キキョウ科の多年草で、秋の七草のひとつにあげられる。日当たりのよい山野に自生し、8月から9月ごろに青紫色、白色の花が開く。花冠は釣鐘形で、先は5枚に分かれる。茎は直立しており、高さは0.5~1mほど。葉は互生し、先は尖り縁に鋭い鋸歯(きょし) がある。日本のほか、中国、朝鮮など東アジアに広く分布するが、現在は絶滅危惧種に指定されている。
古くから観賞用として愛されており、江戸時代に盛んに園芸品種が栽培され、白色、桃色、青色、まだら、八重咲きや二重咲きなど多くの品種が作られた。江戸時代に出版された『本草通串証図(ほんぞうつうかんしょうず)』に掲載されている兎耳桔梗や、緑の八重咲きなどは現在では絶えてしまった。根は薬用に、若芽は食用にもなる。
秋草の代表である桔梗は、和歌や文学作品にも登場する。『万葉集』のなかで山上憶良(やまのうえのおくら)が秋の七草のひとつとして詠み込んだ朝顔は、現在の桔梗とする説が有力である。清少納言は『枕草子』で桔梗を愛らしい草の花の屛風代表のひとつとして女郎花(おみなえし)や朝顔とともに紹介している。
衣裳や道具などの文様としても好まれ、秋草模様をほどこした屛風や硯箱には美術的価値の高いものもある。
桔梗の花を図案化した紋所も古くから用いられており、戦国武将の明智光秀、柴田勝太田道灌、加藤清正などが家紋とした。なかでも明智光秀の水色桔梗がよく知られる。
関連するひと・もの・こと
「春の七草」と「秋の七草」があり、それぞれの季節を代表する七種類の草花
古くから栽培され、季語としても親しまれる草花。初夏に紫の可憐な花を咲かせる
黄色の花を咲かせる植物で、黄金色(こがねいろ)は山吹色といわれて親しまれる
タチアオイ、フユアオイ、フタバアオイなどの俗称。徳川家の家紋や京都の葵祭などで知られる
日本の代表的な花。皇室の紋章に使用され、日本の国花ともされている
バラと並んで、古来より洋の東西を問わず親しまれてきた花。日本原産のものから多くの園芸種が作られている。
日本原産の代表的な花木。ツバキ科。ヨーロッパでも、「冬のバラ」として親しまれている
花の王――古くから数多くの品種群をもつアジアの代表的な名花
季語で見る日本の秋を代表する風物
本で知る
『万葉集』は現存最古の和歌集である。山上憶良が秋の七草にについて詠んだ二首「「秋の野に 咲きたる花を 指折りかき数ふれば 七種の花」「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花」の朝顔は、現在の桔梗とするのが定説となっている。
清少納言 [著]
『枕草子』は、作者である清少納言が仕えた中宮定子の後宮生活での体験や見聞、自然・人事に対する感想などを記した平安中期の随筆。桔梗については、「草の花は、撫子、唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。をみなえし。桔梗。あさがほ。かるかや。菊。つぼすみれ。」と、朝顔や菊と共に紹介している。
寺島良安尚順 編
『和漢三才図会』は、江戸時代の図解入り百科事典。「山草類」の項に桔梗が掲載されており、「和名は阿里乃比布木(ありのひふき)」、「紫碧色で非常に牽牛花(あさがお)に似ている」とある。編者は大坂の医師である寺島良安で、30余年の歳月をかけ正徳2年(1712)ごろに完成。天文、人倫から草木まで96類に分け、各事物を平易な漢文で完結に説明している。
貝原益軒
江戸時代の本草学者・貝原益軒による本草書で、花の咲くものを主に約二百種の植物を掲載している。桔梗の項では、「紫白二色あり」「八重もあり」と記されてる。
建部由正
『備荒草木図』から「桔梗(ききやう)」の図。『備荒草木図』とは、一関 ( いちのせき ) 藩の藩医を務めた建部清庵による、飢餓の際に食糧となる植物をまとめた書。食用として利用可能な100余の植物の調理法が記され、同じく一関の藩士・北郷子明(きたごうしめい)が写生した草木図が載せられ、文字の読めない者でも植物を探せる配慮がなされている。桔梗については、若芽を茹でて水に浸し、度々水を換え苦味を除き、塩や味噌で調味して食すと記されている。
