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青磁

東洋を代表する、青色や緑色を基調とした陶磁器。

「青磁」とは、釉薬や胎土に含まれる鉄分が還元炎で焼成され、青く発色した焼物のこと。中国で生まれ、その技術は東アジア各地に伝わり、西アジア・ヨーロッパにも輸出された。ここでは、青磁発祥の地である中国、優雅な「高麗青磁」が花開いた朝鮮半島、そして江戸時代初期に焼成が始まった日本の青磁を紹介する。

中国の青磁

青磁の起源は、中国・商(殷)時代(紀元前16世紀頃〜紀元前11世紀)前期の「灰釉陶(かいゆうとう)」(植物の灰を釉薬とする陶器)から始まったと考えられている。この時代の灰釉陶は灰褐色や暗褐色を呈するが、青磁の祖型にあたるという意味で「原始青磁」とも呼ばれ、この灰釉陶が長い年月をかけて改良を重ね、美しい青緑色を獲得したものが青磁である。

本格的な青磁の焼造は、後漢時代(25~220)の浙江省北部の越州窯で始まる。越州窯の古い時代の青磁は「古越磁」と呼ばれ、三国時代(220~280)から西晋時代(265~316)には多様な器種が青磁で作られるようになった。特に貴族の墓の明器(副葬品)が多く出土しており、神亭壺・天鶏壺など独特の造形がみられる。その後、越州窯は一時低迷するが、中唐時代(8世紀後半〜9世紀前半)以後、新生越州窯が台頭。五代時代(907~960)には呉越国の保護の下、「秘色」と称される高雅な青磁を生産し、朝廷に献上した。

中国陶磁の黄金時代とされる宋時代(960~1279)、より鮮明な色合いと洗練した造形の青磁が各地の窯で生み出される。北宋時代(960~1127)には、陝西省の耀州窯でオリーブグリーンの釉色を特色とする青磁が現れ、河南省の汝窯では宮廷用の精巧な青磁が生産された。南宋時代(1127~1279)には、都(現在の杭州)に設置された官窯で格調高い青磁が作られる。また、浙江省の龍泉窯では、玉のような粉青色の釉調をたたえた青磁が焼造された。龍泉窯の粉青色の青磁は、鎌倉時代から室町時代にかけて日本にも多くもたらされ、「砧青磁」と呼ばれ、青磁の最上品として珍重された。

後漢時代(1~2世紀)/越州窯。越窯青磁の最初期の製品。後漢時代になると浙江省北部において成熟した青磁が誕生した。胴部全体に施された印花文は同時期の印文硬陶と同じ技術。

西晋(3世紀)/越州窯。本格的な青磁生産が始まるのは三国時代以降である。この壺は典型的な三国時代の青磁。口が皿型なところから盤口という。肩に逆U字形の耳が4つ付いている。

三国(呉)~西晋時代(3世紀)/越州窯。神亭壺は墳墓に副葬するための明器。被葬者の死後の生活に備えるための穀物倉、あるいは死者の魂の住みかと考えられる。

東晋~南朝時代(4~5世紀)/越州窯。鶏の頭が付く器を「天鶏壺」と呼ぶ。鶏頭の部分は孔が通じておらず、墳墓に副葬するための明器と考えられる。古越磁には動物の姿をかたどった独特の形がみられる。

南朝時代(6世紀)。ずっしりと重い胎にガラス質の釉がかかる。全面に鋭い片切り彫りで蓮弁を、型押し文で蓮の実をあらわす。このような大ぶりの蓮華文や蓮弁文は南北朝時代に流行した。

【重要文化財】 唐時代(7世紀)。天平6年(734)に光明皇后が法隆寺に献納された「丁子」とよばれる香料の容器として法隆寺に伝来した。来歴が明らかな世界最古の伝世陶磁器として名高い。

唐時代(9世紀)/越州窯。唐時代、現在の浙江省北部の越州窯でつくられた新しい青磁が注目を集めた。陸羽の『茶経』ではその釉の美しさは玉や氷にたとえられている。

五代(10世紀)/耀州窯。白化粧が施された胎とガラス質の釉、内向した碗形が印象的。1990年代の発掘調査により、五代10世紀に遡る耀州窯の貴重な作例と判明した。

五代~北宋時代(10~11世紀)/越州窯。越州窯の青磁は、灰色の胎に釉がごく薄く掛かるのが特徴で、暗緑色やよもぎ色をしている。宋時代に隆盛する青磁の先駆的存在。

北宋時代(11~12世紀)/龍泉窯。5本の管が付き、胴部に段が設けられた不思議なこの形の器は「多嘴壺」と呼ばれるもので、用途は不明だが明器の一種と推測される。

【重要文化財】 北宋時代(11~12世紀)/耀州窯。陝西省銅川市にある耀州窯では、オリーブグリーンの釉色の優れた青磁が生産された。本作は、北宋時代の耀州窯青磁を代表する世界的に知られた名品。 

北宋時代(11~12世紀)/汝窯。中国の北宋時代、11世紀末に、宮廷の命によってひらかれた汝窯(じょよう)という窯で焼かれた盤。ごく短い期間しか生産されなかったため、汝窯の作品は希少で、世界でわずか100点にも満たない。

