花柳章太郎コレクション-簪-
国立劇場所蔵の花柳章太郎コレクションから簪422点をご紹介します。
花柳章太郎(はなやぎ・しょうたろう/1894~1965)は、戦前から戦後にかけて活躍した新派の名優です。美しい容姿と確かな演技力で、数々の名舞台を生みました。
章太郎は役への追求において、演技のみならず舞台衣裳にも並々ならぬ情熱を注いでいましたが、櫛・笄・簪(かんざし)などの装身具にもこだわり、収集していました。これは単なる趣味におさまらず、実際の舞台で使うことも目的としていたと伝わります。章太郎は収集について、自身の著書『きもの簪』(1949年刊行)で以下のように語っています。
「それら数多の櫛かんざしは、奥羽、越後、磐代、加賀、出雲、飛騨、尾張、美濃、さては丹波、近江から山陰、中国、九州に至る迄の巡業先で探しまはり、京都、大阪、神戸と腰を据ゑて手に入れたものが溜まつてその数にのぼつた訳で御座います。」
このように巡業で訪れた各地で買い求め、収集した櫛・笄・簪は、約3,000点にまで達したそうです。
平成15年(2003)、章太郎の長男・花柳喜章の夫人・青山久仁子氏より、章太郎旧蔵の櫛・笄・簪の一部が国立劇場へ寄贈されました。本ギャラリーではそのうち簪422点をご紹介いたします。生前、章太郎が愛し、大切にしてきた美しい簪の数々をどうぞお楽しみください。
国立劇場調査資料課
※引用文中の漢字表記は、原則として旧字は新字としました。
瑪瑙玉に銀製の耳掻きと二本足が付いた玉簪である。玉の上下には菊形の座金が付く。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。花柳章太郎(1894~1965)の旧蔵品で平成15年(2003)に遺族の青山久仁子氏より国立劇場へ寄贈された。
ガラス玉に銀製の耳掻きと二本足が付いた簪である。玉の上下には菊形の座金が付き、耳掻きと足には唐草の毛彫がある。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
琥珀の上に松に鶴を蒔絵した玉に、銀製の耳掻きと二本足が付いた玉簪である。現在は蒔絵は摩滅している。足には表に雪輪文・梅文、裏に雪輪の内麻葉繋、梅樹の毛彫がある。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
珊瑚に擬したガラス玉に、耳掻きと二本足が付いた簪である。足には表のみに藤袴の毛彫がある。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
擬珊瑚の玉に銀製の耳掻きと二本足が付いた玉簪である。玉の上下の座金は桜花形である。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
茶金石に銀製の耳掻きと二本足が付いた簪である。茶金石は幕末まで鉱石と信じられていたが、ガラスに亜酸化銅の粉末を混ぜた人造のイタリアガラスである。簪は笄から分化して発生し、簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
茶金石に銀製の耳掻きと二本足が付いた簪である。茶金石は、日本では幕末まで鉱石と信じられていたが、ガラスに亜酸化銅の粉末を混ぜた人造のイタリアガラスである。玉の上下に菊形の座金が付く。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
瑪瑙玉に銀製の耳掻きと二本足が付いた玉簪である。足の両面に桧扇の毛彫りがあり、耳掻きは上方で流行したとされる角形である。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
珊瑚に擬したガラス玉に銀製金色絵の耳掻きと二本足が付いた玉簪である。足には表に老松の毛彫りがあり、耳掻きは上方で流行したとされる角形である。玉の上下には菊形の座金が付く。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
木製漆塗で金梨子地に牡丹に蝶を黄漆と蒔絵で表した玉に鉄製の耳掻きと二本足が付いた玉簪である。足には菊紋唐草・耳掻きには唐草の平象嵌がある。玉には小判形の内に「月山」との黒漆銘がある。
龍を緻密に表した陶製色絵の玉に、銀製金色絵の耳掻きと二本足が付いた玉簪である。足には、斜めに石目や魚々子、裂模様等を彫金で表す。玉の上部には菊形の座金がある。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。
木製の玉に朱漆・黄漆・黒漆を塗り重ね、花鳳凰を彫り表した玉に木製漆塗の耳掻きと二本足が付いた簪である。耳掻きは金地に置平目で、足には黒漆地の上方を金粉溜地として菊や牡丹を蒔絵で表し、「松林」の蒔絵銘がある。
銀製二本足の平打簪で、桐を透彫と毛彫で表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製二本足の平打簪で、八重菊を表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製二本足の平打簪で、牡丹に蝶を表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製二本足の平打簪で、牡丹に蝶を表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
二本足の銀製簪で、梅に菊の丸文を表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
