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音楽と楽器

音楽についての、昔の楽器やその楽器を使った人、その時代の背景が分かるような展示にしてますので、どうぞ気楽に見て行ってください。

〈館長挨拶〉

 こんにちは。館長です。僕は趣味としてピアノをやっているため、みなさんにも興味を持ってもらえると良いなと思い、音楽関連の物をこのギャラリーにまとめました。楽器やオーケストラ、作曲家の人などを載せていて、音楽に関係のある絵など、幅広く載せていて、楽器を使った人や、その時代の背景も知れるため、音楽をあまり知らない人でも、ちゃんと楽しめるようにしているので、興味を持ってくれるとありがたいです。

                       〈企画展内容〉

   作曲家、楽器、音楽に関係ある絵画など、様々な音楽の歴史を集めました。音楽についてもですが、その楽器を使った人や、その時代にはこんな物がある。という事が分かるような展示にしています。

作曲家、絵画、楽器

  • ベートーヴェン

    A.W.Fr.キスター社,A.W.Fr.Kister GmbH,ライプツィヒ民族学博物館寄贈,Gift of Leipzig Museum of Ethnology,東京国立博物館,Tokyo National Museum

    <p> ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827年)は、ボンで生まれ、ウィーンで活躍しました。苦悩の中から旋律を搾り出していく様が、苛立ちのこもったつま先に表現されています。天才肌のモーツァルトの像と対をなして制作されました。<br /></p>

    ベートーヴェンについては以下のように述べられています。

     『(1770〜1827 ドイツ)

    ベートーヴェンは,ハイドン,モーツァルトと並んで,「ウィーン古典派」を代表する作曲家です。 

    ドイツの都市ボンに生まれたベートーヴェンは,宮廷きゅうていの音楽家であった父のもとで,音楽家となるための教育を受けて育ちました。やがてウィーンへ行き,ピアニスト,作曲家として注目を集めるようになります。

    このころの音楽家はみな,宮廷や教会にやとわれて働いていましたが,彼はウィーンで貴族たちの援助を受けながらも,独立した音楽家として生きる道を選びました。20代の終わりごろからは,耳が聞こえにくくなってしまい,たいへん深く思いなやみます。しかし,ついにはその困難に打ち勝って,交響曲第5番「運命」をはじめとする数々の大作を生み出していきました。

    ベートーヴェンの作品は,交響曲,協奏曲,室内楽曲,ピアノ曲,声楽曲など,あらゆるジャンルにわたっています。そしてその多くが,続く世代の作曲家たちに大きな影響をあたえました。』

     出典:(https://www.kyogei.co.jp/shirabe/sakkyokuka/beethoven.html 参照日 2026.2.15)


    〈館長からの一言〉

     誰もが一回は聞いたことがある人ではないでしょうか。主にオーストリアのウィーンで活躍された作曲家です。『交響曲第5番「運命」』をはじめ、『エリーゼのために』、『ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調「熱情」』、『交響曲第9番 ニ短調「合唱」』など、とても有名な曲を手掛けていきました。ベートーヴェンは生涯を通して32曲のピアノ・ソナタを手掛け、オーケストラに匹敵するダイナミックな音量と、短い動機を精緻に展開する手法(動機労作)を得意とし、古典派の枠を超えた劇的で、革新的な曲を多く生み出しました。

     この像はモーツァルトと対をなして作成され、苦悩の中から旋律を搾り出していく様が、苛立ちのこもったつま先に表現されています。

  • ブランコに乗るクリシュナとラーダー(ヒンドル・ラーガ)

