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役者絵に見る江戸の名優3

幕末から明治にかけての名優の役者絵

役者絵は、歌舞伎役者の舞台姿などを描いた浮世絵版画の総称で、特に人気役者をモデルとしたものは熱狂的なファンに歓迎されて大量に制作・販売され、作者としては、勝川春草をはじめとする勝川派の絵師や東洲斎写楽 、歌川豊国 、歌川国政、歌川国貞などのなどが知られている。なかでも人物の上半身を大きく、その表情を強調して描いた「大首絵(おおくびえ)」は、贔屓の役者を間近に見たいというファンの渇望にこたえたポートレートであり、役者が舞台で見得をきった瞬間をとらえた多くの作品が残されている。ここでは役者絵のうち幕末から明治にかけての名優を、大首絵の名品をまじえながら紹介する。

関連するひと・もの・こと

幕末から明治

幕末の名優。悪声で小柄ながら、河竹黙阿弥の『鼠小僧』『三人吉三 』などの講釈種の小悪党役で評判をとり「白浪役者」とよばれた。慶応2年(1866))、『鋳掛松』で幕府の取締りの対象になったのが原因で憤死したとされる。掲載の絵は、「仁木弾正直則」。 嘉永5年(1852)。

「いかけの松 市川小団次」。慶応2年(1866)。絵師の2代目国貞(1823-1880)は、初代国貞の娘と結婚し、号一寿斎、別号梅蝶楼。のち4代豊国を襲名した。

「石川五右衛門 市川小団次」。文久元年(1861)。

 「和尚吉三」。万延元年(1860)。

7代目団十郎の長男。天保3年(1832)海老蔵から8代目を襲名。すぐれた技芸と華やかな美貌で江戸っ子の熱狂的支持を受けたが、32歳の若さで大坂で自殺した。『切られ与三』などを当り芸とした。掲載の絵は、「揚巻の助六 市川団十郎 三升」。万延元年(1860)。

「東海道五十三次の内 戸塚駅 早野勘平」。嘉永5年(1852)。

幕末から明治にかけて東都劇壇を代表する立女方。7代目の子。前名は粂三郎(3代目)。明治5年(1872)半四郎を襲名。お嬢吉三、三千歳、十六夜(いざよい)などを初演した。掲載の絵は、「新造十六夜」。安政6年(1859)。

「おぜう吉三」。安政7年(1860)。

「政岡 坂東彦三郎」。明治5年(1872)。

市村座の座元で役者としても舞台に立って幕末期に活躍した。掲載の絵は、「安部保名市村羽左衛門」。天保10年(1839)。

大坂生まれ。4世歌右衛門の養子となって江戸に下り、万延元年(1860)に4代目芝翫を襲名した。時代物を得意として、所作事にも優れた。掲載の絵は、「藤屋伊左衛門 中村芝翫成」。万延元年(1860)。

5代目沢村宗十郎の長男。天才的女方3代目沢村田之助の兄。和事師を得意とした。のち4代目助高屋高助を襲名。掲載の絵は、「刈萓道心 沢村訥升」。明治2年(1869)。

幕末から明治初年の女方。天才肌で若くして絶大な人気を誇ったが、脱疽 (だっそ) を患って両手両足を切断。切断後も舞台に立ったが34歳で早世した。伝法肌の女性や悪婆を得意とした。掲載の絵は、「沢村田之助」。文久元年(1861)。

「きられお冨 沢村田之助」。刊年不詳。

「女船頭 沢村田之助」。文久元年(1861)。

明治時代を代表する歌舞伎役者。4代目市川小団次の養子となり左団次。『慶安太平記』の丸橋忠弥で認められ、9代目市川団十郎、5代目尾上菊五郎とともに「団・菊・左」と称された。しかめた眉が特徴的に描かれる。掲載の絵は、 「丸橋忠弥 市川左団次」。明治25(1892)。作者の林基春は、明治時代の浮世絵師。大坂の人。

「富樫左衛門 市川左団次」。

「佐野次郎左衛門 市川左団次」。明治21年(1888)。作者の3代目国貞(1848-1 920)は、幕末から明治時代の浮世絵師。初代市川左団次の似顔絵を得意とした。

5代目尾上菊五郎

9世市川団十郎とともに「団菊」と称された明治の名優。前名市村九郎右衛門、羽左衛門、家橘。3代目菊五郎の孫。19歳で初演した弁天小僧が出世芸となり、慶応4年(1868)5代目をを襲名した。

5代目尾上菊五郎

絵は、「見立十二時之内 巳 弁天小僧 尾上菊五郎」。明治7年(1874)。

「髪結の新三 尾上菊五郎」。明治26年(1893)。

「かん平 尾上菊五郎」。明治8年(1875)。

「おかる 尾上菊五郎」。明治22年(1889)。

「源義経 尾上菊五郎」。明治5年(1872)。

「塩原多助 尾上菊五郎」。明治25年(1892)。

「恵府林之助 尾上菊五郎」。明治12(1879)。

9代目市川団十郎

明治期歌舞伎の第一人者。7代目の5男。8代目の弟。明治7年(1874)、河原崎権十郎から9代目を襲名。立役、女方、敵役のいずれにも卓越した演技力を示した。「活歴 (かつれき) 」といわれる史劇を創始し、新歌舞伎十八番を制定するなど、歌舞伎の向上発展に尽力した。

9代目市川団十郎

絵は、「武蔵坊弁慶 市川団十郎」。明治23年(1890)。

「与三郎 市川団十郎」。明治15年(1882)。

「河内山宗俊 市川団十郎」。明治14年(1881)。歌川周重(うたがわちかしげ)は豊原国周の弟子。生没年不詳。

明治24年(1891)。