二本足の銀製簪で、四ツ目車紋を表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
二本足の銀製簪で、「丸に入違丁字紋」と「舞鶴紋」を表裏としている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
二本足の真鍮製簪で、「下り藤紋」を透彫として、表裏に葉脈を毛彫で表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
二本足の真鍮製簪で、「六つ星紋」を表裏に毛彫で表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
二本足の銀製簪で、「五三の桐紋」を表裏に毛彫で表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
二本足の銀製簪で、投げ桐(踊り桐・庵桐ともいう)を表裏に毛彫で表し、金色絵を一部に施して擦り剥がしている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
二本足の銀製簪で、投げ桐(踊り桐・庵桐ともいう)の丸文を透彫と毛彫で表して金色絵としている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
二本足の銀製簪で「中陰五三の桐紋」を透彫とし、紋部分を金色絵としている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
二本足の真鍮製簪で、表裏に「丸に五三の桐紋」を魚々子地に毛彫で表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、松葉流の簪である。飾りがなく、別名「耳掻簪」ともいう。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。『玳瑁亀圖説』によると「松葉流シ」は松葉形で突起のない形状を意味し、鼈甲製の二本足、松葉簪・松葉流簪は江戸で明和・安永の頃に流行したとされる。また「松葉流耳掻中差」として、天保年間にも流行したとされる。
銀製、松葉形の簪で、繊細な梅が彫金される。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。『玳瑁亀圖説』によると、鼈甲製の松葉簪・松葉流簪は江戸で明和・安永の頃に流行したとされる。
銀製二本足の簪で、「飛」の変体かなを透彫とし、耳掻きの下を捩じったように仕上げる。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製二本足の簪で、花入七宝文の透彫とし、耳掻きの下を捩じったように仕上げる。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
珍しい銀製三本足の簪。銀棒を捩じって糸状にし、束ねて結びを表し、先には葵葉が1枚ずつ付く。『守貞謾稿』によれば、「銀製葵簪」は天保7、8年(1836、7)に流行したとされるが、多くは二本足で二葉葵となっている。
銀製二本足の簪。銀棒3本を捩じって糸状にし、1本に耳掻が付き、2本が足となり束ねて結びを表し、鎖と先に銀板毛彫の揚羽蝶の歩揺を付ける。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられた。『歴世女装考』によれば、歩揺簪は寛政年間に流行した高級品だったが、文化・文政には江戸で廃れ、上方でも廃れて、文久年間には全く絶えたとされる。
銀製二本足の簪。銀棒3本を捩じって糸状にし、1本に耳掻が付き、2本が足となり、並べて蝋付し、2本の足の頭側を結び、1本の先に梔子の花の飾りを付けている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製二本足の簪。頭部分は銀の透彫で菊花を表し、蕊は金銅製で菊花を留める鋲を兼ねている。透かし部分に銀の撚線で観世水を表して、菊水の意としている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製二本足の簪。宝珠を透彫、表に七宝文、砂金袋、鍵、丁子、裏に蓑、火焔宝珠、七宝文を毛彫で表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製二本足の簪。七宝文を表した砂金袋を容彫としている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、角琴柱形、二本足の簪。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。『玳瑁亀圖説』によると、鼈甲製の角琴柱簪は明和・安永の頃に江戸で流行したとされる。
銀製、小町琴柱形、二本足の簪。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。『玳瑁亀圖説』によると、鼈甲製の小町琴柱簪は江戸で寛政の頃に流行したとされる。
銀製、小町琴柱形、二本足の簪。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。『玳瑁亀圖説』によると、鼈甲製の小町琴柱簪は江戸で寛政の頃に流行したとされる。
銀製、小町琴柱形、二本足の簪。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。『玳瑁亀圖説』によると、鼈甲製の小町琴柱簪は江戸で寛政の頃に流行したとされる。
