ドゥーフ
出島滞在中に本格的な蘭日辞典を編纂したオランダ商館長
1777-1835
江戸後期の長崎オランダ商館長。漢字をあてて道冨とも。アムステルダム出身。1799年(寛政11)7月、出島商館の書記として長崎に赴任、1803年(享和3)27歳の若さで商館長となった。当時のオランダはナポレオン戦争のためフランスの支配下にあってイギリスと戦争状態にあり、1811年(文化8)にはイギリス軍にジャワ島が占領されて本国との連絡が途絶えるなど、商館長としては苦難の日々を送った。またこれより先、1804年(文化1)年のロシア使節レザノフの来航、1808年(文化5)のフェートン号事件など、日本の対外危機に際しては日本の外交当局を援助し、この時期の日本に対する外圧の回避に貢献した。1817年(文化14)、フランスの支配を脱したオランダ船が長崎に来航して、同年の12月ようやく日本を去るが、滞日19年、商館長在任14年、その間の江戸参府は3回におよんだ。
長い在日中に通詞、蘭学者、幕吏、大名など広い人脈を得るが、特に、通詞の中山時十郎や吉雄権之助(よしおごんのすけ)らの協力を得て、フランソワ・ハルマFrancois Halmaの蘭仏辞書を底本とした本格的な蘭日辞典を編纂、かたわら通詞にフランス語教授を行うなど、文化交流の面でも大きな役割を果たしたのは特筆される。帰国後の1835年に没。57歳。著書に『日本回想録』がある。
ドゥーフが手掛けた辞書は、彼の帰国後の天保4年(1833)に、『道訳波留馬(どうやくハルマ)』(一名『長崎ハルマ』『ズーフハルマ』)として完成し、写本のみの流通ながら、5万語の見出しを持つ当時最良の蘭日辞典として、オランダ語学習者によって大いに転写・利用された。緒方洪庵の適塾におけるその利用のさまは、福沢諭吉の自伝などに詳しい。また、勝海舟にも、若い頃にこの辞書2部書写し、一部は自らの学習用とし、もう一部を売って生活の資としたという逸話がある。
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大阪府大阪市中央区に所在。国史跡・重要文化財である適塾と、緒方洪庵およびその門人に関する歴史的遺産を継承し、適塾の運営・資料保存・調査研究を行うとともに、適塾に縁の深い大阪とオランダに関する学術研究を深めてゆくことを目的として設置されました。緒方洪庵、適塾関係の資料のほか、多数の蘭学関係資料を所蔵しています。
岩手県奥州市水沢に所在。高野長英の偉業を顕彰する記念館として、昭和46年(1971)に設立。所蔵品の中には、ドゥーフが手掛けた辞書『道訳波留馬(どうやくハルマ)』もある。
長崎の出島居留オランダ人との交渉のため、長崎で始められた江戸時代のオランダ語学習の歴史をたどる。この中でドゥーフについても言及されている。
国際日本文化研究センター(日文研)が運営するウェブサイト「西洋人の見た開国以前の日本」より。ドゥーフが帰国してから著した『日本回想録』について、詳細な解説を行っている。
長崎市WEBサイト「ナガジン!」より。
参考文献
- 「ドゥーフ」の項
- 「ドゥーフ」の項
- 「ドゥーフ」の項
- 会田倉吉 著,吉川弘文館
- 松井洋子 著,山川出版社
- 斎藤阿具 著,広文館
- 斎藤阿具 訳註,奥川書房
- 対外関係史総合年表編集委員会 編,吉川弘文館
- 歴史学研究会 編,岩波書店
- 歴史学研究会 編,岩波書店