歌川豊国(初世)
写楽を超える人気を誇った役者絵の巨匠
1769-1825(明和6-文政8)
江戸時代後期の浮世絵師。江戸芝神明前(しばしんめいまえ、東京都港区)の木彫(きぼり)人形師、倉橋五郎兵衛(くらはしごろべえ)の子として生まれた。幼名を熊吉、のち熊右衛門(くまえもん)と称した。号は一陽斎。歌川派の創始者である歌川豊春(うたがわとよはる)に学ぶ。初作は天明6年(1786)に刊行された黄表紙の『無束話親玉(つがもないはなしのおやだま)』の挿絵といわれるが、未詳。初め美人画を描いたが、のち役者絵に進み、平明な画風で人気を得た。代表作となったのは、寛政6年(1794)正月から発表しはじめた役者絵シリーズ『役者舞台之姿絵(やくしゃぶたいのすがたえ)』。同年5月に鮮烈なデビューを果たしたのが東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)で、すでに大御所となっていた勝川春英(かつかわしゅんえい)とともに役者絵で三つ巴(みつどもえ)の争いとなったが、写楽はあまり人気が続かず、春英も数年後には役者絵から手を引いたため、豊国がスター絵師の座に上り詰めたといわれる。
歌川派繁栄の基礎を築き、門人には歌川豊重(うたがわとよしげ、2世豊国を襲名)、「役者絵の国貞」の異名をとった歌川国貞(うたがわくにさだ、3世豊国を襲名)、奇抜な画風で知られる歌川国芳(うたがわくによし)ら多数の絵師がいた。文政8年(1825)正月7日に57歳で死去。三田(みた、東京都港区)の曹洞宗功運寺(こううんじ)に葬られたが、現在同寺は東京都中野区に墓とともに移転している。
関連するひと・もの・こと
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豊国の画壇デビュー作とされる、万象亭(森島中良)作の黄表紙。天明7年(1787)刊。掲出本は、改題して「噺錦絵長崎強飯 」として刊行されたもの。
式亭三馬作・歌川国直画の滑稽本。2巻2冊。文化3年(1806)刊。江戸の中村座・市村座を舞台に、芝居町の情景、戯場(劇場)の雰囲気、観客の風俗・会話・動作などを写実的に描いた作品。掲出は、三馬の『戯場訓蒙図彙』を楽屋落ち的に引き合いに出す会話に豊国が登場する箇所。「三馬が書た五冊物の絵本で、芝居訓蒙図彙といふ本を見なせへ。春英(きうとく)と豊国(とよく)が絵で委しいもんだ」とある。春英(きうとく)は、勝川春英(九徳斎)のこと。「豊国」には「とよく」という読みが振られている。
豊国から馬琴への年末の挨拶として、絹地3枚を贈るという内容。「昨夕方絹地三枚下り申候。御受取可被下候、色々御はなしも是有候へ共、いづれ近日参上致申上候」などとある。
式亭三馬画作の黄表紙。1802年(享和2)刊。草双紙が赤本、黒本、青本と変わり、当世風の黄表紙にいたるまでの変遷を、その作風と各画工に似せた絵で示し、当時の黄表紙の作者、画工、作品の評価をあわせて示している。掲出は、巻頭に「倭画功名尽(やまとえしのなづくし)」。「豊国」の名が、「豊春」と並んで「写楽」の隣に見える。
曲亭馬琴による山東京伝の伝記。文政2年(1819)12月成。写本1冊(罫紙、10行)。京伝の出自・経歴・人柄・家族関係、馬琴との交友と隔たり、没後のことなど、ごく身近な人でなければ分からない細部を記述する。画像は文化2年(1805)、豊国が「絵本太閤記」に取材した錦絵を描いた際、これに遊女をまじえたとの理由で手鎖50日の刑を受けたことを記す部分(左ページ末尾2行目)。「画工歌川豊国事熊右衛門、勝川春英、喜多川月麿、勝川春亭、草冊子作者一九等数輩は、手鎖五十日にして御免あり」とある。掲出本は、関根只誠(しせい)筆写、安田善次郎(蔵書印「松廼舎文庫」)旧蔵。跋文に「按るに、此書は著作堂馬琴翁の筆記なるよし、珍書と称すべし。又戯作者の小伝、細注に見えたり。いとめづらし。」云々とある。