    東京国立博物館,Tokyo National Museum

    <p>ヒンドル・ラーガという、雨季の到来を喜ぶ音楽を絵画化したものです。ヒンドラはブランコのことで、画面下方には、青い肌のクリシュナとその妻ラーダーが乗り、周りの女はブランコを漕【こ】ぎ、また音楽を奏でています。遠景の空には雨と結びつく雲が描かれています。</p><br /><p> インドでは、インド神話や、シヴァ神、ヴィシュヌ神などのヒンドゥー教の神々、王の肖像や歴史的なエピソード、男女の恋愛などさまざまなテーマを緻密なタッチと鮮やかな色彩で描いた、細密画とよばれる絵画のジャンルが発達しました。多民族国家であるインドでは、細密画の表現も地域によってさまざまで、それがまた魅力であるともいえます。<br /> インド独自に展開した細密画の表現の一つに、ラーガマーラがあります。ラーガとは、インド北西部における伝統音楽の旋律(せんりつ)のことです。この旋律に、男女の物語をうたった詩を掛け合わせた音楽を絵画化したものが、ラーガマーラです。ラーガマーラには、男性の旋律であるラーガ、女性の旋律であるラーギニー、その子の旋律であるラーガプートラやラーガプートリーがあります。この絵は男性の旋律を絵画化したものです。<br /> ヒンドルとはブランコのことです。青い肌の男性はヒンドゥー教の神クリシュナで、ヒンドゥー教の神々の中で、最も信仰を集めました。その隣の女性はクリシュナの妻ラーダーです。二人は仲睦まじくブランコに乗っています。周りにいる女性たちは二人のためにブランコを揺らしたり、さまざまな楽器を演奏したりしています。遠景(えんけい)の空には雨雲を描いています。<br /> ヒンドル・ラーガは本来、雨季が到来(とうらい)した喜びを音楽の旋律として表現したものなのですが、それが細密画の世界では男女の物語と組み合わせる形で表現されているのです。</p>

    この絵画については以下の様に述べられています。

     『ヒンドル・ラーガという、雨季の到来を喜ぶ音楽を絵画化したものです。ヒンドラはブランコのことで、画面下方には、青い肌のクリシュナとその妻ラーダーが乗り、周りの女はブランコを【こ】ぎ、また音楽を奏でています。遠景の空には雨と結びつく雲が描かれています。』

     (出典:文化庁「文化遺産オンライン」)

    〈館長からの一言〉

     この絵は、18世紀末から19世紀初頭のインドの北デカンで制作された細密画で、青い肌の神クリシュナとその恋人のラーダーが一緒にブランコに乗り、雨季の到来を祝うヒンドル・ラーガを描いたもので、周囲の女性が揺らすブランコで、二人の仲の良い姿を鮮やかな色彩により表現した美術品です。


  • 新三十六歌仙図帖

    狩野探幽(1602~74)筆,By Kanō Tan'yū (1602–74),東京国立博物館,Tokyo National Museum

    <p> これは、「歌仙絵(かせんえ)」と言われるジャンルの絵です。和歌の名人として知られる歌人(歌仙)の姿を描き、その歌を書き添えたものです。この「新三十六歌仙図帖」は、後鳥羽天皇(ごとばてんのう)が選んだとされる鎌倉時代の名歌人36人を左十八歌仙、右十八歌仙にわけ、左帖(さじょう)と右帖(うじょう)と呼ばれる2冊の冊子で紹介しています。見開き2面ごとに歌人の姿と、その人物が詠んだ歌が配置されています。右帖では、人物は見開きの左面、和歌は右面にありますが、左帖ではその逆の配置です。右帖と左帖を並べて同時にページをめくれば、和歌をはさんで左右の歌仙が向かい合い、歌を競い合う、まるで紅白歌合戦のような架空の対決が実現したのかもしれません。<br /> この図帖は、左大臣の鷹司房輔(たかつかさふさすけ)が、五代将軍徳川綱吉に嫁ぐ娘に贈ったものです。作者の狩野探幽(かのうたんゆう)は、江戸時代初期に活躍した幕府最初の御用絵師。衣の模様や髪、顔の表情など、緻密な配色で繊細かつ優美に表現されています。また、それぞれの和歌を書いたのは当時の名だたる公家たちと、たいへん豪華な図帖です。将軍家の婚礼に関わるという制作事情を考えれば、納得のいく力作です。</p>

    歌仙絵については以下のように述べられています。

     『歌仙絵とは和歌に秀でた歌人の画像で、普通歌人の肖像にその歌の一首を、ときに略伝を添えたものを指します。鎌倉時代から江戸時代に非常に流行し、藤原公任 (966-1041) 撰の「三十六人撰」所収歌人を称した「三十六歌仙」をはじまりとする種々の歌仙絵が制作されました。歌仙絵は和歌文学、日本美術、また、装束や色彩といった日本文化全般にわたる古典文化研究を深める上で、貴重な資料のひとつといえます。

