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長谷川雪旦『西国写生』第2帖 / 国立国会図書館デジタルコレクション

オランダ商館

江戸時代に長崎の出島に設けられた、オランダ貿易を扱う商館

江戸時代のオランダ東インド会社の日本支店。慶長14年(1609)、徳川家康から朱印状を得て肥前平戸(現在の長崎県平戸市)に置かれた。民家を買収して本館を拡張し、倉庫や住宅、埠頭、石塀などを築いて大規模になった。鎖国以後は中国とともに対日貿易を独占した。寛永17年(1640)、商館の建物に西暦年号が記されているとして、幕府は取壊しを命じ、寛永18年(1641)からポルトガル人の来航禁止で空家となった長崎出島(現在の長崎市出島町)に移転させた。以後、安政2年(1855)の日蘭和親条約までオランダの対日貿易の一切を扱い、鎖国中は、西洋文化流入の唯一の窓口であった。出島に滞在するオランダ人は、商館長(カピタン)、荷倉役、外科医、台所役、大工、鍛冶などで、出島乙名(おとな)が、輸出入品の荷揚げ、積出し、支払い、出島への出入り、買物などオランダ人の活動を監督した。商館長は年1回 (のち5年に1回)江戸参府して将軍に謁見した。シーボルトやケンペルは商館付医師としてここに滞在し、日本の蘭学や医学の発展に寄与した。

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江戸参府で将軍に拝謁する際のオランダ商館長の一行の図。将軍拝謁は毎年3月朔日を例とした。図中、左に「かひたん やんこつくふろむほう」と書かれているのは、1817年(文化14)から1823年(文政6)まで商館長をつとめたヤン・コット・ブロムホフのことを指すと思われる。中心の人物がブロムホフか。

文政6年、27歳で出島の商館医として最初の来日をしたドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796~1866)。絵の作者は不明だが、構図は、川原慶賀の描いた長崎歴史文化博物館蔵の「若き日のシーボルトとその下僕図」に似ている。

文化14年(1817)に来日したオランダ商館長ブロンホフの妻子と乳母を描く。

渡辺秀石(1641- 1709)は長崎出身の画家。中国浙江省出身の薬種商で、黄檗僧に転じた逸然性融(1601-68)に画を学び、元禄10年(1697)には長崎奉行から初代の唐絵目利兼御用絵師に任命された。元禄12年(1699)幕府勘定頭・荻原重秀(1658-1713)が長崎を巡察し、渡辺秀石に唐人屋敷と出島の絵図制作を命じるが、本図巻はこの絵図の系譜を引くもので、唐人屋敷や出島における風俗を詳細に描く。

高川文筌(?-1858頃)は谷文晁の門人で、信州松代藩の真田家に仕えた画人。巻末の款記によると、本図は天保14年(1843)に長崎の役所において描いたもの。

【長崎ゆかりの近世絵画】

オランダ商館長であったフランソワ・カロンが1661年(寛文4)にオランダで刊行したものをドイツ語訳した地図。本州や北海道が島になっていないなどの誤りがある。

平戸(北松浦郡平戸町)時代のオランダ商館。

文政年間シーボルト附のオランダ人絵師の写した長崎港の図。中央の扇なりの島がオランダ商館を置くために造られた出島。

高川文筌(?-1858頃)は谷文晁の門人で、信州松代藩の真田家に仕えた画人です。巻末の款記によると、本図は天保14年(1843)に長崎の役所において描いたものとわかります。「清舶入津卸荷之図」「清人館内戯場之図」「同 坐飲之図」「瓊浦輿地図」の4図は、石崎融思の『長崎古今集覧名勝図絵稿本』(天保12年序 長崎歴史文化博物館蔵)を模写した可能性が高いと考えられます。「阿蘭陀船出帆之図」「出島館内カピタン部屋之図」「同突玉之図」といったオランダを題材とする図についても、何か典拠があるのかもしれません。 【長崎ゆかりの近世絵画】

オランダ商館ゆかりの工芸品など

染付 鳳凰文 皿(「VOC」銘)

オランダ東インド会社のオランダ名「Vereenigde Oostindische Compagnie」の頭文字を組み合わせた同社の「VOC」マークが描き入れられた皿です。この「VOC」マークは同社設立の翌1603年より使用されました。長崎出島のオランダ商館跡などから類品が出土していることから、同社の什器として注文されたものと考えられます。「VOC」マークのある製品は、有田の猿川(さるかわ)、稗古場(ひえこば)などの窯跡で数多く出土しています。呉須で文様の輪郭を薄く描いてから、ダミで塗りつぶす技法がとられ、周囲には、鳳凰や柘榴などの文様が配されています。