岩本活東子による戯作者の評伝「戯作六家撰」の歌川豊国像。同書は、山東京伝、式亭三馬、曲亭馬琴、十返舎一九、柳亭種彦、烏亭焉馬の6人の戯作者の伝に、北斎、豊国、国貞の3人の絵師の小伝を付したもの。 安政3年(1856)成立。
五渡亭国貞(3世豊国)による歌川豊国の死絵(しにえ)。死絵は、歌舞伎役者などの死に際して、似顔絵に没年月日や法名、菩提寺、辞世および追善の歌句などを記して売り出された絵草紙。命日は文政8年正月7日、戒名は「実彩麗毫信士」、菩提寺は、三田聖坂功運寺、辞世として「焼筆のままかおぼろの影法師」が記されている。
明治32年(1899)の出版。右ページから歌川豊国(初世)の解説が始まる。
大正13年(1924)の出版。右ページに「三五 歌川流の中堅豊広、豊国と其の末葉」とある。
明治31年(1898)の出版。
豊国作の絵本類
歌川豊国画の女性教訓絵本。寛政前期刊か。半紙本3巻3冊。墨摺り。丁付に乱れがあり、巻号を表す文字が「上」「下」のみであることから、元2巻本を3巻に編成し直したものか。詞書きの内容は、女性の物言い、物腰、芝居、食べ物、物見遊山、服装、髪、信心、笑い、書見、子持ち、三味線・小唄、化粧、履き物、酒などのたしなみ、振る舞いについて戒めるもの。豊国の絵は、硬さの残る若描きであり、猫背で襟元を緩めた女性の描き方に特色が見られる。稀本。『絵本匂扇子』は本書の改題本。
歌川豊国画の狂歌入り江戸名所絵本。寛政7年(1795)刊。墨摺り。名は「江戸の水」の意。狂歌堂真顔(鹿都部真顔)の序に「爰に阿羅々僊人の後胤森羅道人毫を杖に取直して、忽縮地の法を修し、豊国をして画図となし、添るに例の狂歌をもてす」とあり、名所の選定、縮図の作成など、当初の設計は、森羅亭(森島中良)によるらしい。選定した名所は、新吉原、日本橋、堺町、浅草寺、亀井戸、滝の川、妙見、待乳山、上野、両国橋、目黒、愛宕山、高輪、神明、羅漢寺、三圍、梅屋敷、深川、飛鳥山、不忍池、山王。女性の老若貴賎の風俗を窺う上で貴重であるが、武家を含む様々な風俗の男も散見される。
式亭三馬編、歌川豊国(初世)画・歌川国政画の芝居絵本。寛政11年(1799)の三馬の自序がある。歌舞伎俳優の楽屋・自宅・遊山等の日常生活を描いたもの。掲出は、江戸中期の人気役者、四代目松本幸四郎と三代目瀬川菊之丞の二人。
式亭三馬作、歌川豊国(初世)画の芝居絵本。寛政13年(1801)の出版。書名は「付言」による。『俳優画図三階興 (自序)』、『画図俳優三階興(見返し)』とも。中国古代の地誌『山海経』の音を借りて書名とし、寛政末頃の歌舞伎俳優の楽屋・自宅・遊山等の日常生活を描いたもの。「三階」は当時の楽屋の建築構造に基づく。『俳優楽室通』の続編。画中の俳優のおのおのに名票を付しており、似顔判定の参考にもなる。名古屋の貸本屋大野屋惣八の旧蔵書。
歌川豊国画・文、式亭三馬閲の女性風俗絵本。半紙本2冊。享和2年(1802)正月、江戸和泉屋市兵衛蔵板。色摺り。上下巻とも後半に文を付す。当世の女性の姿態風俗について貴賤上下を問わず色摺りで写し取ったものという。女性は武家、町家、遊女、芸者などに広く渉り、盛り場の土弓場、楊枝屋、下級遊女の河岸見世、船饅頭などの出色の図も多い。豊国渾身の力作で、名物本として知られる。