銀製、琴柱形、二本足の簪。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。『玳瑁亀圖説』によると、鼈甲製の小町琴柱簪は江戸で寛政の頃に流行したとされる。
銀製、琴柱形、二本足の簪。掻軸から胴にかけて唐草の毛彫があり、金銅製容彫の舞い降りる鶴を足に挿し込んでいる。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。表の鏡に七宝繋文、胴から裏に唐草文の毛彫があり、胴に銀線の流水と金銅製の鯉を取り付けている。鯉は頭部と胸鰭、尾が揺れて可動する仕掛となっている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。胴部に銀製の団扇、赤銅金色絵で火焔宝珠と巻物の飾りがある。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足の簪。胴部に瑞雲の毛彫があり、銀製金色絵の容彫の鶴の飾りがある。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。胴部に藤に蜻蛉の毛彫があり、金銅容彫の鸚鵡、赤銅金象嵌の鳥籠、銀の餌壺、銀の撚線の紐が飾りとして差込式で付いている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。鏡部に青海波の毛彫があり、千鳥を容彫金容彫の鸚鵡、赤銅金象嵌の鳥籠、銀の餌壺、銀の撚線の紐が飾りとして胴部に挿し込まれている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。胴部に枝珊瑚の容彫の飾りがあり、胴部から上を金色絵としている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
金銅製、二本足の簪。頭部に三日月に銀色絵の雁を容彫とした飾りがある。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、松葉形、二本足の簪。耳掻きから胴部を金色絵とし、竹と梅の容彫の飾りを付けて、松竹梅としている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。先に鶴の容彫の飾りを付け、鶴の頭部と足部を金色絵としている。鶴は胴部と足が揺れで可動する。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。桜の花と蕾を容彫金色絵とした飾りを頭に付け、裏は同意匠を裏から見た図で、回転するようになっている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。八重梅を表裏同文で容彫とした飾りを頭に付けている。胴部から頭部までを金色絵としている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。銀の撚線を並べて結び玉とした飾りを頭に付け、胴部には老松の毛彫がある。胴部から頭部耳掻きまでを金色絵としている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。頭部に金色絵砂金袋の飾りがあり、芦などの模様を黒漆で描き、回転する。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。桜に鼓、笹を銀の板金や銀の撚線で細工し、金色絵をした飾りを差し込みで取り付けている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足の宝尽くしの意匠とした平打簪。蓑を平打ちとし、銀製容彫の宝珠・笠・七宝の飾りを付け、揺れで可動する。蓑に穴があり、もとは歩揺飾りも付いていたと考えられる。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。梅の枝を象り、金銅製の鶯を付けている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
真鍮製金銀色絵、二本足の簪。足から掻軸にかけて寄裂文の毛彫があり、打出小槌の容彫を取り付けている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
金銅製、二本足の簪。足に青海波文と泡文の毛彫があり、千鳥を透彫としている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
真鍮製金色絵、二本足の簪。足に麻葉繋文と泡文の毛彫があり、面取した頭には、表に「五三の桐紋」裏に「菊紋」が毛彫される。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金鍍金、二本足の簪。足は上下に二本を重ねて鋲で止める。先に透彫と毛彫にした葵葉1枚があり、銀製の葵葉1枚を鋲止めしている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。葵簪は天保7、8年(1836、7)頃に流行したとされる。
