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歌川広重筆「山海見立相撲」「越後新潟」 / The British Museum

新潟県

米どころ越後国、金銀山が栄えた佐渡国からなる

中部地方の北端部、日本海に面した県。日本海に浮かぶ佐渡島、その北方に位置する粟島も含まれる。北から山形県、福島県、群馬県、長野県、富山県と接する。朝日山地、越後山脈、三国山脈がそびえ立ち、阿賀野川、信濃川、関川が流れ、新潟平野は米どころとして知られる。冬季は北西季節風が強く、積雪が多い。『古事記』『日本書紀』に「佐度島」「佐度洲」の記述があり、7世紀末に越国(こしのくに)が分かれて越後国が成立した。鎌倉時代から室町時代にかけては、越後国へ親鸞(しんらん)、佐渡国へ順徳院、日蓮、世阿弥(ぜあみ)らが流罪(るざい)となっている。戦国時代には長尾景虎(かげとら/のちの上杉謙信)が越後の戦国大名として大きな勢力を振るったが、謙信の養子の上杉景勝(かげかつ)は会津へ移封となった。江戸時代の越後国は高田藩をはじめとする十数の藩領や幕府領などとして分割統治され、幕府領の佐渡国では佐渡奉行の支配下で佐渡金銀山が繫栄した。明治維新後は廃藩置県によって新潟県、柏崎県が成立し、佐渡国は相川県となったが、明治9年(1876)までに新潟県に統合された。同19年に福島県から東蒲原(ひがしかんばら)郡が編入され、今日の県域となった。

ゆかりの人物

上杉謙信

越後国の戦国大名。本姓は長尾氏で、元服後に平三景虎などと名乗り、元亀元年(1570)頃から謙信を称した。居城は春日山城(現上越市)で、甲斐の武田信玄との川中島の戦いで知られる。

直江兼続(なおえかねつぐ)

戦国時代から近世初期の武将。越後魚沼郡上田庄(現南魚沼市)出身の樋口兼豊の子として生まれる。天正11年(1583)に三島(さんとう)郡与板(現長岡市)を領した直江家の名跡を継いだ。上杉謙信・上杉景勝に仕え、治政・軍事両面に優れ、好学家としても知られる。

松尾芭蕉

江戸時代前期の俳人。蕉風を確立して後世に大きな影響を与えた。紀行文『奥の細道』に載る「荒海や佐渡に横たふ天の川」の句は、越後国出雲崎(現出雲崎町)で詠んだものとされる。

良寛(りょうかん)

江戸時代後期の禅僧。歌人、書家としても知られる。越後国出雲崎(現出雲崎町)で代々名主と神官を兼ねる旧家に生まれる。諸国行脚(あんぎゃ)の旅からの帰郷後は、農民と親しく接触し、子供たちとの交流のエピソードが残る。画像は昭和4年(1929)年6月の帝国劇場の絵看板『良寛と子守』で、 7世鳥居清忠の画。

河井継之助(かわいつぎのすけ) 外部サイト

江戸時代末期の越後長岡藩士。同藩の上士の家に生まれる。長岡藩政の大改革を実施。戊辰(ぼしん)戦争の際には、家老として新政府軍、旧幕府軍のどちらにも荷担しない局外中立を宣言した。しかし、新政府軍に攻められ、長岡城占領、奪還、再占領の激戦となり、この戦闘で傷を負って死去した。

前島密(まえじまひそか) 外部サイト

越後国頸城(くびき)郡下池部村(現上越市)の豪農上野家に生まれる。江戸で洋学を修め、幕臣前島家を継ぐ。明治新政府に出仕し、イギリス留学からの帰国後に駅逓頭(えきていのかみ)・駅逓総監などを歴任し、我が国の近代郵便制度の創設に尽力した。

益田孝(ますだたかし) 外部サイト

実業家。三井物産の育ての親。佐渡国佐渡郡相川(現佐渡市)の佐渡奉行下役の長男として生まれる。文久3年(1863)遣欧使節団に随行して渡欧。井上馨(かおる)が設立した先収(せんしゅう)会社に参画し、それが三井家に吸収されて三井物産が設立されると、同社に転じた。鈍翁(どんのう)と号して、美術品収集家としても名を残した。