【重要文化財】 南宋時代(12~13世紀)/南宋官窯。南宋の都、現在の杭州にあった宮廷の御用品を焼く官窯で作られた青磁の花入。中国古代の玉器琮(そう)の形にならったもの。灰色の土に厚くかけられた釉薬の深い色あいと、土と釉の収縮率の違いによって一面に生じた、貫入と呼ばれるひび割れが見どころ。

【重要文化財】 南宋時代(13世紀)/龍泉窯。かつて足利義政が所持していたおり、ひび割れが生じ、中国に送ってこれに代わるものを求めたところ、明時代の中国にはもはやそのようなものはなく、鎹(かすがい)で止めて送り返されてきた。この鎹を蝗(いなご)に見立てて「馬蝗絆(ばこうはん)」と名づけられた。

南宋~元時代(13世紀)/龍泉窯。首の左右に鳳凰のかたちの耳が付いた青磁の花生け。中国の南宋時代から元時代に龍泉窯で作られたもので、不透明な淡い青色が特徴。日本人は古くから龍泉窯の青磁の優品を「砧青磁」と呼んで愛好してきた。

【国宝】 元時代(14世紀)/龍泉窯。釉上に鉄斑を散らした青磁は、日本では「飛青磁」と呼ばれ、茶人らに好まれてきた。本作はその中でも釉色と鉄斑の現れ方がともに優れた作例の一つ。

元~明時代(14~15世紀)/龍泉窯。元時代以降、龍泉窯では大型で重厚な製品が主立って作られるようになり、釉色も粉青色から草緑色に変化する。これは宴の場を飾った酒壺。

明時代(14~15世紀)/龍泉窯。胴の曲線と濃緑色の青磁釉が美しい。このように胴部上半が膨らんだ酒瓶は「梅瓶」と呼ばれる。

朝鮮の青磁

朝鮮半島における青磁は、中国の越州窯の影響を受けて、高麗時代初期(9~10世紀)に誕生したとみられる。その後、中国陶磁のさまざまな要素を受容しながら、高麗時代中期(12世紀)には、「翡色(ひしょく)」とよばれる美しい釉色と、高麗ならではの美意識を反映した、しなやかな装飾をもつ「高麗青磁」が完成した。さらに、12世紀中頃にかけて、素地に文様を彫り、そこに白土・赤土を埋め込んで文様を表した「象嵌青磁」が急速な発展を遂げる。13世紀には、銅を主成分とした顔料「辰砂」で赤色の文様を加える「辰砂青磁」も生まれた。

高麗時代(10世紀)/土築窯。内底は曲面になっており、窯址の発掘調査によって、内底円刻が作り出されている碗よりも先行する型式であることが明らかにされている。底部は蛇の目高台で、白色耐火土目が3つ残されている。

高麗時代(11~12世紀)。釉薬は澄んだ青緑色を呈しており、焼成技術の向上によって、青磁としての完成度が高まっている。見込み中央に内底円刻とよばれる平らな部分があり、底部は蛇の目高台で、白色耐火土目が4つ残されている。

高麗時代(12世紀)。朝鮮半島では10世紀半ばより青磁の生産が本格化したと考えられている。この作品は中国の越窯や汝窯において流行した文様表現を忠実に写したもの。この時期の高麗青磁特有の緊張感が漂う。

高麗時代(12世紀)。10世紀半ば、中国から製作技術が伝わったことにより、朝鮮半島の高麗国で誕生した「高麗青磁」は、その後独自の進化をとげ、12世紀頃には中国の皇帝が手にする中国の最高級の青磁にも肩を並べるまでに至った。

高麗時代(12世紀)。筍の皮は丁寧に浮き彫りにされ、葉脈が繊細に陰刻されている。中国には見られない意匠で、「翡色」というべき透明な灰青緑色の釉が、形や文様の美しさを際立たせている。類品中でもっとも華麗な作例。

高麗時代(12世紀)。このような装飾をそなえた碗は12~13世紀にかけて中国・華北の耀州窯において量産されており、高麗へ伝わり、模倣されたものと考えられる。草緑色の耀州窯青磁に比べ、明るく瑞々しい印象。

高麗時代(12世紀)/康津沙堂里窯。十枚の蓮の花弁をかたどった鉢で、うすく精緻なつくりと透明感のある美しい釉色から、「翡色青磁」の代表作の一つ。北宋時代の汝窯青磁の影響が見られる。

高麗時代(12世紀)。頸が細く長く、丸みを帯びた胴もほっそりとし、肩の線もなだらかで、高麗独自の変容をとげた優雅な姿が見どころ。「翡色」青磁としての釉色も美しく、高麗青磁最盛期の作例。

高麗時代(12世紀)。最盛期の高麗青磁には、人や動物の姿を写した美しい文房具がある。本作もその一つで、童女の姿をかたどった水滴。蓮の蕾の形をした頭の飾りを取りはずして水を入れ、童女の抱える水瓶が注ぎ口。