歌川豊国(初世)画の狂歌入り大首役者似顔絵集。享和4年(1804)刊、大本1冊。仁義堂のあるじ(仁義道守)撰、浅草庵市人作。背景、鼠色のつぶし。紫、紅をはじめとする極彩色を使用し、顔に胡粉を引き、目鼻口や隈取りに意を用い、衣装の文様も艶やか。演技中の緊迫した表情を伝えるものが多い。狂歌には、歌舞伎特有の「棧敷」「入り(のおちぬ)」「せり出し」「ちう(につらるる)」「敵やく」「七変化」その他の語を詠み入れる。掲出の画は5世市川団十郞で、裏に自詠「君に顔見せんと夜半もねつみ木戸明て逢ふ日の檜舞台に 市川白猿(花押)」を記す。花押は「鼻」の朱1字。
豊国よる歌舞伎役者の似顔絵の書き方の手引き書。文化14年(1817)刊。十返舎一九序。役者絵の名手豊国が、役者の似顔を描くための手法をさまざに図示した絵手本。掲出は「役者似顔略画大概」と題し、5代目松本幸四郎、3代目尾上菊五郎、3代目坂東三津五郎など、当時の人気役者の顔で最も特徴的なポイントを説明した記事。
豊国の描いた挿絵
桜川慈悲成 (さくらがわじひなり)作、歌川豊国画の黄表紙。寛政元年(1789)刊。作中人物の顔が人気役者の似顔で描かれる早い作例。掲出箇所では五代目市川団十郎と三代目瀬川菊之丞の似顔が用いられている
黄表紙。七珍万宝(しっちんまんぽう、1762-1831)作、歌川豊国(初世)画。寛政元年(1789)の出版。
桜川慈悲成 (さくらがわじひなり)作、歌川豊広・歌川豊国画の噺本。享和3年(1803)刊。桃太郎・かちかち山・猿蟹合戦・舌切雀・分福茶釡の昔話を基にした落し噺(おとしばなし)を収録し、彩色摺の挿絵を入れて新機軸とした作。挿絵は、豊広(広重の師、馬琴の読本挿絵を多く担当)と豊国が分担する。書名は題簽によるが、序・跋ともに『遊子戯語』を書名としており、本書は改題本か。
山東京伝作、歌川豊国画の読本。文化3年(1806)刊。平将門の伝説と謡曲「善知鳥」をもとに、将門の遺児良門と滝夜叉姫(たきやしゃひめ)が、父の遺業を継いで蜂起を企てる物語と、善知鳥安方(うとうやすかた)夫婦の忠義を描く。京伝は前編の5巻6冊で中絶した。掲出は、前編巻之一の口絵。善知安方の亡魂が効果的な薄墨によって描かれている。
山東京伝作、歌川豊国画の読本。文化6年(1809)刊。近松門左衛門の「傾城反魂香」や「信州川中島合戦」「伽羅先代萩」などにもとづいた演劇趣味が濃い京伝の傑作。掲出は、巻之一の冒頭口絵。「臭皮袋図」という名の美人画が描かれ、これをめくると下から骸骨の図が出現する趣向で、ひとたび死んでしまえば、誰も同じ骸骨となる、という教訓を表現している。美人の左右には一休の漢詩と道歌(「骨かくす皮にはたれも迷ひけり美人といふも皮のわざなり」)が書かれている。
美人図をめくると下から骸骨の絵が出現する。骸骨の横には「皮にこそをとこをんなのへだてあれ骨にはかはる人かたもなし 一休」とある。
山東京伝作、歌川豊国画の読本。文化10年(1813)刊。京伝最後の読本で、 浄瑠璃「双蝶蝶曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」に題材をとり、これを南北朝時代の武家の世界に移して世話物的表現を試みたもの。典拠を駆使し、著者の〈善悪一如〉観を実現した京伝読本の到達点であるが、複雑を極める展開は一般読者の人気は得るには至らなかった。
合巻。山東京伝作、歌川豊国画。文化4年(1807)刊。主人一家を殺し破滅させた悪人牛島大之進を、忠僕鎌田又八と妻のお六が艱難の末、木曾沓掛に待ち受けてついに討ちとる物語。責め場、殺し場などの歌舞伎趣向を随所にとり入れた初期合巻の典型的作品。
山東京伝作、歌川豊国画の合巻。文化5年(1808)刊。主人公の初音は五代目岩井半四郎、初音の仇討ちを助ける千原七郎には五代目松本幸四郎の似顔で描かれる。
合巻。姥尉輔(うばじょうすけ)作、歌川豊国(初世)画。文政7年(1824)の出版。なお、姥尉輔は鶴屋南北(4世)が合巻を書く際に用いた筆名。
もっと知りたい
美人画
