文芸のお菓子箱
万葉びと 果子(かし)を詠む
餡や砂糖、米や小麦を使った菓子が作られるようになる前は、菓子(果子)と言えば果物のことを指しました。
奈良時代の代表的な歌人・大伴家持(おおとものやかもち:718-785)は、この伝承を題材にして「橘の歌一首(万葉集4111番)」を詠み、春夏秋冬を通して葉が落ちない橘に、永遠性や繁栄といったイメージを重ねました。
平安貴族 菓子(かし)をたしなむ
平安時代の文学や随筆には時折菓子らしきものが登場します。
江戸っ子 餅を楽しむ
古くは主に貴族の菓子として食されていた餅は、江戸時代に餅菓子として庶民の間で日常的に親しまれるようになりました。
落語の演目にもなった「幾世餅(いくよもち)」は、元禄(1688-1704)のころに人気があったという江戸名物の餡餅です。
ほかに、江戸の庶民に愛された餅菓子には粟餅(あわもち)があります。糯粟(もちあわ)から作る黄色い餅で、黄な粉をまぶしたり、餡を包んだりして食べられます。
文豪・詩人 和菓子を愛でる
明治以降、活躍した作家たちの作品からはその登場人物が、随筆や手記からは作家たち本人が、和菓子を堪能する様子が伝わってきます。ここでは、餡子にまつわるエピソードを紹介します。
女流歌人・与謝野晶子は、羊羹で知られた老舗和菓子店「駿河屋」の生まれ。生家では家業を手伝い、店先に立ったり、羊羹を切ったりしていたそうです。その頃の思い出を詠んだと思われる歌に「叔母達と小豆を選りしかたはらにしら菊咲きし家のおもひで(『朱葉集』)」があります。
『しるこ』 という短い随筆の中で、「僕等はもう廣小路の「常盤」にあの椀になみなみと盛た「おきな」を味はふことは出來ない」と、関東大震災で贔屓(ひいき)の汁粉屋が無くなってしまったことを惜しんでいます。
本ページはダイジェスト版です。ぜひ、オリジナルサイト:https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/25/3.html(国立国会図書館HPへ飛びます)もご覧ください。