木村蒹葭堂
江戸中期の文人、好事家。酒造業を営むかたわら、本草家、博物学者、文物収集家、蔵書家として知られた博学多才の人。その書斎は知識人が交流するサロンとして知られた。
1736-1802(元文1-享和2)
江戸中期の文人。好事家。名は孔恭(こうきょう)。字は世粛(せいしゅく)。別号巽(遜)斎(そんさい)。代々酒造業を営む家に生まれ、坪井屋吉右衛門(つぼいやきちえもん)とも名乗った。「蒹葭堂」はもとその書斎の号。「蒹」はまだ穂の出ない荻(おぎ)、「葭」はまだ生長しない葦(あし)の意で、自邸の庭の井戸から出た古芦 (あし) の根にちなんで名づけたことによる。
大坂の人。幼少より学問・技芸を好み、本草学を津島桂庵・小野蘭山に、漢学を片山北海に、篆刻を高芙蓉(こうふよう)に学び、絵は狩野派の大岡春卜(おおおかしゅんぼく)に手ほどきを受け、長崎の僧・鶴亭(かくてい)に花鳥画を習い、池大雅に山水画を学んだ。博学多才でとくに物産学の造詣が深く、稀書・珍器物・標本類の収集家としても知られ、学者文人と多彩な交流を持った。千客万来の書斎は当代知識人のサロンの様相を呈し、克明な『蒹葭堂日記』に記された来客者の中には、田能村竹田、池大雅、与謝蕪村、円山応挙、伊藤若冲、谷文晁、司馬江漢らの画家や、上田秋成、頼春水、本居宣長、杉田玄白らの学者の名が見える。意にかなった書籍を二七余種出版し、蒹葭堂版と称されたほか、随筆『蒹葭堂雑録』でもその博学の一端をうかがうことができる。
寛政2年(1790)3月、酒造統制に違反して酒を過剰に生産した廉(かど)により咎めを受け、酒造株を失い町年寄役を罷免となって一時伊勢国川尻村に移り住んだが、同6年帰坂した。享和2年(1802)に67歳で没。小橋(おばせ 天王寺区餌差町)の大応寺に埋葬された。日記「蒹葭堂日記」、随筆『蒹葭堂雑録』、編著『禽譜』『奇貝図譜』『一角纂考 』、大田南畝との問答録『遡遊従之』などがある。
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禽譜(『蒹葭堂遺物』所収)
奇貝図譜(『蒹葭堂遺物』所収)
蒹葭堂版
博物学的薬物書。大槻玄沢訳考、杉田伯元校訂。2巻。はじめ、木村蒹葭堂の『一角纂考』ともに私家版(蒹葭堂版)として刊行頒布され(天明6年序)、寛政7年(1795)に市販刊行。一角(ウニコウル)、サフラン、ニクズク、ミイラ、エブリコ(アガリスク)、人魚を六種の薬物(六物)として取り上げ、蘭書の所説に基づき考証。六物それぞれには図がつけられ、一角はヨンストン、ニクズクはドドネウスの図による。
『周易』の注釈書。漢の鄭玄(じょうげん)撰、 宋の王応麟編、清の恵棟補。 (けい とう)補 。田中鳴門輯、木村孔恭(兼葭堂)校。明和9年(1772)、伊藤長堅(蘭嵎)序。蒹葭堂蔵版。掲出本は、寛政7年(1795)刊本(林伊兵衞)。
中国明代の文人王世貞(号、弇州山人)の庭園書。木村蒹葭堂注。明和7年序。蒹葭堂蔵版。王世貞は庭園の修築にも造詣が深く、みずから修築をてがけた「弇山園」は名園として知られる。
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参考文献
- 『日本大百科全書(ニッポニカ)』(JapanKnowledge)「木村蒹葭堂」の項
- 『改訂新版 世界大百科事典』(JapanKnowledge)「木村蒹葭堂」の項
- 『国史大辞典』(JapanKnowledge)「木村蒹葭堂」の項
- 木村蒹葭堂研究資料 ―近・現代刊行物 ―大坂府立中之島図書館
- 木村蒹葭堂関連展覧会の歴史大坂府立中之島図書館
- 橋爪節也「木村蒹葭堂とその画業について」鹿島美術財団年報 (9) 1933
- 宗田一「芝江漢の西遊をめぐって」日本医史学雑誌 30(4) 1984蒹葭堂の一角纂考と六物新志の書誌に関して
- 神谷尚志,・松島政信「水産古書解題」一角纂考の解説あり
- JapanKnowledge所収コンテンツの最終アクセス日は、いずれも2023/03/01。


