蕭白
曾我蕭白
七福神
人物
仙人
太い尾のような苔を従えた亀は蓑亀ともいわれ、吉祥の図案としてよく絵画に用いられた。亀に乗る仙人は中国の仙人についてまとめた『列仙伝』(巻之二)に登場する黄安仙人が知られる。同書には「赤い銅色の身体を露出し、年中衣服を着ることがなかった」とあり、その容姿について挿絵入りで紹介した『繪本故事談』には亀の上に乗り、伸び切った髪と髭を生やした半裸姿の黄安仙人が描かれている。しかし本作に見られる仙人は、服を着込み、長い禿頭が特徴的に描かれ、明らかに七福神の一人である寿老人を思わせる風貌をしている。現に亀に乗る寿老人をモティーフとした絵画や置物なども残っていることから、本作のように別の仙人を七福神に見立てた図案が、蕭白の生きた時代に吉祥図の一つとして流通していたということも考えられる。いずれにしても、やや企み顔の仙人と存在感のある亀の顔つきに蕭白特有の愛嬌があり面白い。また、もう一つ注目すべきは本作に付された印(朱文壺印)である。この印は元々正方形であったが、時代を経て欠損が進み、印影がまるで壺の形のように変化することで知られる。蕭白作品には珍しく「安永七戊戌春」との年記が入った《蘭亭曲水図》(個人蔵)には、本作よりもやや欠損が進む前の状態にある朱文壺印が見られることから、本作は安永7年(1778)以降に描かれたものと推察することができる。
- 曽我蕭白 奇想ここに極まれり
愛知県美術館「曽我蕭白 奇想ここに極まれり」展(2021年10月8日-11月21日)出品作のうち、ジャパンサーチ上で画像が公開されているものをご紹介します。
- 林和靖図屛風
曾我蕭白,そがしょうはく,SOGA Shohaku
曾我蕭白は京の商家に生まれた。1743(寛保3)年に父を、3年後に母を亡くしている。その後、画業で身を立てるに至った経緯は詳らかでないが、1758-59(宝暦8-9)頃と1764(明和元)年頃の少なくとも二度にわたり、伊勢地方(現・三重県)を遊歴し、この地に独創的な作品と逸話を多く遺した。 本作は、鶴と梅を愛し、西湖のほとり孤山に庵を結び隠遁した北宋の文人・林和靖を描いた屛風。理想の高士としてしばしば絵画化されたが、蕭白が描く林和靖は、隠棲に嫌気がさしたのか、うつろな表情をかくそうともしない。梅の巨木は画面を突き抜け左隻に枝を伸ばし、その下で二羽の鶴が遊ぶ。大樹の表現は、先行する大徳寺聚光院の狩野永徳《四季花鳥図襖》や彭城百川の《旧慈門院障壁画》に影響を受けたと指摘されている。 伝統的な画題や先行する表現を換骨奪胎し、斬新な作品に仕上げた本作は、「宝暦辰春之図」の款記を伴う。蕭白初期の基準作として重要な位置を占める作品である。 (道田美貴 『三重県立美術館 コレクション選』 2022年)
- 松に孔雀図襖 4面
曾我蕭白,そがしょうはく,SOGA Shohaku
この作品は近年、兵庫県高砂市内の旧家で発見された襖(ふすま)四面に描かれた蕭白の大作。墨色を巧みに使い分けて、屈曲した枝を伸ばす松の老木と二羽の孔雀(くじゃく)とが主要モチーフとして描かれている。 蕭白の作品は、個性的としか言いようのない独特の作風が喧伝(けんでん)されることが多い。しかし、蕭白が同時代の他の画家たちの作品、あるいは過去の時代の絵画作品と無縁であったわけでは決してない。 この「松に孔雀図」において、狩野永徳らによって確立された大画面構成の桃山時代障壁画を蕭白が視野に入れていることは、主題や老松の描写から明らかである。 過去の古典的な作品から得たインスピレーションを、糧として、新たな芸術を創造した画家は数多いが、本図のように、蕭白においてもそうした事例を指摘することができる。 (毛利伊知郎 中日新聞 1992年11月6日掲載)
- 許由巣父図襖 4面
曾我蕭白,そがしょうはく,SOGA Shohaku
ここには許由巣父という、中国古代の伝説上の人物が描かれている。許由は伝説の聖帝堯(ぎょう)が自分に帝位を譲ろうというのを聞いてその耳が汚れたと潁川(えいせん)で耳を洗い、巣父は、そんな汚れた川の水は飲ませられないといって牛を牽(ひ)いて帰った、といわれる高潔の士であった。この俗世に汚れない無欲のふたりは、のちの時代になっても理想の人物として、絵の題材としてもてはやされた。<br /> しかしそれにしても、蕭白の手にかかると、ともにひどく俗っぽい人間に描かれる。破れた衣を着て、容貌(ようぼう)には野卑な笑いを浮かべる。どうみても高潔なひとのそれではない。牛といえば、巣父がいくら網を引っ張っても足を踏ん張り、自分の欲求を曲げようとはしない。ここには古典を洒落(しゃれ)のめす機知と滑稽(こっけい)、卑俗さが姿をのぞかせている。<br /> 裏面には、松の下で遊ぶ孔雀(くじゃく)が描かれており、もと兵庫県の旧家を飾っていたものであったが、昨夏当館の所蔵品となった。 (山口泰弘 中日新聞 1993年2月26日掲載)
- 倣曾我蕭白山水図屏風
世古鶴皐,せこかっこう,SEKO Kakkou
- 蝦蟇鉄拐図屏風