豊国初期の美人画。登場人物は鳥居清長風の長身のプロポーションで描かれ、背景には遠近法が駆使されている。天明末頃の作で、三枚続きの一枚。
新春の風俗を描いた錦絵。豊国初期の秀作で天明末から寛政初年頃の作。三枚続きの一枚。
高輪の海岸を遊歩する男女を遠近法を駆使して描いている。寛政5年(1793)頃の作。三枚続きの一枚。
寛政7年(1795)頃の作。三枚続きの一枚。
寛政期中頃の作。
寛政7年(1795)頃の作。
歌川豊広(?-1829)との合作。3枚続きで、中央が豊国(初世)筆、両袖が豊広筆。画像は豊国(初世)筆の中央部。
炬燵にあたりながら、しどけない姿で本を読む美人を描いた肉筆画。彼女が読んでいる本の書名は『徒然草』と思われる。享和頃の作。
「両画十二候」は歌川豊広(?-1829)との合作で、「五月」は豊国(初世)筆。豊広と豊国はともに歌川豊春門下で、双璧と呼ばれた二人が合作した美人風俗画。享和年間の作品。
「両画十二候」は歌川豊広(?-1829)との合作で、「七月」は豊広筆。豊広と豊国はともに歌川豊春門下で、双璧と呼ばれた二人が合作した美人風俗画。享和年間の作品。
「両画十二候」は歌川豊広(?-1829)との合作で、「十月」は豊国(初世)筆。 享和年間(1801-1804)の出版。
江戸時代・19世紀の作品。
寛政6年(1794)頃の作品。二図の続きで一組となる趣向で、4組8図が描かれたうちの一枚。
役者絵
「役者舞臺之姿繪」は、細判中心の時期に、大判に一人立ちで舞台上の役者を似顔全身図で描いたシリーズ。豊国が役者似顔絵の第一人者となった出世シリーズ。本図は、「あかしや」の屋号の二代目大谷友右衛門が寛政7年(1795)5月の河原崎座「仮名手本忠臣蔵」に登場する斧定九郎を演じている。
三世大谷鬼次の奴江戸兵衛。寛政6年(1794)の「恋女房染分手綱」に取材した作品。三世大谷鬼次の奴江戸兵衛。同じ役を写楽も大首絵で描いている。
寛政7年(1795)5月、河原崎座の「仮名手本忠臣蔵」に取材した作品。五段目、山崎街道の千崎弥五郎に扮する三世市川高麗蔵(五世松本幸四郎)。
寛政6年(1794)11月河原崎座「松貞婦女楠」に取材した作品。お多福半四郎と呼ばれた四世岩井半四郎の菊水。両手を胸の前に持って来ているのは、舞台上で半四郎の好んだ仕草を忠実に描いたもの。
寛政7年(1795)の作品。
寛政8年(1796)の作品。『仮名手本忠臣蔵』四段目、城明け渡しの場面での大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)を演じた三代目沢村宗十郎(そうじゅうろう)を似顔で描いたもの。お家断絶となった主君塩冶判官(えんやほうがん)の無念を胸に秘め、視線を遠くに注ぐ。版による彩色のほか、目玉や鼻筋、頭頂部などに筆で絵具を加えた豊国の意欲作。
寛政11年(1799)正月の森田座「彦山権現誓助劔」に取材した大首絵。
寛政7年(1795)江戸都座での上演の際の作品。
江戸時代・18世紀の作品。
寛政8年(1796)頃の作品。
江戸時代・18世紀の作品。
タイトルの「夏の富士」は、雪のない夏の富士山に、化粧をしていない役者の素顔の意をかけたもので、遊山・参詣など、役者のふだんの姿を描いたシリーズのうちの一枚。掲出は寛政12年 (1800)の作で、当時10歳の7代目市川団十郎とその後見役の市川高麗蔵(後の5代目松本幸四郎)の二人の素顔を描いたもの。7代目団十郎(前名海老蔵)は、前年5月に叔父の六代目団十郎が急逝したため、この年の11月の顔見世興行で7代目市川団十郎を襲名した。
享和2年(1802)の作品。
享和2年(1802)の出版。
江戸時代・19世紀の作品。
文化12年(1815)江戸中村座での上演を描く。
