、それに亀甲文と種子を浮かし、扉に金剛力士像をあらわしている。正面右手下方に「白山中宮元応元年己未六月日 尾州玉井 大工貞澄」の透彫銘があって、作者と作期、および白山中宮長滝寺にあったことがわかり、今日知られる製作年代の明らかな釣燈篭のうち最古の作品である。その形はおおらかで古式を伝え、透文様・猪目など細部の装飾が巧緻である。鎌倉時代の金工意匠の特色がよくあらわれている。
石造燈籠 徳治二年了未十一月ノ銘アリ
延寿院
六角形燈籠で、いわゆる「春日燈籠」と呼ばれる形式である。基礎三重の内、後世の補作と認められる最下の一重を除いた高さは2.45m。宝珠は中央にくびれがあり、屋根は六角蕨手である。火袋及び中台は六角で、火袋の一部には竪連子形の欄間を刻み、その下部と中台の周囲は、一面を更に二個区画した格狭間がある。中台の下面には輪郭のある素弁の蓮弁を彫り出している。竿は円筒形で三節あり、台座もまた六角で反花を刻んでいる。 竿に「徳治二年<丁未>十一月」の銘がある。鎌倉時代に遡る在銘燈籠として三重県内では唯一のものである。 なお、当資料がある延寿院は、保安3(1122)年創建とされる黄竜山青赤竜寺を前身とし、中世には非常に大きな勢力を持つ修験の寺院であった。
灯籠類聚
屋代弘賢,写
著者の屋代弘賢は、江戸時代後期の国学者。幕臣。柴野栗山に従い、奈良・京都の寺社を調査。また、師の塙保己一を助けて『群書類従』の編纂を行った。蔵書家として知られ、蔵書を不忍文庫と称した。主著に『古今要覧稿』など。本資料は写。
石燈籠図屏風
伊藤若冲,Ito Jakuchu,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
江戸時代(18世紀)。伊藤若冲。立ち並ぶ石燈籠を主題とした珍しい作品。伊藤若冲が晩年を過ごした深草に近い、稲荷山からの眺望という見方もある。石燈籠や石柵を覆う点描に大きな特徴があり、そこに微妙な濃淡の変化をつけることで、石の立体感や質感が的確に表現されている。
「鬼王 関三十郎」
豊国〈1〉,市村座,河源 河内屋 源七 ,鬼王〈2〉関 三十郎
江戸時代・文化10年(1813)。役者評判記によると貧しい鬼王のために妻の片貝<3>市川団之助が身を売る覚悟を決めて石灯籠に念じると、雲切丸を売り払った代金三百両を持った<2>関三十郎の閉坊があらわれ、それに言い寄られるが、、早変わりで鬼王となった二役の<3>関三十郎が閉坊を殺し三百両を手に入れるという筋であった。鬼王の持つ刀は、その雲切丸と思われ、また、欠けている左図には、片貝を演ずる<3>市川団之助が描かれていたと思われる。
燭台
御飾記
相阿弥,写
足利義政に仕えた同朋衆、相阿弥による床飾に関する伝書。相阿弥は能阿弥の孫で、父祖に続いて同朋衆となり、その経験と知識を図解しながらまとめている。足利義尚の本邸(小川御所)の対面所と、足利義政の別荘東山殿(慈照寺)の会所の諸室の絵画・諸器物・文房具などの飾り方を記している。内容的には『君台観左右帳記』と重なる部分が多い。
星光寺縁起絵巻 巻上
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 室町時代(15世紀)。京都の六角大宮にあった星光寺の本尊、地蔵菩薩像の由来とそれにまつわるありがたくも不思議なお話を描いた絵巻です。前半では現在の京都府、山城国の国司だった平資親(たいらのすけちか)が僧のお告げにより茨の中から地蔵菩薩を見つけて持ち帰り、これを安置する星光寺を建立したという経緯が描かれています。後半は地蔵菩薩を信仰していた尼の家の屋根が大風で吹き飛んでしまったところ、知らないうちに若い僧が来て屋根を葺き直してくれたことや、夢に地蔵菩薩が現れ尼が往生したことが描かれています。この話から、星光寺の地蔵は「屋根葺地蔵」とも呼ばれました。地蔵菩薩は座っていたり、立っていたり本当に動いているようにユニークに描かれています。また、資親の屋敷の襖や屏風に中国風の水墨画が描かれていることにもご注目ください。中国から入ってきた水墨画は当時の人々にとってステータスの象徴でした。
