染付
白地に藍色の文様をほどこした陶磁器
「染付」とは、白色の素地に酸化コバルトを主成分とする顔料で文様を描き、ガラス質の透明釉をかけて焼成した陶磁器。顔料を強力な還元炎で焼成することで、コバルトブルーに発色させる。イスラム圏からもたらされたコバルトを用いて、中国の元時代の景徳鎮窯において完成され、その技法はアジア各地に広まった。ここでは、中国・ベトナム・朝鮮・日本各国の染付を紹介する。
中国の染付
コバルト顔料で絵付けを行う「染付」の技法は、中国では「青花」と呼ばれ、元時代(1271~1368)末頃の江西省・景徳鎮窯で完成したとみられている。当時、用いられたコバルト顔料はイスラム圏産のもので、また、イスラムの金属器を模した器形や文様が多くみられることなどから、中国の青花はイスラム圏からの注文を受け、その影響下で製作が始まったと考えられる。当初は主に輸出用として生産されていたが、明時代(1368~1644)の15世紀初頭には、景徳鎮に設置された官窯で宮廷の御用品として焼造されるようになり、洗練した格調高い様式が完成される。以後、中国を代表する陶磁となり、明・清時代にかけて、アジア、中近東、そしてヨーロッパの国々にまで流布し、世界中の人びとを魅了した。
ベトナムの染付
ベトナムでは、中国青花の影響を受け、陳王朝(1225~1400)末期に青花の生産が始まったと考えられている。次の黎王朝(1428~1789)の時代には生産体制が確立され、15世紀後半から16世紀にかけて、フィリピンやインドネシアなどの周辺諸国へベトナム青花が大量に輸出された。初期の作例は、元・明の青花を写したものが多いが、次第にベトナム独自の作風が現れる。ベトナム青花は、完全に磁化していない半磁質の灰色の胎で、時に白釉で化粧がほどこされる。その上にたおやかで闊達な筆遣いで描かれる青花は、やや鈍い発色が特徴で、日本では「安南染付」と呼ばれ、茶人たちに愛好された。
青花唐花文大皿
青花鹿山水文大皿
青花花卉文瓜形壺
安南染付唐草文香合
青花魚藻文大皿
安南染付貼花龍文水指
朝鮮の染付
朝鮮半島における青花の始まりは、朝鮮時代(1392~1897)の15世紀中頃とみられる。初期には、画員(宮廷画家)が宮中の御用品を焼く広州官窯で絵付を行い、気品のある絵画のような青花が生み出された。16世紀末から17世紀にかけて、戦乱によって朝鮮半島の窯業は大きな被害を受け、青花の生産も一時途絶える。18世紀に入り窯業が再興すると、繊細な筆致でごく簡素な草花文を描いた、日本では「秋草手」と呼ばれる青花が登場し、朝鮮王朝独自の美意識が展開された。18世紀後半から19世紀には、青花の生産はますます盛んになり、多彩な文様や器形の作例が現れた。
日本の染付
日本で最初に染付を焼成したのは、江戸時代初期(17世紀)、日本最古の磁器である有田(佐賀県)の伊万里焼である。1610~40年代に朝鮮人陶工が中心となって生産した初期の染付は、釉薬がたっぷりとかかった地肌に、中国風の素朴な絵柄が描かれたものが多く、「初期伊万里」と呼ばれている。1640年代、中国の内乱によって、中国磁器の国外輸出が途絶えると、伊万里焼は日本国内での需要が急増するとともに、ヨーロッパなど国外への輸出も開始された。その後、鍋島藩窯、京都、瀬戸などでも染付の焼造が始まり、江戸時代後期には全国各地で焼かれるようになった。
染付山水図大鉢
染付吹墨月兎図皿
染付草花文輪花大皿
染付岩鹿水禽文輪花鉢
染付堰流水文皿
染付羊歯文大皿
染付山水図台鉢
染付洋文字に獅子図水指
青磁染付鶴亀図菊形大皿
染付龍濤文提重
染付鯉図大皿
染付花鳥図大瓶
関連する人・もの・こと
参考文献
- 赤沼多佳, 伊藤郁太郎, 片山まび 編著,講談社
- 大橋康二監修