銅製銀鍍金、二本足の簪。銀製毛彫の蝶は羽根が蝶番により揺れて開閉する。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。足の上部には槌目地に桐花の毛彫、中ほどは表に菊、裏に桐を毛彫して金色絵とする。頭は七宝形で、桐と鳳凰の毛彫を表裏に表して星部分に珊瑚を鋲止めし、表には朧銀容彫金色絵の丁子を付ける。耳掻きは金銅製。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銅製銀鍍金、二本足の簪。鏡部の表には菊唐草の毛彫があり、頭は金銅製で表に雪輪形、裏に菊唐草の毛彫があり、表には銀容彫と珊瑚玉で花傘に薮柑子を付ける。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。竹に見立てて、竹節を象り、竹葉の毛彫があり、頭は金銅製の丁子形で、七宝文と花入亀甲繋文を毛彫して珊瑚を鋲止めし、赤銅容彫の打出小槌を付ける。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足の平打簪。平打部に蓑、鏡部の表に笠と巻物、裏に丁子と宝袋・七宝の毛彫があり、平打部の上には銀製容彫の鍵と宝珠、枝珊瑚を銀の撚線で束ねて取り付け、飾りとしている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。胴部に牡丹の毛彫がある。頭部は『源氏物語』夕顔巻の留守模様で、金銅製の檜扇、その上には銀や金銅・珊瑚で夕顔を付けて飾りとしている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足の簪。胴部に桜の毛彫と金色絵がある。頭は銀製の小鼓で、珊瑚の飾りが付く。銀製の狐の尻尾があり、歌舞伎の<義経千本桜>に登場する狐忠信の留守模様とみられる。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足の簪。波・石目、梅の毛彫があり、一部を金色絵とする。頭は金銅製で梅の毛彫がある巾着形で、銀の撚線を紐に銀容彫の根付、珊瑚の緒締を飾りに付ける。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銅製銀色絵、二本足の簪。波・石目、梅の毛彫があり金色絵する。頭は金銅製印籠形で表は「竹に雀」、裏は「摺餌に鳥籠」で銀の撚線を紐に銀容彫の根付、珊瑚の緒締を飾りに付ける。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
錫製、二本足の簪。鏡部に点彫で菊唐草を表し、頭は金銅製地紙形で梅の毛彫があり、上に銀と珊瑚玉で桜の折枝を付ける。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足の簪。金銅容彫の桜の葉を頭とし、上に金銅・銀・珊瑚で桜桃を表し、銀と珊瑚で糸車を表して付けている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵で、大・小2本の一本足珊瑚玉簪を繋げて二本足としたような形状の簪。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
赤銅製金色絵、二本足の簪。鏡部に流水・紅葉・蛇籠の毛彫と銀高彫象嵌で紅葉を表し、金銅容彫と珊瑚で鬼灯の実を表し、金銅製の耳掻きを付けている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。角耳の耳掻きは上方で流行したとされる。
銀製金色絵、二本足の簪。金銅製の玉に銀線で珊瑚玉と銀の玉を巻き付けて飾りとしている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足の簪。鏡部に寄裂文、裏に芦に月の毛彫があり、頭には銀で糸巻を象り、糸の代わりに銀線で珊瑚玉を連ねて巻きつけている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の平打簪。掻軸に青海波文、頭には花菱唐草文、鏡から胴部を寄裂文の毛彫で金色絵とし、頭部の七宝文の星を珊瑚で装飾している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金鍍金、二本足の簪。珊瑚2つを瓢箪のような飾りとして付けている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。珊瑚珠5つを花状に配し、風車のように回転する飾りとしている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。胴部に紗綾文と七宝文を彫表し、銀と珊瑚玉による梅と金銅の鶯の飾りが付く。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銅製金銀色絵、二本足の簪。胴部から上に七宝繋文の毛彫を施して金色絵とし足先は銀色絵とする。飾りは赤銅容彫色絵で桜桃の茎と葉を表し、実に2つの珊瑚を取り付けている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
赤銅金色絵、二本足の差込簪。簪部分は赤銅地に足と耳掻きの内側を金色絵とし、能<箙>を表す「兜に梅」を銀板や珊瑚で差込み式の飾りとしている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足の簪。簪部分は銀製に蓮の高彫金色絵で、飾りは一角(ウニコール)の輪切を雪に見立て、銀製の月、銀と珊瑚の花で、「雪月花」を表す。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、角耳、二本足の簪。簪部分は銀製に寄裂文の毛彫に金色絵で、枝珊瑚と銀の梅に金銅の鶯の飾りを差込式で取付けている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金銀色絵、丸耳、二本足の簪。