金井紫雲 著,芸艸堂
大正から昭和にかけて活動した美術記者・金井紫雲(1887~1954)の著書。「東洋を原産とした花で、これまで藝術界に交渉の深いもの五十種を選びその藝術的方面を研究しようと試みた」もので、桔梗の項がある。
金井紫雲 編,芸艸堂
大正から昭和期にかけて活動した美術記者・金井紫雲による、秋草についてまとめた書。桔梗の項では、桔梗の形態、種類、文學、紋などについて述べられている。
楳嶺,大倉孫兵衛
江戸時代末から明治初期にかけて活躍した日本画家、幸野楳嶺(こうのばいれい)による絵手本集『楳嶺花鳥画譜』から「桔梗・鶏」。『楳嶺花鳥画譜』は、大倉陶園の創業者・大倉孫兵衛が 陶磁器業を始める以前に家業としていた大倉書店より出版されたもので、幸野楳嶺が得意とする写生的な花鳥画を33作品収録している。
[幸野楳嶺 筆],芸艸堂
江戸時代末から明治初期にかけて活躍した日本画家、幸野楳嶺(こうのばいれい)の『梅嶺画鑑』より「桔梗」の図。花鳥、動物、魚虫、人物などを描いた作品集。
桔梗の植物画
本草図譜 第1冊 巻5山草之類1之上
岩崎常正<岩崎潅園>//著
『本草図譜』から、「桔梗(きちかう)」の図。和名は「ありのひふき」。桔梗は数種あり、花は碧色、白花、淡黄色のもの、また紫白雑色、重弁、千弁、扇子桔梗などがあると解説されている。『本草図譜』は文政11年(1828)に刊行された、江戸時代の代表的な植物図譜。筆者である岩崎灌園の実見した約2000種の植物を写生・彩色して、山草・湿草・毒草などに分類している。
本草通串証図2
『本草通串証図』より「兎耳桔梗」と「紫花紋桔梗」の図。『本草通串証図』は越中国富山藩の老公前田利保(1800-1859)の命で作成された植物図譜で、図は藩の絵師・山下守胤らによって描かれた。収録されている緑色の八重咲きや、花びらが外側に丸まりウサギの耳のように見える「兎耳桔梗」、花が平皿のような「紋桔梗」は、今は品種が絶えており見ることができない。
梅園草木花譜秋之部 1
毛氏江元寿梅園直脚<毛利梅園>//書画并撰著,写
『梅園草木花譜 秋之部』から「桔梗」の図(右)。本書は春4・夏8・秋4・冬1の計17帖から成り、約1300品を収録した江戸時代屈指の植物図譜。
草木図説前編 20巻 [3]
飯沼長順,出雲寺文治郎[ほか12名]
『草木図説』から「桔梗」の図。『草木図説』は日本初のリンネ分類による植物図鑑で、草部20巻、木部10巻から成る。本図が収録されている草部は安政3年(1856)から文久2年(1862)にかけて刊行された。花の拡大図や解剖図を付した点も画期的であった。
畫本野山草 [1]
橘保國 畫圖,芸艸堂
江戸時代中期の大坂の絵師・橘 保国(たちばな やすくに)による草木画集『畫本野山草』より「桔梗」の図(中央)。花期・花色・形状などは図とは別の頁に詳しく記されている。宝暦5年(1755)刊だが、掲出本は文化5年(1808)に芸艸堂により後刷されたもの。
もっと知りたい
葛飾北斎筆,By Katsushika Hokusai (1760-1849),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>北斎が、「冨嶽三十六景」とほぼ同じ頃に、同じ版元の西村屋から出版した横大判錦絵10枚揃。北斎としては初の本格的花鳥図シリーズです。本作では、風に吹かれて揺れる桔梗の動きや、足や頭を動かすトンボの特徴が捉えられ、ダイナミックかつ精緻に表現されています。<br /></p>
広重〈2〉(立祥), 蔦屋吉蔵
江戸時代末期から明治初期にかけての浮世絵師・二代 歌川広重(喜斎立祥)による作品で、広尾原に咲く桔梗を描いたもの。『三十六花撰』では江戸の花の名所として、36種の花が取り上げられている。
2代目安藤広重,ニダイメアンドウヒロシゲ