牡丹唐草金銀象嵌燭台
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代・元禄2年(1689)。燭台は香案の左右に配される。表面には金銀の象嵌で、雷文繋や牡丹唐草文を表わしている。蒔絵や象嵌などの工芸産業を奨励した加賀藩5代藩主・前田綱紀が元禄2年(1689)に献納したもので、象嵌文様の精緻さが際だっている。綱紀は同時に象嵌の爵も納めた。
五具足
村田整珉作,By Murata Seimin (1761–1837),東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。香・花・火は古来仏に捧げる3つの主要な供物です。香炉、花瓶【けびょう】一対、燭台【しょくだい】一対を1セットとしたものを五具足といいます。蝋型鋳物【ろうがたいもの】を得意とした村田整珉【むらたせいみん】(1761~1837)の作品です。
銅蟹蛙貼付蝋燭立
百瀬惣右衛門作,By Momose Sōemon (born 1819),百瀬惣右衛門寄贈,Gift of the artist,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明治6年(1873)頃。百瀬惣右衛門は鋳物師の家に生まれ、明治時代になると国内外の博覧会に花瓶や置物を出品し受賞を重ねた。これは明治6年(1873)に開催されたウイーン万国博覧会に出品されたもので、蓮華の葉の葉脈や蟹や蛙の質感に至るまで極めて写実的に鋳出している。
急須に燭台図
呉春 GOSHUN,Tea Pot and Candlestick,sumi and color on paper,木村定三コレクション / Kimura Teizo Collection
手燭
行燈
西川祐信筆,By Nishikawa Sukenobu (1671–1750),東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。行灯の明かりを寄せ、鐘が時を告げるのを止めようとする娘。時計の針が指す亥(い)の刻はそろそろ眠りに着く時刻。時が来れば別れなければならない男の存在が暗示され、祐信らしいふくよかで気品に富んだ描写の中に女性の心情が描き出されている。 この作品では、行灯(あんどん)の明かりのもとで、娘が時計の分銅の紐を結んでいます。紐の先についた錘(おもり)が動かないように、つまり時計が進まないようにしているようです。時計の針は、そろそろ眠りにつく時刻をさしています。時が来れば帰ってしまう恋人を想う娘の気持ちが伝わってきます。時計のモチーフは浮世絵にも多く登場しますが、単なるインテリアではなく、「誰かと過ごす時間」や「その時間の終わりを惜しむ気持ち」を表すことの多いアイテムでもあります。これは肉筆といわれる、一点ずつ手で描かれた浮世絵です。作者の西川祐信は、京都で活躍した流行絵師で、肉筆画を多く手がけていました。せつない女性の心情に加え、美しく彩色された着物の繊細な文様や、ふくよかで気品のある人物の描写にも注目してください。
芳年,綱島亀吉
明治21年(1888)。月岡芳年筆。「風俗三十二相」は寛政年間(1789~1801)から安政年間(1854~60)、および明治年間の女性たちの風俗を描いた全32枚のシリーズ。本図は明治年間の風俗を描いた作品で、寝床に入った女性が行燈に灯をともしている。
江戸後期~明治期(19世紀)。
大徳寺真珠庵および龍光院で使用されていた寄贈資料。
江戸時代(19世紀)。
製作者不詳/長崎製か
