源平合戦について
源平合戦の流れについて詳しくまとめたはくぶつかんです。
館長の挨拶:ようこそ源平合戦博物館へ。本館では平安時代末期に起こった源氏と平氏の戦い、いわゆる源平合戦について紹介しています。武士の時代となるきっかけになったこの戦いは日本の歴史を大きく動かしました。この博物館は源平合戦の中でも石橋山の戦いから壇ノ浦の戦いまでを詳しくまとめた博物館です。どうぞごゆっくりご覧ください。
この展示について:僕は受験勉強の時、歴史はただ暗記するだけで深く知ろうとはしませんでした。今回はジャパンサーチをいかして源平合戦について詳しく知ろうと思います。源平合戦とは源氏と平氏という平安時代末期の戦いです。僕は石橋山の戦いから壇ノ浦の戦いのことを紹介します。
戦場となった場所
源平合戦の流れ
石橋山の戦い
- 豆州石橋山鳶之涯ニ源頼朝主従臥木之中ニ隠ル図 歌川国芳筆
栃木県立博物館
平治の乱(1159年)の敗北により伊豆国(静岡県)に流されていた源頼朝は、治承4年(1180)8月、相模国石橋山(神奈川県小田原市)で挙兵に及び、平氏方の大庭景親と戦いましたが、多勢であった平氏軍に敗北しました(石橋山の戦い)。逃亡する頼朝は平氏方であった梶原景時に救われ、海路で安房国(千葉県)へ逃れて再起を図りました。 本資料は、いわゆる源平合戦の最初の戦いである石橋山の戦いを描いた錦絵です。右側に臥木に隠れる頼朝と頼朝を助ける景時が描かれているのがわかります。本資料の作者の歌川国芳は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて活動した浮世絵師です。
館長からの一言:この絵は源平合戦の最初の戦いである石橋山の戦いを歌川国芳が描いたものです。右側に木に隠れる頼朝と頼朝を助けるたくさんの兵士が描かれています。
石橋山の戦いは1180年に起こり源頼朝が初めて兵を挙げた戦いです。当時、朝廷内で大きな権力を握っていたのは平氏の平清盛でした。これに反発した皇族の以仁王が平氏討伐の命令を出したことが全国の源氏が兵を送ったきっかけになりました。しかし、頼朝のもとに集まった兵は少数であり、石橋山において平氏方の大庭景親らが率いる大軍と戦うことになりました。激しい雨の中で夜の中戦い、兵力に大きな差があったため、頼朝軍は敗北しました。頼朝は家臣に守られながら山から逃げました。
富士川の戦い
- 「東海道五十三対」 「吉原」「富士川水鳥」
国芳,-,(三引)伊場仙板 伊場屋 仙三郎
館長からの一言:この絵は平氏が頼朝を倒すために兵をだし、平氏と源氏は駿河国の富士川付近で戦うことになり、夜間、水鳥の羽音に驚いた平氏軍が敵の攻撃だとと勘違いして兵士が西へ逃げた様子を描いている。
富士川の戦いは、1180年に現在の静岡県で起こった、源平合戦初期の戦いである。富士川の戦いは、平安時代末期に始まった戦いで源氏が東国で勢力を拡大させる大きなきっかけとなりました。当時、平氏の兵を率いていたのは平清盛だったが、1180年に皇族の以仁王が平氏を倒すの命令を出したことをきっかけに、源氏は兵を出した。そして平氏と源氏は駿河国の富士川付近で戦うことになり、夜間、水鳥の羽音に驚いた平氏軍が敵の攻撃だとと勘違いして平氏の兵が西へ逃げました。この戦いの結果、頼朝は勝利し、東国で勢力を拡大しました。
宇治川の戦い
- 宇治川先陣
歌川国芳,Utagawa Kuniyoshi