江戸時代の浮世絵師、二代歌川広重による錦絵の揃物「諸国名所百景」の一つ。初代広重の門人で、師の亡き後その画風を継承した二代広重が、安政6年(1859)から文久元年(1861)にかけて制作した。版元は、初代広重晩年の作「名所江戸百景」を出版した魚屋栄吉。「桔梗の原」は天文年間(1532~55)に武田信玄と小笠原長時が相対した合戦場で、左にある「勘助子そだての松」は、合戦の最中に山本勘助が乳児を救い、その根元に置いて戦の後に戻ったところ、松の葉から落ちる雫を母親の乳房から出る乳のように口に含んでいたという伝説がある。その後、中山道の一里塚が築かれた。江戸日本橋の基点から59番目、江戸へ55里、京へ85里の道標で、塩尻市宗賀平出には、道を挟んだもう一方の塚が松の木とともに残されており、現存する数少ない一対の一里塚である。絵では、桔梗の花咲く道端に座り、一服する旅人の姿もある。
伝 俵屋宗雪,Attributed to Tawaraya Sosetsu
左隻に白菊、野紺菊などの野菊を中心として、桔梗、女郎花、萩、芒、南天、藪柑子などの秋から冬にかけての草花、右隻にたんぽぽ、芥子、野あざみ、すみれ、つつじ、紫陽花、つくし、蕨といった春から夏にかけての植物を描く。横長の金地画面をいっぱいに使って、地面を描かずに一つ一つの植物を点在させる装飾的な表現は琳派が得意としたもの。精細に描写された草花は生き生きとした生命力を宿している。
作者不詳,Artist Unknown
武蔵野図は近世初期のやまと絵系諸画派に好まれた画題で、一般に風情あふれる武蔵野の原野を描いたものを指す。武蔵野は古く『万葉集』や『伊勢物語』にもその名が見え、見渡すかぎりの草叢が広がっていたと想像される。本図は江戸時代に同図が定型化していく前の段階にある作品である。月と秋草の図は古くは平安時代より愛好されたテーマの一つ。芒の群生の中に、朝顔、桔梗、野菊などの花が姿を見せ、右隻には釣屋、左隻には農家の屋根も見える。
酒井道一,Sakai Doitsu
背景に水の流れを敷き扇面をバランスよく配置した精錬な雰囲気は、琳派に脈打つ粋の精神を感じさせる。扇面図は江戸の庶民の間で文化が熟すにつれ、その需要が増したという。本図に見られるような扇面図屏風もそうした進歩発展の中で大いにもてはやされた。俵屋は扇の製作でも有名であったと見られ、以来、宗達をはじめ酒井抱一を中心とした江戸琳派の中でも一種の伝統的な図案として定着した。扇面の図案としてはタンポポ、梅、竹、百合、牡丹、松、桔梗、水仙といった四季を代表する植物に加え、富士を背景とした山水図が1点見られる。
広重〈1〉, (江戸屋松五郎)
江戸後期の浮世絵師、歌川広重の描いた桔梗。歌川広重は代表作「東海道五十三次」をはじめ、多くの名所絵や風景画を手掛け地位を確立したが、一方で花鳥画にも優れた資質を見せ、情緒あふれる佳作を残している。
広重〈1〉,-, -
江戸後期の浮世絵師、歌川広重の描いた桔梗と翡翠。
土佐光起,京都国立博物館 Kyoto National Museum
<p>今尾景年旧蔵の作品で、もとは風炉先屏風であったという。画面は中央付近で巧妙に継がれており、掛軸への改装の際に画面が横方向に縮められたものとみられる。鶉や菊花の描写はきわめて精細で、光起の優れた画技を示す優品である。景年の子、景祥の箱書きをともなう。</p>
筏井竹の門
「四石山人(白文方印「四石」)」。
英山
90×140
1908(明治41)年9月12日(年消印、月日書入) 桔梗 と河原撫子の絵
武内桂舟,巌谷小波, 春陽堂
勝月,印刷発行者 日本橋区通三丁目十三バンチ 小林鉄次郞 小林 鉄次郞
長原孝太郎,ながはらこうたろう,NAGAHARA Kotaro
工芸品に描かれた桔梗
東京国立博物館,Tokyo National Museum
