天児 / 東京国立博物館
おひなさまの誕生
おひなさまに繋がる人形の歴史は、人の形をした木などの薄板に穢れを移し、水に流す古代の神事に遡ります。また宮中においては、幼児の守りとして簡素な姿の天児(あまがつ)や這子(ほうこ)が平安時代から伝えられています。
一方、平安貴族の間では「ひいな遊び」という小さな人形や調度を用いたままごとが行われていました。「ひいな遊び」は鎌倉・室町の文献にも見られます。
【枕草子にも描かれたひいな遊び】
「枕草子」の中で、清少納言は、「過ぎにし方恋しきもの」(過ぎ去った昔が恋しいもの)のひとつに「ひいなあそび」を挙げています。(画像5行目)。
祈りを託し、時に一緒に遊ぶという人形のあり方は江戸時代に引き継がれ、女の子の幸せを願って桃の節句に雛人形を飾る風習が定着します。江戸時代初期の雛人形は紙製の立雛(たちびな)であったと考えられ、いまだ手遊(てあそ)びの要素が強いものでした。
【人形に祈りを託す】
「天児」は幼児を厄災から守る形代として、平安時代から宮中に伝えられ、江戸時代には上級の武家にも広がりました。身体は絹を巻いた木の丸棒を丁字形に組んだもので、頭部に寄せた皺には長寿への願いが込められています。「這子」は長方形に切った絹を四方から縫い閉じ、なかに絹綿を詰めて身体としています。その素朴な姿は幼児をかたどり、古くはうつ伏せ置かれたため這子と呼ばれます。
江戸時代初期には「立雛」がつくられるようになります。この「古式立雛」は立雛の中でも古く貴重な作品。まん丸の顔にちょんと付けられた団子鼻、さっと引かれた目許が愛らしい表情を作っています。
【座雛の登場】
17世紀の前半には宮中の特別な誂(あつら)えとして絹の衣裳を着た座雛(すわりびな)が登場しました。現在見られるような衣裳を着た座雛は、この時代に祖型を求めることができます。
