本文に飛ぶ
/

江戸時代の文学

上方・江戸の町人文化が育んだ近世日本の文学。

17世紀初頭、江戸時代の幕開けとともに印刷技術が発展・普及し、日本の出版文化の基盤ができると、大量の版本が出版されるようになった。それまで一部の特権階級だけに開かれていた文学の扉が一般庶民にも開かれるようになったのである。この新しい読者層が次第に強い力をもつようになると、彼らの趣味を反映し、身近な現実世界を描いた新ジャンルの文学、仮名草子・浮世草子・俳諧・浄瑠璃・歌舞伎などが興った。これらの町人文学の隆盛が江戸時代の文学の最も大きな特徴と言える。しかしながら、江戸時代の文学を担ったのは町人階級のみではない。新興文学の作者にも武士階級出身の者が多く見られ、また、和歌や漢詩文など主に武士階級が携わった古典文学も江戸時代の文学の中で大きな比重を占めていた。江戸時代の文学の流れを俯瞰すると、上方(大坂・京都)を中心とした前期の上方文学期と江戸を中心とした後期の江戸文学期に大別でき、江戸時代中期の18世紀は上方から江戸へと文化の中心が移行していく過渡期であったと見ることができる。

江戸時代前期(寛永~享保頃まで)

上方(京都・大坂)を中心に町人文学が台頭

江戸時代前期は、印刷技術の伝来や町人階級の台頭、識字者の増加などを背景として、京坂地方を中心に町人文学が花開いた。町人が文学の主体となり、いきいきした写実と活力に満ちた上方文学は、仮名草子・浮世草子・浄瑠璃などの新興文学を生み出した。また、室町時代には余興として楽しまれていた俳諧連歌は、京都の松永貞徳によって、「俳諧」という独立した文学ジャンルに押し上げられる。その後、大坂の西山宗因を中心とした自由で軽妙闊達な「談林派」が隆盛。さらに江戸に松尾芭蕉が現れると、より芸術性を追求した「蕉風」とよばれる俳風が確立され、以後俳諧は近世文学を代表するジャンルとなった。江戸で芭蕉が俳諧を革新した元禄時代(1688年~1703年)には、大阪では小説家・井原西鶴と浄瑠璃作者・近松門左衛門が多数の名作を世に送り出し、近世文学の黄金時代を築いた。

語り物音楽の一種。江戸時代にはさまざまな流派が起こり、操り人形と組み合わさって「人形浄瑠璃」という舞台芸術も生まれた。

まつながていとく。江戸時代前期の俳人・歌人・歌学者。京都に生まれ、細川由斎から和歌、里村紹巴から連歌を学んだ。当時、新興文学であった俳諧の指導者となり、俳諧の普及に貢献した。貞徳の率いた一門は「貞門(ていもん)」と呼ばれ、江戸初期俳諧の大きな勢力となった。

いしかわじょうざん。江戸時代初期の漢詩人・初家。徳川家康に仕え、大坂夏の陣で活躍するが、軍令に背いたかどで罰せられ出家。近世儒学の祖・藤原惺窩に儒学を学ぶ。後、京都一乗寺に「詩仙堂」を構え隠遁、文化人との交友を楽しみ、生涯詩作を行なった

にしやまそういん。江戸時代前期の連歌師・俳人。里村昌琢に師事して連歌を修業。大坂天満宮の連歌所宗匠となる。当時俳諧の主流であった「貞門派」に対し、より自由で軽妙闊達な新風「談林派」を興した。門下に、井原西鶴。

元禄文化を代表する作家

江戸時代初期に活躍した、仮名草子の代表的作家。浄土真宗の僧。作品の質量ともに優れており、怪異小説・一代記・紀行文学・ルポルタージュなどさまざまなジャンルの仮名草子を執筆した。

江戸時代前期の俳人。蕉風を確立して後世に大きな影響を与えた

江戸時代前期の俳諧師、松尾芭蕉による紀行文。全旅程は、奥羽・北陸・東海の600里にわたる

江戸時代の元禄文化を代表する浄瑠璃及び歌舞伎の作者。代表作は『曽根崎心中』など。

江戸から現代にまで続く歌舞伎の名跡で、勇壮な荒事をお家芸とする。

たからいきかく。江戸時代前期の俳人。松尾芭蕉の門に入り、蕉門の高弟として才覚を発揮。「蕉風」の樹立・展開に寄与して、「蕉門十哲」の一人に数えられる。芭蕉没後は、都会趣味的で洒落・機知を主とする「洒落風」の句を詠み、俳諧の一派「江戸座」の祖となった。

えじまきせき。江戸時代中期の浮世草子作者。京都の版元・八文字屋と組み、初期は西鶴風の役者評判記や好色物などを執筆。後に、身分・職業に特有の気質を描いた「気質物(かたぎもの)」など新ジャンルの浮世草子を生む。

