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岩波写真文庫 247 徳島県 ─新風土記─ 表紙・裏表紙 大鳴門.観潮船と淡路島の遠望 / 写真原板データベース

岩波写真文庫 247 徳島県 ─新風土記─

岩波写真文庫は1950年から58年にかけて刊行された、自然、文化、地理、科学、風俗など、様々な対象を写真で捉えた、全286冊の写真叢書です。このギャラリーでは、1957年発行の『岩波写真文庫 247 徳島県 ─新風土記─』に掲載された写真原板を、岩波写真文庫の本文に沿ってご紹介します。1950年代の徳島の風景をご覧ください。

淡路島の福良港と鳴門を結ぶフェリーボート

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.1

徳島県は四国の東南部を占め、地勢の険しい山と谷間の国である。昔から米が足らず、山地の人々は林産と阿波きざみで知られるたばこの栽培で貧しい暮らしを続け、漁村では海女が海に潜り、男は出稼ぎ漁業で暮らしをたてている。藩政時代、藍作で栄えた名残りは阿波踊りと阿波浄瑠璃にとどめられているが、今は電源開発と豊富な工業用水の賜で工場の建設がすすみ、従来の貧乏県から脱皮しようとしており、また淡路島を経て阪神と結ぶ鳴門海峡の鉄橋の実現に多くの希望がかけられている。

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.1

蔬菜集散地,鳴門市の青果市場

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』pp.2-3

徳島県の門戸・東海岸

大坂峠から北,瀬戸内海をみる.沖の小島は通念島(左)と松島

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』pp.4-5

徳島県の海岸線は全長二百四十粁。南は太平洋に面して、山が海に迫る岩石海岸をなし、東は紀伊水道にのぞみ、遠浅の砂浜がつづく。この両海岸をへだてる蒲生田岬は紀伊水道の頸部を扼し、その北に切れこむ橘湾は沈降型のリヤス式海岸となっている。東部の海岸地帯は吉野、勝浦、那賀川の下流にやや広い沖積平野がひらけ、県内ではもっとも人口が多く、鳴門、徳島、小松島の三市をはじめ多くの町がある。また和田岬の見事な砂嘴に抱かれた小松島をはじめ、徳島、撫養などの港も多く、阪神に近いこの東海岸は、いわば県の門戸といえよう。県の東北隅、鳴門市付近の海岸は瀬戸内海の延長で昔から有名な阿波の塩田地帯である。

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』pp.4-5

鳴門公園から南,千鳥ガ浜をみる

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.5

うず潮の鳴門

俗に千畳敷といわれる鳴門の展望台

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.6

鳴門は昔,淡路(阿波路)島を経て都との往来の門口に当り,また撫養の塩田で栄えた町であった.今は鳴門名物「うず潮」で全国に名高い.街から小鳴門を隔てて島田島,高島,大毛島が並び,更に幅1粁の大鳴門をへだてて淡路島がある.大鳴門の渦巻は直径20~30米に達し観潮船からの眺めは壮大だ.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.6

東海岸の町と港

小松島湾.湾の北隅は阿波三港の一つ,小松島港

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.8

東海岸では川の運び出す土砂の量も多く,ある場所では何列もの砂丘ができているが,ある場所では反対に潮流の浸蝕が激しく長い堤防が田地を守っている.この海岸線の中ほど,和田岬に抱かれる小松島の港は県下第一の良港で,阪神まで4時間,徳島の外港的な位置にある.また小松島市は勝浦川流域一帯を商圏として持ち,最近では工業も盛んである.その南の橘湾は「四国松島」と呼ばれる他島のリヤス式海岸で,湾奥の橘町は古い港町.橘湾はカキの養殖で知られている.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.9

水田地帯

那賀川下流の平野は県内有数の水田地帯

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.10

山地の多い県内では吉野川,勝浦川,那賀川の氾濫原としてできた沖積平野が米作の中心地帯だ.とくに那賀川の下流は水路もよく発達し,県下第一の米どころで水田がひろくつづいている.またこのあたりは,非常に古くから開けた土地であり,富岡町,羽ノ浦町付近には荘園時代につくられた条里制の跡が残されている.この平野につづく遠浅の海岸はよい海水浴場として夏は賑うが,一部では昭和29年の南海大地震以来,地盤の沈下がつづいており,海面以下の土地さえできている.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.10

徳島県東海岸に関連する資料

黒潮の洗う南海岸

日和佐湾.太平洋に面した岩石海岸

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』pp.12-13

蒲生田岬のはずれから高知県境の宍喰まで、太平洋に面した南海岸は東海岸とは全く趣を異にしている。黒潮の洗う岩石海岸の連続である。山が海にせまり、ほとんど平地らしい平地もない。ただ海岸線のところどころ、湾頭のせまい平地に漁港集落ができている。伊座利、阿部、由岐、日和佐、牟岐、浅川、宍喰、鞆奥、これらはみなそうした集落である。

