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源平の戦い

平安後期から鎌倉幕府までの源平の戦いを一つに! どうのように合戦が動いたのか解説していきます!

1156年保元の乱は後白河天皇と崇徳上皇の内輪揉めで始まった。

平清盛と源義朝が崇徳上皇を破る


1159年平治の乱は源義朝が平治の乱の処罰に不満を持ち京都で反乱を起こすも打ち取られ頼朝は伊豆に流される


1167年清盛は武士で初めて太政大臣のくらいにつく


1177年鹿ヶ谷の陰謀は後白河法皇の近臣である藤原成親などが兵士打倒の陰謀を計画するが鎮圧される


1180年わずか2歳ほどの安徳天皇が即位した、

同じ年に以仁王による源氏の反乱が起きる。鎮圧はされるもののこれを契機に各地で平氏に反乱が起きる。

またしても同じ年に頼朝と平氏が石橋山の合戦で戦い頼朝ははいぼくをきっする。その後またおなじとしに富士川の戦いで兵士が水鳥を大軍と勘違いし戦わずして勝利する。しかしその後東大寺など奈良の寺院を清盛の子重衡が焼き払う


1181年平清盛が死亡


1183年倶利伽羅峠の戦いで木曾義仲と平維盛が戦い木曽義仲がしょうりする


1184年宇治川の戦いで木曽義仲を源義経、範頼が追討する。これは去年木曽義仲が後白河法皇を幽閉したためである


1185年屋島の戦いで義経が平氏を破るこれにより平氏は壇ノ浦まで追い詰められる。その後源平最後の戦い壇ノ浦の戦いが始まりこれを義経らが破り平氏は滅亡する

安徳天皇らは三種の神器をもち入水し死亡する。

源氏平氏の戦いの記録

保元の乱
平治の乱
清盛太政大臣に
鹿ヶ谷の陰謀
安徳天皇即位 他
清盛死亡
倶利伽羅峠の戦い
宇治川の戦い 他
壇ノ浦の戦い 他
保元の乱
  • 源平合戦

    古代末期の全国的規模の内乱

    館長からの一言

    すごくリアルに書いてあってとてもカッコよかった

    また鎧がカラフルで綺麗だった

  • 源頼朝

    鎌倉幕府を開いた初代将軍で、全国に軍事支配体制を敷いた

    館長からの一言

    すごくわかくみえてやはりすごい人だと実感した

  • 平家物語

    平家一門の栄枯盛衰を描いた軍記物語。

    館長からの一言

    家に要約した本があるがとても面白かったためいつか要約なしのものが読みたいと思った

  • 宇治川先陣

    歌川国芳,Utagawa Kuniyoshi

    『平家物語』に登場する「宇治川の戦い」の一場面。平安時代末期の寿永3年(1184)1月、木曽義仲と源頼朝が派遣した源範頼・源義経との間で行われた合戦の様子が描かれる。雪解け水で増水して激流が渦巻く宇治川を前に、先陣争いをする2騎の武者、佐々木四郎高綱(ささきしろうたかつな)と梶原源太景季(かじわらげんたかげすえ)。頼朝より賜った名馬「生唼(池月)いけづき」を駆る高綱は何としても先陣を切りたい。そこで先を行く景季に馬の腹帯が緩んでいると声をかける。慌てて帯を締め直す景季。その横を追い越し、川に飛び込む高綱。当代一の名馬「生唼(池月)」(いけづき)は、宇治川の速い流れを、力強く一文字に対岸へと渡りきる。磨墨(するすみ)に乗った景季は、流れに押し流されて遥か下流の岸へ。見事先陣を切った高綱は、大声で名乗りをあげながら敵陣に突撃したのである。画面中央、連銭葦毛(れんぜんあしげ)の馬にまたがる勇壮な武者姿の人物が佐々木四郎高綱。波しぶきを上げながら勢いよく岸に駆け上がっている。その右側後方には、黒馬とともに必死に川を渡る梶原源太景季の姿がある。

    館長からの一言

    絵で描かれているのにまさにそこでそれが起こったことっがわかるような躍動感のある絵だった

  • 伝平清盛坐像(写生)

    横山大観筆,By Yokoyama Taikan (1868–1958),東京国立博物館,Tokyo National Museum

    <p>原品は京都・六波羅蜜寺が所蔵する重要文化財・平清盛像で、著名な彫刻である。平家一門32人が結縁して奉納したことが記されている「平家納経」の願文は、平清盛の自筆とされる。ほかに法師功徳品、阿弥陀経の巻末に清盛自筆の署名がされている。(ほっしくどくほん)<br /></p>

    館長からの一言

    昔の彫刻なのに劣化が少なく残っているのは色々な人に受け継がれていったからのだと考え歴史の深さを感じた。

いかがだったでしょうか

これで源氏平氏の関係に興味を持ってもらえたら幸いです。

読んでいただきありがとうございました