宙吹き(ちゅうぶき)成形によるガラス製の吊行灯。正面にはオランダ東インド会社を意味するV.O.C.(Vereenigde Oost-Indische Compagnie)のモノグラムを、背面には根のある草花文を、グラヴュール(回転する車状工具でガラスの表面(ひょうめん)を削る技法)で加飾しています。モノグラムの輪郭は深く削り込み、内部は薄く研磨するようにして、彫り分けています。反対面には、花弁や葉の形をシルエット状に薄く削った後に、花脈や葉脈を深く削り込んだ、立体感に富む草花文が表わされています。18世紀後期の長崎製と推定されており、当時の宙吹き作例としては現存最大級と指摘されています。 「奉/東寺/勧智院僧正ヨリ頂戴」とある書付が残るとともに、「釣燈篭」「釣照闇」といった当時の呼称も確認できる点でも興味深い作品です。 【びいどろ・ぎやまん・ガラス】
静岡県で使用されていた行燈。
国貞〈1〉, 伊勢屋利兵衛
鈴木春信、なし
春信,-
歌麿〈1〉,泉市版 和泉屋 市兵衛
奥村政信 奥村屋源六版
【江戸の絵画】
鈴木春信
江戸時代・明和8年(1771)。
一陽斎豊国,丸清
提灯
雨夜の宮詣(見立蟻通図)
鈴木春信筆,By Suzuki Harunobu (possibly 1725–1770),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>浮世絵には、古典の世界を当世風俗に置き換えて、絵解きを楽しむものが多くあります。雨夜に提灯を手に宮詣に向かうのは、笠森稲荷(かさもりいなり)の水茶屋の看板娘お仙(せん)。歌人紀貫之(きのつらゆき)が蟻通明神の前で風雨に遭い、和歌の力で難を逃れる謡曲『蟻通』の世界をもとにした一図です。<br /></p>
夜景内外の図
窪俊満筆,By Kubo Shunman (1757–1820),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>部屋の中や灯火のあたる部分にのみ濃さを変えて色をつけ、両側の桜の種類を描き分ける繊細な表現が見どころ。派手な色を避けて墨を主とした「紅(べに)嫌(ぎら)い」の技法で上品な叙情的作品が生み出されました。しっとりとした春の夜の情景が伝わってきます。</p><br /><p> 桜が満開の春の宵、ある邸宅の塀の内と外を描いた浮世絵版画です。<br /> 黒い塀の前にくっきりと浮かび上がる通行人たち。手元の灯をたよりに、暗い夜道を歩いています。墨を主としたほとんどモノトーンのような画面です。派手な色を使わないこのような表現を「紅嫌(べにぎら)い」と言います。<br /> 作者の窪俊満(くぼ しゅんまん)は、国学者であり画家でもあった楫取魚彦(かとり なひこ)の門人で、文学とともに絵を学びました。そのため、浮世絵だけでなく狂歌、俳諧、戯作も手がけ、幅広く活躍しました。こうした文学性を重んじる人々の、渋好みの美意識が、派手さを抑えた「紅嫌い」の表現につながったようです。<br /> モノトーンのように見える画面ですが、よく見ると、ところどころに色が使われています。なぜ、ここだけに色が使われているのでしょうか。<br /> そう、奥に見える室内の灯りと通行人の手元の行灯、光の当たっているところだけに、色が使われているのです。暗い夜は色が見分けにくくなるもの。そんな誰にでも憶えのある経験がリアルに表わされているようです。ここで用いられている「紅嫌い」は、渋好みの趣味だけが理由でなく、夜景の表現の理屈に、みごとにマッチしています。</p>
弾琴図
歌川芳玉筆,By Utagawa Yoshitama (1836-1870),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>琴を手元へ引き寄せた若い男が、廂で団扇を手にした娘と何やら話している。ほの暗い庭には小川が流れ、ナデシコが咲いている。年上の女性は、青や紫の朝顔で彩られた着物に黒い帯を締め、提灯には明かりが灯り、涼しげな夏の夜の情景を艶やかに演出している。<br /></p>