    本画帖の「新三十六歌仙」は後鳥羽院 (1180-1239) が撰んだといわれる歌仙を描き、表に絵色紙、裏に詞色紙を貼付しています。「新三十六歌仙」は「三十六歌仙」との対比の上で重要な作品であり、また後鳥羽院の問題、鎌倉歌人の後代の受容など、多くの研究課題を有した作品です。

    作者の狩野洞雲は本名益信、 11 歳で狩野探幽の養子となるが、探幽に実子が誕生したため離別し、駿河台狩野家を興します。徳川家光に寵遇され、功績を積んだものに贈られる位階の一つである法眼(ホウゲン)に叙せられました。』

     出典:(https://www.library.ferris.ac.jp/digital-collection/collection01/ 参照日 2026.2.15 )


    〈館長からの一言〉

     新三十六歌仙図帖は、江戸時代初期の幕府御前絵師・狩野探幽が1664年に描いた、鎌倉時代の名歌人36人の肖像と歌を記した歌仙絵で、後鳥羽院が選んだ歌人を右と左に18人ずつに分け、見開きで向かうように描かれていて、婚礼用として作られた緻密で雅な作品です。

  • 七弦琴

    東京国立博物館,Tokyo National Museum

    <p>唐時代の中国で製作され、奈良時代にわが国に伝えられた楽器、七弦の琴(きん)です。桐の木で作られた本体に黒い漆を塗って仕上げられています。一般的な日本の筝(こと)は13本の弦にそれぞれ琴柱(ことじ)を立て、1本の弦で1つの音を出します。この琴は弦を指で押えて、1本の弦で高低さまざまな音を出します。琴の上面には、丸く切った貝を一列に13個はめ込み、弦を押える場所を示しています。また、弦を通すための帯状の突起も設けられています。裏には縦長の響き孔が2つ開けられています。<br />なお、胴の内部には、中国・唐時代、玄宗皇帝が在位していた開元12年(724)に、四川省成都市に近い九隴県(きゅうろうけん)という場所で作られたことが墨で書かれています。製作された年と場所が明らかな琴としては世界最古の作例であり、東アジアの音楽史上においても極めて貴重な作品です。</p><br /><p>胴の内部にある墨書から、中国・唐の開元 12 年(724)に琴材の産地として知られた四川省彭州(ほうしゅう)で作られたことがわかる七弦琴の名品です。キリ材製で全体に黒い漆を塗り、表面に弦の押さえどころを示す 13 個の徽(き)を螺鈿(らでん)で表しています。漆塗膜の表面には、細い線状の牛毛断(ぎゅうもうだん)や渦巻状の梅花断(ばいかだん)などの断文(だんもん。細かい亀裂)が多く見られます。こうした断文は、その品が経てきた長い年月を象徴するものとして、古くから賞玩の対象とされました。</p>

    七弦琴については以下のように述べられています。

     『主に独奏楽器として、演奏技法や複雑な表現が尊重されています。改造の激しい中国の楽器の中では珍しく原型が保たれ、2003年、ユネスコの世界無形遺産に指定されました。日本には奈良時代に伝来し、現在も一部で演奏されています。中国ではグーチン(古琴)とも呼びます。木製の胴に黒い漆(うるし)を塗り、13個の徽(き)(勘所(かんどころ))が付いています。左手で徽を押さえ、右手の指で弦を弾きます。』

     出典:(独立行政法人日本芸術文化振興会.”七弦琴“.文化デジタルライブラリー.www2.ntj.jac.go.jp,(参照日 2026,02,15)


    〈館長からの一言〉

     これは、唐の時代に中国で作られた物で、制作された年と場所が明らかな琴としては、世界最古の作例で奈良時代に日本に伝えてられ七弦琴という楽器で、一つの弦で高低様々な音色を奏でることができ、724年に四川省彭州で作られたことが分かっている七弦琴の名品です。3000年以上の歴史を持ち、古琴という別名もあります。


  • 金銅製雛形五弦琴

    わが国固有の弦楽器である倭琴のミニチュア品。祭祀において楽を奏するものを雛形化して幣帛としたものであろう。金銅製で、琴尾部の弦を掛ける突起が欠失しているが、琴頭部に5つの小孔が開いており、5つの琴柱も遺存していることから、本来、5本の弦が張られていたことがわかる。1枚の金銅板を折り曲げて上板と側板を1体で作り、金銅底板と金銅鋲で留めた「甲作り(断面がП形の共鳴槽を持つ)」の琴である。本品は、琴頭を鵄の尾のように台形状に作り出しており、『延喜式』に伊勢内宮神宝として記載されている鵄尾琴の前身にあたるものといわれる。現存する伊勢内宮神宝、鵄尾御琴とも形状が類似しており、律令祭祀の発現と継承を考える上で重要なものとなっている。

