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源平合戦図屏風(江戸時代)― 屋島合戦 扇の的 / 東京国立博物館

源平合戦

古代末期の全国的規模の内乱

古代末期に発生した全国的な内乱。源平の争乱ともいう。単なる源氏と平氏の戦いという意味ではなく、源氏と平氏を中心とした全国の武士団による内乱で、当時の年号にちなんで治承(じしょう)・寿永(じゅえい)の内乱ともいわれる。この用語の場合は、治承4年(1180)4月に発せられた以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)を受けた諸国源氏の挙兵から、文治元年(1185)3月に長門国壇ノ浦(山口県下関市)で平氏一門が滅亡するまでを指す。

12世紀の中頃、皇室・貴族勢力内の対立と、武士の棟梁をめぐる対立とが結び付いて発生した保元(ほうげん)の乱(1156)・平治(へいじ)の乱(1159)を経て平氏が台頭し、治承3年に平清盛が後白河法皇を幽閉して院政を停止、独裁体制を固めた。この独裁体制によって在地武士らの不満が高まり、一方で摂関家(せっかんけ)の藤原氏を中心とした貴族層や南都北嶺(なんとほくれい、南の興福寺と北の延暦寺を指す)などの寺社勢力の強い反発を招くこととなった。こうした情勢下で以仁王は源頼政(みなもとのよりまさ)らと語らい、治承4年4月に前述の平氏討伐の令旨を発した。この令旨は源行家(みなもとのゆきいえ)らによって諸国の源氏に伝えられ、相次ぐ蜂起によって内乱は全国化し、源平対決の様相を呈するようになった。同年8月、伊豆国に流罪(るざい)となっていた源氏の嫡流、源頼朝(みなもとのよりとも)が挙兵するが、石橋山(神奈川県小田原市)の合戦で惨敗し、海路を安房国に逃れた。ここで態勢をたて直した頼朝は、10月6日に父祖因縁の地である相模国鎌倉に入って本拠と定めた。10月20日の夜半には、平維盛(たいらのこれもり)に率いられた軍勢が戦わずして敗走(富士川の戦い)。この結果、東国武士のほとんどが源氏の勢力下に入り、頼朝は鎌倉で東国の地固めを急いだ。そして、養和元年(1181)閏2月に平氏の総帥(そうすい)である清盛が死去し、平氏の勢力は衰えるばかりであった。

一方、信濃国で挙兵した源義仲(みなもとのよしなか、木曽義仲とも称す)は北陸方面に進出し、寿永2年(1183)年5月に加賀・越中の国境の砺波(となみ)山で平氏軍を撃破(俱利伽羅峠[くりからとうげ]の戦い)、7月末には京都に入った。そのため平氏一門は幼少の安徳天皇と三種の神器を奉じて西海に逃れた。その後、源氏内部での頼朝と義仲の対立が深刻化した。孤立した義仲は元暦元年(1184)1月に頼朝が弟の範頼(のりより)・義経(よしつね)に付けて西上させた軍勢との宇治川の合戦で敗れ、逃走の途中の近江国粟津(あわづ、滋賀県大津市)で戦死した。この間、一時は九州まで退いていた平氏が源氏の内紛に付け込んで勢力を挽回、旧都の摂津福原(兵庫県神戸市)まで東進して京都回復を目指した。これに対し、新たに平氏追討の院宣(いんぜん)を得た範頼・義経軍は、元暦元年2月に福原を突き、義経の鵯越(ひよどりごえ)の奇襲によって一ノ谷の合戦に勝利した。平氏方は讃岐国屋島(香川県高松市)に後退するが、源氏方も兵粮米や兵船の不足で追撃できず、ようやく義経が渡海して屋島の陣営を強襲したのは、翌年2月のことであった(屋島の戦い)。平氏は長門国彦島(山口県下関市)に逃れたが、3月の壇ノ浦合戦で敗れ、安徳天皇は入水(じゅすい)・死去、平宗盛(たいらのむねもり)や建礼門院(けんれいもんいん、清盛の次女で高倉天皇の中宮)らは捕らえられ、平氏一門はことごとく滅亡することとなった。

なお、冒頭の治承・寿永の内乱という用語の理解とは別に、広義の源平合戦を保元の乱から文治5年の頼朝による奥州藤原氏追討および同氏の滅亡までを指すとの考え方もある。

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ジャパンサーチの外で調べる

  • 兵庫県立博物館が運営するサイト「歴史博物館ネットミュージアム ひょうご歴史ステーション」に載る「歴史ステーションセミナー」の中で見られる。屏風の細部にわたっての解説がある。

  • 「刀剣ワールド」HPより。右隻の右から「安徳天皇」、「三草山の戦い」、「屋島」、「梶原の二度駆け」、「しころ引き」、「鷲尾三郎義久」、左隻の右から「詞戦い」、「扇の的」、「能登守平教経」、「生田口の開戦」、「直実と敦盛」、「義経弓流し」のそれぞれ六扇からなる屏風を解説している。

  • 香川県高松市玉藻町に所在。HPのトップ画面の「収蔵資料」をクリック→「館蔵品データベース」をクリック→さらに「香川県立ミュージアム館蔵品データベース はこちら」をクリックし、キーワードに「源平合戦」などと入力すると、収蔵資料を事前に調べることができる。

  • 富山県小矢部市商工観光課などが運営するサイトより。寿永2年(1183)5月の倶利伽羅峠の戦い(砺波山の戦い)の古戦場について紹介しています。

  • 山口県の下関市公式観光サイト「楽しも」より。壇ノ浦の合戦の平家に関するゆかりの地を、「しものせき物語」のepisode.4「壇ノ浦の合戦」として源平合戦・清盛略年譜などとともに紹介している。

  • 平成23年度 春の特別展「国立公文書館創立40周年記念貴重資料展Ⅰ 歴史と物語」より。展示された資料は紅葉山文庫旧蔵のもの。

  • 平成23年度 春の特別展「国立公文書館創立40周年記念貴重資料展Ⅰ 歴史と物語」より。展示された資料は室町時代の写で、紅葉山文庫旧蔵のもの。

参考文献

  1. 竹内理三 著,中央公論新社
  2. 上横手雅敬, 元木泰雄, 勝山清次 著,中央公論新社
  3. 川合康 著,吉川弘文館
  4. 黒板勝美, 国史大系編修会 編,吉川弘文館
  5. 五味文彦, 本郷和人 編,吉川弘文館
  6. 五味文彦, 本郷和人 編,吉川弘文館
  7. 佐竹昭広 [ほか]編,岩波書店
  8. 佐竹昭広 [ほか]編,岩波書店
  9. 「源平の合戦」の項
  10. 「源平争乱」の項
  11. 「源平合戦→治承・寿永の乱」の項
  12. 歴史学研究会 編,岩波書店
  13. サンプルページ「平家物語」の項
  14. 『平家物語』が載っている。