しょうゆ
安価な濃口醤油の普及が、蒲焼きや蕎麦屋など江戸の多様な外食文化を培った
日本独特の調味料の一つ。「醤油」「したじ」「むらさき」とも。蒸した大豆と煎(い)り砕いた小麦に種麹(たねこうじ)を混ぜて醤油麹を作り、それに食塩水を混ぜて仕込み、約6か月の発酵熟成を経てできた「もろみ」をしぼって作る。これが生(き)醤油で、それを70~80℃に加熱(火入れ)して、殺菌と香味添加を行い製品とする。
醤油生産高の約90%を占める濃口(こいくち)醤油は、千葉県の野田、銚子が主産地。つけ醤油、かけ醤油、割下(わりした)用その他に使用する。色をうすく仕上げた淡口(うすくち)醤油は関西で多く用いられ、兵庫県の龍野(たつの)が主産地。食塩含量は濃口よりも幾分多いが窒素含量は少なく、料理を淡彩に仕上げるにはよいが、つけ醤油、割下用には不向き。溜(たまり)はほとんど大豆のみを使う醤油で、愛知県・岐阜県が主産地。以上の醸造醤油のほかに、アミノ酸醤油のような化学醤油を混ぜて発酵熟成させたり、単に両者を混合したものもある。
現在の醸造法は、室町時代には完成していたといわれるが、文献に「しょうゆ」の名が見られるようになるのは室町も後期になってである。江戸初期には、京都、堺、紀州湯浅(和歌山県)、播州龍野(兵庫県)などで良質な醤油を産し、「下り醤油」として菱垣廻船(ひがきかいせん)によって、日本酒同様、江戸に運ばれていた。しかし、江戸後期になって野田や銚子の関東しょうゆが質的向上をとげると、江戸の醤油需要は次第に安価な「関東地廻り醤油」(いわゆる濃口醤油)に占められるようになった。この安価な醤油の普及が、うなぎの蒲焼きや蕎麦屋などの豊かな外食文化が江戸で花開いた要因の一つといわれている。
江戸初期(寛文年間[1661―1672])からすでに、オランダ東インド会社によって、出島を通じてヨーロッパへの輸出も行われていたとの記録がある。また、18世紀後半に来日したスウェーデンの植物学者のC. P. ツンベリー(ツンベルク)は、『日本紀行』の中で、日本の醤油がたいへん良質で、バタビア(現在のジャカルタ)やインドおよびヨーロッパに運ばれると記している。
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大正13年(1924)に兵庫県龍野(現在のたつの市)に建てられた木造2階建、銅板葺きの事務所建築。モザイクタイルの床、各室毎に天井を変えるなど意匠を凝らす。内部には事務所、会議室のほか、恒温室などの醤油の試験場もあった。旧龍野醤油同業組合醸造工場とともに国の登録有形文化財となっている。
千葉県野田市のキッコーマン野田工場内にある博物館。工場見学もできる。
千葉県銚子市のヒゲタしょうゆ銚子工場内にある史料館(資料館)。醸造用の道具・容器などが展示されている。工場見学もできる。
香川県小豆島町にある醤油醸造所「ヤマロク醤油」のホームページ。約150年の歴史をもつという。
『本の万華鏡』は国立国会図書館の蔵書を使用して、さまざまなテーマを紹介するサイト。第21回の「大豆」の中で、食文化としての醤油についても言及している。
しょうゆ製造業者の施設や品質管理についての審査確認、ラベルなどの表示方法の確認や指導、賞味期限や成分など分析を行うなど、しょうゆ業界から独立した立場からJAS認証や検査を実施している機関。
参考文献
- 対外関係史総合年表編集委員会 編,吉川弘文館
- 加藤友康 [ほか]編,吉川弘文館
- 歴史学研究会 編,岩波書店