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日本の地図、伊能忠敬について

館長あいさつ

こんにちは。この度は見に来てくださりありがとうございます。館長です。

皆さんは伊能忠敬と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。日本地図の測量をした人と真っ先に思いつくかもしれません。

今回はそんな伊能忠敬、日本地図の歴史について深くしれたら良いなと思って楽しんでご覧ください。

この展示について

この展示を通して少しでも日本地図に対する興味が沸いてもらえることがこの展示の趣旨です。

日本地図の歴史

  • 伊能忠敬

    日本で初めて実測による日本地図を作製した江戸時代の測量家

    館長からの一言

    日本全国を歩いて測量し、かなり正確な日本地図を作った人です。55歳から測量を始め71歳まで測量をし続けました。一生でだいたい地球一周(4万キロ)を歩いたと言われています。

  • 伊能図

    実測による日本最初の科学的な日本地図。伊能忠敬が測量し、高橋景保が完成

    館長からの一言

    伊能忠敬が17年間をかけて、その後に高橋景保と弟子たちで完成させた日本地図です。海岸線や道路、名所などを正確に描き、現在の日本地図と比べても見劣りしない高い精度を誇ります。

  • 日本輿地路程全図

    江戸時代に刊行された、日本で初めて経度緯度線を記入した日本全図

    館長からの一言

    江戸時代後期に長久保赤水が作成日本地図です。経緯線が入っている精巧な地図で伊能図が出るまでは最も普及していました。

  • 行基図

    江戸時代以前につくられた日本全図の総称

    館長からの一言

    奈良時代に行気が作成したと伝えられている地図です。1400年頃から400年ほど使われていました。日本輿地路程全図や伊能図が出るまでは日本行基図は標準的な日本地図でした。

  • 伊能忠敬日本図(中図)

    東京国立博物館,Tokyo National Museum

    <p>伊能忠敬制作の日本図のうち中図に分類される。縮尺21万6千分の1で、日本列島を8図で表わす。忠敬が測量を行った時期の老中を出した三河吉田藩主松平(大河内)家に伝来し、数ある伊能図の中でも最も美麗なものの一つである。(140624_伊能忠敬の日本図)<br /></p><br /><p> 19世紀の初め、伊能忠敬(いのうただたか)が日本全国を測量して歩き、精密な日本地図を作成したことは、日本の歴史では有名です。忠敬は大図・中図・小図の3種類の縮尺の地図を製作しましたが、この図はそのうちの中図、つまり縮尺21万6千分の1で、日本列島が8つの図に分けて描き表されています。土地の高低、方位が正確に示され、山や川、道路や港、城や寺院など細かい名称も記入されており、その精密さは現代の地図とくらべても見劣りしません。線や色なども丁寧で、絵としても見ごたえがあります。<br /> 1800年、56歳という、当時としては決して若くない年齢から始めた伊能忠敬の全国測量の旅は、日本全国をエリアに区切って計10回、17年の歳月をかけ行われました。忠敬を中心とする測量隊は、専用の器具を携帯して日本全国を歩き、測量の成果をもとに各地の地図を作製し、江戸幕府(えどばくふ)に提出しました。1818年、忠敬没後も、弟子たちは忠敬の遺志をついで測量の成果を地図にまとめあげ、1821年、大図214枚、中図8枚、小図3枚の計225枚を集大成し、完全版として幕府に提出しました。この時幕府に提出した完全版は、残念ながら1873年に火災ですべて焼けてしまいましたが、同じ測量データを元にしたコピーや、集大成以前に幕府に提出した図が残っています。東京国立博物館はこうした高品質のコピーや、完全版とは別の図を多数所蔵しています。この図もその一つです。かつて、現在の愛知県にあった三河吉田藩(みかわよしだはん)の松平家(まつだいらけ)に伝来しました。忠敬が測量を行っていた時期、この松平家からは、老中(ろうじゅう)という幕府の重要な役職を務める人物が出ていました。</p>

    館長からの一言

    伊能忠敬たちが約17年間かけて実測した全8枚で構成された地図です。縮尺は21万6千分の1で、蝦夷東半、蝦夷西半、東北、関東、中部近畿、中国四国、九州北半、九州南半に分かれている。

展示を見終わった人へ

この度は「日本の地図、伊能忠敬について」をご覧くださりありがとうございました。この展示を通して日本地図の歴史や伊能忠敬について関心が沸いてくださると幸いです。ここまで見てくださりありがとうございました。

館長より