縦40.2×横29.8cm。豊国(初世)の手になる役者絵はおびただしい数に及ぶが、本図は肉筆で「暫」を描く。賛は蜀山人(しょくさんじん)こと大田南畝(なんぽ)の自筆で、「しはらくの 声なかりせは 雪のふる 顔みせいかて 春をしらまし 蜀山人」と狂歌が添えられている。南畝も芝居好きとして有名で、製作は2人が活躍した文化年間(1804-1818)中期までと考証されている。依頼によって特別に作られた作品であろう。
文政年間(1818-1830)前期の上演を描く。
3枚続きの右部分が市川団十郎の松若丸。
「団十郎舞台似顔絵」は、市川団十郎の初代から8代目までが歌川豊国によって描かれた色紙判の摺物のセット。文政8年の2代目豊国襲名に際して配り物として制作された。それぞれの舞台姿に賛を付すが、掲出は国会図書館所蔵のセットの一枚で4代目団十郎の似顔である。なお、国会版は天保4年に再版されたもので、8代目団十郎の分を欠いている。
3枚続きの左部分が瀬川菊之丞。
その他
戯作者であり浮世絵師であった山東京伝が、寛政4年(1792)秋に江戸京橋銀座一丁目に開いた煙草入れ屋の店先を描いた錦絵。同じ題材による歌麿の作もある。店の奥にいる京伝は、吉原の名高い遊女、花扇(はなおうぎ)と話をしている。歌舞伎役者の三代目瀬川菊之丞(きくのじょう)、三代目沢村宗十郎(そうじゅうろう)、三代目市川八百蔵(やおぞう)など、当代の人気者が訪れたとして描かれている。
浮絵と呼ばれた遠近法を用いて『仮名手本忠臣蔵』大序を描いた作。寛政6年(1794)から7年(1795)頃刊。
浮絵で描いた『仮名手本忠臣蔵』の五段目。猟師となった早野勘平(かんぺい)が、猪を撃とうとし銃弾が斧定九郎(おのさだくろう)に当たってしまう場面を描く。
豊国としては比較的珍しい武者絵。石橋山の合戦での真田与市と俣野五郎を描く。文化6年(1809)頃の出版。
武者絵、見立絵、源氏絵。
武者絵、見立絵、源氏絵。
香蝶楼豊国(歌川豊国[初世])筆・歌川豊国(初世)筆・一陽斎豊国(歌川豊国[初世])筆による3枚続きの右部分。
文化14年(1817)の作品。画像左に「一陽斎歌川豊国画」と見える。
江戸時代・19世紀の作品。
文政年間(1818-1830)の作品。吉原(よしわら)は、江戸時代初期の元和3年(1617)に各地に散在していた遊女屋を一箇所にまとめた遊廓(ゆうかく)に始まり、明暦3年(1657)の大火で場所を移動したのちは、新吉原と呼ばれた。この作品は、咲き誇る桜の下を豪華な衣裳を身にまとった花魁(おいらん)を中心とする一行が数組行きかう、新吉原の隆盛ぶりを描いたもの。花魁は最も格の高い遊女であった。満開の桜に加えて遊女たちの華美な衣裳が妍(けん)を競うという、まさに遊廓ならではの絢爛(けんらん)たる光景である。
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日本と東洋の文化財を守り伝える中心拠点としての役割を担う我が国の総合的な博物館です。
1998年に設立したアート・リサーチセンター(ARC)は、私たち人類が持つ文化を後世に伝達するために、芸術、芸能、技術、技能を中心とした有形・無形の人間文化の所産を、歴史的、社会的観点から研究・分析し、記録・整理・保存・発信することを目的としています。ARCが有する日本文化資源の膨大なデータベースの利用を国内外の共同研究者に開放するとともに、これまでに蓄積してきたデジタル・アーカイブ技術やデータベース管理技術を研究プロジェクト活動の基盤として提供し、情報アーカイブ・知識循環型共同研究を推進しています。こうした取組を通して、デジタル・ヒューマニティーズ分野の“世界水準の研究拠点形成”を目指しています。