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.12

陸の孤島・阿部浦

阿部浦は山と海に囲まれた陸の孤島

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.14

南は外洋に面し,北はぐるりを400米内外の山に囲まれ,隣の部落へ行くにも嶮しい山道を歩かねばならず,鉄道のある由岐へは町営船の連絡をまたねばならない.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.14

南の海岸

由岐海岸.磯釣りと海亀の産卵場として知られている

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.17

阿部浦から磯浜つづきで由岐の海岸へ,さらに一つ岬の鼻を廻ると日和佐の浜だ.由岐海岸(田井の浜)は2粁の砂浜をもち,日和佐海岸(大浜公園)には小さな砂丘がある.南の海岸では砂浜はここだけ.ともに海水浴場で6~7月の夜,海亀が産卵にくるので名高い.日和佐,牟岐間の沖合にみえる大島は無人島だが,藩政時代狼煙台が置かれた場所,磯釣を兼ねた遊覧コースだ.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.17

牟岐・鞆奥・宍喰

鞆奥.海部川河口に位置する漁港

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.17

牟岐線の終点牟岐から浅川湾に沿う海岸を越えると急にやや広い平地がひろがる.海部川下流の沖積平野である.河口を占める鞆奥町は漁村である鞆浦と,海部川上流から流れてくる木材の集散地,奥浦とが一緒になってできた町だ.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.18

徳島県 南海岸に関連する資料

山々

吉野川流域の平地と東海岸に沿う帯状の平地を除けば残りはすべて山地である。山地は県の面積の八割を占める。しかも、その山地は一般にかなり高い。県の最高峰剣山(一九五五米)を主峰とする剣山山脈を中心に、東西に並行して走る数本の山脈からできている。剣山山脈の北には石鎚山脈、その北に吉野川の地溝をはさんで、香川県との境に阿讃山脈が走り、また剣山山脈の南には海部山脈が走っている。剣山山脈は県の分水嶺をなし、主な河川はこの山脈と平行にほぼ東西に流れる。この広い山地は、一方で徳島県を米の移入県としながら、他方ではこの県を全国屈指の林業県にもしている。また豊富な鉱産資源を埋蔵し、吉野川、那賀川などの上流は数多くの美しい渓谷をつくり、有望な電源地帯ともなっている。

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』pp.20-21

祖谷渓

平家の残党の物語が残る祖谷渓は剣山に源を発する祖谷川上流の縦谷部

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.22

吉野川の上流から祖谷川の渓谷にそって桟敷,落合の峠を越えた,剣山山脈北側の山懐ふかく,祖谷の部落がある.「阿波のチベット」と呼ばれるこの山間の部落は,周囲からまったく隔てられた別天地だ.屋島の合戦に敗れた平家の落ち武者が流れて住みついたという伝説の地.しかし,この「秘境」にも,最近は電源開発の槌音が響きはじめている.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.23

林業地帯

那賀川上流の沢谷.この付近は鳥巣層(上部ジュラ紀)の深い谷

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.26

剣山山脈の南側,那賀川の上流は県下最大の林業地帯だ.木頭村や上那賀町では収入の7割を山林に仰いでいる.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.27

吉野川の流域

吉野川上流

吉野川上流の景勝,小歩危は結晶片岩の露呈した横谷

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.28

吉野川が四国山脈を横ぎる約8粁の横谷は大歩危・小歩危の名で知られる.両岸は水蝕をうけた結晶片岩の絶壁がきりたち,上流の大歩危は深淵が青く水を湛え,つづく小歩危は各所に急湍がかかる.渓谷に沿う土佐街道を下ると池田の町.葉煙草栽培の中心地で専売公社支社もある.室町時代には一時阿波の首邑であった.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.29

吉野川中流の低地

吉野川は池田から剣山,阿讃両山脈の間を東流する.三好付近

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.30

高知県に源を発する吉野川は全長236粁,日本第五の大河.池田町付近で向きをかえ真直ぐに東流して紀伊水道に注ぐ.河口まで約80粁の流域は細長い楔形の沖積平野で,流れこむ谷川の口もとに多くの町ができている.北岸は阿讃山脈から流れこむ支流が多くの扇状地をつくり,南岸には河岸段丘や台地が発達している.またその支流,貞光川,穴吹川などが石鎚山脈を横ぎるところは一宇興をはじめ,急湍の横谷を作っている.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.31