    金銅五弦琴については以下のように述べられています。

     『この弦楽器は、倭琴として知られる日本固有の琴のミニチュア版です。この琴の最大の特徴は、琴の頭の形が、広がった「鵄の尾」であることです。これは、同様に神宝館で展示されている金銅製高機と同じ沖ノ島の祭場で発見されました。このミニチュア琴の弦は実際に音を出すことが出来ます。同様の琴は、皇室の祖先を祀る主要な神社である伊勢神宮の神宝の一つでもあります。このことから、沖ノ島での儀式が「律令国家」として知られる 8 世紀の改革された中央集権制の下で後に行われた儀式を先行していたことを示唆しています。』

     出典:(https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/common/001553792.pdf 参照日 2026.2.15)


    〈館長からの一言〉

     これは、沖の鳥島の祭祀遺跡から出土した国宝で、日本固有の弦楽器である倭琴のアマチュア版で、長さ三十センチ程と、実物の約半分程で、金メッキを施した銅で出来ていて、特徴は、琴の頭の形が広がった鵄の尾の形をしている事で、これは、伊勢神宮の神宝にも同様の形状の琴が見られることから、律令国家時代の祭祀との関連が示唆されています。



  • 薄鈴虫蒔絵笙 銘 鈴虫

    東京国立博物館,Tokyo National Museum

    <p>この笙@しょう@は鈴虫@すずむし@という銘をもちます。笙は、木製の匏@ほう@というものの上部に十七本の竹管を立て、その下部に金属製の簧@こう@(リード)を付けて、匏の側面の吹口で息を吸ったり吐いたりして音を奏でる楽器です。本器は古いものとされていますが、補修が施されており、匏部は黒漆塗りにして薄と鈴虫を蒔絵で表わしています。</p>

    笙については以下のように述べられています。

     『笙は、日本の伝統文化である雅楽のうち、「唐楽」(とうがく:中国から日本に伝来した唐代の音楽)、「催馬楽」(さいばら:平安時代の歌謡)、「朗詠」(ろうえい:日本における歌曲の形式で、詩吟に類似する)に用いられる管楽器のひとつです。

    「簧」(した)や「リード」と呼ばれる薄片(はくへん:薄い弁のこと)が空気の流れによって自由に振動する自由リード楽器。なかでも、最も古いと言われているのが「笙」(しょう)です。笙は、「匏」(ほう)や「かしら」と呼ばれるお椀状の部位に15~17本の長さが異なる「竹管」(たけかん)を環状に立てて並べた形。翼をたたんで休んでいる鳳凰(ほうおう)の姿にも似ているため、「鳳笙」(ほうしょう)と呼ばれることもあります。』

     (出典:日本の歴史を動かした「有名な力」の謎を解く!」.刀剣ワールド、www.touken-worla.jp.2025年2月15日閲覧.)


    〈館長からの一言〉

     笙は、主に日本の雅楽で用いられる管楽器(笛)の一種で、17本の竹管を環状に立てて並べた構造で、鳳凰が羽根を休めている姿に似ているとされることから、鳳笙と呼ばれる事もあり、その音色は「天の声」と評され、さらに和音(合竹)を奏でる事で、音楽に独特の広がりと荘厳な雰囲気をもたらすことができる、古くから伝わる伝統的な邦楽器です。

  • 梅樹据文三味線

    石村直作,By Ishimura Tadashi,東京国立博物館,Tokyo National Museum

    三味線は本来、中国より伝来した楽器であるといわれています。

    室町時代に中国の「三絃」が琉球へ渡来し「三線」となり、それを日本の楽器として改良、発展させたものが「三味線」です。日本に正式に伝わったのは16世紀ごろと言われています。

