鬼退治伝説 ~鬼と戦った人間 源頼光・渡辺綱・平維茂~
桃太郎や一寸法師など、昔話では定番の鬼退治! 遠い昔の平安時代に、鬼を退治した強い人間たちがいたことを知っていますか? ここは、そんな彼らと鬼たちを紹介していく展覧会です!
はじめに
今から1000年以上も前の平安時代に、鬼と戦い、退治した人間たちがいたことを知っていますか? 彼らのお話は、長い時を経て現代まで伝えられ、伝説となっています。昔話として広く知られている桃太郎や一寸法師の鬼退治とはまた違った、武士と呼ばれた強い人間たちの鬼退治のお話をどうぞのぞいて行って下さいね。
第一章では、「源頼光(みなもとのらいこう)」という人物を紹介します。頼光は、四人の仲間たちと一緒に、京都の大江山に住む「酒呑童子(しゅてんどうじ)」という鬼や、「土蜘蛛(つちぐも)」という鬼を退治しました。
第二章では、「渡辺綱(わたなべのつな)」という人物を紹介します。綱は、第一章で紹介した頼光の仲間の一人です。綱は「茨木童子(いばらきどうじ)」という鬼や、「宇治の橋姫(うじのはしひめ)」という鬼を退治しました。
第三章では、「平維茂(たいらのこれもち)」という人物を紹介します。維茂は、長野の戸隠にいた「紅葉(もみじ)」と呼ばれる女の鬼を退治しました。
それぞれの章では、鬼退治のお話が書かれた本や、鬼退治の場面を描いた様々な絵を見ることができます。
会期 2022年2月1日(火)~28日(月)
会場 都留市の公民館のエントランス
第一章 源頼光(みなもとのらいこう)の鬼退治
大江山の鬼退治
源頼光は、大江山の鬼退治で有名な人物です。
○大江山の鬼退治 ~源頼光 VS 酒呑童子(しゅてんどうじ)~
今から1000ほど前、丹波(たんば)の国の大江山(おおえやま)に酒呑童子という鬼が住んでいました。酒呑童子は、近くの国々、遠くの国々ばかりでなく、京の都にまでやってきて、若く美しい貴族の姫君たちをさらっていました。こまった貴族たちは天皇と話しあい、源頼光とその四人の仲間の渡辺綱(わたなべのつな)、碓井定光(うすいのさだみつ)、卜部末武(うらべのすえたけ)、坂田公時(さかたのきんとき)と、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)に、鬼退治を命じました。彼らはまず、鬼を退治できるように神社にお参りをしてから大江山に向かいました。山道で迷っていると、不思議な三人のおじいさんに出逢い、人には薬、鬼には毒となるというお酒をもらい、道案内をしてもらいました。鬼のすみかについた頼光たちは、酒呑童子と対面しました。頼光たちは、舞いを踊って鬼たちの気分をよくさせて、三人のおじいさんからもらったお酒を、鬼たちに飲ませました。頼光たちが酒吞童子がいる寝室にしのびこむと、酒呑童子はお酒に酔って、鬼の姿でぐっすりと寝ていました。そこに三人のおじいさんがふたたび現れ、酒呑童子の手足をしばり、頼光に首を落とすように命じました。おじいさんたちは神様だったのです。頼光は酒呑童子の首を打ちました。残る五人も手下の鬼たちと戦いました。こうして鬼を退治した頼光たちは姫君たちを助けだし、ふたたび都に平和の世がおとずれました。
ここでは、このお話が書かれた「酒呑童子絵巻(しゅてんどうじえまき)」や「大江山鬼人退治(おおえやまきじんたいじ)」という巻物や本を見ることができます。
頼光たちが酒呑童子たちにお酒を飲ませる場面や、首を落として退治する場面を描いた様々な絵を見ることができます。
