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『松本城』

目次

1 館長からの挨拶

2 この展示の趣旨

3 年表

4 展示品

5 終わりに

6 関連展示

館長からの挨拶

 これより松本城の展示を開始させて頂きます。松本城や歴史に興味のある人は最後まで読んで見てください。興味のない人も最後まで読んで見てください。

この展示の趣旨

 松本城にフォーカスを当ててまとめたものです。楽しんで頂けると幸いです。まずは年表へどうぞ。

松本城の歴史 前編

深志城築城
武田の領地になる
織田家の領地になる
深志城築城
松本城の近くにあった、深志城が松本城の前身であると言われています。

松本城の歴史 後編

織田信長が討たれる
豊臣秀吉が石川数正の所領安堵を命じた
織田信長が討たれる
これは言うまでもなく本能寺の変です。

松本城の位置

展示品

  • 松本城

    長野県松本市にある、現存する最古の天守遺構を持つ城。天守は国宝に指定されている。

    〈館長からの一言!〉

     この城は現存する最古の天守遺構を持つ城で、長野県丸の内4-1に所在している城である。さらにこの城は国宝に指定されている。白と黒のコントラストが美しい城である。

     5重6階の天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓が連結された「複合連結式天守」がある。

    〔アクセス〕

    電車

     JR篠ノ井線「松本駅」下車 徒歩約20分

    バス

     松本周遊バス「タウンスニーカー」北コース

    「松本駅お城口」発→「松本城・市役所前」下車 徒歩約10分

  • 松本城

    松本城は、大天守を中心に5棟の建物からなる黒と白のコントラストが美しい城です。 五層六階の大天守は、現存する天守のなかでは日本最古のものです。天守群のうち大天守・乾小天守・渡櫓は、戦国時代末期の16世紀末に、辰巳附櫓・月見櫓は、世の中が平和になった17世紀前半にたてられました。大天守は、戦いにそなえた強固なつくりで、城内には、攻めこむ敵兵に鉄砲や矢をはなつ「狭間」や、石垣を登る敵兵に真上から石を落とす「石落」などが、いたるところにもうけられています。 いっぽう、月見櫓は、その名前のとおり月を鑑賞するための施設で、江戸幕府の3代将軍徳川家光をもてなすためにつくられました。戦いのための天守に、娯楽施設である月見櫓がむすばれているのは、松本城だけです。 明治時代になると、松本城はその役割を終え、櫓や城門などがつぎつぎとりこわされました。天守も売却されてしまいますが、地元の人たちの熱心な保存活動によって残され、5つの建物すべてが国宝に指定されました。現在も松本の町のシンボルになっています。

    〈館長からの一言!〉

     この城は戦いに備えて改築された城のため鉄砲を放つための鉄砲狭間、矢を放つための矢狭間がある。鉄砲狭間は円形、三角形、正方形なのに対し、矢狭間は弓を引くために縦長の長方形になっている。他にも石や熱湯を落とすための「石落とし」などがあります。

  • 城絵図

    江戸幕府が諸大名に作成・提出を命じた城と城下町の絵図

    〈館長からの一言!〉

     これは江戸幕府が大名たちに城郭の堀の深さや曲輪配置、付近の地形など軍事機密を精密に表したものです。つまり江戸幕府に逆らっても軍事機密が全て知られている以上守りにくく謀反などを企めないようにしたものだと考えられます。

  • 松本六万石史料 上巻

    飯沼 源次郎/編,イイヌマ ゲンジロウ,飯沼源次郎

    飯沼源次郎編纂の『松本六万石史料』は、辻新次の序によると、単に松本だけでなく、信濃全国の変遷を網羅し、ことに封建時代の制度・慣例・租税・賦役などに編者は力を注いでいる、という。全編は上中下3巻で、上は松本領制条、松本城沿革、中は松本領組鑑など、下は領内公事などである。この冊子は上巻だけである。上巻第一編は松本領の享保の「旧条目」と寛政の「新条目」を示す。第二編は松本城の沿革を説いている。松本城築設の祖は島立右近大夫貞永で、永正元1504年城を築き、以前居た小島深志城の名をとって深志城と呼んだ。天正10年1582、小笠原貞慶が深志城に入って後は松本城と呼ぶ。この城地は北高く南は低く長く東南西に流れがあり、天長地久の形象安全繁栄の位相で国府の城地に最も適当と編者はいう。石川数正が入城(1590)以後天守などの建造が行なわれた。

    〈館長からの一言!〉

     これは上中下巻の3巻セットの本である。名に松本とあるが松本だけでなく信濃の制度などが特に記されている。

  • 信陽城主得替記(写)

    不明,,不明

    著述年月、著者不明、毛筆で信州各城主が城地を得、城地を替えられたことを書き綴っている。天文(1532~1555)年中まで信州は小笠原・村上・木曾・諏訪の4大将が支配していたことから始め、天正10年(1582)7月17日、小笠原貞慶が深志城に入り松本城と号したこと、以下石川数正・康長二代、小笠原秀政・忠真二代、松平康長・康直・直政の三代、堀田正盛、寛永19年(1642)水野隼人正忠直が三州吉田から得替、三代後の水野忠恒が享保10年(1725)7月28日、月並みの御礼の為江戸城へ登った折乱気にて毛利主水を後ろから切り付け、御城騒動し、隼人は御預け、城主は松平(戸田)光慈が鳥羽から得替となった。松本城の他には、木曽福島の山村氏・千村氏のこと、天文22年(1553)武田晴信が山本勘介に命じ海津城を築き慶長5年(1600)森忠政入城、8年松平忠輝に。諏訪高島城、上伊那高遠城、飯田長姫城の得替も述べられるが、寛永を寛文に間違えるなど目につく。

    〈館長からの一言!〉

     1532年から1600年ごろにの松本城の城主についてまとめられた本である。しかし作者不明で、書かれた年代も不明なうえ、寛永を寛文と間違えるなど目につく。

〈終わりに〉

 この松本城の展示はいかがだったでしょうか。松本城に興味の持った方はもっと詳しく松本城について調べてみてください。松本城に興味を持たなかった方は他の城を調べてみてください。これにて松本城の展示を終了させて頂きます。ありがとうございました。

〈関連イベント〉

2025年12月から2026年2月の間松本城でイルミネーションがあります。