重要文化財。蓋の表の近景に、桔梗、菊・撫子・など秋の草花が描かれている。 蓋の表裏の図様中に文字を隠して、「なほ照らせ代々にかはらず男山 仰ぐ峰より出る月影」(『続後撰和歌集』)の歌意を示している。古典文学に取材した意匠を、肉合研出(ししあいとぎだし)蒔絵をはじめ高(たか)蒔絵・平(ひら)蒔絵・平文(ひょうもん)などの高度な技巧で表現した、室町時代蒔絵の名品である。 筆記に用いる硯や筆などの道具を納めるための箱が「硯箱」です。こうした箱は、日本では10世紀ころより作られ始めたと考えられています。硯箱の多くは木製で、表面に漆を塗ったり、金粉で文様を表す「蒔絵」や、文様の形に切った貝を貼り付ける「螺鈿」で装飾した作品も登場しました。しだいに内容品の種類は整理されるとともに、箱の内外や内容品のデザインの統一が図られ、コンパクトにまとまった硯箱が作られるようになりました。やがて硯箱は、文房具では必須のアイテムとなり、貴族、僧侶、武家など文字を使う有力者の間では、洗練されたデザインと高度な装飾技法を用いた硯箱が好まれました。 では作品を見てみましょう。全体は木製で、表面に漆を塗り、金粉を蒔き付ける「蒔絵」の技法でデザインが表されています。硯の上には、瓜の実をかたどった銅製の水滴(すいてき)があります。水滴は、硯で墨をするさいに使う水を入れておく容器です。硯の左右には、取り外しの出来る底の浅い容器が2つ配置されています。もとはこの中に、筆や小刀(こがたな)などが置かれていたのでしょう。蓋の表は、遠景に山々と月、近景に菊・撫子(なでしこ)・桔梗(ききょう)など秋の草花が描かれます。これに対して蓋の裏から身の内側にかけては、流水のほとりに建つ建物が表されています。蒔絵は、部分に応じて、金粉を高く低く蒔き、あるいは線を描くなど、多彩な技法が駆使されています。大小の金属の板をはる「截金」(きりかね)や「平文」(ひょうもん)も見られます。蒔絵の技法がほぼ出そろい、またコンパクトで洗練された硯箱が多く制作された15世紀の制作と考えられています。 ところどころに、文字の形に切った銀の板がはられています。これは、11世紀後半から12世紀前半に活躍した貴族の源雅実(みなもとのまさざね)が、京都の男山を主題として読んだ和歌「なおてらせ よよにかわらず おとこやま あおぐみねより いずるつきかげ」から、いくつかをとったものです。このことから、蒔絵のデザインも和歌に基づいたものであることがわかります。このように、物語や和歌などの古典文学を題材として絵画化し、また文字自体をデザインの一部として取り込むやり方は、日本美術によくみられる特色です。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>同じ主題でまとめた料紙箱、硯箱の一組。水辺に咲く菊や萩などの秋草を月が照らす、秋の夜の景色です。雲や岩、土坡は高【たか】蒔絵の技法で盛り上げ、月は同様に盛り上げてから金の薄板を貼り付けてあらわしています。大小の截金【きりかね】を丁寧に配置し、長く引かれた波の描線も見事です。<br /></p>
中島美水
中島美水作の桔梗文が施された彫金手板である。扇形の板には、白色の桔梗の花が彫られている。 扇面右端に「美水」の刻銘、「美」の刻印がある。
中国・龍泉窯,Longquan ware, China,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>元時代に焼かれた龍泉窯青磁の花入。下蕪形の胴部から鎬立ち、花弁がひらくように口が外反したこの形は、室町時代に「キキヤウグチ(桔梗口)」と分類されていたことが伝書に知られます。韓国新安沖引揚資料に青銅製の類例がありますが、青磁の伝世品は稀少です。<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>安土桃山時代にカトリック諸国からの注文によって制作された輸出漆器の典型作。中に収められた画像は、聖ステファノが石打ちに遭(あ)い殉教(じゅんきょう)する『新約聖書』の一場面です。当時スペインの植民地だったメキシコの先住民の伝統技法である「羽根モザイク」で表されています。<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>室内での洗面や化粧に使う手水[ちょうず]道具。湯や水を注ぐためのもので、それを受ける角盥[つのだらい]と揃いで使用します。本作は、桃山期に流行した高台寺[こうだいじ]蒔絵の典型例。平[ひら]蒔絵に絵梨子地[えなしじ]を交えて菊、桔梗[ききょう]、女郎花[おみなえし]などの秋草を描き、品よく華やかに仕上げています。<br /></p>