江戸時代中期に赤穂浪士が旧主の敵討ちをした事件を浄瑠璃や歌舞伎で作品化したもの。

江戸時代中期(元文~安永・天明頃まで)

文化的成熟を遂げた江戸の町で、出版ブームが過熱

18世紀の中頃には、中国小説の翻案をベースにした知的な伝奇小説「読本」が上方で発生する。一方、江戸では、絵と文章で展開される大人向けの絵本「黄表紙」や遊里を舞台に繰り広げられる会話主体の小説「洒落本」などといった、軽妙な文学が流行。背景には、江戸の都市文化が成熟して上方の文化的・経済的支配を脱したことにより、江戸独自の文芸風土が形成され始めたことがある。滑稽や諧謔の精神を歌に詠み込んだ川柳・狂歌は、武士から庶民まで幅広い層に熱狂的に受け入れられ、社会現象となった。これらの文学先品が次々と刊行され、江戸の出版ブームが過熱するなか、当時の出版業界の中心にいたのが版元の蔦屋重三郎だった。蔦屋重三郎は、洒落本・狂歌本・黄表紙のほか、歌川広重・葛飾北斎らの浮世絵版画を多く出版し、江戸出版業の興隆に貢献した。


たけだいずも。江戸時代中期の浄瑠璃作者。父の一世竹田出雲から大阪・竹本座の座元を引き継ぎ、近松の指導を受けて浄瑠璃を執筆。豊竹座の並木千流らとともに『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』など数々の名作を生んだ。

江戸中期の俳人・画家。書画、俳諧ともに優れ、文人画の大成者の一人とされる

からいせんりゅう。川柳の始祖。江戸時代中期に庶民の間で流行した雑俳(雑体の俳諧)の前句付(出題された前句に付句を付ける点取競技)の点者となり、優秀な作を『川柳評万句合』として出版し、人気を得る。また、その中から佳句を選んで『誹風柳多留』を出版。川柳の形態を確立した。

日本で最初の物産会を開き、エレキテルも製作した江戸時代の科学者。浄瑠璃も執筆

『古事記』を研究し、国学を大成した18世紀最大の古典研究家。

うえだあきなり。江戸時代中期の国学者、小説家。俳諧、和歌、国学を学び、初期は浮世草子作家として活躍。その後、大坂で医業を開業する傍ら、怪異小説集『雨月物語』などを刊行。晩年は医師を辞めて京都に住み、国学書や『胆大小心録』『春雨物語』などを著した。

ほうせいどうきさんじ。江戸時代中期の戯作者、狂歌師。狂名・手柄岡持。秋田佐竹藩の留守居役。戯作者・恋川春町の友人で、春町とともに天明年間(1772~89)に多くの黄表紙を刊行し、黄表紙文芸を確立する。

こいかわはるまち。江戸時代中期の戯作者。駿河小島藩士。当世風俗を写実的に描いた自画作の絵本『金々先生栄花夢』を執筆し、従来の草双紙の作風を一変。これが大人向けの絵入り小説「黄表紙」の始まりとなる。以後20作以上の作品を刊行。

江戸中期の代表的出版業者。作家や画家と組んで数多くの話題作をプロデュースした

かつらがわほさん。江戸時代中後期の蘭学者、戯作者。通称は森島中良。戯号は万象亭など。江戸幕府の奥医師桂川家に生まれ、蘭学に親しむ。戯作を平賀源内に学び、洒落本や黄表紙を多数執筆。蘭学者としても有名で、蘭語辞書の編集などを行なった。

ゆうしほうげん。洒落本。田舎老人多田爺(いなかろうじんただのじじい)著。刊年未詳(明和7年刊か)。体裁・内容ともに、以後の洒落本の定型を作った作として知られる。著者は大坂・江戸で本屋仲間行事をつとめた丹波屋利(理)兵衛と考証されている。通人ぶる男が若者を誘って吉原に向かう様子を会話中心に滑稽に描く。

江戸時代後期(寛政~幕末まで)

大衆向け長編小説が人気を呼び、『東海道中膝栗毛』『南総里見八犬伝』がベストセラーに

老中・松平定信が主導した寛政の改革では、寛政2年に出版統制令を出され、当時人気の戯作者であった山東京伝らが処罰を受けた。これによって、それまで文学作品の創作を担っていた武士階級の作家たちが戯作から手を引き、戯作文学は一時衰退。その後は、より分かりやすい大衆娯楽文学が普及する。享和2年(1802)に十返舎一九が初編を刊行した滑稽本『浮世道中膝栗毛』は、その後20年以上にわたって続編が刊行され、江戸時代を代表するベストセラーとなったほか、曲亭馬琴が文化11年(1814)に刊行をはじめた読本『南総里見八犬伝』も、28年で96巻106冊が刊行される大長編となった。文化年間には、黄表紙(絵入小説本)の長編化に伴い、従来5丁1冊のものを数冊合わせて販売する「合巻」も生まれた。合巻の作者には、柳亭種彦、曲亭馬琴、山東京伝などがあり、この形式は明治時代中期まで発刊される。このように、19世紀の江戸では、笑いを目的とした「滑稽本」、長編小説「合巻」、その他にも、女性を読者層とした恋愛小説「人情本」など、多彩なジャンルの大衆小説が展開されたのであった。また、一方、この時代は、日本における漢詩文の全盛期でもある。都市だけではなく地方でも漢詩人口が急増し、江戸時代初期には儒者や僧侶の余技に過ぎなかった漢詩の分野で、専門詩人が現れるようになった。彼らは、中国の唐詩の模倣に終始せず、日本的情緒を取り入れた独自のスタイルの漢詩文を創造した。