    「三線」は日本の音楽に合わせた自由な改良がおこなわれ、約半世紀ほどで、旋律楽器でもあり打楽器的要素ももつ、日本固有の弦楽器「三味線」が生まれました。

    楽器を改良し三味線を創造したのは琵琶法師たちとも、「三味線組歌」を創始した盲目音楽家であるとも伝えられています。

     出典(https://www.okoto.jp/information/shamisen_history/ 参照日:2月15)

    〈館長からの一言〉

     三味線(しゃみせん)は、16世紀頃に琉球の三線が日本へ伝わり改良された、3本の弦を持つ日本の代表的な伝統的な撥弦楽器で、イチョウの葉のような形をした物で弦をで弾いて演奏します。

      

以上の事を、まとめました!(内容は変わりません)ぜひ、参考にして下さい!!!

ベートーヴェン

<p> ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827年)は、ボンで生まれ、ウィーンで活躍しました。苦悩の中から旋律を搾り出していく様が、苛立ちのこもったつま先に表現されています。天才肌のモーツァルトの像と対をなして制作されました。<br /></p>

ブランコに乗るクリシュナとラーダー(ヒンドル・ラーガ)

<p>ヒンドル・ラーガという、雨季の到来を喜ぶ音楽を絵画化したものです。ヒンドラはブランコのことで、画面下方には、青い肌のクリシュナとその妻ラーダーが乗り、周りの女はブランコを漕【こ】ぎ、また音楽を奏でています。遠景の空には雨と結びつく雲が描かれています。</p><br /><p> インドでは、インド神話や、シヴァ神、ヴィシュヌ神などのヒンドゥー教の神々、王の肖像や歴史的なエピソード、男女の恋愛などさまざまなテーマを緻密なタッチと鮮やかな色彩で描いた、細密画とよばれる絵画のジャンルが発達しました。多民族国家であるインドでは、細密画の表現も地域によってさまざまで、それがまた魅力であるともいえます。<br /> インド独自に展開した細密画の表現の一つに、ラーガマーラがあります。ラーガとは、インド北西部における伝統音楽の旋律(せんりつ)のことです。この旋律に、男女の物語をうたった詩を掛け合わせた音楽を絵画化したものが、ラーガマーラです。ラーガマーラには、男性の旋律であるラーガ、女性の旋律であるラーギニー、その子の旋律であるラーガプートラやラーガプートリーがあります。この絵は男性の旋律を絵画化したものです。<br /> ヒンドルとはブランコのことです。青い肌の男性はヒンドゥー教の神クリシュナで、ヒンドゥー教の神々の中で、最も信仰を集めました。その隣の女性はクリシュナの妻ラーダーです。二人は仲睦まじくブランコに乗っています。周りにいる女性たちは二人のためにブランコを揺らしたり、さまざまな楽器を演奏したりしています。遠景(えんけい)の空には雨雲を描いています。<br /> ヒンドル・ラーガは本来、雨季が到来(とうらい)した喜びを音楽の旋律として表現したものなのですが、それが細密画の世界では男女の物語と組み合わせる形で表現されているのです。</p>

新三十六歌仙図帖

<p> これは、「歌仙絵(かせんえ)」と言われるジャンルの絵です。和歌の名人として知られる歌人(歌仙)の姿を描き、その歌を書き添えたものです。この「新三十六歌仙図帖」は、後鳥羽天皇(ごとばてんのう)が選んだとされる鎌倉時代の名歌人36人を左十八歌仙、右十八歌仙にわけ、左帖(さじょう)と右帖(うじょう)と呼ばれる2冊の冊子で紹介しています。見開き2面ごとに歌人の姿と、その人物が詠んだ歌が配置されています。右帖では、人物は見開きの左面、和歌は右面にありますが、左帖ではその逆の配置です。右帖と左帖を並べて同時にページをめくれば、和歌をはさんで左右の歌仙が向かい合い、歌を競い合う、まるで紅白歌合戦のような架空の対決が実現したのかもしれません。<br /> この図帖は、左大臣の鷹司房輔(たかつかさふさすけ)が、五代将軍徳川綱吉に嫁ぐ娘に贈ったものです。作者の狩野探幽(かのうたんゆう)は、江戸時代初期に活躍した幕府最初の御用絵師。衣の模様や髪、顔の表情など、緻密な配色で繊細かつ優美に表現されています。また、それぞれの和歌を書いたのは当時の名だたる公家たちと、たいへん豪華な図帖です。将軍家の婚礼に関わるという制作事情を考えれば、納得のいく力作です。</p>

