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嘉納治五郎書簡 永田秀次郎宛 / 国立国会図書館デジタルコレクション

東京招致をめざして

永田秀次郎の思い

昭和4(1929)年、国際陸上競技連盟会長ジークフリード・エドストレームが来日し、日本学生競技連盟会長の山本忠興と会見を行い、昭和15(1940)年に開催される第12回オリンピック大会を東京に招致する可能性について意見を交わしました。

エドストレームと山本の意見を聞き、東京へのオリンピック招致の意向を初めて示したのは、翌年東京市長に就任した永田秀次郎でした。

第12回大会が行われる昭和15(1940)年が皇紀2600年であることをきっかけに、東京はアジアで初めてのオリンピック開催を目指し、招致活動を進めていきます。本書は、皇紀2600年記念事業の宣伝を目的に書かれたもので、オリンピックの起源や意義についても触れられています。

岸清一の見通し

岸清一は、大正13(1924)年から、昭和8(1933)年に亡くなるまでIOC委員を務めました。

昭和7(1932)年7月、嘉納治五郎、岸清一の両IOC委員により、東京招致の正式招請状が、ロサンゼルスで開催された第30次IOC総会に提出されました。

岸は本業は弁護士でしたが、帝国大学在学中からボート選手として活躍し、日本漕艇協会の初代会長に就任したほか、嘉納治五郎によって設立された大日本体育協会の第2代会長も務めています。 本書は、岸が行った、昭和7(1932)年9月29日の第10回ロサンゼルス大会に関する御進講の内容をまとめた資料。

嘉納治五郎の招致活動

嘉納治五郎は、総会への出席・演説といった公式の活動だけでなく、IOC委員を招いた食事会への出席など、非公式な場でのロビー活動も数多く行いました。

ウィーンで開かれたIOC総会に出席した嘉納が、昭和8(1933)年の6月に現地から永田東京市長に送った手紙。IOC委員全員とウィーン名門家の公爵・伯爵等を招いて催した晩餐会が好評で、日本に好意を感じてくれる人が増えたと記されています。

副島道正とムッソリーニの密約

東京招致を確実にするためには、ローマに辞退してもらう必要があり、その難題に取り組んだのが、伯爵で実業家、貴族院議員の経験もある副島道正でした。

副島道正の肖像。副島は、岸の後任としてIOC委員に就任し、ローマに辞退してもらうため、昭和9(1934)年、当時イタリアの首相であったムッソリーニと会見。日本が皇紀2600年を迎える記念すべき年に東京でオリンピックを開催したいこと、そのためにローマに譲歩してほしいことを伝え、ムッソリーニは、その場で申出を快諾しました。

しかし、翌年オスロで行われたIOC総会で、ローマが辞退を表明してもなおローマを支持する声があり、その場での決定は困難だという理由で、第12回大会の開催都市決定は昭和11(1936)年にベルリンで行われる総会まで持ち越されることになりました。

IOC会長の来日視察

開催地決定が延期されたもう一つの理由として、この時のIOC会長のバイエ・ラツールが、東京での開催に反対していたことがあります。その理由は、日本がIOCに断りなく、直接ローマに辞退を働きかけたことでした。

  • 第十二回オリンピック東京大会組織委員会 編,第十二回オリンピック東京大会組織委員会

    本書にある副島の回想によると、ラツールの手紙の内容は、「日本がIOCの幹部に相談なくローマに辞退を直談判したことはスポーツの精神に違反することだが、今後日本がIOCの憲章と精神を遵守するならば、自分は副島のために努力する」といった内容で、オリンピック精神の尊重を条件に東京開催を認める考えを示したものでした。

  • 東京市 編,東京市

    本書には、この歓迎を受けたラツールは、「私が横浜に入港した時小学校の児童がオリンピック旗を振って歓迎してくれた。この一事は全日本国民のオリンピック並びにスポーツに対する深い理解を示すものでその点私は十分満足だ」と語ったことが記されています。各種の施設見学や招宴など、多忙なスケジュールで2週間の日本滞在を終えたラツールは、上機嫌で出国しました。

開催地決定の瞬間

嘉納、副島をはじめとするIOC委員の尽力や、東京市、日本政府の活動もあって徐々に東京招致の可能性が高まる中、昭和11(1936)年7月31日、開催都市を決定するIOC総会がベルリンで開かれました。

(本の万華鏡「第15回もう一つの東京オリンピック」掲載画像)この記事は、開催地決定から一夜明けた8月1日の朝刊に掲載されたものです。日本がヘルシンキに36票対27票で勝利したことを大きく報じ、7月31日のIOC総会における嘉納や副島、東京招致委員会のメンバーの様子、IOC総会の雰囲気などを詳細に伝えています。
上記の新聞には、日本が世界から正しく理解された結果だとする、当時の廣田弘毅首相の談話もあります。

本ページはダイジェスト版です。ぜひ、オリジナルサイト:https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/15/2.html(国立国会図書館HPへ飛びます)もご覧ください。