提灯作り
手仕事の技、自分の使命に<br>水出伸秀さん(南天神町)<br>真っ白な提灯に文字を入れている水出さん。明治時代から提灯店をやっており、水出さんが3代目。いちばん多い時期には市内で5、6件あった提灯店も、今はたった1件だけ。「おやじがいたころは、兄弟でやっていたんですが…どこも作り手がいなくなってしまいましてね」と、水出さんは語ります。<br>提灯の型には、大ざっぱに、関東型と関西型に分けられるそうです。関西型はどちらかというと女性的。量産向きとのこと。水出さんは「うちは関東型。手仕事の部分が多いんですよ」と。現在では祭りなどに使う提灯がほとんど。提灯の形をした木の枠に「ひご」を巻きつけ、縦に糸を張ります。そこに和紙をはり、文字入れ。道具付けをした後、仕上げに特殊な油を塗って完成です。「今は、提灯も注文があるときだけ。やめてしまうのもどうかと思い、自分の使命だと思ってやっています」と水出さんは語ってくれました。
ランプ
座敷ランプ
明治時代(19世紀)。開国とともに欧米から新しい灯火具として石油ランプが輸入された。輸入ランプは高価で入手しにくいものであったが、壊れやすいガラス製のほやや油壷の製造から次第に国産化が進み、やがて明治を代表する灯火具になった。輸入された当初のランプは、欧米のテーブルを用いる生活様式に合わせた卓上型の背の低いものだったが、座敷を中心とした日本の生活に合わせるため、高い台を取り付け、座敷に直接置くことのできるランプが作られるようになった。また、明るさを増すため芯の工夫も行われた。主に使われたのは、平らなベルト状の平芯だったが、燃焼部の面積を大きくすることで明るさを増した筒状の巻芯も使われるようになった。しかし、巻芯は石油の消費量が多く、主に来客時など特別な場面で使われることが多かった。
角灯
ランプをガラス張りの箱に収めて吊り下げられるようにした角灯である。 外箱は側面四方と底面がガラス板で、枠と天板が金属製の直方体である。側面の一方が蝶番によって開閉できるようになっている。天板は中央に穴が開いており、吊り手が付いている。ランプは基部が金属製で、火勢調節用のつまみが付いている。
ガス灯
銀座夜景
松本民次筆,By Matsumoto Tamiji (dates unknown),東京国立博物館,Tokyo National Museum
明治時代(19世紀)。政府は明治5年(1872)の大火で焼失した銀座一帯を煉瓦造建築で不燃化することを計画し、英国人ウォートルス+Thomas James Waters+を監督として施工した。明治7年には街路にガス灯が設置されて、銀座の夜景は新時代の象徴の一つとなり、絵画の主題にもなった。松本民次の経歴は未詳であるが、国沢新九郎から本多錦吉郎に受け継がれた画塾「彰技堂」に学んだことが知られる。幕末明治期に導入された洋画に見られる光と闇の対照の表現に強い影響を受けた作品が残されている。
東亰上野公園地第二内国勧業博覧会開場之図
歌川広重(三代)/画 : うたがわひろしげ さんだい 3だい,楢葉周平
第2回内国勧業博覧会は、明治14年3月1日から6月30日まで開かれた。ジョサイア・コンドルの設計により新築されたばかりの博物館本館が博覧会場として一部利用された。西南戦争をきっかけとしたインフレーションなど不況下であったが、出品数は第1回の約6倍に、入場者数も倍近くにのぼった。第1回の時に日本初の噴水が設置され人気を集めたが、第2回でも設置され、来場した人々を楽しませた。出品物は、前回の県別ではなく種別に展示され、同じジャンルの中で比較することに重点が置かれた。名誉賞は牙彫髑髏(人の頭蓋骨の精巧な模型)、七宝画製品、富岡製糸場、北海道移民拓地表がとり、改良版ガラ紡も賞を取った。しかし、当時、特許制度が無かったため、ガラ紡の模倣品も多く出品され、開発者の臥雲辰致(がうんときむね)は貧困を極めた。