頼光が酒呑童子を退治した時に使っていたと言われる「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」という刀を見ることができます。
たち「どうじぎりやすつな」 伯耆安綱は平安時代を代表する刀工。なかでもこの太刀は、名物童子切(どうじきり)安綱としてとくに名高く、細かく不定形な小乱の刃文は複雑な変化をみせている。その名は、凶賊退治の名刀が酒呑童子(しゅてんどうじ)伝説などと結びついたと考えられ、天下五剣の一つとして足利将軍家、徳川将軍家から越前松平家、津山松平家に伝来した。
土蜘蛛退治
源頼光には、仲間の一人の渡辺綱と一緒に、「土蜘蛛(つちぐも)」という鬼を退治したという伝説もあります。
ここでは、「土蜘蛛草紙(つちぐもぞうし)」という絵巻物に書かれているお話を紹介します。
○土蜘蛛退治 ~源頼光 VS 土蜘蛛~
源頼光が家来の渡辺綱を連れて京都の洛外(らくがい)北山の蓮台野(れんだいの)というところに行くと、空を飛ぶドクロに出会いました。不思議に思った頼光と綱がドクロを追っていくと、古びた屋敷にたどりつきました。そこでは様々な変わった形の妖怪たちが現れて頼光と綱を苦しめました。夜明け頃には美女が現れて目くらましを仕掛けてきました。頼光はそれに負けずに刀で斬りかかりました。すると女の姿は消え、白い血痕が残っていました。それをたどって行くと、やがて山奥の洞窟に着きました。そこには巨大な蜘蛛がいました。この蜘蛛がすべての怪異の正体だったのです。頼光は、蜘蛛との激しい戦いの末に、蜘蛛の首をはねて、退治しました。
ここでは、このお話が書かれている「土蜘蛛草紙」を見ることができます。
また、頼光と土蜘蛛の戦いの場面が描かれた絵を見ることができます。
(らいこうとつちぐも)
つちぐもぞうし 平安時代中期の武将・源頼光*みなもとのらいこう*とその郎等*ろうとう*・渡辺綱*わたなべのつな*が京都洛北に住まう土蜘蛛を退治する物語。あばら家を舞台に次々に登場する妖怪たちはどれも個性豊か。画中の襖絵などもしっかりと描かれており、本格的なやまと絵絵師によって制作されたことがうかがわれる。平安時代の武将、源頼光(みなもとのらいこう)とその部下の渡辺綱(わたなべのつな)による土蜘蛛退治を描いた絵巻です。京都市街地北部のあばら家を舞台に、頼光ら一行を追い払おうと化け物が次々と登場してきます。化け物たちは個性豊かで、どこかこっけいでもあります。物語は右から左へと進んでいきます。絵巻の終盤、土蜘蛛を討ってからあばら家を焼き払うまでが描かれていますが、登場する人物にご注目ください。土蜘蛛を討つ二人の人物と、その横であばら家を焼き払う二人の人物が描かれていますが、二人はそれぞれ同じ着物を着ています。実はどちらも同じ人物。こういった描き方を異時同図法といい、同じ画面に同一人物を描くことで、その間の時間的流れを表現しています。これは右から左に読み進める、絵巻特有の表現です。また、部屋の内部の描写や、そこに描かれる襖絵にも目を向けてみてください。定規で引いたような線、襖に描かれた浜辺に松や千鳥など、細部までしっかりと描きこまれています。こうした表現からこの絵巻は、鎌倉時代の一級の絵師が書いたと考えられます。部屋の様子から当時の貴族の邸宅がどんな様子だったのか分かるという意味でも貴重な作品です。
「(みなもとのらいこう やかたの つちぐも)」
「(らいこう やかたの つちぐも)」
第二章 渡辺綱(わたなべのつな)の鬼退治
茨木童子(羅生門の鬼)・牛鬼退治
