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式亭三馬

江戸時代後期の戯作者。『浮世風呂』などの滑稽本を得意とした。

1776-1822(安永5-文政5)

 

江戸後期の戯作者。江戸浅草田原町三丁目の家主菊地茂兵衛の長男。名は太輔(たいほ)、字は久徳(ひさのり)。別号に、本町庵、滑稽堂、哆囉哩楼(たらりろう)、遊戯堂などがある。父茂兵衛は八丈小島の為朝大明神の神官菊地氏の庶子。晴雲堂と号した板木師で、戯作者となった三馬の作品の多くに「彫工」としてその名が見える。

天明4年(1784)9歳のときから書肆・翫月堂(堀野屋仁兵衛)のもとで奉公し、十八歳の頃から戯作の執筆を開始。19歳の寛政6年(1794)、処女作の黄表紙『天道浮世出星操 (てんどううきよのでづかい) 』『人間一心覗替繰(にんげんいっしんのぞきからくり)』を刊行。寛政9年(1797)頃に、書肆・万屋太治右衛門(よろずやたじえもん)の婿養子となり、寛政10年(1798)には洒落本『辰巳婦言』を刊行するなど、戯作者と書肆を兼業するが、翌年正月、火消人足の喧嘩を太平記に見立てた黄表紙『俠太平記向鉢巻(きゃんたいへいきむこうはちまき)』が関係者の怒りを買って板元西宮新六(にしのみやしんろく)とともに打ち毀しにあって訴えられ、当代の事件を茶化した廉で処罰を受けた。

事件後一時著述から遠ざかるが、享和2年(1802)、黄表紙『稗史億説年代記(くさぞうしこじつけねんだいき)』、洒落本『船頭深話(せんどうしんわ)』を刊行。翌年、自身も罹患した麻疹(はしか)の流行に合わせた『麻疹戯言(ましんきげん)』を発表。またこの間、『俳優細見記(やくしゃさいけんき)』『俳優楽室通(やくしゃがくやつう)』『戯場訓蒙図彙(しばいきんもうずい)』などの歌舞伎関連の作も手掛けた。

文化2年(1805)頃、妻を失って万屋を離縁となり、翌文化3年(1806)、日本橋十九文横町に転居するが、同年3月の火事で罹災。下総国佐原に逗留して滞在中に洒落本『潮来婦誌(いたこぶし)』を執筆。帰京後は日本橋本石町四丁目に居を移した。この年の活動は旺盛で、『戯場粋言幕之外(げじょうすいげんまくのそと)』『酩酊気質(なまえいかたぎ)』『小野𦽳譃字尽(おののばかむらうそじづくし:原本では「𦽳」は竹冠)』の滑稽本3作を発表し、『雷太郎強悪物語 (いかずちたろうごうあくものがたり)』で合巻形式流行のきっかけを作った。

文化6年(1809)、滑稽本『浮世風呂』前編を刊行。銭湯を舞台に庶民の行動や会話を克明に描き、「さ゜(つぁ)」「せ゜(ちぇ)」など従来にない表記を用いるなど、精緻で写実的な描写で三馬の代表作となった。滑稽本は三馬が最も得意としたジャンルで、他に『浮世床』『四十八癖』『一盃綺言』『人間万事虚誕計 (にんげんばんじうそばっかり) 』『古今百馬鹿 』などがある。

文化7年(1810)春、過度の飲酒に肥満、痛風が重なり、歩行困難となるほどの大病を患うが、同年暮れに日本橋本町二丁目に転居して京都の田中宗悦製法の強壮薬「仙方延寿丹」の関東売弘所を開業。店は「三馬店」として親しまれ、化粧水「江戸の水」や歯磨なども手がけ、自作にも広告を出すなど宣伝につとめて生活は安定した。なお、時期ははっきりしないが万屋を離れた頃に最初の奉公先翫月堂(堀野屋仁兵衛)の娘を後添えに迎え、一子虎之介(式亭小三馬)を得ている。文政5年(1822)閏正月6 日没。47歳。深川の長源寺に葬られた。戒名は歓誉喜楽奏天信士。関東大震災後に東京都目黒区碑文谷の正泉寺に改葬された。