かんちゃざん。江戸時代後期の儒学者、漢詩人。備後(広島県)生まれ。19歳で京都に出て朱子学を学んだ後、郷里で私塾「黄葉夕陽村舎」(後の郷校「廉塾」)を開き、民衆教育に尽力。詩人としても著名で、田園生活を詠んだ宋詩風の優れた漢詩を残した。

狂歌や洒落本などで知られた江戸時代を代表する文人。蜀山人、四方赤良とも号し、有能な幕吏でもあった

すがえますみ。江戸時代後期の国学者、紀行家、民俗学者。三河(愛知県)生まれ。国学、本草学、漢学を学んだ後、信濃、越後、奥羽、蝦夷などを遍歴。各地の風俗を挿絵入りで記録した日記『真澄遊覧記』など民俗学上貴重な資料を多数執筆。晩年は秋田藩領内に住んだ。

化政期に活躍した歌舞伎作者。江戸庶民の生活を活写する生世話物を大成した

生涯に約2万句の俳句をのこした、江戸時代後期を代表する俳人。

『東海道中膝栗毛』で一躍流行作家となった江戸時代の戯作者

十返舎一九作の江戸時代のベストセラーで、弥次さん喜多さんの珍道中を描く。滑稽本全盛を導く

江戸後期を代表する戯作者。『南総里見八犬伝』の著者

黄表紙・洒落本・読本など、あらゆるジャンルを開拓した江戸後期を代表する戯作者

しきていさんば。江戸時代後期の戯作者。本屋で奉公し、若くして戯作者となった。黄表紙『天道浮世出星操』を刊行以来、滑稽本を中心に数百数十点を発表。代表作に、江戸庶民の姿を滑稽に描いた『浮世風呂』『浮世床』などがある。

らいさんよう。江戸時代後期の儒学者、歴史家、漢詩人。菅茶山の廉塾の塾頭を経て、京都で開塾。国史を研究し、尊王思想の影響のもと、源平両氏から徳川氏までの武家の興亡を漢文体で記した『日本外史』22巻を執筆。松平定信に献呈した。

ひろせたんそう。江戸時代後期の儒学者、教育家、漢詩人。豊後(大分県)生まれ。豊後で私塾「咸宜園」を開き、独自の指導法で多くの弟子を教育した。門人に大村益次郎、高野長英らがいる。詩人としても名高く、著書に詩集『遠思楼詩鈔』など。

りゅうていたねひこ。江戸時代後期の戯作者。初め読本を書いたが成功せず、合巻(3~6冊を合冊して出版する草双紙)に転じた。歌舞伎に取材した『正本製』などで人気を得て合巻界の第一人者となったが、『偐紫田舎源氏』が幕府の咎めを受け、直後に死去。

やながわせいがん。江戸時代後期の漢詩人。美濃(岐阜県)生まれ。江戸に出て儒学と詩を学ぶ。その後、各地を遊歴して菅茶山や頼山陽らと交流。江戸で詩塾「玉池吟社」を開き、多くの優秀な詩人を輩出した。

ためながしゅんすい。江戸時代後期の戯作者。本屋を経営する傍ら戯作者を志し、式亭三馬に入門。市井の男女の恋愛を描いた恋愛小説を多数執筆し、「人情本の元祖」として一躍文壇の寵児となる。天保の改革では、風俗を乱した罪により処罰された。

幕末から明治前期にかけて活躍した歌舞伎作者。作品総数は約360に及び、江戸歌舞伎の集大成者とされる

天保期人情本の美しい口絵に紹介された江戸の情景と日常生活。

天保期人情本の美しい口絵に描かれた登場人物。

参考文献

  1. 『はじめて学ぶ日本文学史』榎本隆司 編著,ミネルヴァ書房
  2. 『原色新日本文学史 : ビジュアル解説』秋山虔, 三好行雄 編著,文英堂
  3. 『世界大百科事典』(japanknowledge)
  4. 『日本大百科全書』(japanknowledge)
  5. 『国史大事典』(japanknowledge)
  6. マルチメディアマイペディア 百科事典CD-ROM日立デジタル平凡社,平凡社
  7. JapanKnowledge所収コンテンツの最終アクセス日は、いずれも2021/12/20。