瓦斯A 〔商工業:ガス〕
公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センター
1872年9月に発足した東京会議所は、1873年11月に瓦斯掛を設けてガス事業に乗り出し、1874年12月18日、金杉橋・京橋間に初めてガス灯を点灯させました。渋沢栄一は1874年11月より東京会議所共有金取締となり、ガス事業に関わるようになります。ガス事業が東京府へ移管、更に民間に払い下げられた後も長く関わり続けました。また、大阪瓦斯(株)では1901年より監査役、北海道瓦斯(株)では発起人となりました。
電灯
東京銀座通電気灯建設之図
野沢定吉画
明治16年(1883)。歌川重清筆。明治15年、東京電灯(東京電力の前身)の発起人の一人、大倉喜八郎が東京・銀座2丁目に日本初の電気街灯を設置した。極に炭素棒を用いた「アーク灯」と呼ばれるアメリカから輸入された電灯で、毎晩多くの見物人で賑わった。
ホーロー看板「電球交換所」
北陸電力株式会社が運営していた電球交換所のホーロー看板である。 両面共に同じデザインで、中央に電球の絵、右下に「北陸電力株式會社」、左下に同社のロゴマークが、それぞれ青で描かれている。 【電球交換所について】 ・昭和17年~40年代に存在。 ・当時電球は定額貸付制だったため、故障した電球を利用者が交換所に持ち込み、有料で新しいものと交換していた。料金は時代によって変動するが、当時の金額で10~30円程度。 ・農村や漁村などでは、中心となる集落内の商店が代理で業務を行っていた。 ・電球交換所の業務 (1)自然断線、光度低下、口金不良の電球は所定の引換料を徴収、領収書を添えて新球と引換。 (2)破損した電球の引換には口金の持参が必要。破損・紛失の場合にも所定の引換料を徴収、領収書を添えて新球と引換。 (3)顧客の希望により、従業員が顧客の家に出向いて電球交換を行う場合もある。 (4)遠隔地の顧客は、区域内の交換所を利用してもらう。 (5)販売用電球との混用防止のため、貸付電球受け渡しの際にガラス面や口金に記された標印を確認。標印の種類は以下の通り。 ①定格電圧と燭光数 ②定額灯用を表す○定の記号 ③会社の社章や支社を表す記号 ④会社が承認した電球製造者の商標 (6)持ち込まれた電球と電灯契約が一致しているかを確認するため、営業カードや顧客が持参する直近の電灯料領収書と照合する。 (7)電球授受の際は「点火試験」を行い、電球の導通と光度を確認する。 参考資料『日本における定額電灯制と電球貸付の変遷』 (加島篤、北九州工業高等専門学校研究報告第46号、2013年)
海外の照明器具
白磁象形燭台
中国・唐時代(7世紀)。類例の少ない作品である。本体を象の形に作り、背に6本の筒型のロウソク立てを備えている。台座は長方形で、台座の周りには蓮弁を巡らせている。象の体には様々な飾りが取り付けられ、背には丸いカーペットの敷物が敷かれている。白磁は6世紀後半、河南省鞏義窯や、河北省邢窯で本格的に生産が始まったが、その完成は8世紀後半である。この作品の年代は蓮弁の様式や造形、白磁の釉溜まりなどからみて、唐時代前期、7世紀後半の作と考えられる。象の姿、台座、ロウソク立てに巡らされた蓮弁など、仏教的要素が強く感じられる作品である。
五彩力士形燭台
景徳鎮窯,Jing-de-zhen Ware
中国・明時代(1573~1620)。力士をかたどった燭台。ロウソク立ての付いた盤を頭部に捧げ持ち、盤のなかに赤・黒・緑に彩色された食物とおぼしきものが置かれている。力士の体は肌色に彩色され、目・眉毛・髭などは青花で描かれている。衣服は赤・黄・緑で彩色され、上着の雲文など赤地に描かれた文様は白く残され、黄地には緑彩で文様が描かれている。長方形の台座の裏面には、6字横1行の青花銘。
