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Kenkado Kimura

A scholar, art connoisseur, and collector of the mid-Edo period (c. 1700 – 1750). Parallel to his work as a sake brewer, he was a person of varied knowledge and versatile talent, recognized for his accomplishments as a scholar of herbalism, naturalist, and collector of cultural assets and books. His school was known as a salon for interaction among intellectuals of that period.

1736-1802

A scholar, art connoisseur, and collector of the mid-Edo period (c. 1700 – 1750). His family name was Kokyo and his given name was Seishuku. He was also known under the pen name Sonsai. He inherited the family trade of sake brewing, and adopted the name Kichiemon Tsuboiya. “Kenkado” is the name of his study room. Both Chinese characters ken and ka mean “young reed,” and it is believed that he named his study Kenkado (“Hall of the Young Reed”) after the roots of the reed that grew out from the well on his estate. 

A resident of Osaka, he was fond of learning and the performing arts since childhood, and studied herbalism under Keian Tsushima and Ranzan Ono, the Chinese classics under Hokkai Katayama, and seal engraving under Fuyo Ko. He took lessons in the basics of painting from Shunboku Ooka of the Kano school, and studied bird-and-flower painting under Kakutei of Nagasaki and Chinese-style landscape painting under Taiga Ikeno. Kenkado was a person of varied knowledge with versatile talents, and was particularly well-versed in the study of local products. He was also known as a collector of rare books, unique objects, and natural specimens, and engaged in diverse interactions with scholars and intellectuals. His flourishing school provided intellectuals of that period with a place to meet and exchange ideas, and among the guests listed in his scrupulously kept Kenkado Nikki (“Kenkado Diary”) are painters such as Chikuden Tanomura, Taiga Ikeno, Buson Yosa, Okyo Maruyama, Jakuchu Ito, Buncho Tani, and Kokan Shiba; and scholars such as Akinari Ueda, Shunsui Rai, Norinaga Motoori, and Genpaku Sugita. Kenkado also established a publishing company called “Kenkado-ban” (“Kenkado Publishing”), producing more than 27 books to which he took particular liking. His essay Kenkado Zatsuroku (“A Collection of Essays on a Wide Variety of Topics”) provides a glimpse of his extensive erudition. 

In March 1790, Kenkado was punished for excessive alcohol production in violation of the sake brewing regulations, and as a result lost his license as a brewer, was dismissed from his position as a senior town official, and temporarily moved to Kawajiri Village in the Ise Province, but returned to Osaka in 1794. Kenkado died in 1802 at the age of 67. He was laid to rest in Daio-ji Temple in Obase (present day Esashi-machi, Tennoji Ward). 

Kenkado is the author of Kenkado Nikki, and the author and editor of Kinpu (“Illustrated Catalog of Birds”), Kibaizufu (“Shells Illustrated Catalog”), Kenkado Gyofu (“Illustrated Catalog of Fish”), and the record of his dialogue with Nanpo Ota called Soyu Jushi.  

Related People, Things and Events

Books

遡遊従之(そゆうじゅうし)

蒹葭堂と大田南畝の間で交わされた問答の記録。享和元年(1801)南畝が銅座役人として一年間大坂に滞在した際のもので、南畝が質問し、蒹葭堂がそれに答えるという形式をとる。内容は歴史、地理、本草学など多岐にわたり、蒹葭堂の博物学者ぶりを如実に示している。掲載書は、高木忠良による文化3年の写本。書名の『遡遊従之』は、「蒹葭萋萋たり 白露未だ晞(かは)かず 所謂伊の人 在水之畔」で始まる「詩経」国風・秦「蓑葭」三章による。

一角纂考(いっかくさんこう)

クジラの一種であるイッカク(ウニコール)についての研究書。蒹葭堂の代表的著作。上下2巻。桂川甫周序、大槻玄沢後序。漢方医学で解毒薬として珍重された一角の原料が、北氷洋に生息するイッカクの歯牙から作られることを考証する。この考証は、J.Anderssonの『グリーンランド地誌(オランダ語版)』の一角の項によるもので、この部分の翻訳は蒹葭堂が大槻玄沢に依頼していた。玄沢の『六物新志』とともに私家版として(蒹葭堂版)刊行されたが(天明7年序)、寛政7年(1795)蔦屋重三郎他によって市販されて流布した。掲出の国会図書館本は、この寛政7年版。

日本山海名産図会 巻1 造醸(さけつくり)