「エンパク」の名で親しまれる早稲田大学坪内博士記念演劇博物館は、1928(昭和3)年10月、坪内逍遥博士が古稀の齢(70歳)に達したのと、その半生を傾倒した「シェークスピヤ全集」全40巻の翻訳が完成したのを記念して、各界有志の協賛により設立されました。以来、アジアで唯一の/世界で有数の演劇専門総合博物館として、日本国内のみならず、世界各地の演劇・映像関連資料の収集につとめてきました。およそ100万点にもおよぶ膨大なコレクションは、90年にわたり培われた”演劇の歴史”そのものといえるでしょう。演劇人・映画人ばかりでなく、文学・歴史・服飾・建築をはじめ、様々な分野の方々の研究に貢献しています。
東京富士美術館は、1983年11月3日に東京西郊の学園都市・八王子にオープンしました。「世界市民を育む美術館」をモットーに、世界31カ国・1地域の美術館や文化機関との友好関係を築きながら、各国の優れた芸術を紹介する海外文化交流特別展を企画・開催しています。収蔵品は日本・東洋・西洋の各国、各時代の絵画・版画・写真・彫刻・陶磁・漆工・武具・刀剣・メダルなど約3万点に及び、とりわけルネサンス、バロック、ロココ、ロマン主義、印象派、現代にいたる西洋絵画500年の流れを一望できる油彩画コレクションと、写真の誕生から現代までの写真史を概観できる写真コレクションは国内有数のコレクションとして知られています。
山口県萩市平安古町に所在。HPのトップ画面上部にある「コレクション」から「浮世絵コレクション」を選択して進み、「収蔵作品検索システム」をクリックし、浮世絵の作者名に「歌川豊国」と入力して検索すると、コレクションの画像を見ることができます(ただし、2世豊国の作品も含まれています)。
東京都渋谷区に所在。5代太田清藏(1893-1977)が蒐集した浮世絵コレクションを、広く公開するために設立された美術館で、コレクションには歌川豊国(初世)も含まれています。
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太田記念美術館HPより。2019年開催の展覧会の紹介で、解説とともに様々な作品の画像も載っている。
1998年、早稲田大学演劇博物館70周年記念リニューアルオープン時の企画メイン展示として開催。演劇博物館役者絵研究会監修による「坪内逍遥の豊国研究」の説明や、様々な作品の画像を見ることができる。
国立国会図書館 電子展示会「錦絵で楽しむ江戸の名所」より。
日本芸術文化振興会が運営するサイト「文化デジタルライブラリー」より。TOPページの舞台芸術教材で学ぶ>歌舞伎から「歌舞伎・鶴屋南北」のページ、さらにその中の時代背景>化政時代の文化>錦絵へと進む。
Tokyo Museum Collectionは、六つの都立ミュージアム(江戸東京博物館、東京都写真美術館、東京都現代美術館、東京都庭園美術館、東京都美術館、江戸東京たてもの園)が収蔵する資料・作品を、横断的に検索できるデータベース。「歌川豊国」と入力して検索すると、370件強の浮世絵がヒットする(ただし、2世・3世の作品を含む)。
キーワードに「歌川豊国」を入力して検索。140件ほどの浮世絵がヒットする。ただし、二代・三代の作品を含むが、データの中分類で区別がなされている。
参考文献
- サンプルページ「歌川豊国」の項
- 「歌川豊国」の項
- 「歌川豊国(初代)」の項
- 「歌川豊国」の項
- 菊地貞夫,平凡社
- 編集制作: 座右宝刊行会,集英社
- 小林忠 監修,平凡社17世紀後半・草創期の菱川師宣から鈴木春信,江戸の四大浮世絵師を経て,近代の河鍋暁斎,小林清親に至る50余名の浮世絵師を紹介す。(日本児童図書出版協会)
- 棚橋正博 著,青裳堂書店
- 至文堂 編,国立文化財機構 監修,ぎょうせい
- 歴史学研究会 編,岩波書店