渡辺綱は、第一章で紹介した源頼光の仲間の一人です。
綱には、酒呑童子の部下の一人で、大江山の鬼退治から逃げて来た、茨木童子(いばらきどうじ)という鬼を退治するお話があります。
ここでは、そのお話が含まれた「綱絵巻(つなえまき)」という絵巻物を紹介します。
○綱の茨木童子・牛鬼(うしおに)退治 ~渡辺綱 VS 茨木童子・牛鬼~
酒呑童子の部下の茨木童子という鬼が大江山の鬼退治から逃げて来て、都の羅生門(らしょうもん)の上に住み着いてしまいました。綱は、頼光から名刀を授けられ、それを持って茨木童子を退治にしに行きました。戦いの末、綱は見事、鬼の右腕を切って、持ち帰ったのですが、突然大きな雷の音が響き、鬼に右腕を取り返されてしまいました。ここまでが前半のお話です。
後半は、頼光が重い病気にかかってしまったときのお話です。頼光の病気は、牛鬼(うしおに)という鬼のろいのせいだというのです。綱は、ふたたび名刀を授けられ、頼光の病気が治るようにと、牛鬼を退治しに行きました。牛鬼との戦いに勝った綱は、牛鬼の腕を切って持ち帰ったのですが、今度は、綱の母親に化けた牛鬼が腕を取り返しにきてしまいます。
このお話はどちらも、退治できたはずだった鬼に、腕を取り返されてしまうというお話です。今まで紹介してきた鬼退治とは少し違った鬼退治のお話ですね。
ここでは、茨木童子と戦う綱の絵と、綱の母親に化けた牛鬼が腕を取り返しにくる場面を描いた絵を見ることができます。
つなえまき この作品は、平安時代の武将、源頼光(みなもとのよりみつ)が酒呑童子(しゅてんどうじ)という鬼の頭領を退治する有名な物語の後日談を描いたものです。主人公は、頼光の部下で、四天王(してんのう)と呼ばれた勇猛な武将のひとり、渡辺綱(わたなべのつな)です。なんと、酒呑童子の配下の鬼が1匹逃げ延びて都の羅生門(らしょうもん)の上に住みついているというではありませんか。綱は、頼光から名刀を授けられ、鬼を退治にしに行きました。見事、鬼の右腕を切って、持ち帰ったところ、突如雷鳴がとどろき、鬼に右腕を取り返されてしまいました。ここまでが前半のお話。後半では、頼光が重い病にかかってしまいます。今度は牛鬼ののろいだということで、ふたたび名刀を授けられた綱が、退治に行きました。牛鬼の腕を切って持ち帰ったのですが、今度は、綱の母親に化けた牛鬼が腕を取り返しにきます。この鬼退治の際の名刀は、のちに源氏に伝わりました。作者や伝来はわかっていませんが、おそらく源氏の流れをくむ武家がつくらせたものでしょう。源頼光*みなもとのらいこう*とともに酒呑童子*しゅてんどうじ*を退治した渡辺綱*わたなべのつな*の物語。前半は羅生門*らしょうもん*に住む鬼を退治するという話。後半は頼光が病にかかり、その原因が牛鬼だと分かって腕を切り落とし持ち帰るが、母に化けた牛鬼*うしおに*に取り返されるという話。室町時代以降流行する御伽草紙*おとぎぞうし*の一つです。
「おおえやまきじんたいじ」「に」「いばらきどうじ」「わたなべのつな」 大江山の鬼退治の時に対峙した茨木童子と渡辺綱が描かれている。 酒呑童子関連の人物と逸話を描いた組み物。六枚組かどうかは不明。
宇治の橋姫退治
渡辺綱には、京都の宇治(うじ)というところにいた橋姫(はしひめ)という女の鬼を退治したお話もあります。
○宇治の橋姫退治 ~渡辺綱 VS 宇治の橋姫~