『日本山海名産図会』は、日本各地の名産物の採取・生産のようすを描いた図に解説文を付した書。本文は蒹葭堂の著とされ、画は蔀関月(しとみかんげつ)筆。寛政11年(1799)刊。5巻5冊。第一巻の伊丹の酒造にはじまり、御影石、石灰 (いしばい) などの石材、水産物、伊万里焼、松前の物産などを記し、各項目の挿絵とあいまって当時の産業をみるのに有益。特に蒹葭堂の家業でもある酒の製法については詳しく記述されている。

貝よせの記

蒹葭堂による博物書。貝の収集や観賞の仕方、貝の出てくる古語や古歌の紹介などを、文献による考証を交えて記す。安永4年(1775)加藤美樹序。美樹は、蒹葭堂と交友のあった国学者。「序文」「奈伎左の玉」「一之源」「二之事」「三之品」「四之証」「古語古歌引証」からなる。蒹葭堂蔵版。柱題に「奇貝図譜」とあるが、貝類の図譜である『奇貝図譜』とは別本。

蒹葭堂小伝

蒹葭堂の年表、家系、業績、師友等を集大成した伝記。著者の高梨光司(1893-1962)は、新聞記者、文筆家。大正15年(1926)11月、大阪の高島屋呉服店で開催された蒹葭堂125年忌の遺墨遺品展覧会に合わせて刊行された書。

関西儒者筆跡集

蒹葭堂を含む関西の文人による漢詩の寄せ書き。一軸。寛政8年(1796)成立。源貞龍(未詳)の跋によれば、亀山藩の源貞幹(松平貞幹)から輞川図(もうせんず、中国唐代の詩人王維の別荘輞川荘を描いた図巻)を贈られた貞龍が、友人であった蒹葭堂に依頼して、知友に王維・裴迪(はいてき、王維の親友)らの詩を寄せ書きしてもらったもの。蒹葭堂も王維の「木蘭紫」の詩を揮毫している(掲出)。松平貞幹は、亀山藩の重臣で、芝陽、帯刀とも。本草学と好古の学を好み、大槻玄沢の友人でもあった。

誓盟状

天明4年(1784)3月、蒹葭堂が本草学を学ぶため、小野蘭山に入門した際の自筆誓約書。一軸。講義の記録を他人に見せないこと、自分の著作も許しを得ずには出版しないことなど、いろいろと厳しい規制があった様子がわかる。

蒹葭堂雑録

蒹葭堂の随筆。1859年(安政6)刊。5巻。各地の社寺の書画器物や珍しい動植物についての考証、人から聞いた珍談奇説などを書き留めた原稿を、著者没後、子孫の依頼によって大坂の戯作者・暁鐘成(あかつきかねなり)が整理抜粋して刊行。池大雅の事蹟に詳しく、歌仙絵巻、空海の真蹟、売茶翁の茶器、高芙蓉の伝記、本草に関する記事などを収録する。

蒹葭堂雜誌

蒹葭堂の雑記。『蒹葭堂雑録』 にもれた文章を自筆の挿画とともに収録する。内容は雑多で、科挙の話 や看板、引札、さるまわしの話、 白山の紹介の他、動植物の記事も多い。掲出は国会図書館所蔵の自筆本。

蒹葭堂琴譜

蒹葭堂による音楽書。写本1冊。琴の歴史、弾き方、調弦法など、ことに関するさまざまな事柄を数十の挿絵とともに漢文で記述する。

集古十種 文房2

『集古十種』文房2に収録された、「大坂商家蒹葭堂蔵硯図」。『集古十種』は、松平定信編の古宝物図録集。鐘銘、碑銘、兵器、銅器、楽器、文房、扁額 、印章、法帖、古画の10種について集大成したもの。

蒹葭堂誌

明治34年の蒹葭堂100 年忌の記念刊行物。「蒹葭翁追薦遺墨展観目録」と趙陶斎、中井積善らが蒹葭堂について述べた文章を収める。追薦会では、蒹葭堂の故宅にある堀江の井戸から蒹葭水を汲んで供し、また蒹葭堂の遺墨、遺品を展示した。

禽譜(『蒹葭堂遺物』所収)

約150種類の鳥類を掲載した図譜。通称『蒹葭堂禽譜』と呼ばれ、小野蘭山の『蘭山禽譜』の写本だが、違うところもある。蒹葭堂の博物誌関係の著作のうち、『禽譜』・『奇貝図譜』・『物印満(ウェインマン)植物図』の3点を、蒹葭堂没後125年の記念に影印化したのが掲出の『蒹葭堂遺物』。