七弦琴

<p>唐時代の中国で製作され、奈良時代にわが国に伝えられた楽器、七弦の琴(きん)です。桐の木で作られた本体に黒い漆を塗って仕上げられています。一般的な日本の筝(こと)は13本の弦にそれぞれ琴柱(ことじ)を立て、1本の弦で1つの音を出します。この琴は弦を指で押えて、1本の弦で高低さまざまな音を出します。琴の上面には、丸く切った貝を一列に13個はめ込み、弦を押える場所を示しています。また、弦を通すための帯状の突起も設けられています。裏には縦長の響き孔が2つ開けられています。<br />なお、胴の内部には、中国・唐時代、玄宗皇帝が在位していた開元12年(724)に、四川省成都市に近い九隴県(きゅうろうけん)という場所で作られたことが墨で書かれています。製作された年と場所が明らかな琴としては世界最古の作例であり、東アジアの音楽史上においても極めて貴重な作品です。</p><br /><p>胴の内部にある墨書から、中国・唐の開元 12 年(724)に琴材の産地として知られた四川省彭州(ほうしゅう)で作られたことがわかる七弦琴の名品です。キリ材製で全体に黒い漆を塗り、表面に弦の押さえどころを示す 13 個の徽(き)を螺鈿(らでん)で表しています。漆塗膜の表面には、細い線状の牛毛断(ぎゅうもうだん)や渦巻状の梅花断(ばいかだん)などの断文(だんもん。細かい亀裂)が多く見られます。こうした断文は、その品が経てきた長い年月を象徴するものとして、古くから賞玩の対象とされました。</p>

金銅製雛形五弦琴

わが国固有の弦楽器である倭琴のミニチュア品。祭祀において楽を奏するものを雛形化して幣帛としたものであろう。金銅製で、琴尾部の弦を掛ける突起が欠失しているが、琴頭部に5つの小孔が開いており、5つの琴柱も遺存していることから、本来、5本の弦が張られていたことがわかる。1枚の金銅板を折り曲げて上板と側板を1体で作り、金銅底板と金銅鋲で留めた「甲作り(断面がП形の共鳴槽を持つ)」の琴である。本品は、琴頭を鵄の尾のように台形状に作り出しており、『延喜式』に伊勢内宮神宝として記載されている鵄尾琴の前身にあたるものといわれる。現存する伊勢内宮神宝、鵄尾御琴とも形状が類似しており、律令祭祀の発現と継承を考える上で重要なものとなっている。

梅樹据文三味線

薄鈴虫蒔絵笙 銘 鈴虫

<p>この笙@しょう@は鈴虫@すずむし@という銘をもちます。笙は、木製の匏@ほう@というものの上部に十七本の竹管を立て、その下部に金属製の簧@こう@(リード)を付けて、匏の側面の吹口で息を吸ったり吐いたりして音を奏でる楽器です。本器は古いものとされていますが、補修が施されており、匏部は黒漆塗りにして薄と鈴虫を蒔絵で表わしています。</p>

以上の事を音楽の歴史として、年表式にまとめました。

紀元前2000から700年

七弦琴
金銅製雛形五弦琴
笙
七弦琴
紀元前2000年には七弦琴が存在していたとされています。

1500年から1900年

ベートーヴェン
ランドル・ラーガ
新三十六歌仙図帖
ベートーヴェン

1770年から1827年まで生きていました。11歳で作曲をし始めて、55歳(亡くなる約5ヶ月前)で作曲を終了しました。

〈展示を見終わった人へのメッセージ〉

 館長です。どうも、最後まで観てくれて、ありがとうございました!!

 気に入った展示品はありましたか?見つからなくても全然大丈夫です!これを機に、少しでも音楽に興味を持ってくれると嬉しいです!!!


以上のことは、文化遺産オンラインというページに多く載っています!

 そこには多くの文化遺産が載っているため、興味があれば是非観てみると良いと思います!!!

リンク載せておきます! ⤵︎

https://bunka.nii.ac.jp/

3月17日に辻井伸行×三浦文彰 究極の協奏曲コンサートというものをやっています!!!是非観て下さい!!!

                  チケットはここから ⤵︎

https://l-tike.com/classic/mevent/?mid=614164