関連するひと・もの・こと

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天道浮世の出星操 (てんどううきよのでづかい)

黄表紙。3巻3冊。式亭三馬のデビュー作。歌川豊国画。寛政6年(1794)刊。この世に生きものすべて天帝から魂を授けられ、その行動はすべて天の操りによるという趣向で、山東京伝の『心学早染艸』『人間一生胸算用』などの影響が顕著な作だが、全編に地口、駄洒落、諧謔の連発などに達者な技量を見せる。

戯作者考補遺 式亭三馬

木村黙老(1774-1856)による戯作者の評伝。弘化2年(1845)成立。曲亭馬琴の「近世物之本江戸作者部類」と石塚豊芥子の「戯作者撰集」を増補し、戯作者の肖像画を加えたもの。原本は失われて写本として伝わる。掲出は、慶應義塾図書館所蔵の明治期の写本。黙老は、高松藩の家老。当時の戯作に精通し、曲亭馬琴との親交で知られる。掲出部分では、三馬幼少の頃、大名家の奥勤めをしていた伯母を訪ねるたびに手近な冊子類、戯曲本などをかたはしから読んで周囲の女中たちを感心させたという逸話を記す。

式亭三馬旧蔵・栄花遊二代男(えいがあそびにだいおとこ) 三馬自筆識語

『栄花遊二代男』は八文字自笑(二世)作)の浮世草子。宝暦5年(1755)刊。掲出は、東京大学総合図書館所蔵の三馬旧蔵書。2巻の見返しに文化10年(1813)に記された三馬自筆の識語があり、それによれば、本書は三馬の最初の奉公先の書肆・翫月堂(小倉仁兵衛)の出版したもので、欠本で落丁もあるが、表装して家に保存したと記す。文中、小倉仁兵衛を「予が妻の父なる」としているところから、最初の妻の没後、小倉仁兵衛の娘と再婚したこともわかる。

稗史億説年代記(くさぞうしこじつけねんだいき)

式亭三馬画作の黄表紙。3冊。享和2年(1802)刊。草双紙が赤本、黒本、青本と変わり、当世風の黄表紙にいたるまでの変遷を、その作風と各画工に似せた絵で示し、当時の黄表紙の作者、画工、作品の評価をあわせて示している。掲出は、北斎を紹介する部分。こうした作家・画工ごとの特徴をとらえた挿絵はすべて三馬の自筆による。

侠太平記向鉢巻(きゃんたいへいきむこうはちまき)

黄表紙。式亭三馬作。寛政11年(1799)刊。前年の山王祭での火消人足の喧嘩を太平記の合戦になぞらえる。画中の印半纏から組名がわかるような際どい描き方をしたために火消の怒りを買い、刊行直後の正月2日に版元(西宮新六)宅が打ち毀され、奉行所に直訴される騒動となった。結果として三馬と版元はともに処罰され、三馬はしばらく筆を絶った。掲出はその冒頭部分。背中を見せた人物の印半纏の模様が、火消「よ組」の纏印(まといじるし)である「田」の字になっている。

辰巳婦言(たつみふげん)

洒落本。一冊。式亭三馬作。喜多川歌麿画。角書「石場妓談」。寛政10年(1798)序。深川の古石場の遊女おとまを中心に、酒問屋の番頭藤兵衛、商家の若旦那喜三郎、仕事師の頭長五郎の三人の客が織りなす手管 (てくだ)と知恵比べを描く。山東京伝の洒落本の影響が顕著な三馬の洒落本第一作。

雷太郎強悪物語(いかずちたろうごうあくものがたり)

合巻。式亭三馬作、歌川豊国画。文化3年(1806)刊。殺人や強盗などの悪事を重ねる雷太郎を、被害者の家族らが浅草観音の導きで討ち取る敵討物。軽妙、洒脱な黄表紙の作者であった三馬が、流行の敵討物に転じた作。5丁1冊の黄表紙形式のほか、5冊ずつを前後2編とした体裁でも刊行し、以後の合巻形式流行のさきがけとなった。