井上円了(いのうええんりょう) 外部サイト

近代の仏教哲学者。越後国三島(さんとう)郡浦村(現長岡市)にある真宗大谷派の慈光寺に生まれる。明治20年(1887)に哲学館(のちの東洋大学)を創立。また、東京の中野に哲学堂を建て、釈迦 、孔子、ソクラテス、カントの四聖を祀った。晩年には迷信否定のため『妖怪学講義録 』を著し、妖怪博士と称された。

吉田東伍(よしだとうご) 外部サイト

近代の歴史地理学者、文学者。越後国蒲原(かんばら)郡保田町(現阿賀野市)に生まれる。一時北海道に渡ったが、明治24年(1891)に上京して読売新聞記者となり、記者のかたわら歴史家としての地位を固めた。明治40年(1907)に13年かけて『大日本地名辞書』全11冊を完成させた。能楽についての造詣も深かった。

北一輝(きたいっき) 外部サイト

近代の国家主義運動の理論的指導者。新潟県加茂郡湊町(現佐渡市)の商家に生まれる。満州事変期に青年将校運動の中心的指導者となるが、昭和11年(1936)の 二・二六事件で黒幕とされ逮捕、翌年に死刑判決を受けて銃殺された。

山本五十六(やまもといそろく) 外部サイト

昭和期の海軍軍人。新潟県古志郡の旧長岡城下で生まれる。昭和14年(1939)に連合艦隊司令長官、翌年には大将となり、太平洋戦争では真珠湾攻撃をはじめ作戦全般を指揮。同18年4月、南方戦線を視察中に米軍機に要撃され戦死した。

坂口安吾(さかぐちあんご)

新潟県新潟市生まれの小説家。本名は炳五(へいご)。生家は旧家で大地主であった。太平洋戦争後に『堕落論』、『白痴』などを著わし、太宰治、石川淳らと並んで無頼派(ぶらいは)と呼ばれ、流行作家となった。推理小説の『不連続殺人事件』もある。

名物・特産

越後米

米どころ新潟県のコメ。魚沼産コシヒカリなどが有名。画像は昭和31年(1956)10月の新発田(しばた)市での越後米の出荷風景。新発田駅からおもに首都圏へと運ばれた。

日本酒

デンプンの糖化にコウジカビを利用する日本独特の醸造酒。米どころ越後には銘酒が多く、越後杜氏(えちごとうじ)は南部杜氏に次ぐ大きな醸造集団である。

サケ目サケ科の魚。古代より日本の食文化を支え、親しまれている。内臓を取り除いて水洗いした鮭に粗塩(あらじお)をすり込み、「寝かせる」「磨く」「干す」という工程を経て熟成させた村上市の塩引き鮭は有名。

錦鯉(ニシキゴイ)

観賞を目的として野生のコイから色彩、斑紋、光沢などの優れた形質を選抜し、育成したコイの品種の総称。長岡市の山古志(やまこし)は、錦鯉発祥の地といわれる。江戸時代後期、食用として飼われていた真鯉の中に色や模様のある鯉がまれにおり、掛け合わせて錦鯉を生み出した。

おけさ柿

新潟県特産の種のない渋柿。焼酎で渋みを抜いてから出荷される。平核無(ひらたねなし)、刀根早生(とねわせ)という品種がある。名前は代表産地である佐渡の民謡「佐渡おけさ」に由来する。

越後上布(えちごじょうふ)

古来からの越後国魚沼地方の特産的麻織物で、そのうちの特に上等なものを上布と呼んでいる。冬の長い農閑期の副業として発展した織物である。小千谷縮(おぢやちじみ)とともに「小千谷縮・越後上布」として国の重要無形文化財に指定されている。

南蛮エビ

アマエビ(甘エビ)、すなわちホッコクアカエビのことで、十脚目タラバエビ科の甲殻類。新潟県では色と形が赤とうがらしに似ていることから、南蛮エビと呼ばれており、その色つやから赤いダイヤともいわれている。