『平家物語』に登場する「宇治川の戦い」の一場面。平安時代末期の寿永3年(1184)1月、木曽義仲と源頼朝が派遣した源範頼・源義経との間で行われた合戦の様子が描かれる。雪解け水で増水して激流が渦巻く宇治川を前に、先陣争いをする2騎の武者、佐々木四郎高綱(ささきしろうたかつな)と梶原源太景季(かじわらげんたかげすえ)。頼朝より賜った名馬「生唼(池月)いけづき」を駆る高綱は何としても先陣を切りたい。そこで先を行く景季に馬の腹帯が緩んでいると声をかける。慌てて帯を締め直す景季。その横を追い越し、川に飛び込む高綱。当代一の名馬「生唼(池月)」(いけづき)は、宇治川の速い流れを、力強く一文字に対岸へと渡りきる。磨墨(するすみ)に乗った景季は、流れに押し流されて遥か下流の岸へ。見事先陣を切った高綱は、大声で名乗りをあげながら敵陣に突撃したのである。画面中央、連銭葦毛(れんぜんあしげ)の馬にまたがる勇壮な武者姿の人物が佐々木四郎高綱。波しぶきを上げながら勢いよく岸に駆け上がっている。その右側後方には、黒馬とともに必死に川を渡る梶原源太景季の姿がある。
館長からの一言:この絵は中央に馬にのっているが佐々木四郎高綱が描かれていて波しぶきを上げながら勢いよく岸に駆け上がっています。その右後には、黒馬とともに川を渡る梶原源太景季の姿があります。
宇治川の戦いは平安時代末期の1180年に起こった戦いで源平合戦中期の戦いです。平氏に対抗していた以仁王は、源氏に平氏を倒すよう命令を出しました。これを受けて源頼政が兵を出すが、平氏の兵が攻めてきたため、京都南方の宇治で戦いました。源氏は宇治川にかかる橋板を外して戦ったが、平氏軍は川を突破し、源氏は敗北し、頼政は平等院で自害し、以仁王もその後討たれました。
一ノ谷の戦い
- 「新板餝立一の谷の図」
芳藤, 樋口 銀太郎
『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』は、一ノ谷での源平合戦を題材とした作品で、源氏の武将熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)と、平家の公達(きんだち)平敦盛(たいらのあつもり)の戦いを描いた須磨の浦「組討」の場面を描いている。平家の御座船(ござぶね)を目指して波間に馬乗り入れる敦盛を、波打ち際から騎乗の熊谷が扇を掲げて呼び止め、勝負を挑む瞬間である。敦盛、熊谷とも鎧に母衣(ほろ)を背負う騎馬武者姿で、傍らの木陰には、様子を窺う源氏方の平山武者所(ひらやまのむしゃどころ)の姿も見える。また実際の歌舞伎の舞台上には登場しないが、大海原に浮かぶ豪華な御座船とその周りに展開する大船団まで描き込まれていて、迫力ある画面構成となっている。組上燈籠絵として人気のある作品だったらしく、出版年を削って再版されたものと思われる。(組上完成形40cm(幅)×30㎝(奥行)×20cm(高さ))
館長からの一言:この絵は一ノ谷で源氏の熊谷次郎直実と平氏の平敦盛の戦いを描いています。
一ノ谷の戦いは1184年に起こった源平合戦のうちの一つの戦いです。戦いの舞台は現在の兵庫県神戸市付近にあたる一ノ谷です。都を追われた平氏は西国へ逃げて、一ノ谷にで勢力を拡大していました。このことから源頼朝から命令され、弟の源義経が平氏の兵に向かって攻めました。源氏軍は海側と山側の両方から平氏の兵を挟み撃ちにしました。義経は険しい山道を下る「鵯越の逆落とし」と呼ばれる奇襲を行い、平氏の兵を倒しました。これにより平氏は敗北し、多くの兵を失い屋島へ逃げました。
屋島の戦い
- 屋島合戦図屏風
栃木県立博物館