中流の自然堤防

川島付近.川幅も広く,両側には水田地帯がひらける

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.34

吉野川流域の平地も土柱で有名な阿波町辺りから次第に幅をまし,田も畑もひろくなる.この川は昔からしばしば氾濫してその度に流路が変ったが,川島,鴨島付近では川自身が堆積した自然堤防の高台が5~6列も残されて昔の流路を想像させる.またこのあたりの農家では庭から家に入るのに2~3段のぼるようになっているのが,徳島線の沿線からもよくわかる.土讃線は猪ノ鼻峠から香川県に入るが,高徳線が香川県へ入る大坂峠からは吉野川下流の低地が一望できる.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.34

下流の平野

吉野川下流の水田地帯.石井付近

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.36

石井町以東の下流低地一帯は火口三角州の隆起した土地だ.昔は藍作の中心で一面の藍畑だったところ.今では蔬菜畑と水田に変っている.吉野川はもとこの三角州地帯の中央,現在よりもずっと北を流れていたが,蜂須賀氏が徳島に城を築き市街の建設をはじめてから(寛文12年)城下の堀に水を引くために今の上板町高志付近から流れをつけ変えた.そのために元の下流の村々は水に困り,連判状に名を連ねて嘆願し,その結果作られた堰が第十の堰で,今も上坂町高志に残っている.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.36

城下町徳島

城山.城山の南は徳島市の中心部

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.38

徳島市は人口17万1千,全国43位(昭和30年10月現在),県庁所在地で県第一の都会だ.蜂須賀氏25万石の城下町で城山(海抜61米)を中心に市街地が形づくられている.藍作で栄えた頃の名残りは阿波踊りにもうかがえるが,明治22年,市制が敷かれた当時は人口の上で全国第10位の大都会であった.今度の戦災で市街地の7割を焼かれたが,新しい都市計画のもとに復興し,水と橋の多い美しい町は,郊外へと次第に膨張しつつある

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.38

吉野川の流域と山々に関連する資料

歴史

段の塚穴,横穴石室のある古墳.美馬町

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.39

藍作

藍師の家.白壁の土蔵はかつて藍玉を入れた藍倉

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.44

藩政時代から明治の中頃まで阿波の名をひろめ、その財政を豊かにしたのは藍の生産であった。初代藩主蜂須賀家政が旧領の播磨から種子を取寄せ、試植させたのに始まると伝えられるが、吉野川流域の土地は藍の栽培に適し、また藩の保護育成もあって、中・下流一帯は藍畑で埋められ、全国生産の大半を占め、文化年間、藍による年収は二十七万両をこえた。藩はその生産から販売までを厳重な統制下におき、藩外に対しては徹底的な秘密主義をとって、その独占を保持していた。

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.44

四国遍路

長い山道を辿る.第二十番焼山寺への道.神山町

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.47

四国遍路の起源は古く平安末期すでにあったといわれるが、現在の八十八寺が確立したのは元禄・正徳頃。文化・文政時代に最盛期を迎えた。徳島県には一番板野町霊山寺から二十三番海部郡日和佐町の薬王寺まで二十三の札所があり、遍路姿は今も春の阿波路に詩情をそえている。

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.46

渡し舟で那賀川を渡る.第二十番鶴林寺から太竜寺へ

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.47

阿波踊りと人形浄瑠璃

阿波踊りの鳥追い姿.旧盆に行われる伝統的な行事

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.48

旧暦七月の満月の日は恒例の阿波踊りだ。三味線、太鼓、鉦、笛、胡弓などの伴奏で徳島市はもとより、県内各地で踊りが繰りひろげられる。阿波の人形浄瑠璃も立派な民俗芸能だ。その技は素人の手で伝えられ、今も十座あまりがある。人形制作でも阿波は代々名人を出している。

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.49

徳島県の歴史に関連する資料

産業

漁業

徳島市の魚市場

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.50

徳島県はその海岸線の長さからすれば、漁獲高はあまり多いとはいえない。しかし、紀伊水道から太平洋まで、内海から外洋にわたる幅ひろい海をもち、魚の種類は豊富である。この東海岸と南海岸では、その漁業の形態も、したがって漁村のようすも、全く対称的である。東海岸では、沿岸、沖合漁業が主で、外洋性のアジ、イワシや、内海性のタイ、エビなどをとる。打瀬網、鯛枡網、船曳網、揚繰網や一本釣など、その漁業の規模は小さい。一方、南の漁村では、カツオ、マグロ、サバ漁、ブリの大敷網、機船底引網などの大規模な漁業が主であり、また北九州から伊豆方面を根拠地とする出稼漁業が盛んである。その他、鳴門のワカメは名高く、ノリの養殖は吉野川河口と橘湾、カキは鳴門市沿岸で多く行なわれ、真珠は橘湾や鳴門市内海などで養殖が行われている。また磯付の魚介をとる潜水漁業は南海岸で盛んに行われている。