桔梗の花に唐草を絡めた文様で、蒔絵のみならず、陶磁器や染織などさまざまな作品に用いられている。桔梗は古くは「きちかう(きちこう)」と呼ばれた。紀友則〈きのとものり・生没年未詳〉の物名(もののな・隠し題)の歌「あきちかうのはなりにけり白露の置ける草葉も色変りゆく」(『古今和歌集』巻第十)では、「秋近う野はなりにけり」の句に「きちかうの花」がよみ込まれている。他にも「あかつきちかう(暁近う)」「まがきちかう(籬近う)」といったように、歌の中にその名がよみ込まれることが多く、物名の題材として親しまれた植物である。
五十嵐派,By the Igarashi school,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>古今和歌集の冊子を収める箱。加賀・前田家に伝来しました。垣根に秋草を組み合わせた図柄や、菊花や薄(すすき)、桔梗などの表現には、前田家の御用を勤めた京都の有名蒔絵師、五十嵐(いがらし)に特有の表現が認められます。箱の内側にも全面にわたり、扇面に夕顔、折枝散(おりえだちらし)の文様を描いています。<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>平【ひら】蒔絵と絵梨子地【えなしじ】を主体にして、菊や桔梗などの秋草を描いています。深い被蓋造【かぶせぶたづくり】の箱で、中には懸子【かけご】を一枚収めています。後世の柄鏡箱に較べて小振りで高さがあるのは、小型の柄鏡を懸子に載せ、身の内に櫛や白粉【おしろい】入など簡単な化粧道具を収めたためと考えられます。<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p> 手拭掛は、洗面や鉄漿付(かねつ)け(お歯黒)など、水を使う化粧の際に、手を拭う布を掛けるための道具である。表面を雷光形に区画し、薄肉高(うすにくたか)蒔絵で桐紋や秋草を描いている。細長い面に菊・萩・桔梗(ききょう)・撫子(なでしこ)・女郎花(おみなえし)・芒(すすき)などの秋草を巧みに配している。いわゆる高台寺(こうだいじ)蒔絵の一例である。<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>蓋表から蓋裏にかけて、秋の野に置かれた枕、板葺きの家の中で砧を打つ男女の姿などを描く。秋草や家屋、人物は、描割【かきわり】を駆使して精細に描き込まれている。画中の「しられ」「ぬる」の文字と合わせて、『千載和歌集』巻5の俊盛法師の歌「衣うつ音をきくにぞ知られぬる 里遠からぬ草枕とは」を表わしている。<br /></p><br /><p> 筆記に用いる硯や筆などの道具を納めるための箱が「硯箱」です。この硯箱は木製で、表面に漆を塗り、金粉を蒔き付ける「蒔絵」の技法でデザインが表されています。蓋を開けると、身の内側には薄い容器が敷かれ、その上に硯(すずり)と水滴(すいてき)が置かれています。硯の上下に渡してある材は、筆や小刀を置くための台です。<br /> 蓋の表をみてみましょう。右上には月と雲を配し、左下には薄(すすき)・桔梗(ききょう)・女郎花(おみなえし)・藤袴(ふじばかま)など、日本で伝統的に好まれてきた秋の草花の中に、獅子をあらわした枕を置いています。これに対して蓋の裏側には、秋草に囲まれた家屋、その中で砧(きぬた)を打つ男女の姿があらわされます。砧は布をたたく道具で、たたくことによって柔らかくしたり、皺(しわ)をのばすために使われました。かつては秋の夜になると、家々から砧の音がしたといい、秋の夜を象徴するモチーフともなりました。<br /> 蒔絵は、部分に応じて、金粉を高く低く蒔き、あるいは線を描くなど、多彩な技法が駆使されています。ところどころに、実際の金銀の金属片を貼り付ける技法も効果的です。洗練された蒔絵の技法とスマートな硯箱の形が印象的な作品です。<br /> 蓋の表には秋草に紛れこませるように、「しられぬる」の文字が銀蒔絵で記されています。