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銘仙の個性と魅力

銘仙とは、近代日本で大衆向けに販売されて人気を博した絹の着物です。日常着より贅沢で、しかし格式張らない着物なので、自由な発想で創作された模様が特徴です。第1セクションでは、銘仙の模様が多彩になるまでの過程と、大衆向けに売り出される過程を紹介します。その後、銘仙の多彩な模様の中から「伝統模様」と「西洋風」という大きな二つのテーマで作例を取り上げ、それぞれ第2セクションと第3セクションで紹介します。

銘仙とは

銘仙は当初、地味な縞柄や絣柄が主流の着物でした。明治時代後半に技術開発が行われ、カラフルな縞柄や型紙を用いた曲線模様の銘仙が増加しました。銘仙は、百貨店がターゲット層を富裕層から大衆へと広げるための商品としても利用され、百貨店と産地それぞれが熱心な宣伝活動を行いました。このセクションでは、鮮やかで個性的な模様になる前と後の銘仙や、百貨店と産地が銘仙を売り出すために用いた広告物などを紹介します。

扇に萩文様銘仙長着

新たな技術「解し織り」を用いた銘仙です。銘仙は織る前に糸を染めるので、織った時に曲線模様ができるように糸を染めることが困難でした。一度経糸と仮の緯糸で織った布に型紙で模様を染め、仮の緯糸を抜いて織り直す解し織りは、曲線表現を可能にしました。

女学生

銘仙に華やかな模様を織り出す解し織りの開発は、学校の方針で高価な着物を禁じられた女学生のために行われました。本作品に描かれた着物が銘仙かどうかは不明ですが、当時の女学生はこのように銘仙に袴を合わせたスタイルで通学していました。 【ColBaseの説明文:明治18年(1885)に創設された華族女学校(後の学習院女子部)で「本校の生徒たる者は袴を着し、靴を穿くべし」と定められた。女子教育の普及にともなって、これを規範に女袴に洋靴という女学生の服装が普及した。亀井至一は横山松三郎に洋画と石版画を学び、第一回内国勧業博覧会に「上野徳川氏家廟之図」を出品、その後博覧会でたびたび入選した。特に風俗画と美人画に優れ、矢野龍溪『経国美談』など小説の挿絵など幅広く活躍した。】

品質改善本場別織 秩父銘仙第二回宣伝大売出し

【台東区立図書館の説明文:前年11月には、名古屋・東京・大阪で同時に秩父銘仙を大売出しした。この後に行われたので「第二回」と銘打っている。余興や景品で盛り上げていたことがわかる。】

ポスター「伊勢崎銘仙 正絹伊勢崎紬 千代田御召」

【江戸東京博物館の説明文:昭和13年春用。モデルは槇芙美子】

絵葉書:本場秩父坂善の模様銘仙

【立命館大学国際平和ミュージアムの説明文:別柄2枚。本場秩父模様銘仙の絵葉書。1枚は柄違いの布4枚の写真。イラストはカラー印刷。いずれも未使用。】

『三越』 第8巻第11号原画 / 杉浦非水 (1876 - 1965)

百貨店各社は、独自の流行情報を掲載した機関誌を発行しました。表紙絵は画家が手掛けるのが一般的で、本作品は杉浦非水による表紙絵の原画です。商品情報に加えて、流行に関する著名人の小論や文芸作品も掲載され、流行発信に大きな役割を果たしました。

伝統模様の銘仙

銘仙の模様は一見斬新ですが、植物や文様など古くからの着物と同じモチーフが描かれた銘仙も数多くあります。ただし伝統文様をそのまま使うのではなく、大きさや配色を変え、伝統的な雰囲気と新しさを両立させています。このセクションでは、伝統的なモチーフが描かれた銘仙と、同じものが描かれた江戸時代以前の染織品をそれぞれ隣に並べました。両者を見比べることで、伝統文様を用いた銘仙の特徴を見出すことができます。

