昔から今までのお金
ここではたくさんのお金を扱っています!
館長からの挨拶
昔から今までのお金の館長です。ここには皆さんがよく知っている小判やあまり知られていない富本銭や和同開珎などを取り揃えております。ぜひお楽しみください。
この展示について
この展示は皆さんが今でもよく使うお金について興味を持ちその歴史について調べてみました。このそれぞれのお金に関する時代なども挟んでおります。よーく理解してみてください。
主に明治時代〜昭和時代に流通
主に江戸時代に流通
- 小判金
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>小判は江戸時代を通じて流通した計数貨幣です。主に金と銀の合金で作られ、時期によってその含有量(品位)が異なります。表面の茣蓙目*ござめ*(鑿目)*のみめ*という刻みや、上部の「五三桐紋」、「壱両」、「光次」をはじめとするさまざまな極印が打刻されているのが特徴です。</p><br /><p> 小判と一分金(いちぶんきん)は、17世紀に始まる江戸時代に流通した金貨です。どちらも金と銀の合金で、その割合が年代によって変わるため、成分を調べると発行された年代がわかります。一分金は4枚で小判1枚分でした。<br /> 小判は板状の楕円形をしていて、表に細かいござ目と呼ばれる横筋が入っています。縦書きで上に「一両」、下に「光次」という文字、上下の端に桐の紋が見えます。「光次」とは、江戸幕府の命により流通用の金貨を初めてつくった後藤光次のことです。対して裏面は、中央に「光次」の印、左下の方に小さな丸い印が打刻されています。小さな丸印は、製造の過程で、品質を保証するために押されたもの。小判によっては、このほかにもごく小さな刻印がたくさん押されています。これらは、小判が使用される際に、両替商がその価値を証明するために押したものです。一分金の表面にも同様に、横書きで右から左に「一分」の文字と、桐の紋が刻印されています。<br /> ここにあるお金は、昭和31(1956)年に東京・銀座で見つかりました。銀座は、江戸時代には、貨幣の発行所でした。その銀座の、ある商業ビルを建てかえる工事の最中、土砂の捨て場から偶然に発見されたのです。その数、小判208枚、一分金60枚。このニュースは、驚きをもって連日のように報じられました。しかし、どうして地中からまとまったお金が出てきたのか、詳しいことはわかっていません。日本には古くから、土地を鎮めるまじないのため、もしくは保管や隠すためにお金を地中に埋める風習がありました。これらのお金も、何らかの意図をもって埋められたものでしょう。</p>
館長からの一言
皆さんがよく知ってそうなザ・昔のお金、実際はそんなに昔じゃないのです。
主に中国の漢時代に流通
- 日入千金銭
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>時計回りに吉祥句「日入千金」の四字を鋳込んでおり、日々お金が入ってくるようにとの願いをこめたのでしょう。今は欠損していますが、銭の一端には指輪のような環が、もう一端には穴のあいた小さな突起がありました。身に着けるための工夫と考えられます。<br /></p>
館長からの一言
和同開珎や富本銭とは違う聞いたことのないような日入千金銭、その秘密は意外なものです。
皆さん昔のお金に興味は持てましたでしょうか?他にもここには載っていませんが色々な紙幣・硬貨があるのでぜひ知ってみてください!
主に飛鳥時代〜奈良時代に流通
- 和同開珎
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>和同開珎+わどうかいちん、わどうかいほう+は日本で最初の流通用の鋳造貨幣です。「続日本紀+しょくにほんぎ+」によれば、和銅元(708)年に武蔵国秩父郡の銅が献上されたことがきっかけで鋳造されたといいます。近年、富本銭+ふほんせん+が日本の最初の銅銭であることが分かりましたが、富本銭はまじないに使われたという説があります。<br /></p>
館長からの一言
日本で最初の流通用のお金皆さんは知っていたでしょうか?
- 富本銭
内蔵寮寄贈,Imperial Household Ministry,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p> 方孔の上下に「富」「本」の文字、左右に七曜文を鋳出す。その存在は江戸時代から知られていたが、昭和61年に(1986)に平城京跡で出土して、古代の貨幣と確かめられた。近年、富本銭の鋳型が発見された飛鳥寺池遺跡は、その製造地であった可能性が高い。 <br /></p>
館長からの一言
昔のお金の秘められた事実をとくとご覧あれ
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