これは、平安時代12世紀の貴族、藤原俊盛(ふじわらのとしもり)が読んだ和歌「衣打つ音を聞くにぞ知られぬる里遠からぬ草枕とは ころもうつ おとをきくにぞ しられぬる さととおからぬ くさまくらとは」の一節です。蒔絵のデザインは、この和歌にもとづくものであることがわかります。このように、物語や和歌などの古典文学を題材としてデザイン化し、また文字自体をデザインの一部として取り込むやり方は、日本美術によくみられる特色です。それを理解するための教養が必要とされたことは、いうまでもありません。</p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p> 楾は、室内での洗面や化粧に使う手水道具。湯や水を注ぐためのもので、それを受ける角盥と揃いで使用する。表面には平蒔絵に絵梨子地を交えて菊、桔梗、女郎花などの秋草を賑やかに描いている。桃山時代に流行した高台寺蒔絵の典型的な作品である。<br /></p>
田口善国 (1923 - 1998),TAGUCHI, Yoshikuni (1923 - 1998)
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
六代清水六兵衞 (1901 - 1980),KIYOMIZU, Rokubei VI (1901 - 1980)
衣裳に描かれた桔梗
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>紅色を控えた色調は紅無と称され「曲見」や「深井」といった能面をつける中年女性の役に表着として用いられます。また、秋草模様は紅無に好まれ、わびさびを感じさせる美しさを表わすデザインです。前衽の先がとがった仕立は江戸時代後期の特徴です。<br /></p><br /><p> これは、唐織とよばれる能装束です。唐織とは、主に女性を演じる際に着用する表着(うわぎ)のことで、もともとは織物の名称でした。模様の部分の絹糸がふんわりと浮いているので、刺繍のように見えるかもしれませんが、これらの模様は織り込まれています。唐織の特徴は、刺繍のような風合いや、バリエーション豊かな模様の表現にあります。<br /> このように茶や青や緑などの落ち着いた色を主に用い、赤い色が目立たない装束は「紅無(いろなし)」と呼びます。「紅無」は、子どもや大切な人をなくし、悲しみにくれる中年女性などの役柄に、「曲見(しゃくみ)」や「深井(ふかい)」といった能面とともに用いられます。それに対して紅色を多く用いたものは「紅入り(いろいり)」と呼び、若い女性の役に使用されます。能装束のデザインや色調は、演じる役の性格と密接につながっています。<br /> ベースの色として、濃茶色、茶色、浅葱色(緑がかった薄い藍色)が石畳模様のように段違いになっているところに、さまざまな模様が織り出されています。萩、桔梗、女郎花、撫子、菊といった秋草の模様です。「紅無」の装束によく使われる模様で、一見ものさびしげなモチーフを、美しいと肯定的に捉える感覚は、日本独特の美意識と言えるでしょう。</p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>「唐」つまり中国の織物という名称だが、実際には室町時代に日本で織られた縫取織(ぬいとりおり)で、刺繡(ししゅう)のような風合いが特色である。江戸時代にはもっぱら能舞台で女性役を演じる際の小袖に使用された。「里の女」を演じる際には衿(えり)を開き立てて着流しで着用する。<br /></p><br /><p> これは、唐織とよばれる能装束です。唐織とは、主に女性を演じる際に着用する表着(うわぎ)のことで、もともとは京都・西陣で織られる高級織物の名称でした。模様の部分の絹糸がふんわりと浮いているので、刺繍のように見えるかもしれませんが、これらの模様は織り込まれています。唐織の特徴は、刺繍のような風合いや、バリエーション豊かな模様の表現にあります。<br /> この衣装のように、紅色を用いた華やかな印象のものは、「紅入(いろいり)」と呼び、若い女性の役に使用されます。