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宇田川榕庵

江戸時代後期の蘭学者。西洋近代科学を紹介して日本科学史に大きな足跡を残した

1798-1846(寛政10-弘化3)

江戸後期の蘭学者。江戸の生まれ。父の江沢養樹(えざわようじゅ)は大垣藩の医師、蘭学者。幼名は重次郎。文化8年(1811)、蘭方医で津山藩医の宇田川玄真(うだがわげんしん)の養嗣子となり、翌年元服して養菴。漢方医学のかたわら本草学、物産学に親しみ、長じてオランダ語を馬場佐十郎(ばばさじゅうろう)、吉雄俊蔵(よしおしゅんぞう)らに学んだ。文化14年(1817)津山藩医として出仕して名を榕菴と改め、この頃『ショメール百科事典』(『厚生新編』)を読んで、西洋には本草学と異なる、植物自体を研究する植物学(榕菴の造語で「植学」)があることを知り、薬学、医学、植物学、動物学、化学などへの関心を深めた。

文政5年(1822)、日本初の植物学書『菩多尼訶経(ぼたにかきょう)』を著わして西洋植物学を紹介。さらに養父宇田川玄真による薬物学書『遠西医方名物考(えんせいいほうめいぶつこう)』(文政5~8)、『和蘭薬鏡(おらんだやくきょう)』(文政11~13)の刊行に協力した。

文政9年(1826)、幕府の蕃書和解御用(ばんしょわげごよう)の訳員となって『ショメール百科事典』の和訳事業に参加し、この訳業には死ぬまで継続して携った。またこの年、江戸に参府したシーボルトを宿舎に訪問して交流し、植物標本や自筆の植物図、日本書籍などをシーボルトに贈り、植物図の一部はシーボルトの『日本植物誌』の原図として利用された。

その後も薬学、植物学、化学などに研鑽を重ね、西洋科学書の訳述のみならずみずから実験なども行ないながら、『植学啓原』(天保5年)、『遠西医方名物考補遺』(天保5年)、『舎密開宗(せいみかいそう)』(天保8~弘化4年)を刊行した。『植学啓原』は本格的西洋植物学書として、『舎密開宗』は日本最初の体系的な化学書として評価が高い。

この他に数学・測量学・兵学などにも精通し、化学をはじめとする諸学問の紹介者として日本科学史に大きな足跡を残した。実子はなく、大垣藩医で本草学者の飯沼慾斎 (いいぬまよくさい) の子興斎を迎えて嗣子とした。弘化3年(1846)6月22日に49歳で没。浅草誓願寺長安院に葬られたが、のち多磨霊園に改葬された。


関連するひと・もの・こと

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日本初の植物学書。宇田川榕庵著。1冊。文政5年(1822)刊。「如是我聞」で始まり、「阿弥陀経」を模した経文体で書かれ、体裁も折本仕立て。リンネの植物学説の要点を全1178文字の簡潔な漢文でまとめ、「葯」、「花柱」、「柱頭」などの植物用語を造語して用いている。「菩多尼訶」はラテン語のBotanicaで、植物学のこと。掲出本は、植物学者の大賀一郎(1883~1965)が、昭和10年に開催された「植学啓原」刊行百年記念会に際して原本から複刻し、東京植物同好会名義で同好有志者に頒布(200部限定)したうちの一部。

日本で最初の体系的な植物学紹介書。3巻、付図1巻。宇田川榕菴著。天保5年(1834)刊。角書に「理学入門」とあるが、「理学」は当時の用法で自然科学の意味で、本書ではリンネの24綱目分類による植物分類、根や茎葉といった植物の分類形態などのほか、生理、生化学などにも記述はおよんでいる。巻3巻末の「植学啓原図」には、根・茎・葉・花の形態図、花粉の顕微鏡図など21葉の色刷木版画が付されている。江戸後期から明治初期にかけての植物学の啓蒙書として広く用いられた。

『植学啓原』巻3巻末の「植学啓原図」から、根・茎・葉・花の形態図。

宇田川榕庵による植物学書。文政10年(1827)頃の成立。未刊。『植学啓原』と共通の内容、用語を持つが、未整理な部分があり、『植学啓原』の習作的な位置づけの著とされる。文中のシーボルトに関する記述から、文政10年頃の作と推定される。国会図書館の伊藤文庫と白井文庫に2本が所蔵されるが、掲出は白井文庫本。巻末に、「帝国図書館収蔵の植学独語(伊藤本と思われる)に誤字が多くて読みがたいので、林若吉所蔵の別本によって校訂して誤字を正した」旨の「玩古斎主人」の識語がある。「玩古斎主人」は、白井文庫の設立者で植物学者の白井光太郎(1863―1932)。識語中の林若吉は、古本、考古物などのコレクターとして知られる林若樹。

