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白鳳文化の彫刻

白鳳文化の彫刻ことについて知りたくなりませんか?そんな様々ある彫刻を解説していきます。

館長からの挨拶

こんにちは、館長です。この博物館は白鳳文化の時にこんなに美しく、意味のある彫刻がたくさんあり、あんな彫刻やこんな彫刻まで!?といった物を一つでも知ってもらいたいと思いました。ごゆっくりご覧ください。

この展示について

来館いただきありがとうございます。僕が中学に入って新日本史図表を見ていたら彫刻のページに目が止まりました。

(昔からこんなすごい彫刻があったのか)と私は思って探究し、博物館にしました。

白鳳文化の彫刻

  • 十一面観音菩薩立像

    北又留四郎氏他2名寄贈,Gift of Mr. Kitamata Tomeshirō and two others,東京国立博物館,Tokyo National Museum

    <p> 十一面観音は、たくさんの顔であらゆる方向を見守り、人々を救いに導いてくれるとされる菩薩です。<br /> まずは、十一面観音を正面から見てみましょう。顔は幼い子どものよう。からだは直立していますが、少しだけ左足を曲げ、わずかに動きを感じさせます。横から見ると、胸を引いておなかを出し、そっくり返るような姿勢です。これらは飛鳥時代の後期、いわゆる白鳳文化期の仏像の特徴です。最後に後ろから見てみましょう。たくさんの顔が頭の上からにょきにょきはえているような様子が印象的です。5つの顔がうしろを向いているのに驚いた方もおられるのではないでしょうか。じつは、多くの十一面観音は、頭のてっぺんに1面、正面と左右に各3面、後ろに1面がぐるりと配されていることが多いのです。また、通常は頭上に11面、本体の顔と合せて12面なのですが、この像は頭上に10面、本体の顔とあわせて11面になっています。こうしたかたちは古い時代の様式とされ、この作品は日本に数ある十一面観音菩薩像のなかでももっとも古い例のひとつと考えられています。</p><br /><p>経典類を埋納する経塚+きょうづか+から出土した金銅仏です。朗+ほが+らかな表情や上体を反らした体勢に飛鳥時代後期の特色がみられます。頭上に同じ表情の面を無造作に配し、本体の顔とあわせて11面とする点などは定型化する以前の姿で、日本の十一面観音のなかでも最も古い遺品の一つです。<br /></p>

    館長からの一言

    この十一面観音像は養老5年(721年)にできたとされており、そのうち1体を祀ったのが始まりとされている。また、天平元年(729年)完成の伝承もある。8世紀の奈良時代から平安、鎌倉時代にかけて多数制作された。 この彫刻は、11面の顔があり、あらゆる方向から人を見守るためだとされており、助け、望みに導いてくれるという菩薩である。。正面で見ると、まだ幼い子供のような顔をされており、わずかに動きを感じさせるような彫刻になっている。

  • 菩薩半跏像

    東京国立博物館,Tokyo National Museum

    <p> 二重瞼の童顔は、いわゆる童子形像に属する。宝冠や着衣に華やかな意匠が施され、台座には山岳文様を表わすなど装飾性豊かな像である。半跏像では、踏み下げた足をのせる蓮華座を設けるのが一般的であるが、この像ではそれを取り付けた痕跡がない。 <br /></p><br /><p>足を組んで右手の指を頬にあてたこのような姿は、半跏思惟(はんかしい)と呼ばれます。もとは古代インド・ガンダーラの菩薩像に起源を持つもので、中国の南北朝時代では、出家前のお釈迦様、すなわち悉達太子(しっだたいし)を意味する姿ともされました。そして我が国では、京都・広隆寺の国宝の弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)に代表されるように、弥勒菩薩の姿として広まったと考えられています。弥勒菩薩は兜率天(とそつてん)という天界で修行を続けていると考えられています。この像の台座に見られる小さな山の文様は、仏が天界にいることを示しているという説もあります。<br />頭が大きく華奢な体つきの子どものような姿の仏像は、飛鳥時代の後期、7世紀後半の白鳳文化期に流行したものです。瞼が二重になっているのも、この時代の特徴です。衣の縁取りには鏨(たがね)という工具を使って小さな丸い文様をあしらうなど、装飾性がとても豊かな作品です。飛鳥時代前期の仏像とは異なり、身体の表現がより自然で、斜め横から見ても奥行きのある造形を見せています。</p>

    館長からの一言

    製作年代は、推古天皇(554~628)から持続天皇(645~702)の時代まで諸説あるが、現在では650年前後と考える説が有力である。ほほ笑む表現に堅さが見られず、飛鳥時代前期の仏像に見られるようなアルカイックスマイル(古典的微笑)から一歩進み、より人間的な表情に近づいているからだ。文(えもん)線も左右対称ではなく、比較的自由に表現されているのもその説を裏付ける。そうした観点から飛鳥時代後期、つまり白鳳時代の造像と考えられる。