江戸水福話(えどのみずさいわいばなし)

式亭三馬作の合巻。歌川国直画。文化9年(1812)刊。1冊。前年の文化8年(1811)から三馬店で売り出した化粧水「江戸の水」を題材にした、商品宣伝的な合巻。「江戸の水」が天上界や龍宮界を始めとして日本諸国で評判になった世界を描き、「江戸の水」をさまざまな見立てた趣向を見せる。掲出は、「江戸本町二丁目南側」の三馬の店の図。右には主力商品だった「延寿丹」の大きな広告が見える。

潮来婦誌(いたこぶし)

洒落本。文化3年(1806)成立。同年3月の大火に罹災した三馬が、北総佐原に難を逃れた際に執筆。生前は日の目を見ず、天保元年(1830)に刊行された。江戸の芝居者二人の潮来の遊廓での遊びを描くが、作中、潮来方言を特殊な濁点を交えて表す言語描写の手法は、『浮世風呂』に先立つもので、近世語資料として取り上げられることもある。掲出は、特殊な発音表記に関する凡例。鼻濁音化しない「か行」の語中濁音の訛りに対して、通常の濁点ではなく二点の「白圏」を用いることなどを述べる。

歌舞伎関連作品

役者似顔絵本。式亭三馬編。絵は歌川豊国と国政の子弟合筆。舞台姿の役者36人の半身像に狂歌を添え、「俳優贔屓気質」という三馬筆の戯文を付す。

役者似顔絵本。式亭三馬著。歌川豊国画。半紙本2冊。寛政13年(1801)正月刊。勝川春章の『役者夏の富士』と同様、四季の行楽や歌舞伎界の行事などにおける役者の日常の姿を描き、「俳優三階興附録」という三馬筆の戯文を付す。

吉原細見記を模した役者の評判記。寛政11年(1799)刊。1冊。式亭三馬序。当時の著名な役者を一門の弟子も含めた網羅し、堺町、葺屋町、木挽町の芝居茶屋もすべて掲載する。

歌舞伎劇書。8巻5冊。式亭三馬作、勝川春英・歌川豊国画。享和3年(1803)刊。歌舞伎世界を一つの国に見立て、「訓蒙図彙」にならってこの世界のあらゆる事象を分類・立項し、絵を中心に戯画的説明を加えた百科事典的なもので、現在にいたるまで歌舞伎研究の貴重な資料。朋誠堂喜三二の滑稽本「羽勘三台図絵」や上方劇書「戯場楽屋図会」の影響を強く受けている。

式亭三馬作の滑稽本。横本1冊。もと上中下3巻を合綴したもの。歌川国貞画。文化8年(1811)刊。「かくしゃ」の読みは内題による。役者評判記の体裁と内容を模して、歌舞伎の観客を位付けして評判する。三都見物の区別から、贔屓定連、芝居好、見功者、芝居通、訳知り、役者きどり等、様々な客層の種別が対話形式で批評される。掲出は「うれひ場(愁嘆場)」を見る見物の図。

菊地茂兵衛(三馬の父)が彫工をつとめた三馬作品

8巻の大尾に「奇劂 晴雲堂 茂兵衛刀」とある。『戯場訓蒙図彙』は、歌舞伎解説書。勝川春英・歌川豊国画。享和3年(1803)正月万屋太次右衛門他板。彫工として、父・菊地茂兵衛の名前が見えるもっとも古いもの。筆耕として浮世絵師の栄松斎長喜の名も見える。