多色ガラス燭台
「乾隆年製」銘,東京国立博物館,Tokyo National Museum
中国・清時代(1736~95)。さまざまな色ガラスを組み合わせて燭台の形に作ってあります。胴と裾に、白ガラスの上に赤いガラスを重ねて文様を彫りあらわす乾隆ガラス独特の手法がみられ、細い線彫りに金彩を加えた装飾が各所に施されています。裾に「乾隆年製」の銘があります。 中国のガラス工芸は、清時代17世紀以降、西洋のガラスの製造技術を学習して、大いに発達しました。しかし、中国のガラス工芸は、西洋のガラスのような透明感よりも、ヒスイなどの玉(ぎょく)のようにつややかな色彩や質感を出すことが重んじられました。 この作品は、蝋燭(ろうそく)を立てるための燭台(しょくだい)です。蝋燭を突き刺す金属製の棒を芯棒にして、色ガラスで作られたパーツを積み重ねています。それぞれのパーツは黄色、青色、水色などと色とりどりであり、表面には植物文様が刻まれています。よく見ると、文様の線には金が使われていたようですが、ところどころ金が落ちてしまっています。燭台の中段あたりには、白いガラスの上に赤いガラスで「寿」(ことぶき)という文字をレリーフ状に表すという、手の込んだパーツもあります。下段には「乾隆年製」(けんりゅうねんせい)という文字が刻まれており、この燭台が清(しん)の第6代皇帝である乾隆帝の時代、すなわち18世紀に製作されたことが分かります。乾隆帝の時代は、中国のガラス工芸の絶頂期とされており、この色鮮やかな燭台もその時期を代表する作品のひとつです。
花形ランプ
ドーム兄弟
フランス(1903頃)。アブラナ科ルナリア(和名: 銀銭草、大判草)の実をデザイン化した鉄製金具に、黄色いオパール色のガラスのほやを装着している。ルナリアの果実は扁平な楕円形のさやのなかにいくつかの種が入った形状でドライフラワーにすると銀色の光沢を帯びた上品なベージュ色となる。このランプの金具は、そうした特徴を忠実に写している。おそらくドームの協力者だったルイ・マジョレルが手がけたデザインであろう。一方、ドームが製造したガラスのほやは、ルナリアの花とはまったく関係のない抽象化した花のイメージをとどめるに過ぎない。
薔薇文ランプ
エミール・ガレ
フランス(1902~1931)。オパール色の透明地に赤を被せている。笠は円錐形で薔薇の花と枝はエッチングによるカメオ彫り。三ツ爪付きの金具は真鍮製。非常に類例が多いタイプの作品である。。
ランプ
エジプト(20世紀)。着飾った女性の姿をかたどった装飾用のランプ。このような人形はエジプトではアルーサ(花嫁人形)とよばれ、預言者生誕祭に女の子に贈られる砂糖菓子にも見ることができる。(『月刊みんぱく』2016年2月号より)
燭台
モロッコ(20世紀)。モロッコ都市部の富裕な家庭で用いられていたとされる。黄銅製のろうそく立て(燭台)。このような7つの枝の燭台はメノラーとよばれ、 ユダヤ教の儀礼に用いられる。(『月刊みんぱく』2016年2月号より)
ランタン
イラン(20世紀)。屋内照明用のランタン。真鍮にほどこされた造形と透かし彫りが美しい。西アジアの家屋は熱暑を避けるために窓や入り口などの採光部が小さく、そのためさまざまな屋内照明具が発達した。(『月刊みんぱく』2016年2月号より)
影絵人形芝居用 ランプ
インドネシア。影絵芝居(ワヤン・クリット)の上演用のランプ。やしの油のゆらめく炎が白い布に人形の影をつくり、神々や道化の物語を人びとに見せてくれる。つり手にはナーガ(蛇神)の装飾がほどこされている。(『月刊みんぱく』2016年2月号より)
灯油ランプ
マダガスカル。トマト缶から作られた灯油ランプ。トマト缶は砂糖などを 量り売りする際の計量器としても用いられるが、加工もしやすいため、このランプのようにさまざまな製品に使われている。風よけのガラスはなく安価。(『月刊みんぱく』2016年2月号より)
