白磁
中国で生まれ、アジア各地で展開された白い磁器
「白磁」とは、白い素地に透明の釉をかけ、高温で焼成した白い磁器のこと。中国で6世紀頃に誕生し、アジアの国々で展開された。ここでは、その発祥の地である中国、白磁を御器(ごき)と定めた朝鮮、そしてわが国、日本の白磁を紹介する。
中国の白磁
白磁は、青磁の胎土と釉薬から、鉄分などの不純物を取り除き精製することによって、6世紀頃の中国で始まったものと考えられている。青磁から白磁が作られる過渡期である隋時代(581~618)には、やや緑がかった中間的な色合いの作例がみられる。やがて、唐時代(618~907)には、河北省の邢州窯で白磁生産が本格化し、実用的な白磁が量産されるようになった。宋時代(960~1279)に入ると、邢州窯に代わり、同じく河北省の定窯が台頭。定窯は美しい牙白色の釉色に、片切り彫りや金彩など、さまざまな装飾技法を駆使した上質な白磁を生み出し、北宋時代(960~1127)には、当代を代表する白磁の名窯として名を馳せた。
また、北宋時代初頭(11世紀)には、華南の江西省にある中国最大の窯業地、景徳鎮窯で白磁の生産が始まる。景徳鎮窯の白磁は青みを帯びているのが特徴で、「青白磁」あるいは、「影青(いんちん)」とも呼ばれる。やがて、福建省や広東省などの窯でも白磁の焼成が始まり、朝鮮半島や日本、東南アジアに広く輸出されるようになった。明時代(1368~1644)から清時代(1644~1912)にかけては、福建省の徳化窯が隆盛し、なめらかな質感と象牙のような色合いをもつ独特の白磁を焼造した。
朝鮮の白磁
朝鮮半島で白磁の生産が始まったのは、高麗時代(918~1392)の10世紀半ばとされるが、高麗時代における白磁の生産量はそれほど多くなかった。朝鮮時代(1392~1910)に入ると、朝鮮王朝は白磁を御器と定め、本格的な白磁時代を迎える。15世紀には、京畿道広州郡に官窯が設置され、王家や官庁の器を中心とした白磁が焼造されることとなった。その後、徐々に民衆にも白磁が普及していく。17世紀には、戦乱を受けて白磁の生産が混乱、釉色も灰白色を帯びる。18世紀に社会が安定してくると白磁も白さを取り戻し、1752年には、それまで約10年ごとに窯を移していた官窯を京畿道広州郡分院里に固定し、安定した環境で上質かつ多彩な白磁が生産されるようになった。儒教を統治理念とした朝鮮王朝は倹約を美徳としたため、色絵や青花(染付)を華美とし、たびたび禁止令を出した。これによって、朝鮮白磁は、陽刻やいっちん、透彫、陰刻など、さまざまな装飾技法を用いた独自の展開をみせた。
日本の白磁
日本では、古来、中国や朝鮮の白磁を輸入し、珍重してきた歴史があり、奈良時代の遺跡から唐時代の邢州白磁などが出土している。国産白磁の生産は江戸時代初期(17世紀)、日本最古の磁器である有田(佐賀県)の伊万里焼で始まった。しかしながら、伊万里ではすぐに白磁に絵付けをほどこした染付や色絵の磁器の生産が盛んになり、白磁の食器類は主流にならなかった。日本における白磁は置物や壺など鑑賞用の陶芸と結びつき、長崎県の三川内焼(平戸焼)、兵庫県の出石焼などで緻密な白磁の彫塑品が作られた。また、明治時代以降は、陶芸家たちによって芸術性の高い白磁が生み出されている。
白磁象形香炉
白磁観音立像
白磁蝶牡丹浮文大瓶
白磁葡萄唐草浮文壺
白磁鳳凰置物
白磁大壺
関連する人・もの・こと
参考文献
- 平凡社
- 長谷部楽爾 監修,平凡社
- 赤沼多佳, 伊藤郁太郎, 片山まび 編著,講談社
- 勝見充男 監修,平凡社