奥付に「彫工 菊地茂兵衛刀」とある。『金神長五郎忠孝話 』は、侠客金神長五郎を主人公とした合巻。歌川国貞画。文化6年(1809)西宮源六板。

奥付に「雕工 □雲堂/菊地茂兵衛/勤刀」とある。『冠辞筑紫不知火』は、不死身の篠塚太郎を主人公とした合巻。歌川豊国画。文化7年(1810)鶴屋喜右衛門板。

奥付に彫工 菊地茂兵衛」とある。『昔形福寿盃』は、合巻。北川美丸画。文化7年(1809)西宮新六板。

奥付に「雕工 浅草 菊地茂兵衛刀」とある。『客者評判記』は、滑稽本。歌川国貞画。文化8年(1811)正月鶴屋金助板。

奥付に「雕工 菊地茂兵衛刀」とある。『昔語兵庫之築島』は合巻。文化7年(1809)刊。

国文学研究資料館蔵初版本『浮世風呂』

銭湯に集まる老若男女の会話を巧みに活写して笑いを誘う『浮世風呂』は、『膝栗毛』と並ぶ滑稽本の双璧として親しまれている。 文化6年(1809)から10年(1813)にかけて全4 編が刊行されたが、当時は貸本屋を通じて流通したため、刊行時のおもかげをとどめる状態の良い本の残存が少なく、中でも刊行直後の文化6年正月元日の大火で版木を焼失した初編(文政3年に再刻再刊)の初版は極めて珍しい。ここで紹介する国文学研究資料館所蔵本は、初編から4編までいずれも初版本で(初編のみは表紙を改装し、手擦れも目立つ取り合わせ本)、ことに2~4編はほぼ刊行時そのままの姿をとどめている。 凝ったデザインの表紙や保護用の袋も含めて、発売当時の『浮世風呂』の姿をここに見ることができる。

浮世風呂

もっと知りたい

三馬戯画帖 始づくし

式亭三馬自筆の戯画帖。標題の下に「始津具之(はじめつくし)」とあるように、正月の盃始め、稽古始めなど 5 図を描いた折帖。三馬は何点かの草双紙で絵師としてみずから筆をとっているが、その画力がうかがわれる作品。

狂歌関東百題集・上 三馬自筆挿絵

絵入り狂歌本。芍薬亭長根(しゃくやくていながね)編。文化10年(1813)序。山東京伝、式亭三馬ら17人の戯作者、絵師の挿画を収録。三馬も6点を描いており、掲出の図ははそのうちの1点。

落話中興来由(おとしばなしちゅうこうらいゆ)

式亭三馬が収集した文化年間の落話会の刷物8枚を貼り込み、自ら注釈を加えてまとめたもの。刷物のなかには、朝寐房夢羅久(あさねぼうむらく)、林屋正蔵、三笑亭可楽などの名が見える。貼り込まれた刷物とともに、三馬が細かに記した注釈により、落語の源流を支えた人びとの様子が伝わる。渋江抽斎、飯島花月、京の藁兵衛(堀野文禄)旧蔵。

豊国十二ヶ月 七月盆踊・式亭三馬賛

「豊国十二ヶ月」は、シリーズものの大判錦絵。一陽斎(初代歌川豊国)画。 文化 8年(1811)刊。 初午、花見、端午、恵比寿講など 12 ヶ月の年中行事を主題に、鳥羽絵風の手足の細長い人物戯画が描かれ、山東京伝、曲亭馬琴、式亭三馬などが賛を寄せる。掲出は、三馬が賛を寄せた「七月盆踊」と題する一枚。三馬の賛は、「はつ雁にさきたち衆のひとつらは夜風に声のまよふ盆うた」。一列に並んで盆踊りの唄を歌う娘たちの群を、一列になって飛ぶ初雁にたとえる。

三馬の肖像

歌川国貞 式亭三馬肖像 

三馬七回忌に描かれた三馬の肖像。歌川国貞筆。江戸東京博物館所蔵

式亭狂文集稿本 式亭三馬肖像

『式亭狂文集稿本』に載る三馬肖像。三馬七回忌に描かれた三馬の肖像(歌川国貞筆・江戸東京博物館所蔵)をもとに、新たに国貞(3代豊国)に依頼したものという。『式亭狂文集稿本』は、三馬の狂文の遺稿を式亭小三馬が集めて編纂した狂文集(未刊)で、掲出はその稿本。