打掛 紅綸子地御簾薬玉桜模様

【ColBaseの説明文:鶴の吉祥模様を地紋に織り出した華麗な綸子(りんず)地を紅色に染めた打掛。刺繍(ししゅう)で表わされた薬玉と御簾の模様もまた日本における吉祥模様の1つである。古来、宮中では年中行事として、5月5日の端午(たんご)の節句には、御簾や柱に花と五色の糸で飾った薬玉を掛けて厄除(やくよ)けとした。20090331_h101 打掛(うちかけ)は、今も結婚式で花嫁が着る格式の高い着物です。綸子というつやのある紅い絹地に、金や絹の糸を使った刺繍(ししゅう)や鹿の子絞りでもようを表わした、豪華な打掛です。 全体的に刺繍や絞り染めでもようが表わされていること、そして高価な紅色で地が染められていることから見ても、身分の高い女性が着ていたと思われます。華やかな色合いからは若い娘が想像されますが、袖のもようの配置を見ると、振袖を切ったのではなく、はじめから留袖として作られたようです。若い奥さまの晴れ着だったのでしょう。 もようを見てみましょう。桜の花が一面に咲きほこっています。同じ桜の花でも、白い地を花の形に染め抜いたもの、絹糸や金糸で刺繍したもの、鹿の子絞りで染めたもの…とさまざまで、それが花の微妙な色合いのバリエーションを作り出しています。もっとも華やかなモチーフは、右上に見える薬玉(くすだま)でしょう。これは薬草などを錦の袋に入れ、造花や菖蒲の葉などを結びつけ、五色の糸を垂らしたもので、端午(たんご)の節句に厄除けとして飾られたそうです。どこまでものびる五色の糸とともに、御簾(みす)が動きのある曲線的なデザインを作り出しています。薬玉と御簾という、王朝ふうのモチーフから、公家文化への憧れがみてとれます。】

桜文様銘仙長着

解し織りと同様に模様を染めた経糸を、まだらに色を染めた緯糸と組み合わせて模様を強調する「半併用絣」という手法が使われています。このように、織りの技法を工夫することで、従来の着物や他の産地の銘仙との差別化をはかる試みが盛んに行われました。

帷子 白麻地椿立木寿字模様

【ColBaseの説明文: 裾(すそ)から椿の樹が大きく立ちのぼり、生命力あふれる立木模様は、武家好みのデザインである。椿は別名「長春花」ともいい、早春にいち早く咲き誇る霊力の備わった花として愛でられた。肩の部分にはさまざまな字体で「寿」字が刺繍(ししゅう)され、吉祥(きっしょう)を尽くした模様である。】

唐織 白地七宝繋藤模様

【ColBaseの説明文:藤の花房のみを背を中心に左右対称に織り出すことで、藤花が垂れる情景を表す。紺や紅、黄色など現実にはない色彩の花房を織り、模様に華やかさが加わる。地紋の七宝文にも浅葱色の縁取りが織で加わるなど細やかなこだわりが感じられる優品である。】

流れ藤文様銘仙長着

極端に大きな藤の模様です。モチーフを極端に拡大する手法は、伝統文様に変化をつけるうえでよく用いられた方法の一つです。銘仙の柄は、縞柄も模様も時代を追うごとに大柄になっていき、戦後に洋服の影響を受けて小柄が流行するまでその傾向が続きました。

縫箔 茶地百合御所車模様

【ColBaseの説明文: 縫箔(ぬいはく)とは、模様を刺繍(ししゅう)と金箔の型捺し(かたおし)であらわした能装束のことです。 茶色の地に、大きな百合の花と小さな御所車(ごしょぐるま)の模様が刺繍されています。百合の花越しに遠くの御所車を見ているということなのか、本来の大きさとは逆転したスケール感が不思議な印象を与えます。四季の草花模様を散らすのではなく、百合の花だけを大きく描くというのも、この時代に他に例のない、珍しいデザインです。 ずいぶん薄くなってしまっていますが、金箔の模様が残っている部分をよくご覧ください。刺繍のない茶色い地の部分に、縦に波線を並べたような「立涌(たてわく)」模様が金箔で摺りあらわされています。さらにその波線の中も「卍(まんじ)つなぎ」などのパターンで埋められています。作られた当時は、遠目にもさらに華やかなデザインだったに違いありません。 公家のきもののデザインによく使われた立涌模様と、御所車という宮廷ふうの模様。王朝文化への憧れが見てとれます。】