江戸後期の化学書。宇田川榕庵著。天保8~弘化4年(1837-1847)刊。内篇21巻、外篇15巻を予定していたが榕庵の病没で中絶し、刊行されたのは21巻(内編18巻、外編3巻)。イギリス人ウィリアム=へンリー原著 ”An Epitome of Chemistry ” (1801)のオランダ語訳を宇田川榕庵が訳述したもの。元素、化合物の製法、性状から一般化学変化にいたるまで、フランスの化学者ラヴォアジェの学説を体系的に記述した化学書で、その質と規模において、明治以前の著述としては他の追随を許さない。教科書として明治期になっても広く利用されその後の日本の化学の基礎となった。「舎密」は化学の意。榕庵が考案した用語で、オランダ語chemie の音訳。

宇多川玄真(榕庵の養父)による薬学書『遠西医方名物考』(文政5年刊)の補遺編。宇田川榕庵著。9巻。天保5年(1834)刊。『遠西医方名物考』は、西洋の薬物をイロハ順に配列して、その薬効、製法、使用法を詳しく述べた文献。本書はそれを補ったもので、特に、巻7~9は、榕庵自身の『舎密開宗』に先立って化学を体系的に述べた本邦最初の文献で、この中で榕庵は、元素、酸素、窒素、水素、炭素、酸、アルカリ、中和など今日も使われる化学用語を考案・使用している。掲出本は、慶應義塾図書館所蔵。

元素、酸素、窒素などの用語が使用されている巻7の冒頭部分。掲出は九州大学附属図書館所蔵本。

江戸後期の百科事典。フランスのノエル・ショメールによる「日用百科事典」のオランダ語訳本から実用的な項目を選択して、馬場貞由・大槻玄沢らの蘭学者が翻訳した。文化8年(1811)に翻訳を開始。後に宇田川玄真、小関三英ら当時の代表的な蘭学者が加わった。宇田川榕庵も文政9年(1826)頃から弘化3年(1846)に死去するまで中心人物として携わるが、榕庵の死をもって翻訳事業は中絶した。この翻訳事業は蘭学の発達普及に貢献したが、榕庵の死後未完のままその行方も不明であったが、昭和初年に静岡県立中央図書館葵文庫の蔵書中に発見され、複製本が刊行された。

宇田川榕庵自筆の『厚生新編』の翻訳稿本。ところどころに「榕按ずるに」として注記が見られる。掲出本は、国立国会図書館所蔵の榕庵自筆本4冊のうちの一冊で、原表紙には文政13年の年次を記す。4冊はいずれも伊藤圭介・篤太郎旧蔵。

本草書。宇田川榕庵著。榕庵の自筆稿本で伝わる。西洋植物学に基づいて、桜などの各植物について、種類、名称、形状、考証などの項を立てて、それぞれ説明している。比較的まとまっている項目とメモ書きのところとが残されている。

アムステルダムの出版者Isaak Tirionの出版した ”De natuurkunde uit ondervindingen opgemaakt ”(『実験物理学』1736-51)のうち、気圧計、温度計の部分を訳したもの。原本はイギリスの科学者J. T.デザギュリエ(1683-1744)著。日本古典籍の蒐集家として知られたフランク・ホーレーの旧蔵本。「寶玲文庫」の蔵書印が見られる。

『画本虫撰』は、喜多川歌麿画、宿屋飯盛(石川雅望)編の狂歌絵本で、虫に草花を添えて描いた歌麿絵本の代表作。刊行は天明8年(1788)。掲出本は、オランダ国立民族学博物館所蔵の文政6年(1823)の再版本。同館の「シーボルト・コレクション)」の一冊で、榕庵がシーボルトへ贈ったもの。上巻の裏表紙にシーボルトへの献辞がオランダ語の書かれている。下から二行目の” Woedagawa Jooän “ は、オランダ語風の綴りですが、「うだがわよーあん」と読める。

シーボルトの『日本植物誌』「ヤマボウシ(Benthamia japonica)」の項の解説(v.1 p.40)。フランス語で書かれ、「われらが信頼に足る博物学者にして江戸の医師 Wudagawa Joan は、(ヤマボウシを)6000フィートの高さの箱根の山中やその他の日本北部の高地で発見した」として宇田川榕庵の名を記している。