源平合戦のうち、元暦2年(1185)の讃岐国屋島(香川県高松市)での合戦における那須与一の活躍を描いた屏風絵です。与一は実名を宗隆といい、那須資隆の11番目の子として生まれました。源平合戦では源義経に従い平氏追討に参加しました。屋島の戦いの際、与一は義経から平氏方の小舟に掲げられた扇の的を射るように命令を受け、見事扇の的を一矢で射落とすことに成功しました。 本屏風左側には弓を構える与一とそれを見守る白旗を旗印とした源氏の軍勢、右側には扇の的を掲げる小舟と赤旗がなびく平氏方の軍船が描かれています。深紅に塗った地の中央に金色の日の丸を描いた扇、その下に立つ「傾城」の美女は『平家物語』に表現されるとおりです。屋島の戦いに敗北した平氏は、長門国壇ノ浦(山口県下関市)での決戦に持ち込みましたが、源義経軍に敗れて一族は滅亡しました。 一方、小山朝政・宗政・朝光の小山三兄弟が従軍した源範頼軍は、安芸国(広島県)、周防国(山口県)へと進軍し、九州の豊後国(大分県)に渡海しました。兵糧不足などにより苦戦を強いられたにもかかわらず、源頼朝は朝政ら御家人が「各々西海に在りて、殊に大功を抽きんずる」ことを評価し、丁重な書状を遣わしています(『吾妻鏡』)。
館長からの一言:この絵は源義経の兵と兵士の戦いである屋島の戦いを描いたものです。
屋島の戦いは1185年に起こった源平合戦のうちの一つです。一ノ谷の戦いに敗れた平氏は四国の屋島に拠点を移しました。このことに対して、源氏の源義経は、少数の兵を率いて嵐の中から四国に行き、平氏の兵を攻めました。義経は背後の山から攻撃をし、平氏の兵を倒しました。さらに源氏の兵が来るのを恐れた平氏は、海から逃げました。この戦いの中では、那須与一が扇の的を射抜いたという有名な話もあります。
壇ノ浦の戦い
- 源平壇之浦大合戦之図
月岡芳年
作者は月岡芳年で、慶応元(1865)年の作品。壇ノ浦の戦いを描いたもので、那須与一は船上で薙刀をふるって戦闘に参加している。
館長からの一言:この絵は月岡芳年が描き、那須与一が船の上で刀を振るっているのが描かれています。
壇ノ浦の戦い1185年に起こった源平合戦のうちの一つの戦いです。戦場となった場所は現在の山口県下関市の壇ノ浦です。屋島の戦いに敗れた平氏は、安徳天皇を海で命を絶たせました。これに対し、源氏は源義経らが率いる兵で攻めました。はじめは潮の流れを利用した平氏の兵が有利だったが、潮目が変わると、さらに平氏の武将の裏切りもあって形勢は逆転しました。追い詰められた平氏は次々と海から逃げました。この戦いによって平氏は滅亡し、源氏が全国の実権を握ることとなりました。その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、武士の時代が本格的に始まりました。
この展示を見終わった人へ:源平合戦博物館は面白かったですか?あなたが思っていた源平合戦よりもさらに面白かったでしょう。僕は調べていく中で受験勉強では知らなかったことがわかり、とても面白かったです。源平合戦は今回展示した戦い以外にもまだあります。それらもまたこの展示物のようにとても面白いエピソードがあります。気になったら他の源平合戦について調べるのも良いかもしれません。今回は源平合戦博物館の展示を見てくださいまして誠にありがとうございました。
展示関連イベント
- 源平合戦
『源平合戦図屏風 其のニ』
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主催:アートスペースk.kakeshiro
会場:京都市立芸術大学C棟6階
期間:2025年9月3日~2026年3月1日
内容:、2026年は「屋島の戦い」が描かれた作品を展示しています。作品では本作の那須与一の扇を弓矢で射抜いたことや、源義経の「月流し」のエピソードについて、本学油画専攻の学生が制作したマンガでわかりやすく紹介するとともに、本学保存修復専攻の協力で現した「扇の的」に登場する扇も展示していただけるそうです。気になった方はぜひ行ってみてください。