唐織 茶地松皮菱牡丹模様

【ColBaseの説明文:「松皮菱」は、文字通り、松の樹皮を菱形にデザイン化した日本独特の模様です。常緑である「松」は永遠の若さの象徴として日本では吉祥模様とされたことから、中世以降、松皮菱文は着物のデザインに好まれました。牡丹文は富貴を意味し美女の象徴です。】

小袖 白綸子地熨斗菊模様

【ColBaseの説明文:刺繍(ししゅう)と鹿の子絞りで大きく全身に模様を表わし、腰部分にわずかに空白をもたせる元禄期前後に町方で流行したデザイン。祝い事の贈答品に付けられる熨斗鮑(のしあわび)を意匠化した熨斗模様は吉祥模様として、江戸時代前期から中期にかけて晴着などに好まれた。(20080923_h101)】

一つ身振袖 鼠色縮緬地萩流水烏帽子鞍模様

【ColBaseの説明文:一つ身は、赤子が着用する帯付きの着物です。反物一幅分で身頃を仕立てていることから、このように呼ばれました。風景模様を細かく白上げと刺繍で表す模様は、江戸時代後期の武家の様式です。19世紀初めに染織にも用いられるようになったプルシアンブルーの青色が鮮やかです。】

流水文様銘仙長着

伝統的な流水文様の配色を変えた例です。長い間親しまれてきた着物の伝統文様には、なじみのないデザインの刺激を和らげる効果があったのではと考えられています。変形や拡大などのアレンジを加えやすいことも、伝統文様のメリットといえます。

紅地火焔太鼓菊萩蜻蛉模様唐織

【文化遺産オンラインの説明文: 紅地に金糸で地を埋め尽くすほどに棒霞を表し、そこに様々な色緯で、火焔太鼓、菊・萩に蜻蛉を表した唐織である。  力強い意匠が組み合わされている。火焔太鼓は雅楽に使用するもので、太鼓の中の三巴文は左巴と右巴とで表され、その周囲に瑞雲、そして火焔が配される。優しげに表現されることが多い菊や萩も、地面から力強く伸び上がっている。蜻蛉は後退しないことから、勝虫の異称をもって武家に好まれた。  この唐織と同趣のものとして毛利家伝来で野田神社所蔵の「紅浅葱段金霞菊桐火焔太鼓模様唐織」がある。これは同じ機で織られたとみられ、菊・萩と火焔太鼓の構図はほぼ同じで、蜻蛉の位置に投桐が配されて菊桐となっている。  本唐織が桐に代えて蜻蛉とし、段を廃して金糸の面積を増したのは、より力強い役での着用を意図してのことであろう。】

西洋風模様の銘仙

洋服が普及する前の時代、西洋風のモチーフが描かれた銘仙は、和服のまま最新の流行を取り入れたい女性に人気を博しました。このセクションでは、洋花をはじめとして、同時代に興ったアール・デコやキュビスムを思わせる幾何学模様など、着物の柄とは思えないモダンな模様を紹介します。特にテニスラケットやランプは、現代の衣服の柄にはあまり見られません。流行のものを柔軟に模様として取り入れる銘仙の自由さがうかがえます。

薔薇文様銘仙長着

バラが着物の模様として描かれるようになったのは、一般家庭でもバラを鑑賞できるようになった大正時代からです。大正時代末期から昭和時代初期にかけては、バラを含めた洋花がさらに身近な存在になり、着物のメインモチーフとして扱われるようになりました。

抽象文様銘仙長着

昭和時代初期には、銘仙が若い職業婦人の通勤着として用いられました。女学生時代にかわいらしい銘仙を着て育った女性たちが大人になって身に着けるのにふさわしいデザインとして、欧米の前衛芸術を参考にした構成主義的な模様の銘仙がつくられました。

テニス文様銘仙羽織

テニスは明治時代に日本に伝わり、女学校の庭球部などを通じて女性の人気を得ました。昭和9年にはウィンブルドンで日本人が優勝、昭和34年にはテニスをきっかけに交際された現在の上皇上皇后両陛下がご成婚されるなど、話題を呼んだモチーフでもあります。