奇貝図譜(『蒹葭堂遺物』所収)

蒹葭堂は貝類の収集にも熱心で、南方産の種類も集めたが、『奇貝図譜』はそのような珍品の図譜。知人から借用した貝も含まれるが、特に名高いのは福田柳園所蔵の「無名貝」(掲載図の左ページ)で、生きている化石オキナエビス(日本近海に数種類が生息)の世界最古のスケッチであり、貝殻の開口部に切れ込みがある本種の特徴が明確にわかる。

Kenshindo's edition

六物新志

博物学的薬物書。大槻玄沢訳考、杉田伯元校訂。2巻。はじめ、木村蒹葭堂の『一角纂考』ともに私家版(蒹葭堂版)として刊行頒布され(天明6年序)、寛政7年(1795)に市販刊行。一角(ウニコウル)、サフラン、ニクズク、ミイラ、エブリコ(アガリスク)、人魚を六種の薬物(六物)として取り上げ、蘭書の所説に基づき考証。六物それぞれには図がつけられ、一角はヨンストン、ニクズクはドドネウスの図による。

鄭氏周易

『周易』の注釈書。漢の鄭玄(じょうげん)撰、 宋の王応麟編、清の恵棟補。 (けい とう)補 。田中鳴門輯、木村孔恭(兼葭堂)校。明和9年(1772)、伊藤長堅(蘭嵎)序。蒹葭堂蔵版。掲出本は、寛政7年(1795)刊本(林伊兵衞)。

弇山園記(えんざんえんき)

中国明代の文人王世貞(号、弇州山人)の庭園書。木村蒹葭堂注。明和7年序。蒹葭堂蔵版。王世貞は庭園の修築にも造詣が深く、みずから修築をてがけた「弇山園」は名園として知られる。

昨非集

江戸中期の禅僧、梅荘顕常(ばいそうけんじょう、1719−1801)の漢詩文集。宝暦11年(1761)刊。2巻。蒹葭堂蔵版。

Related Works

大坂文人合作扇面

蒹葭堂の知友による扇面寄せ書き。岡熊岳、奥田元継(拙古)、中村芳中、福原五岳、細合半斎、松本奉時の名が見える。「巽斎」とあるのが蒹葭堂の書。

キルヒャー 地下世界

キルヒャー(1602−80)はスイスの自然科学、考古学者、イエズス会士。『地下世界』は、地質学および地下世界に関する本で、蒹葭堂は著書『一角纂考』の挿絵「一角魚身有鱗図」を本書の蘭語版『D' Onder-Aardse weereld』から模写しており、蘭語版を所蔵していた可能性が高い。

ルンフィウス アンボイナ島珍奇物産集成

ルンフィウス(1628-1702)は、オランダの博物学者。1652年に東インド会社に入り、翌年アンボイナ島(現インドネシア)に赴任し、49年間駐在して植物や海産動物を調査した。江戸時代に「紅毛貝譜」と訳された本書は、平賀源内の蔵書に含まれており、蒹葭堂は本書の貝類の一部を模写し、収集した貝の分類にあたって参考にするなどしていた。

琉球図

那覇の湊や市街周辺を南方より見た鳥瞰図風の眺望絵図。淡彩色入り。地名や施設名の注記があり、右上隅に「首里」の「中山王府」(首里城)、右下に「豊見城」、左下に「高見城」と「ヤラサ城」。琉球の画家、殷元良(1767年没 50歳)による画幅(木村蒹葭堂蔵)を中島憲秀が精密に模写したもの。

近江国蒲生郡八幡町惣絵図

蒹葭堂のコレクションのひとつ。宝永3年(1706)作成。八幡町惣年寄清水六郎右衛門と福永次郎兵衛の署名と押印がある。寺院などの表記が丁寧である。

Paintings by Kenshido

木村蒹葭堂 桃花図

本作品は宝暦7年(1757)、蒹葭堂22歳の作品で、画面を横切る幹、緩やかな曲線を描きながら天へと伸びる枝振りは鶴亭に通ずる表現です。花、葉、枝、幹といずれも輪郭をとらず、色面を組み合わせて、咲き誇る桃樹を華やかに描いています。蒹葭堂の最初期の作品。

木村蒹葭堂 蒹葭堂煎茶図

「倣大雅堂筆意 蒹葭主人孔恭写」として、「石碾軽飛瑟々塵/乳香煮出建渓春/世間絶品人難識/間対茶経憶古人」の賛を付す。

Portrait

References