これに対して、茶や青や緑などの落ち着いた色を主に用い、赤い色が目立たない装束は「紅無(いろなし)」と呼び、主に中年以上の女性の役柄に用いられます。能装束のデザインや色調は、演じる役の性格と密接につながっています。<br /> この作品では、青海波(せいがいは)と呼ばれる宮廷ふうの波模様に、小枝を束ねた柴束(しばたば)と秋草の飾り、薄(すすき)の上に露を乗せた露芝(つゆしば)に、竹垣に囲われた草花という、2つのパターンが、地の色糸と模様の色糸を変えながら、石畳(いしだたみ)模様のように段違いに配されています。草花は、紅葉(もみじ)、菊(きく)、桔梗(ききょう)、撫子(なでしこ)、薄(すすき)など、日本の美術によく用いられてきた伝統的な秋草のモチーフですが、それらを巧みに組み合わせてデザイン化しています。紅がちな色調と、多彩で賑(にぎ)やかな色糸の模様の中に、青海波や露芝の模様を織り出す金糸がきらめき、優美で華やかな印象を与えています。</p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>武家女性の小袖。腰上は、菊・桔梗・芒と虫籠の模様で『源氏物語』の「野分(のわき)」を、腰下は藤をのせた檜扇(ひおうぎ)が描かれており「藤裏葉(ふじのうらば)」を主題としています。野蚕(やさん)から取れる天蚕糸(てんさんし)と呼ばれる山繭(やままゆ)糸で縞経(しまだて)をして織り上げ、縮緬を染めると縞模様が現れます。<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>長い振袖を持つ子供用の帷子。描絵(かきえ)・摺匹田(すりびった)・刺繍(ししゅう)で総模様を表わしたデザイン様式は、江戸時代後期の武家女性の帷子と同様である。この帷子も武家の娘に誂えられたものであろう。明治期に東京で活躍した呉服商・野口彦兵衛のコレクションであった。<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p> 刺繍と中形(型染)で、すっきりと模様を表した麻の単仕立ては、夏向きの帷子である。もともとは武家、あるいは公家の出の女性が着用したものと思われるが、腰から上には、抱き藤紋と稲穂丸紋の繍紋を散らしており、あるいは後から付け足したものかもしれない。<br />(2006/06/27_h101)<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>白繻子地に破れ花菱亀甲模様を金銀箔による摺箔(すりはく)で表わし、雪輪に蒲公英を組み合わせた模様を刺繡で表わす。雪輪の内部は、竹に若松、八橋に杜若(かきつばた)、女郎花(おみなえし)、撫子(なでしこ)、萩(はぎ)、菊、鞠(まり)に柳、蝶に桔梗(ききょう)笹、流水に紅葉、藤の花など、日本刺繡の美しい技術がうかがえる。<br /></p>
武具や工芸品などに施された桔梗紋
溜塗打刀(明智拵)
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>本品は鎺@はばき@に桔梗紋@ききょうもん@の透かしがあることから明智光秀@あけちみつひで@の指料@さしりょう@と伝えられ、「明智拵」の名があります。柄@つか@は鮫着黒漆塗@さめぎせくろうるしぬり@に萌黄@もえぎ@糸を片手巻とし、鞘@さや@は革を着せて透漆塗@すきうるしぬり@とします。無駄のない肉取りの鞘や、先の張った柄頭@つかがしら@など、簡素ながら実用本位につくられています。</p>
鉄錆地五枚張頭形兜 獅噛前立
兜は江戸時代前期。前立は、中期頃の作である。薄鉄板の五枚張の構成で、矧留鋲は小星である。前方正面の中心に一本角本を打ち、左右脇の下方に切鉄で丸に桔梗(ききょう)紋を打っている。作域は、薄鉄仕上げ、打ち出しは良好で、奈良の春日系の作と推定されている。
三盛桔梗文方鏡
