妖怪絵(教育・商用利用可)
山東京伝の読本『善知安方忠義伝』に取材した本図は、国芳の代表作の1点。相馬の古内裏は、相馬小次郎こと平将門が下総国に建てた屋敷で、将門の乱の際に荒れ果ててしまっていた廃屋。妖術を授かった将門の遺児滝夜叉姫と良門は、父の遺志を継いでこの廃屋に仲間を募り、やがて妖怪が出没するようになる。それを知った源頼信の家臣、大宅太郎光国は妖怪を退治してその陰謀を阻止する。原作では複数の骸骨が現れるが、国芳はこれを巨大な一体の骸骨に置き換えることによって、迫力ある画面構成を生み出すことに成功している。
「大職冠」は藤原鎌足と竜王の宝珠争奪戦を描いた幸若舞の人気の演題。中国から日本に運ばれる宝珠が竜王に奪われ、鎌足の依頼を受けた海女がそれを取り戻す筋書。冠位十三階の最高位である大職冠を得た唯一の人物であることから、大職冠は鎌足の異名となった。本屏風はこの物語を巧みに構成した優品であることから、現在まで詳細が不明の画家「法橋(山本)元休」を知る重要作品と位置づけられる貴重な屏風である。
<p>餓鬼とは、生前に、欲望のままに悪い行いをした報いにより、常に飢えや渇きの苦しみに悩まされる死者の霊のことである。平安時代末の極楽浄土信仰を背景に制作されたこの絵巻には、不気味な餓鬼達の様子が精細に描写されている。<br /></p><br /><p> 餓鬼(がき)とは、生前に、欲望のままに悪い行いをした報いにより、常に飢えや渇きの苦しみに悩まされる死者の霊のこと。平安時代末の浄土信仰を背景に制作されたこの絵巻には、不気味な餓鬼達の様子が細かく描写されています。「餓鬼草紙(がきぞうし)」は『正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)』にもとづいて描かれた絵巻ですが、伝来の過程で図の説明にあたる詞書(ことばがき)が失われており、 各場面が何を表わしているかについてはいくつかの説があります。ここではその一部を見ていくこととしましょう。<br /> まずは音楽を楽しむ男女を描いた場面。肩や胸に小さな餓鬼が取り付いています。これは仏の教えを軽んずる人の精気を食らう餓鬼と考えられています。つぎに出産の場面では、生まれでた赤ん坊を食らおうと餓鬼が手を伸ばしています。これは生前に病人を騙したものが地獄から這い上がってきた姿です。また人々の排泄物(はいせつぶつ)を食らおうと待ち構える餓鬼の姿。僧侶に与えるべき食料をよごした者がこの姿になるといいます。<br /> いずれも恐ろしい餓鬼の姿。こうした姿を目の当たりにすることは、自身の生活を反省することに繋がるものといえるでしょう。みなさんにはどう感じられますか?<br /> なお、本作はもともと、後白河法皇(ごしらかわほうおう)がつくらせ、三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)で有名な京都・蓮華王院(れんげおういん)の蔵で保管されていた「六道絵(ろくどうえ)」の一部と推定されています。</p>
<p>1巻の絵巻に収められている詞(ことば)・絵とも7段の餓鬼の物語のうちの1つで、墓に手向けられた水のしたたりをなめて、わずかに命を保つ食水餓鬼を描く。餓鬼は頚がとくに細く、手足もやせこけているのに、腹のみ肥大して、常に餓えに苦しむ様をあらわすが、この姿は人の目にはみえない。画面はこの悲惨な様子を柔軟な線と淡彩で軽快に描きだし、貴顕老若男女が雑踏する寺の門前の光景を添えて、さりげなく表現している。しかし、それは鎌倉時代の六道絵のどきつい表現にもまして、深刻な懺悔を迫るひとこまといえよう。平安時代後期に流行した一連の六道絵巻の1つである。</p>
<p> 真っ赤な血を流して倒れている人や猛烈な炎の中で苦しそうに顔をゆがめる人など、思わず目をそむけたくなるような場面が描かれています。<br /> 仏教では、人は亡くなると、生前の行いによって六つの世界のいずれかに転生すると言われています。このうち、最も苦しいとされる世界が地獄です。この作品は仏の教えを記した経典の一つ、『正法念処経』(しょうぼうねんじょきょう)で説かれる地獄を表した絵巻です。<br /> 地獄の様子をのぞいてみましょう。この4つの場面は、すべてお酒にかかわるさまざまな罪を犯した者が受ける苦しみです。前半の2つの場面は苦しむ人物に視点を置いています。後半は一転して、責めを受ける人物たちを上から見下ろすように描いています。場面ごとに画面構成を変えて、それぞれの罪状の異なる苦しみを的確に表現しています。いずれも黒と赤といったシンプルな色使いで、地獄の凄惨さを印象付けており、まさに“地獄の案内図”といえる作品です。<br /> こうした地獄絵は、悪いことをすると報いが訪れるという、戒めの意味が込められていました。それと同時に、経典で説かれる地獄がどんな世界なのかをビジュアルで見てみたいという人々の好奇心に応えたものでもありました。</p>
<p>奪衣婆(だつえば)に衣服を剥(は)がされた亡者(右上)が閻魔大王の前で審判を下され(中央)、さまざまな責め苦を受けながら地蔵に救われる光景(左上)が描かれている。暁斎は、はじめ浮世絵を学び、狩野派の画風をも習得して、とくに風刺画や戯画に個性を発揮している。<br /></p>
剣を持つ鍾馗を、変化に富んだ墨色を駆使してユーモラスに描く。鍾馗は、邪鬼を払う中国の門神で、我が国でも早くからその信仰が広まった。鍾馗の表情に蕭白独自の人物表現が見てとれる。蕭白の鍾馗図は、蠟燭をさした梅の枝を捧げ持つ鬼と鍾馗を描いた図様の四日市市立博物館本や鬼を抱き抱えた図様のボストン美術館本などが知られている。左上に「鬼神斎曾我蕭白図」の落款と「蛇足軒蕭白」の白文方印の印章が施されている。














