江戸の食風景
寿司に蕎麦、鰻など、描かれた江戸の食の数々。
日本中から多くの物資が集まり、18世紀には100万人の人口を抱えたとされる大都市江戸では、料理文化が大いに発展した。醤油や酢、味醂といった発酵調味料の普及も影響し、握り寿司や蕎麦、鰻のかば焼き、天ぷらなど、現代でも和食を代表する料理の数々が生まれた。そうした料理の数々や、町人の食事の様子は、当時の風俗を描いた浮世絵からうかがい知ることができる。
寿司
塩漬けにした魚と米を漬けこんだ「なれずし」や、木枠に酢飯を詰めて具を乗せた「箱寿司」などはすでにつくられてきたが、江戸前で獲れた魚貝を酢飯で握る「握り寿司」が生まれたのは、19世紀前半頃とされる。現在よりも2倍から3倍も大きいものだった。
蕎麦
蕎麦は、はじめ蕎麦粉にお湯を加えてこねて餅状にした「蕎麦がき」として食べられるのが主だった。現在の麺状の「蕎麦切り」が生まれたのは、文献上では16世紀頃とされる。18世紀中頃以降、蕎麦切りは江戸で普及。3000軒以上の店舗があり、屋台も数多く出ていたという。
「江戸名所道化尽」 「九」「湯島天神の台」
鰻
鰻は古くから日本で食され、『万葉集』の歌にも残されている。「かば焼き」が登場したのは室町時代とされるが、かつては味噌や塩をかけて食されていた。背を開いて蒸してからタレをつけて焼く江戸流のかば焼きが登場したのは、18世紀後半頃。濃口醤油や味醂の普及が影響しているという。
近世職人尽絵詞(部分)
天ぷら
ポルトガルから伝わった南蛮料理をもとに、長崎で生まれた「天ぷら」。17世紀には江戸に伝わり、江戸前の魚貝をゴマ油で揚げる「ゴマ揚げ」が庶民に広まった。寿司、蕎麦、鰻などと同じように、多くは屋台で提供され、揚げたてを立って食した。
近世職人尽絵詞(部分)
初鰹
「目には青葉 山時鳥(ほととぎす)初松魚(はつがつお)」という山口素堂の俳句も知られる、初夏の風物。相模湾で獲れた鰹は早馬・早舟で江戸に運ばれ、庶民は争うように購入したという。当時は辛子や大根おろしなどをつけて食べられていた。
刺身を造る母娘
弁当
携行食の記録は『日本書記』にも残されているほか、おにぎりの原形とされる「屯食(とんじき)」も平安時代に登場しているが、いわゆる「弁当」が庶民に広まるのは江戸時代。花見や行楽地、芝居小屋などで弁当が親しまれた。「幕の内弁当」が誕生したのも、江戸時代後期とされる。
団子
団子を串に刺して食べるようになったのは室町時代からと言われるが、庶民に広まったのは江戸時代とされる。茶屋や屋台で団子は提供され、花見のお供として人気を呼んだ。「花より団子」のことばが生まれたのも、この頃。当時は醤油をかけただけのものが多かったという。
料理茶屋
18世紀中頃、座敷や庭があり、手の込んだ料理を提供する「料理茶屋」が現れ始めた。参拝客や行楽客が主なターゲットで、名所のそばに建てられた。富裕な町人たちの交流の場でもあったという。初代歌川広重が残した『江戸高名会亭尽』は、山谷の「八百善」、両国の「柳橋」といった有名な料理茶屋の様子を描いた作品である。