高麗時代(12世紀)。最盛期を迎えた12世紀の高麗青磁を象徴する名品。底面を除く全面に細密な透彫の装飾が施されている。翡翠(かわせみ)の羽の青色にたとえて「翡色」と呼ばれる高麗独特の青磁の色が美しい。

高麗時代(12世紀)。躍動感のある筆遣いで、全面に唐草文が描かれている。高麗の青磁鉄絵の起源は中国南部の鉄絵との関係が指摘され、酸化焔のため、総体に黄色を帯びている。韓国全羅南道海南産とみられる。

高麗時代(12世紀後半~13世紀前半)。蔓をよじ登る童子のまわりに宝相華が施された水注。輪郭を黒象嵌で表してその背景を白土で埋め込む象嵌が文様を一層際立たせる。この種の青磁の最高作。

高麗時代(12~13世紀)。象嵌技法で胴の3面に梅と竹、柳、蒲の図がのびやかにあらわされ、間に水鳥が配されている。波は線彫りで表現されている。静謐な画面の中に繊細な情感が盛り込まれている。

高麗時代(13世紀)。辰砂彩とは、酸化銅の顔料を釉下に置いて還元焼成し、鮮やかに赤く発色させるもの。青磁辰砂彩は中国でも例がなく、高麗で独自に生み出された装飾技法であったと考えられえる。

高麗時代(13世紀)。本作のような花形の杯と托は高麗青磁によくみられる器種で、人気の製品であったことがうかがえる。

日本の青磁

日本では古くより、中国・朝鮮の青磁がもたらされ愛玩されていたが、本格的な青磁の焼成を始めたのは、江戸時代初期(17世紀)、日本最古の磁器である有田(佐賀県)の伊万里焼であった。佐賀藩(鍋島藩)直営の窯で、青磁に青い染付の絵を添える独特の技法による「鍋島青磁」が生み出され、将軍家への献上品に用いられた。江戸時代後期には、京都、三田(兵庫県)、湖東(滋賀県)、瑞芝(和歌山県)など、各地の窯で青磁が生産され、一時流行をみせる。明治時代以降、陶芸家たちは中国陶磁の研究、および古陶磁の再現を重ね、やがて青磁による独自の表現を作り出すようになった。

青磁陽刻牡丹文三足大皿

江戸時代(18世紀)/鍋島。通常の染付生地に青磁釉を掛けたもので、轆轤成形の後の型打ちによって牡丹の意匠を浮かび上がらせている。

青磁染付瓢文皿

江戸時代(18世紀)/鍋島。墨弾きの技法で表わされた青海波文の中に白抜きの瓢箪が浮かび上がり、部分的に青磁釉が施されている。

青磁染付竹に虎図大皿

江戸時代(19世紀)/伊万里。水辺に立つ虎の図が力強い筆線で描かれ、竹は大胆にも画面中央を貫通している。文様の地の部分には、厚く青磁釉が塗られている。

青磁透彫文香炉

江戸時代(19世紀)/三田。龍の一種である蛟(みずち)と、唐草文を透彫であらわした精巧な香炉。小品ながら、みずみずしい青磁釉の発色が見られる。

青磁牡丹唐草文香炉

江戸時代(19世紀)/湖東。湖東焼は江戸時代後期に滋賀県彦根市古沢町の佐和山山麓で始まり、後に藩窯となる。井伊直弼が藩主の時代が最盛期で、染付、金襴手、赤絵、青磁などの磁器を主体に茶陶の優品がつくられた。

瑞芝焼 青磁鳳凰文獅子鈕香炉

江戸時代後期/瑞芝。身・火舎ともに透明度の高い青磁釉をかけるが、身の方が幾分厚目である。細工の丁寧さ・意匠・焼成の良さ・法量といった点において群を抜く出来映えで、瑞芝焼の青磁の代表作の一つ。

青磁牡丹唐草文双耳瓶

大正元年(1912)/宮川香山作。宮川香山(みやがわこうざん)の後期の代表作。青磁釉から牡丹唐草が浮かび上がり、耳の環は熔着しない「遊環(ゆうかん)」とするなど技の高さも示している。

飛青磁大瓶

大正元年(1912)/三代清風与平作。陶磁で最初の帝室技芸員となった三代清風与平(せいふうよへい)は、作陶の基盤を中国陶磁研究に置いた。与平が「秘色磁花瓶」と呼ぶこの大瓶は、中国龍泉窯の飛青磁(とびせいじ)に発想を得たもの。

青磁鳳凰耳瓶

大正3年(1914)/初代諏訪蘇山作。初代諏訪蘇山(すわそざん)は中国青磁の研究をきわめ、宋窯のものに迫る高い製作技術が評価され、帝室技芸員に任命された。本作は、「万声」の銘をもつ青磁鳳凰耳花生(国宝、和泉市久保惣記念美術館蔵)をモデルにしている。

関連する人・もの・こと

参考文献

  1. 長谷部楽爾 監修,平凡社
  2. 赤沼多佳, 伊藤郁太郎, 片山まび 編著,講談社
  3. NHK「美の壺」制作班 編,日本放送出版協会
  4. 阿部出版