伊藤圭介が宇田川榕菴と日光で採薬したときに作成したハリブキ (針蕗) の印葉図です。伊藤圭介は、幕末・明治期の蘭方医、植物学者。文政10年(1827)6月25日に宇田川榕庵らと江戸を出立して日光に赴き・採薬した。

呉秀三旧蔵の像。

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『植学啓原』刊行直後の書状。当時名古屋在住の伊藤圭介に『植学啓原』の売り弘めを依頼して本を送っていたらしく、伊藤の周旋で売れた2部の代金をを送られたことへの返信。売り上げには感謝しつつも、「名古屋は江戸・京・大坂に匹敵する繁華の地であり、あなたは関西第一の植学の大家であるのに、2部とはあまりに情けないではないか。あなたの本が出た時には私一人でずいぶん弘めた、もう少しお骨折り願いたい(御地ハ三都と比肩ノ繁境、老兄ハ植學於而関西第一ノ大家なり、然ルニニ部とは余り情無き事なり(略)御作なとハ小生一人ノ手先にても余程相広メ申上候、今少し御骨折可被下候)」などと、諧謔を交えながら遠慮のないことを書いている。二人の交遊ぶりがしのばれる手紙。

カステレインの著書を伊藤から借りて楽しみに読んでいること、珍しい「タルモメートル(寒暖計)」を見たこと、石鹸の「奇品」を進呈すること、などを述べる。カステレインは、P.J.Kasteleijn(?-1794)。オランダの化学者でその著書は、榕庵の『舎密開宗』の参考に使用されている。

宇田川榕庵の名刺。「W. JOOÄN.」と刷られている。紙の厚さ、形状とも現在の名刺と似ている。国立国会図書館が所蔵する榕庵著『生植全書』第一冊の見返しに貼り付けられていたもの。伊藤圭介(1803-1901)の旧蔵品。包み紙に、伊藤が長崎の出島でシーボルトと面会した際にやりとりした「ポルトフォリオ」(紙ばさみ)中にあったもの、と伊藤の孫篤太郎が記している。裏面には「津山藩医」の意味のオランダ語が書かれている。これも榕庵の自筆か。

宇田川榕庵による蘭の写生図。琉球からもたらされた蘭と、それに集まる蝶の様子を写生し、オランダ古語による解説を付してある。「Youan」の署名も確認できる。解説では、蘭(ニュウメンラン)は西表原産であり、貴重で高価なものであると記されている。「宝玲文庫」「藤浪氏蔵」の旧蔵印が記されている。「藤浪氏蔵」は、慶應義塾大学医学部教授であった藤浪剛一が所蔵していたことを示す。本紙に「榕菴」「榕印」の落款がある。

宇田川榕庵自筆の植物写生図。巻末に白井礫水(光太郎)の識語があり、大正4年(1915)、農学者の田中長三郎(1885-1976)が渡米する際に白井に託したものとある。

「本草名家真跡」は、高名な本草家・医家等の書簡、メモ、スケッチ等を1帖に張り込んだもの。取り上げる本草家は、貝原益軒、稲生若水、小野蘭山、飯沼慾斎、岩崎灌園、宇田川榕菴、伊藤圭介等である。植物病理学者、理学博士白井光太郎(1863−1932)の旧蔵書品。

古代ギリシアの医者ヒポクラテスを描いた銅版画。石川大浪(1762₋1817)画。天保10年(1839)刊。宇田川榕庵賛。外題は「蘭人 依卜加刺得斯(ヒッポクラテス)之肖像」。幕末~明治期の蘭方医・植物学者、伊藤圭介の遺物。 圭介の孫伊藤篤太郎の識語を記した貼紙があり、そこには「医聖 依卜加刺得斯之肖像」とある。

画上に添えられた1839(天保10年)の年紀を持つオランダ語の賛。宇田川榕庵の自筆による。

宇田川榕庵をめぐる人々

宇田川玄真(『医家先哲肖像集』所収)

(1769-1834) 榕庵の養父、伊勢国(三重県)の人。宇田川玄随の養子となり津山藩医。号は榛斎(しんさい)。大槻玄沢に学びオランダ語の訳業に優れた。訳著「厚生新編」「遠西医方名物考」「和蘭薬鏡」。

宇田川玄随(『医家先哲肖像集』所収)