戯作六家撰 式亭三馬肖像

ケンブリッジ大学図書館所蔵本『戯作六家撰』に載る三馬肖像。同書は、山東京伝、式亭三馬、曲亭馬琴、十返舎一九、柳亭種彦、烏亭焉馬の伝記を肖像とともに収録する。写本のみが伝わるが、掲出本は「英国薩道文庫」の印があり、アーネスト・サトウの旧蔵書。この肖像は、「戯作者考補遺」所載のものと同様、国貞筆原画の写し。

綿温石奇効報条(わたおんじゃくきこうのひきふだ)

享和2年(1802)刊、自作の黄表紙『綿温石奇効報条』の挿絵に登場する式亭三馬。当時三馬は数寄屋橋山下町の書肆・万屋太治右衛門方の婿養子に入っており、掲出は万屋の店頭の図。三馬らしき人物が手に綿温石(カイロ)を持って客の相手をしているさまが描かれる。「綿温石」は大伝馬町三丁目藤田金六製の商品で、万屋が販売取次を行っていた。

敵討安達太郎山(かたきうちあだたらやま) 巻末口上

文化3年(1806)刊行の黄表紙の巻末口上。三馬と思われる画像を添えて、「作者此所より口上をもつて申上奉ります 私儀独立つて十八才の春よりけさくしやとなり、当年三十一才迄十四ヶ年が間、むだ本ばかり著述いたし候・・・」とある。18歳の時に奉公先の翫月堂から独立して、戯作者の仲間入りしたことを示す資料。

五十鈴川狂歌車(いすずがわきょうかぐるま)

三陀羅法師撰、葛飾北斎画の狂歌絵本。享和2年(1802)正月、蔦屋重三郎刊、大本1冊。掲出は三番叟に扮した式亭三馬。北斎の絵は、各狂歌師の扮装にアイディアを尽くしており、見応えがある。

三馬店とその広告

日本橋本町2丁目にあった式亭三馬の店(三馬店)を描く錦絵。人気商品であった「江戸の水」の看板も見える。歌川国輝画。三馬没後の弘化3年(1846)の刊行で、店の経営は息子の式亭小三馬が引き継いでいた。「江戸の水」は、ガラス瓶入りで48文(もん)、大瓶は200文で売った。瓶を持参して詰め替えにすると、32文と割安になった。

式亭小三馬作、一陽斎豊国(歌川国貞)画の双六。元治元年(1864)正月刊。小三馬時代のものだが、三馬店が年始の年玉として顧客に配った双六のうちの一つ。「江戸の水」の看板と三馬店が描かれている。

文化9年(1812)刊の三馬の合巻『江戸水福話』の巻末に載った三馬店の薬の広告。金勢丸(解毒剤)、小児丸、龍樹散(洗眼薬)、麝香入歯磨きなどが見える。

文化14 年(1817)刊の三馬の合巻『艶容歌妓結』巻末の三馬店の広告。江戸の水、金勢丸(解毒剤)、龍樹散(洗眼薬)、天女丸(生理不順)などの名前が見える。

見に行く・調べる

  • 式亭三馬墓 外部サイト

    東京都目黒区碑文谷の正泉寺(しょうせんじ)墓地内にある。東京都指定文化財旧跡。京都指定文化財旧跡東京都指定文化財旧跡東京都指定文化財旧跡

  • 浮世風呂 やまとの名品 天理図書館 外部サイト

    『浮世風呂』初編の初版本を見ることができる天理図書館によるサイト。同書初編は、刊行直後の文化6年正月元日の大火で版木を焼失したため、ほとんど残っていない。特に刊行当時の装幀をそのまま保った初編初版本はこの天理図書館本以外にはほとんど知られていない。

  • 高木元 「娯楽読み物」の魅力 外部サイト

    近世文学研究者高木元氏による、19世紀江戸で流行した娯楽読み物の魅力。十返舎一九、為永春水とともに式亭三馬も紹介される。(世界の文学88『南総里見八犬伝』 朝日新聞社 2001/04所収)

参考文献