笹団子

笹団子は笹の葉に包んでスゲなどの紐で結んだ俵形の団子のこと。 笹には殺菌作用があるため戦国時代の携行保存食とされ、上杉謙信が携帯食にしたともいわれている。

トキ

ペリカン目トキ科の鳥。明治時代に羽毛を取るために乱獲されて激減した。国の特別天然記念物に指定されている。昭和56年(1981)佐渡島に生息していた最後の野生のトキ5羽が保護され、野生種は絶滅した。

名所・史跡

妙高山

新潟県南西部に位置する妙高火山群の主峰で、二重式火山。妙高市に属する。円形カルデラの中央火口丘が、狭義の妙高山(2454m)として最高峰をなしている。秀麗な山容から越後富士とも呼ばれる。

親不知(おやしらず)

糸魚川市にある約15kmの海岸。親不知・子不知とも呼ばれる旧北陸街道の難所で、飛驒山脈北端が断崖をなして日本海に臨む岩石海岸である。地名は、親子が互いを顧みる暇もなく、断崖の波打ちぎわを通り抜けなければならなかったことに由来する。

清津峡(きよつきょう)

信濃川の支流である清津川が形成した峡谷。十日町市から湯沢町にかけての全長約12.5㎞をいう。国の名勝および天然記念物に指定されている。雄大な柱状節理の岩肌とエメラルドグリーンの清流が美しい。

春日山城跡

戦国時代から江戸時代初期の城。上越市の春日山にあり、上杉謙信の居城として名高い。謙信没後の御館(おたて)の乱では、上杉景勝(かげかつ)が春日山に籠城し、反対勢力の猛攻をくじいて勝利を得ている。

新発田城(しばたじょう)

新発田市にある城。戦国時代は揚北(あがきた)の有力国人であった新発田氏の居城であった。近世に入って新発田藩溝口氏が新たに縄張りして築城、明治維新までその居城となった。

彌彦神社(やひこじんじゃ)

弥彦村にある神社。境内には樹齢500年の杉などが立ち並び、石畳の参道が続く。祭神の天香山命(アメノカグヤマノミコト)はコメ作りの技術を伝え、越後の地を切り開いた稲作の神とされている。

尖閣湾(せんかくわん)

佐渡市の旧相川町、姫津(ひめづ)から北狄(きたえびす)までの約3㎞の海岸に広がる5つの小湾の総称。ノルウェーの「ハルダンゲル・フィヨルド」の峡谷美に似ていることから、尖閣湾と名付けられた。30m級の尖塔状の断崖が連なっている。

小木港(おぎこう)のたらい舟

佐渡市の小木港は、佐渡島南端に位置する天然の良港。たらい舟はたらい状の木舟で、成立は江戸時代後期と推定される。佐渡島の小木海岸の複雑な岩礁における見突漁(みづきりょう)や海藻採取などに使用されてきたが、現在は観光でも利用されている。

佐渡金銀山

佐渡市の旧相川町を中心としていた金銀山の跡。天文年間(1532‐1555)に鶴子(つるし、旧佐和田町)で発見された銀山は、文禄年間(1592‐1596)から慶長年間(1596-1615)にかけて坑道掘りの技術の導入に伴い、その中心が相川に移っていった。現在、「佐渡島の金山」として世界文化遺産に推薦中である。画像は江戸時代中期から末期までの「佐渡金銀山絵巻」の一部。

出来事・行事

新津油田(にいつゆでん)

かつての新津市(現新潟市秋葉区)に存在した油田。旧越後三大油田 の一つとされる。明治時代末期から大正時代の全盛期には年産17万㎘の産油高を誇る大油田であった。その後は生産量が減少し、平成8年(1996)に採掘を終了した。画像は「(北越新津油田地)瀧谷七本松柄目木鑛場全景」(北方文化博物館[伊藤家]コレクション)。

新潟地震

昭和39年(1964)6月16日13時01分頃、新潟県沖で発生した地震。規模はマグニチュード7.5、震度5で、震源の深さは40㎞。日本海沿岸各地に津波が襲来した。死者は26人。新潟市内では石油タンクに引火して火災が発生。画像は「黒煙を噴き上げて燃え上がる成沢石油の石油タンク」(中俣正義コレクション)。

上越新幹線開業記念特定特急券(見本券)