枝珊瑚と銀で桜樹を表した飾りを差込式で取付けている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足の簪。足部分には瀧を毛彫で表し、飾りは差込式で、金銅製と枝珊瑚に銀製の蔦を巻きつけ、銀製容彫の鷹が止まる。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足、角耳の簪。掻軸から足にかけて、石畳文・亀甲繋文・紗綾文を毛彫して金色絵としている。飾りは差込式で、5つの珊瑚玉を使って串団子を表してる。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足、差込式の金銀簪。差込式の飾りには銀と金銅製の桐の枝葉と花に、珊瑚玉で蕾を表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銅製金・銀色絵、二本足、差込式の金銀簪。足から掻軸にかけて寄裂文を毛彫し、金・銀の色絵とする。差込式の飾りには銀製の南天に金色絵の葉、珊瑚玉で南天の実を表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
真鍮製銀鍍金、二本足、差込式の金銀簪。差込式の飾りは万年青と薮柑子を金銅や銀・珊瑚で表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銅製銀鍍金、二本足、差込式の金銀簪。差込式の飾りは万年青を金銅と珊瑚で表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、二本足、差込式の金銀簪。差込式の飾りは紫陽花を金銅と珊瑚で表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足で、胴に立木の毛彫があり、万年青を銀と珊瑚で表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足の簪である。枇杷の実は金銅と珊瑚玉で表し、葉に金色絵を施している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足の簪である。先の枝葉金銅製で、柘榴の実を珊瑚・虎目石で表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足の簪である。南天の実や雀も銀製容彫で金色絵と、枝の部分に枝珊瑚を使用している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足の簪である。桜の花の蕊や蕾の部分に珊瑚玉を鋲止めしている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製金色絵、二本足(後世切断されて短い)の簪である。椿の花の蕊や蕾の部分に珊瑚玉を鋲止めしている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製二本足の簪で、枝珊瑚を松の幹に見立て、銀線で唐松の葉を、松ぼっくりは珊瑚玉を連ねて表し、小禽は琥珀の容彫で取り付けている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
銀製、小町琴柱形、二本足の簪である。足には横鑢に桜を毛彫で表し、銀製の地紙形には素銅地容彫色絵で唐子を表した目貫や珊瑚を象嵌し、裏には「丸に五三の桐紋」と巾着を象嵌している。戦後に銀座の小間物屋が古物を再利用してまとめたものとみられる。
銀製、金色絵の二本足の歩揺簪である。花笠を模して頂きに金銅製の牡丹花、珊瑚玉の花飾り、先には銀製の小鈴の歩揺飾りを付けている。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製小町琴柱形の簪にに茱萸袋の飾りを付けた歩揺簪で一対(188と189)で伝わる。茱萸袋は重陽の節句で茱萸を袋に入れて飾ったもので、銀製毛彫で袋を表し、茱萸の葉は金銅製、実は珊瑚玉と緑のガラス玉で表している。銀鎖の先に銀鈴を付けた歩揺が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製小町琴柱形の簪にに茱萸袋の飾りを付けた歩揺簪で一対(188と189)で伝わる。茱萸袋は重陽の節句で茱萸を袋に入れて飾ったもので、銀製毛彫で袋を表し、茱萸の葉は金銅製、実は珊瑚玉で表している。銀鎖の先に銀鈴を付けた歩揺が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銅製銀色絵、小町琴柱形の簪に差込式の飾りを付けた歩揺簪で一対(190と191)で伝わる。松竹梅は梅の蕊や蕾に金銅や珊瑚をあしらい、銀線をバネのようにして揺れ動く鶴を取り付け、梅の枝から短冊・色紙のような歩揺が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銅製銀色絵、小町琴柱形の簪に差込式の飾りを付けた歩揺簪で一対(190と191)で伝わる。松竹梅は梅の蕊や蕾に金銅や珊瑚をあしらい、銀線をバネのようにして鶴を取り付け、梅の枝から短冊・色紙のような歩揺が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製の簪に差込式の飾りを付けた歩揺簪で、一対(192と193)で伝わる。松竹梅は梅の蕊や蕾に金銅や珊瑚をあしらい、銀線をバネのようにして鶴を取り付け、梅の枝から色紙のような歩揺が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製の簪に差込式の飾りを付けた歩揺簪で、一対(192と193)で伝わる。