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.50

林業

宍喰港の木材積出し.機帆船で阪神,九州へ送る

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.52

県面積の8割近くが山林であり,徳島県は全国屈指の林業県である.毎年百万石余(杉70万石,松20万石など)が伐り出されて,阪神及び東京へ移出される.高温多雨に恵まれる剣山山脈の両斜面,那賀,海部両川の上流一帯が県の主要林業地帯で,伐り出された木材は昔は筏に組まれて下流に送られたが,今は電源開発のダムのためトラックの輸送が主力である。この林業地帯をひかえた海部川下流の羽ノ海付近は大きな製材地帯だ.木炭200万俵,薪650万束は主として阪神及び香川県に移出されている.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.52

藍、桑、煙草

藍の畑.栽培面積は僅か50町歩

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.54

藩政時代、阿波藩はかなり豊かな藩であった。それは藩の三大産業である葉藍と刻み煙草と撫養の塩から、多くの収益が上がったからである。とくに吉野川流域一帯の藍作は藩のドル箱であった。明治以降も阿波藍は全国に覇をとなえていたが、明治三十年以後、印度藍や人造藍の輸入が始められると、阿波藍は急速に衰え、代って桑が登場した。とくに大正十年代からは養蚕業が大いに栄え、耕地の半ば以上は桑畑に変った。しかしこの桑畑も、戦争で食糧増産が叫ばれるとともに水田や蔬菜畑に転換しはじめ、戦後は吉野川上流でみられるだけになった。一方、吉野川南岸山地、美馬・三好郡でつくられていた葉煙草は「阿波刻み」の名で知られ、火付きがよいので東北地方の漁民に喜ばれたが、専売制がしかれて以後は、金銭収入の確実さという点で農村の副業として栽培されている。

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.54

蔬菜畑

鳴門市の西瓜

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.54

吉野川流域の低地は平地とはいっても扇状地や台地が多く,したがって水田よりも畑が多い.藍畑や桑畑の後には,大根,甘藷,南瓜,西瓜などの蔬菜畑が作られた.「阿波たくあん」「瓜漬」などは阪神方面に出荷され,板野町付近では軒先に大根がつるされたり,漬物の樽が高く積まれたりしている.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.55

手工業

上質和紙の原料,ミツマタ.山川町

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.56

藩政時代からの地方的な手工業のあるものは今でも引き継がれている.吉野川中流の山川町を中心とする製紙,同じく半田,貞光の宇田紙,那賀川上流木頭の障子紙,その紙と吉野川流域の竹材を利用した美馬町の雨傘があり,また木材が豊富な那賀川下流や徳島市などの木製品も古く,戦前全国に販路をもった下駄,「阿波鏡台」で知られる家具をはじめ,ミシン・テーブル,建具などの工場が多い.諸工業中,工場数では木製品が最も多く,年間30億円以上の出荷がある.吉野川下流の大谷焼も古い手工業だ

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.56

工業

徳島港.阪神向けの機帆船で輻輳する

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.58

水飴製造.徳島市

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.58

食料品工業

乳製品工場.石井町

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.59

阪神市場を控えた鳴門,徳島,小松島の周辺ではいろいろな食料品工業が盛んである.味噌・醤油をはじめ,甘藷を原料とする水飴,那賀川中流斜面のミカン,ヤマモモを加工した罐詰,周辺の酪農地帯をバックにもつ乳製品・バターなどの他,ハム,そうめんもあり,山の幸のシイタケ,海の幸のワカメ,イリコも古い.歴史の古いのでは「阿波三盆」として知られる砂糖がある.板野・阿波郡が産地で,古来の製法により風味に富む.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.59

天然資源

高越鉱山.含銅硫化鉄鉱を採掘する

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.60

徳島県は日本で最も古い結晶片岩系の岩石をはじめ古生代,中生代,新世代にわたる多様な地層にめぐまれ,地下資源の種類は多い.鳴門,徳島市付近の青石(撫養石)は結晶片岩系の岩石.石灰石は剣山山脈の南麓一帯に多く,可採埋蔵量1億8千万頓.この石灰石中には水銀が含まれ,阿波は大和とともに日本の二大水銀産地である.このほか,水力発電に恰好の地形,製塩に好適な内海沿岸の気候も貴重な天然資源といえよう.

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.60

工業化と県の将来

建設中の工場.徳島市

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.62

鳴門市から徳島、小松島市、さらに橘湾の沿岸まで、東海岸一帯の低地は、県民が将来の夢を託す地帯である。県はこの地帯への工場誘致に懸命である。

『岩波写真文庫 247 徳島県 ―新風土記―』p.62

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