(1755-1797)宇田川玄真の養父。榕庵の祖父にあたる。津山藩医宇田川道紀の子。名は晋。字は明卿、号は槐園。はじめ漢方を学んだが蘭学に転じ、桂川甫周、杉田玄白、前野良沢に学ぶ。『西説内科撰要』などの訳述がある。

飯沼慾斎(いいぬまよくさい) (『郷土の偉人』上所収)

(1782-1865)江戸末期の本草家。医者。伊勢の人。小野蘭山に本草学、宇田川玄真に蘭学、西洋医学を学ぶ。嗣子のなかった榕庵が養子とした宇田川興斎の実父。

伊藤圭介

(1803~1901) 幕末・明治の植物学者。日本初の理学博士。シーボルトに師事。リンネの植物分類法を紹介する「泰西本草名疏」を著し日本の近代植物学の先駆をなす。榕庵とは、日光への植物採集旅行をともにするなど、親交を持った。

岩崎灌園(『医家先哲肖像集』所収)

(1786-1842) 江戸後期の本草学者。江戸の人。名は常正。通称、源蔵。小野蘭山に本草学を学び、後年シーボルトの指導を受ける。「本草図譜」の著者。宇田川玄真が催した物産会に招かれた縁で榕庵の知己となった。

箕作阮甫(『箕作麟祥君伝』所収)

(1799-1863)幕末の蘭学者。美作国(岡山県)の人。名は虔儒、阮甫は通称。津山藩医の子。幕府天文台の翻訳方などを勤めた。宇田川榕庵著『植物啓原』の序文の筆者。

シーボルト 「シイボルト観劇図并シイボルト自筆人参」

(1796-1866)ドイツの医者・博物学者。文政6年(1823)、オランダ商館の医師として来日。長崎に鳴滝塾を開設、診療と教育とに当たり、日本の西洋医学発展に寄与した。榕庵とは、植物標本や写生画、書物を互いにを贈り合うなど親しく交わり、二人の交流は、シーボルトの『日本植物誌』、榕庵の『植学啓原』として実を結んだ。

ドゥーフ 「ドゥーフ像」

(1777~1835) 長崎のオランダ商館長。在任期間は、享和3年(1803)から文化14年(1817)。文化14年の江戸参府の際、16歳の宇田川榕庵と面会している。

ブロンホフ 「阿蘭陀加比丹並妻子等之図」

(1779-1853) ドゥーフの後任のとして文化14年(1817)に来日したオランダ商館長。文化15年(1818)の江戸参府の際に榕庵と顔を合わせてオランダ語で会話を交わした。また、シーボルトを榕庵に紹介したのもブロンホフ。

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参考文献

  1. 『日本大百科全書(ニッポニカ)』(JapanKnowledge) 「宇田川榕庵」「宇田川玄真」「舎密開宗」「厚生新編」の項。外部サイト
  2. 『世界大百科事典』(JapanKnowledge) 「宇田川榕庵」「宇田川玄真」「舎密開宗」の項。外部サイト
  3. 『国史大辞典』(JapanKnowledge) 「宇田川榕庵」「舎密開宗」「厚生新編」の項。外部サイト
  4. シーボルトと宇田川榕菴 : 江戸蘭学交遊記高橋輝和 著,平凡社
  5. 姉帯正樹「舎密か ら化学ヘ」(「るつぼ」 第66号 2018)外部サイト
  6. 『明治前日本物理化学史』第五章 「遠西医方名物考」における化学の基本概念の導入日本学士院日本科学史刊行会 編,日本学術振興会
  7. 矢部一郎「 『 ショメール百科』(『厚生新編』)・ 『植学啓原』『植学独語』の関連」 (「日本医史学雑誌」21・4、1975)」外部サイト
  8. 吉野政治「日本における植物観の変革」(「同志社女子大学日本語日本文学」 巻 24、2012)外部サイト
  9. 矢部一郎「宇田川榕庵の植学独語」(『蘭学資料研究会研究報告』 (253);1971・12・18蘭学資料研究会
  10. 伊地智昭亘・宇月原貴光「日本の化学の父 宇田川榕菴のライフワーク」 (「函館工業高等専門学校紀要」51巻 2017)外部サイト
  11. 幸田正孝「宇田川榕菴の履歴」(「豊田工業高等専門学校研究紀要」35 2002)外部サイト
  12. JapanKnowledgeの最終アクセス日は、いずれも2024/1/25。