    霊木とされる樟を使った寄木造である。部材ごと丁寧に仕上げて組み合わせていくことで繊細な美しさを生み出している。全身黒光りしているため鋼鉄で作られたような印象を受けるが、表面にと石を粉末状にした「との粉」に生漆を混ぜた「錆漆」が塗られ、その上に白土を重ねてから、さらに彩色されていたことが調査で分かっている。

白鳳文化の彫刻

  • 十一面観音菩薩立像

    北又留四郎氏他2名寄贈,Gift of Mr. Kitamata Tomeshirō and two others,東京国立博物館,Tokyo National Museum

    <p> 十一面観音は、たくさんの顔であらゆる方向を見守り、人々を救いに導いてくれるとされる菩薩です。<br /> まずは、十一面観音を正面から見てみましょう。顔は幼い子どものよう。からだは直立していますが、少しだけ左足を曲げ、わずかに動きを感じさせます。横から見ると、胸を引いておなかを出し、そっくり返るような姿勢です。これらは飛鳥時代の後期、いわゆる白鳳文化期の仏像の特徴です。最後に後ろから見てみましょう。たくさんの顔が頭の上からにょきにょきはえているような様子が印象的です。5つの顔がうしろを向いているのに驚いた方もおられるのではないでしょうか。じつは、多くの十一面観音は、頭のてっぺんに1面、正面と左右に各3面、後ろに1面がぐるりと配されていることが多いのです。また、通常は頭上に11面、本体の顔と合せて12面なのですが、この像は頭上に10面、本体の顔とあわせて11面になっています。こうしたかたちは古い時代の様式とされ、この作品は日本に数ある十一面観音菩薩像のなかでももっとも古い例のひとつと考えられています。</p><br /><p>経典類を埋納する経塚+きょうづか+から出土した金銅仏です。朗+ほが+らかな表情や上体を反らした体勢に飛鳥時代後期の特色がみられます。頭上に同じ表情の面を無造作に配し、本体の顔とあわせて11面とする点などは定型化する以前の姿で、日本の十一面観音のなかでも最も古い遺品の一つです。<br /></p>

    館長からの一言

    この十一面観音像は養老5年(721年)にできたとされており、そのうち1体を祀ったのが始まりとされている。また、天平元年(729年)完成の伝承もある。8世紀の奈良時代から平安、鎌倉時代にかけて多数制作された。 この彫刻は、11面の顔があり、あらゆる方向から人を見守るためだとされており、助け、望みに導いてくれるという菩薩である。。正面で見ると、まだ幼い子供のような顔をされており、わずかに動きを感じさせるような彫刻になっている。

  • 菩薩半跏像

    東京国立博物館,Tokyo National Museum

    <p> 二重瞼の童顔は、いわゆる童子形像に属する。宝冠や着衣に華やかな意匠が施され、台座には山岳文様を表わすなど装飾性豊かな像である。半跏像では、踏み下げた足をのせる蓮華座を設けるのが一般的であるが、この像ではそれを取り付けた痕跡がない。 <br /></p><br /><p>足を組んで右手の指を頬にあてたこのような姿は、半跏思惟(はんかしい)と呼ばれます。もとは古代インド・ガンダーラの菩薩像に起源を持つもので、中国の南北朝時代では、出家前のお釈迦様、すなわち悉達太子(しっだたいし)を意味する姿ともされました。そして我が国では、京都・広隆寺の国宝の弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)に代表されるように、弥勒菩薩の姿として広まったと考えられています。弥勒菩薩は兜率天(とそつてん)という天界で修行を続けていると考えられています。この像の台座に見られる小さな山の文様は、仏が天界にいることを示しているという説もあります。<br />頭が大きく華奢な体つきの子どものような姿の仏像は、飛鳥時代の後期、7世紀後半の白鳳文化期に流行したものです。瞼が二重になっているのも、この時代の特徴です。衣の縁取りには鏨(たがね)という工具を使って小さな丸い文様をあしらうなど、装飾性がとても豊かな作品です。飛鳥時代前期の仏像とは異なり、身体の表現がより自然で、斜め横から見ても奥行きのある造形を見せています。</p>

    館長からの一言

    製作年代は、推古天皇(554~628)から持続天皇(645~702)の時代まで諸説あるが、現在では650年前後と考える説が有力である。ほほ笑む表現に堅さが見られず、飛鳥時代前期の仏像に見られるようなアルカイックスマイル(古典的微笑)から一歩進み、より人間的な表情に近づいているからだ。文(えもん)線も左右対称ではなく、比較的自由に表現されているのもその説を裏付ける。そうした観点から飛鳥時代後期、つまり白鳳時代の造像と考えられる。

    霊木とされる樟を使った寄木造である。部材ごと丁寧に仕上げて組み合わせていくことで繊細な美しさを生み出している。全身黒光りしているため鋼鉄で作られたような印象を受けるが、表面にと石を粉末状にした「との粉」に生漆を混ぜた「錆漆」が塗られ、その上に白土を重ねてから、さらに彩色されていたことが調査で分かっている。