松竹梅は梅の蕊や蕾に金銅や珊瑚をあしらい、銀線をバネのようにして鶴を取り付け、梅の枝から色紙のような歩揺が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足で鼓革形の平打ち簪に蕊に珊瑚を付けた桜花の飾りを付けた歩揺簪で、一対(194と195)で伝わる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足で鼓革形の平打ち簪に蕊に珊瑚を付けた桜花の飾りを付けた歩揺簪で、一対(194と195)で伝わる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪で一対(196と197)揃いで伝わる。松竹梅の飾りは梅の蕊に珊瑚を付け、蝶の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪で一対(196と197)揃いで伝わる。松竹梅の飾りは梅の蕊に珊瑚を付け、蝶の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪で一対(198と199)揃いで伝わる。梅と水仙の飾りは梅の蕊や蕾に珊瑚を付け、蝶の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪で一対(198と199)揃いで伝わる。梅と水仙の飾りは梅の蕊や蕾に珊瑚を付け、蝶の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪で一対(200と201)揃いで伝わる。牡丹と梅の飾りは蕊に珊瑚を付け、蝶の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪で一対(200と201)揃いで伝わる。牡丹と梅の飾りは蕊に珊瑚を付け、蝶の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪で一対(202と203)揃いで伝わる。桔梗の飾りは蕊に珊瑚を付け、蝶と短冊の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪で一対(202と203)揃いで伝わる。桔梗の飾りは蕊に珊瑚を付け、蝶と短冊の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の平打簪に歩揺飾を付けた簪で一対(204と205)揃いで伝わる。平打部分は雪輪の内に表は金色絵で牡丹の毛彫、裏は秋草に蝶の毛彫をし、薮柑子と梅の飾りは銀と珊瑚玉を付け、短冊の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の平打簪に歩揺飾を付けた簪で一対(204と205)揃いで伝わる。平打部分は雪輪の内に表は金色絵で牡丹の毛彫、裏は秋草に蝶の毛彫をし、薮柑子と梅の飾りは銀と珊瑚玉を付け、短冊の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
金銅製、二本足の歩揺簪で一対(206と207)揃いで伝わる。松竹梅の飾りは金銅製で梅の蕊と蕾に珊瑚玉を付け、貝製の鶴と鹿角製の亀を添える。歩揺飾は閉じた扇と折形の蝶、珊瑚玉が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
金銅製、二本足の歩揺簪で一対(206と207)揃いで伝わる。松竹梅の飾りは金銅製で梅の蕊と蕾に珊瑚玉を付け、貝製の鶴と鹿角製の亀を添える。歩揺飾は閉じた扇と折形の蝶、珊瑚玉が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製金色絵、二本足の歩揺簪で一対(208と209)揃いで伝わる。桜の飾りも銀製金色絵で珊瑚玉を付け、短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製金色絵、二本足の歩揺簪で一対(208と209)揃いで伝わる。桜の飾りも銀製金色絵で珊瑚玉を付け、短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製金色絵、二本足の平打簪に歩揺飾りが付いた歩揺簪で、一対(210と211)揃いで伝わる。牡丹の飾りは金銅で蕊に珊瑚玉を付け、短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製金色絵、二本足の平打簪に歩揺飾りが付いた歩揺簪で、一対(210と211)揃いで伝わる。牡丹の飾りは金銅で蕊に珊瑚玉を付け、短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金銀色絵、二本足の歩揺簪で、一対(212と213)揃いで伝わる。牡丹と桜の飾りは銀製金色絵で蕊に珊瑚玉を付け、短冊と蝶の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金銀色絵、二本足の歩揺簪で、一対(212と213)揃いで伝わる。牡丹と桜の飾りは銀製金色絵で蕊に珊瑚玉を付け、短冊と蝶の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金銀色絵、二本足の歩揺簪で、一対(214と215)揃いで伝わる。牡丹と花の飾りは銀製金色絵で蕊に珊瑚玉を付け、短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金銀色絵、二本足の歩揺簪で、一対(214と215)揃いで伝わる。