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上田市マルチメディア情報センター
上田市南部の武石地域にある「武石ともしび博物館」の収蔵品、展示品を紹介。 火おこし、ろうそく作りなどの体験、茶会などの博物館の催しを紹介。2008年制作。
奈良に春を告げる風物詩、東大寺二月堂の修二会。東大寺創建から千年に渡り一度も途絶えることなく続いています。練行衆と呼ばれる僧が、二月堂本尊・十一面観世音菩薩の宝前で、全ての罪を悔い、万人の幸せを願う法要で、期間中は、大松明が火の粉を散らす「お松明」など数々の行法が執り行われます。<br><br>(この動画は、2001年に放送したものです。)
那智の火祭は、和歌山県那智勝浦町の熊野那智大社の例大祭「扇祭り」の一幕で、毎年7月14日に行われます。滝の姿を表した高さ6メートルの十二体の扇神輿が参道の石段に現れると、氏子たちは重さが60キロにもなるという大きな松明を担いで迎え、参道を練り歩いて神輿を浄めます。<br><br>(この動画は、2010年に放送したものです。)
富士山の北側の麓に広がる富士吉田市。吉田口登山道は、富士山の登山道の中で、唯一1合目から歩いて登ることが出来る登山道です。毎年8月26日、27日の2日間行われる「吉田の火祭り」は400年以上続くお祭り。富士山のお山じまいのお祭りとして知られています。平成24年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。80本もの大松明に火をともし、富士山が噴火しないようにと山の平安を祈願します。<br><br>(この動画は、2013年に取材したものです。)
「大善寺玉垂宮の鬼夜(だいぜんじたまたれぐうのおによ)」は、福岡県久留米市にある大善寺玉垂宮で、毎年1月7日の夜に行われる伝統行事です。松明の炎で邪気を払う神事として、1600年以上前から伝わるもので、国の重要無形民俗文化財に指定されています。<br><br>(この動画は、2010年、2013年に取材したものです。)
日本三景、安芸の宮島。毎年12月31日の大晦日に行われる厳島神社の「鎮火祭」は、江戸時代から続く火よけの神事です。燃えさかる大小様々な松明。御笠浜(みかさのはま)がまばゆい炎に包まれます。<br><br>(この動画は、2011年に放送したものです。)
紀伊半島の南部、熊野地方で毎年行なわれる「お燈祭り」は、2000人の男たちが手に松明を持って石段を駆け下りる勇壮な火祭りです。1400年の歴史があるといわれ、「ごとびき岩」に降り立つ年神を迎える行事ともいわれています。お燈祭りを通して、熊野の人々の信仰の姿を描きます。<br>(この動画は、1996年に放送したものです。)
滑川市に伝わる民謡です。両手に松明を持って勇壮に踊る男踊りと、扇子や盃などの小道具を持ち、しなやかに踊る女踊りの対比が見どころです。盃、手拭い、たすき、扇子など、生活に密着した小道具を持った軽快でテンポのいい踊りをお楽しみください。こちらは夜に撮影されたバージョンです。<br><br>唄・演奏・踊り/新川古代神保存会のみなさん<br><br>(この動画は、2012年に放送したものです。)
岐阜県中央部、奥美濃の山々を源流とする全長165キロの川、長良川。日本の川には珍しく傾斜が緩やかで、幾重にも蛇行しながらゆったりと流れます。闇の中、篝火(かがりび)を川面(かわも)に映し、鵜匠と鵜が一体となって繰り広げる古典漁法「鵜飼い」。1300年以上変わらない、初夏の長良川の風物詩です。<br><br>(この動画は、2006年に放送したものです)
岐阜が誇る伝統工芸品、岐阜提灯。原材料となる良質な竹と和紙に恵まれていることから、岐阜では古くから提灯作りが盛んに行われ、その技術が今も受け継がれています。特徴は繊細な骨組み。1ミリに満たない極細の竹ひごを丁寧に巻いて作ります。<br><br>(この動画は、2008年に放送したものです)