曽我蕭白筆,By Soga Shōhaku (1730–1781),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>右隻の鉄拐仙人、左隻の蝦蟇仙人は、ともに中国の仙人。鉄拐仙人は自分の魂を遠くに飛ばすことができ、蝦蟇仙人は3本足の蟾蜍+せんじょ+(ヒキガエル)を操り妖術を使うことができたといいます。蕭白の特徴である荒々しさを強調させた筆致により、仙人の世界を見事に描き出しています。</p>
- 鐘馗図(鬼神)
曾我蕭白,Soga Shohaku
剣を持つ鍾馗を、変化に富んだ墨色を駆使してユーモラスに描く。鍾馗は、邪鬼を払う中国の門神で、我が国でも早くからその信仰が広まった。鍾馗の表情に蕭白独自の人物表現が見てとれる。蕭白の鍾馗図は、蠟燭をさした梅の枝を捧げ持つ鬼と鍾馗を描いた図様の四日市市立博物館本や鬼を抱き抱えた図様のボストン美術館本などが知られている。左上に「鬼神斎曾我蕭白図」の落款と「蛇足軒蕭白」の白文方印の印章が施されている。
- 山水図屏風
曾我蕭白,Soga Shohaku
伝統的画題「瀟湘八景図」の舞台である洞庭湖を思わせる湖と月が描かれる。蕭白の山水図では定番のモティーフである競り立つ雲谷派風の断崖に、奥へいくほど霞んで見える山並みが加わり、見事な遠近空間が創り上げられている。左の湖面に浮かんだ舟はコミカルに描かれるが、よく見ると舟上の人物も簡易ながらたしかな画意をもって描かれているのが分かる。付された「蛇足軒蕭白」「師龍」の印から蕭白の晩年に近い作と推察される。
- 山水図
曾我蕭白,Soga Shohaku
- 観瀑図(山水瀧図)
曾我蕭白,Soga Shohaku
細長い縦画面に瀧を描いた山水画。画面右下に土橋の上を驢馬に乗って歩む人物とその従者らしき人物を描く。画面左下には、前景として濃墨で大樹と家屋が配され、その室内にも2人の人物が描かれている。中景には主題となる滝を、遠景は遠山にたなびく雲を描く。本作は、落款と印章から技術と意欲のバランスがとれた蕭白30代後半から40代前半の円熟期の作品と知れる。左上に「蛇足軒蕭白画」の落款と「祐邨」の白文方印の印章がある。
- 花鳥図
長澤蘆雪,Nagasawa Rosetsu
画面の上部に薔薇の花の一群と、その小枝に止まる鶯を描く。枝は、右上から左下に向かってのび、その枝先に鶯を描く。鶯を画面の中央よりやや左に寄せ、鶯の量感と小枝のしなやかさを絶妙のバランスで表わしている。蘆雪は現在、伊藤若冲、曾我蕭白と並ぶ寄想の画家と見なされているが、その一方、彼らと対比されがちな円山応挙の弟子として師の技法を身につけて、その絵画世界を多様に応用した画家でもある。本作からもその技量が窺える。
- 鶴図屏風
曾我蕭白,Soga Shohaku
六曲一隻屏風に墨画淡彩で二羽の鶴を描く。鶴の周囲を外隈が施され、その白い身体が強調され、さらに頭部に用いられた朱がアクセントとなり効果的である。鶴の表現や、速筆で描かれた画面を突き抜ける大きな松、没骨で描かれた下草類などに蕭白の水墨技術が看取される。画面左に後補があり、引手跡も確認できることから、襖が屏風形式に改装されたことがわかる。作風、落款、印章などから20代末から30代前半頃の制作と考えられる。
- 山水図
曽我蕭白
- 葡萄栗鼠図
曽我蕭白
- 山水図
曽我蕭白
- 黄石公張良図屏風
曽我蕭白
- 松鶴人物図
曽我蕭白
- 松鶴人物図
曽我蕭白
- 蝦蟇鉄拐図屏風
曽我蕭白
- 双鶴図
曾我蕭白,そがしょうはく,SOGA Shohaku
- 竹林七賢図 8面(旧永島家襖絵)
曾我蕭白,そがしょうはく,SOGA Shohaku
曾我蕭(しょう)白という人は、随分人を食った画家だった。自分の作品の一つに堂々と「明太祖皇帝十四世玄孫蛇足軒曾我左近次郎暉雄入道蕭白画」とサインするくらいなのだから。ジュゲムジュゲムと人をけむに巻く魂胆か、ともあれ正体がぼやけて中心がつかみ難いが、隠そうとした本心は実は「蕭白」という名にかえって明々白々ではなかったか。「蕭」と「白」は仲のよい言葉である。「雨は蕭々と降ってゐる」(三好達治)というように、「蕭」は「さびしくて」「さわがしい」ものを形容するときに力を最大限に発揮する。「楚辞」における屈原を連想しながら、その系譜を引く宋玉の「悲しい哉(かな)、秋の気たるや蕭瑟(しょうしつ)として草木揺落し変衰す」を思いだしてもいい。悲運の詩人の魂を波立たせる舞台は秋こそふさわしい。秋の色は「青春朱夏白秋玄冬」というように、中国では古来から「白」と決まっていた。そこに和歌の定番である「秋/飽き=ためいき」をつなげることも出来る。「秋」を隠し味にして「蕭」と「白」はしっかり結び付き、増幅した心情のリズムは同心円を描いて広がりながら葉が落ち尽くした木立の間を涼気が寂しく通り抜けていく。そういう「地」の上に大胆に「狂」のごとく描かれた「図」。それが曾我蕭白の絵である。彼の心は屈原とまではいかなくても、天明の狂歌師のように世間を外にさめていたのかもしれない。 (県立美術館学芸員・東俊郎)