開通当初の上越新幹線は、埼玉県大宮-新潟間269.5㎞(営業キロは303.6㎞)を走る日本国有鉄道(現在は東日本旅客鉄道/JR東日本)の新幹線鉄道であった。昭和46年(1971)12月に工事に着工し、同58年11月に大宮-新潟間が開業した。

岩船大祭 

村上市の岩船神社の例祭。毎年10月に行われる。神様が「石の舟」でこの地を訪れたという伝説に由来し、「舟囲い」とも謂われ、その年の海の恵み・山の恵み・あらゆる生業に感謝を捧げる。

糸魚川けんかまつり

毎年4月に開催される糸魚川市の天津(あまつ)神社の春大祭。豊漁豊作を祈り、二基の神輿がぶつかり合うことから「けんかまつり」といわれる。春大祭で奉納される舞楽は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

牛の角突き

長岡市の山古志(やまこし)の伝統行事。牛を大切にすることから、山古志の角突きは勝敗をつけないのが特徴。江戸時代の『南総里見八犬伝』にも登場し、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

鬼太鼓(おんでこ)

五穀豊穣祈願や厄払いを目的として、佐渡島で行われる伝統芸能。起源は不明であるが、江戸時代の記録がある。島内の約120地区でそれぞれの流派の鬼太鼓が行われ、いずれも鬼が登場して舞を舞う。

長岡花火

日本三大花火大会の一つとされる長岡市の花火大会。信濃川の河川敷を会場として毎年8月に開催される。昭和20年(1945)8月1日から2日にかけての長岡空襲や地震で亡くなった人たちへの慰霊の念が込められている。

白根大凧合戦

新潟市南区白根(しろね)地域で、300年間にわたって引き継がれてきたとされる大凧合戦。信濃川支流の中ノ口川で行われる。江戸時代中頃に白根の人々が中ノ口川の堤防改修工事の完成を祝って藩主から送られた凧を揚げたところ、対岸の西白根に落ちて家や農作物を荒らした。これに怒った西白根の人々が対抗して凧を揚げて白根側にたたきつけたことから大凧合戦が始まったと伝えられている。

越後、佐渡へ流罪となった人たち

親鸞

浄土真宗を開いた鎌倉時代の宗教家。専修(せんじゅ)念仏以外の宗教を否定し、悪行を容認する危険思想との理由で、承元元年(1207)に法然(ほうねん)以下10余名が死罪・流罪となり、親鸞は越後へ配流(はいる)となった。しかし、建暦元年(1211)に流罪を許されている。画像は「親鸞聖人像」(奈良国立博物館所蔵)。

順徳天皇

84代に数えられる天皇(在位1210-1221年)。のち上皇となる。父の後鳥羽上皇とともに討幕計画を進めて承久の乱を起こしたが、幕府軍に敗れて佐渡へ配流(はいる)となった。画像は一勇斎国芳筆「小倉擬百人一首 順徳院」(国立国会図書館デジタルコレクション)。

日蓮

鎌倉時代の僧で、日蓮宗の開祖。文永5年(1268)元の国書が届けられ、モンゴル襲来(蒙古襲来)の不安が高まるなか、襲来の予言の的中と法華経信仰を叫ぶ日蓮は、鎌倉幕府による斬首(ざんしゅ)の危機にさらされた。しかし、奇跡的に助かり、佐渡への配流となったが、のちに赦免されている。画像は明治43年(1910)の横山大観筆「日蓮上人」(東京国立博物館所蔵)。

日野資朝(ひのすけとも)

鎌倉時代末期の公卿(くぎょう)。後醍醐天皇が討幕を企図すると、日野俊基(としもと)とともにその中心となった。しかし幕府に察知され、正中(しょうちゅう)元年(1324)に捕らえられ、翌年佐渡に流された(正中の変)。画像は佐渡市阿仏坊(あぶつぼう)の妙宣寺にある資朝の墓。

世阿弥

室町時代初期の能役者・作者・理論家で、「幽玄」の美を追求した。室町幕府の6代将軍足利義教(よしのり)の怒りをかったためか、永享6年(1434)に佐渡国へ流された。画像は「能面 大飛出」(東京国立博物館所蔵)で、世阿弥の談を伝える『申楽談儀』は「菅原道真が柘榴をくわっと吐き出した表情である」と述べている。

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参考文献