家紋を刻した鏡である。日本における紋章の起源は、平安時代の公家が牛車や調度などに、父祖の好んだ文様を代々引き継いで用いたことにはじまる。その後、武家の台頭により、戦闘の際に敵味方を識別するため、家紋として定着した。江戸時代に入ると、商人をはじめとして庶民の間でも家紋を掲げるようになる。こうした現れの一つとして、室町末期以降、特に江戸時代には、鏡に家紋が配されるようになる。
松菖蒲丸桔梗文柄鏡
藤原光長
江戸時代の柄鏡には記名されていることが多いが、中でもしばしば見られる名前があり、すなわちその名を持つ鏡師が多くの鏡を残したことになる。この鏡に刻された藤原光長という名もその一つである。が、銘文に記された制作年や鏡の作風の違いを調査することにより、光長に限らず、たとえ名が同じであるとしても同一人物が制作したとは限らないことがわかる。すなわち、鏡師の名は代々受け継がれ、襲名した鏡師たちが新たに作品を生み出していったのである。
丸に三引両と桔梗紋散蒔絵鉄漿箱
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
<p> 鉄漿は御歯黒のこと。鉄漿付け道具には鉄漿沸し、鉄漿坏、鉄漿付け筆(歯黒筆)等が含まれる。平安時代末までは女子の慣習であったのが、じきに公家の男子や武士の間にも広がり、中世には上層の武士の間で一般化したとされる。ふつう、成年式(成女式)を機に行われた。江戸時代には男性の鉄漿が廃れる一方、女性の間では庶民層にまで普及。婚礼前後に付ける慣習も増加し、やがて既婚女性の象徴となった。コンパクトサイズの本作品も婚礼の際に揃えられた調度であろう。</p>
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8月上旬。富山県中央植物園では、秋の七草のうち、ハギ、オミナエシ、キキョウ、ナデシコが見ごろを迎えていました。特にオミナエシの黄色が鮮やかでした。このあと、8月の終わりごろにはススキが穂を出し始め、フジバカマやクズが咲き始めます。<br><br>(この動画は、2013年に放送したものです。)

この唄の源流は、目の不自由な女性の旅芸人「越後瞽女」が門付唄として歌った「こうといな」といわれています。<br>その替え唄の、新潟・十日町市の「新保広大寺」という唄が、越後瞽女の手によって津軽へ伝えられ「じょうんがら節」に<br>なったということです。<br><br>収録/昭和58年<br><br>【歌詞】<br>ハアーアーアー花のお江戸のその傍らに さても珍し心中ばなし ところ四谷の新宿町よ<br>紺ののれんに桔梗の紋は 音に聞こえし橋本宿で 数多女郎衆の数あるなかに<br>お職女郎衆の白糸こそは 年齢は十九で当世育ち 愛嬌よければみな人さんが(ハイ)<br>われもわれもと名指してあがる あがるお客がどなたと訊けば 鈴木主水お言う侍よ
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静岡県の西部遠州森町にある曹洞宗の寺。「ききょう寺」とも呼ばれ、15種類、4万5000株以上の桔梗が6月中旬から開花する。
京都市上京区にある台圓浄宗の本山。紫式部の邸宅跡としても知られ、「源氏庭」では6月末から9月初め頃まで、紫の桔梗が咲く。
京都府亀岡市にある明智光秀公ゆかりの寺。例年6月末から7月末にかけ門前で「ききょうの里」を開催。紫や白色の桔梗をはじめ、珍しいピンクや八重咲きの桔梗も鑑賞できる。
1000種類以上の植物、花の名前がわかる植物図鑑。キキョウの基本情報や育て方などについて、「趣味の園芸」講師陣の専門家が執筆している。
国立科学博物館筑波実験植物園内の植物を検索できる。研究者ノートなど専門的な解説もあり。
熊本大学薬学部 薬草園内の薬用植物を検索できるデータベース。キキョウの写真や化学構造式とともに薬効や用途などが解説されている。
参考文献
- 木村陽二郎 監修,植物文化研究会, 雅麗 編,柏書房
- 平田喜信, 身崎寿 著,東京堂出版
- 講談社 編,講談社
- 山田卓三, 中嶋信太郎 著,北隆館
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- 最終更新日
- 2026/02/02







