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嘉納先生伝 / 国立国会図書館デジタルコレクション

日本のオリンピック参加の歩み

近代オリンピックは、フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵が1892年にソルボンヌ大学で行った講演で、古代ギリシアで4年に1回行われていたオリンピアの復興を呼び掛けたことに端を発します。

オリンピック初参加

日本のオリンピック参加は、明治45(1912)年5月に開催された第5回ストックホルム大会に始まります。

当時、IOC会長であったクーベルタンは、第4回ロンドン大会までアジアからの参加がなかったため、明治41(1908)年に駐日フランス大使オーギュスト・ジェラールにIOC日本代表委員の推薦を依頼し、講道館柔道の創始者として知られる嘉納治五郎が推薦され、翌年のIOC総会でアジア初のIOC委員に就任しました。

嘉納は、明治44(1911)年7月にオリンピック選手派遣の母体として大日本体育協会を設置し、同年11月に羽田でオリンピックの予選会を開催しています。また、自身はストックホルム大会に日本選手団の団長として参加しました。本書には、ストックホルム大会開会式での日本選手団の入場の写真が掲載されています。

選手派遣の苦労

オリンピックへの日本の参加が始まったものの、ストックホルム大会の際は、参加費は選手の自己負担であり、当時の額で1,600円(現在の約400万円)でした。大正9(1920)年にベルギーで開催された第7回アントワープ大会への選手派遣の際にも四苦八苦しています。

  • 大日本体育協会 編,大日本体育協会

    本書によると、政府に遠征費の国庫補助を申請しましたが、スポーツが国民全般の支持を受けるに至っていないことを理由に認められなかったため、役員たちが維持金(年会費)や寄付金集めに奔走し、ようやく2万円を調達し、残りは出発後に調達して送金することとなりました。当時の理事らは、三井・岩崎両財閥家に維持金の先払いなどを受け、後に残りの3万円を無事に送金しています。また、選手団はアントワープへ向かう途中で、ニューヨークとロンドンに立ち寄り、辰野保監督らが募金活動を行って在留邦人から援助を受けました

第9回アムステルダム大会(1928年)での躍進

第8回パリ大会では、レスリングで内藤克俊が銅メダルを1つ獲得したものの、全体としてはふるいませんでした。しかし、国内の施設整備や数々の海外選手との交流などを経て実力を向上させた選手たちが、昭和3(1928)年の第9回アムステルダム大会で活躍し、金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル1個を獲得しました。

本書は、東京日日新聞社と大阪毎日新聞社が企画した昭和3(1928)年の第9回アムステルダム・オリンピックの観戦をメイン・イベントとしたヨーロッパ旅行記。第5章に「オリムピックの感激」と題した観戦記録があります。第8回パリ大会では銅メダル一つだったのに対し、第9回アムステルダム大会では日本勢は躍進し、金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル1個を獲得しました。

三段跳びで、パリ大会で6位入賞を果たした織田幹雄が、15m21の記録で優勝し、日本に初めての金メダルをもたらしました。

織田は後進の育成に努め、数多くの著書を著したほか、昭和39(1964)年の東京大会では陸上総監督を務めました。

織田幹雄の著書

アムステルダム大会は、初めて女性の陸上競技への参加が認められた大会であり、人見絹枝が日本で唯一の女子選手として参加しました。人見は、走り幅跳びを得意としていましたが、アムステルダム大会では実施されなかったため、同じく得意種目の100mに出場しました。ところが、準決勝で敗退してしまい、人見はこれまで走ったことのない800mへの出場を急遽決め、銀メダルを獲得しました。
  • 人見絹枝 著,一成社

    人見は、後進の指導も積極的に行っています。昭和4(1929)年には奈良県美吉野運動競技場で女子選手の合宿を計画・実行しています。本書には、「女子の斯うした合宿練習なんか全く日本で初めてのことであった」とあります。この合宿には15名の選手が参加し、2週間にわたって行われました。

第10回ロサンゼルス大会(1932年)

昭和7(1932)年に開催された第10回ロサンゼルス大会では、日本から131名の選手が参加し、アムステルダム大会の43名と比較すると3倍以上に増えました。また、派遣費についても政府から10万円(現在の約1億5000万円)の補助金が交付されたばかりでなく、オリンピック後援会が結成され、一般からも寄付を募り、20万円を超える額が集まりました。

男子競泳では6種目中5種目で日本選手が優勝するなどして、合計金メダル7個、銀メダル7個、銅メダル4個を獲得しました。本書では、「日本馬術の誉」の章において、騎兵中尉であった西竹一が馬術の大障害で金メダルを獲得したことについて、「日本の馬術はこれまで國際馬術界から馬鹿にされてゐたが、これですつかり面目を一新したことは、特に記録にとどむべきである。」と書かれています。

本ページはダイジェスト版です。ぜひ、オリジナルサイト:https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/15/1.html(国立国会図書館HPへ飛びます)もご覧ください。