色絵芙蓉手V.O.C.マーク入り大皿

見込みにV.O.C.のモノグラムを配した染付皿に、赤絵と金彩を加飾した作例。染付による絵付に、金彩で輪郭線を施したり、赤絵でモノグラムの円形枠内を塗りつぶしたり、牡丹の花弁を描き加えたりするなど、より豪華な装飾に仕上がっています。 17世紀後半から18世紀初めには、赤地に金彩で文様を表す「金襴手」と呼ばれる豪華絢爛な装飾を施した磁器が流行し、ヨーロッパ向けの輸出品も製作されていました。本作の赤絵、金彩を施した場所、時期は定かではないですが、エナメル質の顔料が確認されることから、おそらくヨーロッパにおいて加飾されたと考えられています。 【近世・近代の漆工・陶磁器・染織】

染付芙蓉手V.O.C.マーク入り大皿

オランダ東インド会社から肥前国有田(現在の佐賀県有田町)への注文品として製作された大皿。見込み中央の円形枠内に同社を意味するV.O.Cのモノグラムが配されています。その周囲には鳳凰、太湖石、石榴、縁には六つの区画を設けて竹、梅、牡丹といった草花を描き込んでいます。いわゆる芙蓉手と呼ばれる文様様式に分類される作品です。この様式は、中国明代・万暦年間(1573-1620)の染付磁器にはじまり、日本だけでなく、ヨーロッパ製陶器にまで普及しています。 同種のモノグラムを配した陶片が、出島(長崎県長崎市)のオランダ商館跡から発掘されていることからも、本作は商館員たちが日常的に使用していた雑器の一つであったと推定されています。ヨーロッパ各地でも同種の陶片が確認され、伝世品も残っていることからも、輸出品としての性格も有していたといえるでしょう。 【近世・近代の漆工・陶磁器・染織】

染付芙蓉手VOC字文皿

蒔絵楼閣山水文簞笥

オランダ商館を通じて、京都の漆器工房に注文された箪笥で、もとは一対でデンマークの城館に設置されていたものと推定されますが、伝歴は明らかではありません。 観音開きの扉、内部に4段のひきだしを設けた蒔絵の箪笥。扉の中央部に入念な毛彫りを施した錠金具をつけ、両脇に12枚の装飾的な蝶番をつけています。黒漆の余白を空間として強調する蒔絵意匠は、1670~90年頃の輸出漆器の特徴です。

谷文晁 ファン・ロイエン筆花鳥図摸写

8代将軍吉宗がオランダ商館長に紅毛絵(こうもうえ)の輸入を求め、享保7年(1722)に発注され、享保11年(1726)に長崎に5点の西洋画が舶載されました。そのうち「孔雀、インコ、駝鳥、アオサギの図」「あらゆる種類のオランダの花の図」の2点の油彩花鳥画が江戸本所の五百羅漢寺に下賜され本堂にかけられてました。寛政8年(1796)に石川大浪・孟高兄弟が後者を模写し、さらにこれを谷文晁が模写したのが本図となります。巨大な花瓶に多種多様な花が盛られ、下部には果物や、それをついばむ鳥がいます。よく見ると蟻がついている花もあり、この豪華な花束が、やがて朽ち果てる運命にあることを暗示しています。「ヴァニタス」を主題とする、西洋では典型的な花卉禽獣画の表現です。原画作者としてアムステルダムの画家・ヘンドリック・ウィレム・ファン・ロイエンだった可能性が指摘されています。

褐釉鬚徳利 「讃窯」印銘

髭面の人面文が貼り付けられていることから髭徳利とよばれる。ドイツのフレッヒェン窯の製品を讃岐(香川県)の讃窯で忠実に模倣したもの。オランダ商館員が飲む酒の容器として日本にもたらされた髭徳利は、異国情緒をかきたてる存在であった。

阿蘭陀色絵細水指

通称「デルフト陶器」と呼ばれたオランダ陶器で、16世紀末から17世紀初頭にオランダの北ネーデルランド地方で制作されたものと考えられる。本水指はアルバレロ型とされる筒型の容器で、国内では生花や水指として伝世しているものがある。この初期オランダ陶器は1602年の東インド会社を契機とするオランダのアジア進出によって平戸や長崎の商館に招来されたものとみられる。

オランダ商館跡の写真

鎖国時代は、出島が外国技術を導入する唯一の窓口であった。扇形であった島の輪郭が北側にだけ残っている。

見に行く・調べる

  • 国指定史跡。

  • 平戸時代のオランダ商館時代にまつわる品々や、当時の様子を伝える資料などを展示する。

  • 国立国会図書館による、豊富な資料が見られるデジタル展示。

  • オランダのハーグ国立文書館に保管されている、江戸初期の平戸にあったオランダ商館文書の画像データを紹介。

参考文献

  1. 対外関係史総合年表編集委員会 編,吉川弘文館
  2. 加藤友康, 瀬野精一郎, 鳥海靖, 丸山雍成 編,吉川弘文館
  3. 歴史学研究会 編,岩波書店
  4. 中野三敏 著,弓立社