ある貴族の娘が他の女の人を憎らしく思う気持ちから、鬼になってしまいました。その鬼は、髪を五つに分けて五本の角のようにし、顔や全身を赤くして、鉄の輪に三本の脚が付いた台を逆さに頭に載せ、そこに松明を立てて燃やし、さらに両端を燃やした松明を口にくわえるという恐ろしい姿をしていました。その鬼は宇治橋(うじばし)という橋に住み着いたので、橋姫と呼ばれていました。橋姫は、憎らしく思っていた女、その親しい人、相手の男の方の親しい人、しまいには誰彼構わず、次々と殺してしまいました。
そうした頃、渡辺綱が仕事の帰り道に、一条(いちじょう)の戻り橋という橋を渡る時、女を見つけました。見たところ二十歳ぐらいで、肌は雪のように白く、一人で南へ向かっていました。綱は「夜は危ないので、五条(ごじょう)まで送りましょう」と言って、自分は馬から降りて女を乗せ、南に向かいました。その道中、女は突然恐ろしい鬼の姿に変身しました。綱はその鬼の腕を斬りました。鬼は腕を斬られたまま遠くへ飛んで行ってしまいました。
このお話は、綱が橋姫という女の鬼を退治したお話です。前のお話と同じく、鬼の腕を斬って退治していますね。
ここでは、綱が橋姫と出合う場面の絵や、お伽物語として伝えられてきた橋姫のお話が書かれた本、頭に松明をさした恐ろしい姿の橋姫を描いた絵を見ることができます。
「ぶゆうなぞらえげんじ」「はしひめ」「わたなべのつな」
にほんおとぎものがたり
こんじゃく がずぞくひゃっき
こいのでんせつ
第三章 平維茂(たいらのこれもち)の鬼女退治
戸隠山の鬼女退治
平維茂は、長野にある戸隠山(とがくしやま)というところにいた「紅葉(もみじ)」と呼ばれる女の鬼を退治しました。女の鬼を鬼女(きじょ)と呼びます。
「北向山霊験記(きたむきさんれいげんき)」という本に書かれている、維茂の戸隠山鬼女退治のお話を紹介します。
○戸隠山鬼女退治 ~平維茂 VS 鬼女紅葉~
福島県の会津(あいづ)というところに、呉葉(くれは)と呼ばれた女がいました。女は成長して、紅葉(もみじ)と名を変えて、都に行きました。紅葉は、都で源経基(みなもとのつねもと)という貴族に愛され子どもを授かりました。しかし、経基の正式な妻を憎らしく思って、呪おうとしたため、紅葉は、長野の戸隠という土地へ追放されてしまいました。紅葉は戸隠の里の人に薬の作り方を教えたり、文字の読み書きを教えたり、都のお話を聞かせてあげたりしたので、里の人に尊敬されるようになりました。しかし、紅葉は都から追放されたことをずっと恨んでいたので、鬼の心が芽生え、盗みを働くようになってしまいました。紅葉の悪い行いを知った冷泉天皇は、平維茂に紅葉を退治するように命令しました。こうして戸隠にやってきた維茂によって、紅葉は退治されました。
これは、もともとは人間だった女が、人を憎く思ったために鬼になってしまい、退治されるお話です。
ここでは、維茂が戸隠山の鬼女紅葉を退治する場面を描いた絵や、歌舞伎で演じられた維茂と戸隠山の鬼女紅葉が描かれた絵などを見ることができます。
「とがくしのきじょたいじくみじょう」「さんまいつづき」「いち」「できあがりず」「とがくしきじょ おのえきくごろう」「たいらのこれもち いちかわさだんじ」
おわりに
鬼退治伝説の展覧会はいかがでしたか?
はるか昔に、鬼と戦った強い人間がいたことを知ってもらえていたら、とても嬉しいです。
今回の展覧会では、特に有名な鬼退治と、退治した人間を紹介しました。
鬼退治の伝説は、今回の展覧会で紹介した以外にもたくさんあります。気になった方はぜひ調べてみてください!
この展覧会をのぞいていただき、ありがとうございました。



.jpg)

.jpg)





.jpg)