山口県・下関名物、ふぐ。国内で水揚げされるふぐのほぼ半分が集まります。地元では縁起をかついで「ふく」と呼ばれています。出荷の少ない夏場、ふくを使った特産品が作られます。天然のトラフグの皮で作った「ふく提灯」。まるまるとした体にシャチホコのような姿は、まさに福を呼ぶ縁起もの。ユニークな置き物として人気があります。<br><br>(この動画は、2015年に放送したものです。)
およそ600年の歴史がある愛知県津島市の「尾張津島天王祭の車楽舟(だんじりぶね)行事」。毎年7月第4土曜日に行われます。二艘の舟に設けた屋形の上に山型に提灯が飾られた「まきわら船」。半円の部分には1年の日数をあらわす365個の提灯、中央から天へと伸びる柱の部分には1年の月数をあらわす12個の提灯が飾られるといいます。柔らかなロウソクの明かりと屋形で奏でられるお囃子が、尾張津島の一夜を彩ります。<br><br>(この動画は、2015年に取材したものです。)
たてもん祭りは、富山県魚津市に300年以上前から続く伝統行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。高さ16メートルの柱に、およそ90個の提灯を、帆をあげた船のように飾り付けた「たてもん」を威勢よく曳き回し、豊漁と漁の安全を祈願する港町・魚津の夏の風物詩です。<br><br>(この動画は、2008年に取材したものです。)
福岡県北九州市戸畑区で、毎年7月第4土曜日を挟む3日間行われる戸畑祇園大山笠。江戸時代から200年以上続く祭りで、国の重要無形民俗文化財に指定されています。昼、男たちはのぼりで飾った山笠を担いで町を練り歩きます。夜には、山笠は提灯で彩られた姿に変わり、幻想的な競演を繰り広げます。<br><br>(この動画は、2007年に放送したものです)
岐阜県飛騨市で200年以上続く、三寺まいり。毎年1月15日の夜におこなわれる冬の伝統行事です。無数のろうそくに照らし出される幻想的な風景をお届けします。<br><br>(この動画は、2011年に放送したものです。)
四街道市は東京都心から電車で1時間程、首都圏のベッドタウンとして発展してきました。市内には地名の由来にもなっており、4つの街道が交差する「四街道十字路」があります。めいわ地区は「日本一ガス灯の多い街」と呼ばれています。通りには200基以上のガス灯が立ち並んでいます。<br><br>(この動画は、2008年に取材したものです。)
見に行く・調べる
東京ガスネットワークが運営する、日本のガス事業に関する資料を収蔵・展示する博物館。近代以前の灯火具、ガスランプ、ガス灯が描かれた錦絵などが常時展示されている。
北信濃およびその周辺地域の灯火具(金箱正美灯火具コレクション)を公開する日本初の灯火具専門館として開館。コレクションには、灯火具のほか、引き札や看板などあかりの商工に関するもの、灯火具の描かれた絵画なども含まれる。
灯火の変遷と灯火の工夫をテーマに、灯火具、浮世絵、詩歌など約300点を展示。体験館では、火おこし、ろうそくづくりなど、あかりに関する体験学習が可能。
ガスミュージアムが収蔵するガス器具、明治錦絵を検索できる。明治錦絵の検索では、ガス灯を描いた錦絵をキーワード検索可能。
参考文献
- 関根正直 著,六合館書店
- 内阪素夫 著,東京電気
- 「灯明皿」「灯籠」の項
- 「灯火」「松明」「灯籠」の項
- 「松明」「灯台」の項目
- 責任表示
- 二次利用について
- 最終更新日
- 2024/03/25
































































