牡丹と花の飾りは銀製金色絵で蕊に珊瑚玉を付け、短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金銀色絵、二本足の歩揺簪で、一対(216と217)揃いで伝わる。桜・紫陽花・菊・南天の飾りは銀・金銅珊瑚を使い、珊瑚玉と銀製の短冊と蝶の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金銀色絵、二本足の歩揺簪で、一対(216と217)揃いで伝わる。桜・紫陽花・菊・南天の飾りは銀・金銅珊瑚を使い、珊瑚玉と銀製の短冊と蝶の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製銀鍍金、二本足の歩揺簪で、一対(218と219)揃いで伝わり向差として使用された。金銅製の檜扇に牡丹を金銅・銀・珊瑚で表し、銀棒と珊瑚玉の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪で、一対(218と219)揃いで伝わり向差として使用された。金銅製の檜扇に牡丹を金銅・銀・珊瑚で表し、銀棒と珊瑚玉の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製銀鍍金、二本足の歩揺簪で、一対(220と221)揃いで伝わる。金銅製の牡丹の下に珊瑚玉と金銅と銀の桜花を交互に配置し、銀製短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製銀鍍金、二本足の歩揺簪で、一対(220と221)揃いで伝わる。金銅製の牡丹の下に珊瑚玉と金銅と銀の桜花を交互に配置し、銀製短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金色絵、二本足の歩揺簪で、一対(222と223)揃いで伝わる。金銅製の牡丹の下に珊瑚玉と金銅と銀の桜花を交互に配置し、銀製短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金色絵、二本足の歩揺簪で、一対(222と223)揃いで伝わる。金銅製の牡丹の下に珊瑚玉と金銅と銀の桜花を交互に配置し、銀製短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製、二本足の歩揺簪で、一対(224と225)揃いで伝わる。金銅と銀製の花と銅製の葉の飾りがあり、蝶文の真鍮銀鍍金の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製、二本足の歩揺簪で、一対(224と225)揃いで伝わる。金銅と銀製の花と銅製の葉の飾りがあり、蝶文の真鍮銀鍍金の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製金色絵、二本足の歩揺簪で、一対(226と227)揃いで伝わる。真鍮銀鍍金と珊瑚玉の桜の飾りがあり、蝶文の真鍮銀鍍金の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製金色絵、二本足の歩揺簪で、一対(226と227)揃いで伝わる。真鍮銀鍍金と珊瑚玉の桜の飾りがあり、蝶文の真鍮銀鍍金の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮銀鍍金、耳搔き付き、二本足の歩揺簪。桐鳳凰の飾りに珊瑚玉を付け、真鍮銀鍍金の蝶と短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製、ゼンマイ形、一本足の歩揺簪。薬玉形の花飾りは金銅・銀。珊瑚玉で、真鍮銀鍍金の管と珊瑚玉の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製金色絵、二本足の歩揺簪。平打ち状の台に桜の毛彫があり、銀・金銅と珊瑚玉の花飾りに、銀製の短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製金色絵、耳掻き付き、二本足の歩揺簪。平打ち状の雪輪形の台に桜と梅の毛彫があり、牡丹の飾りは銀・金銅と珊瑚玉で、銀製の短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製、二本足の歩揺簪。銀製金色絵の平打ち状の台に桜と雲の毛彫があり、桜の飾りは銀・金銅と珊瑚玉で、珊瑚玉と銀製の短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製金色絵、二本足の歩揺簪。珊瑚玉と銀製の桜花の飾りの下に、銀と銀製金色絵の葉が交互に配され、葉先から、銀と銀製金色絵の短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製金色絵、二本足の歩揺簪。銀と銀製金色絵の菊花で蕊に珊瑚玉、銀製金色絵の葉が付き、葉先に銀製短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製金色絵、二本足の歩揺簪。銀製金色絵の八重桜で蕊に珊瑚玉を付け、ねじった枝から、桜の花と銀製金色絵の管と珊瑚玉の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製金色絵、二本足の歩揺簪。牡丹の花の飾りを真鍮製、金・銀色絵と珊瑚玉で表し、棒状の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製金色絵、二本足の歩揺簪。平打ち部は鼓革形とし、裏には桜に流水の毛彫がある。八重桜の飾りは銀製で金銅製の蕊と珊瑚玉の蕾が付き、珊瑚玉と銀製短冊の歩揺飾が下がる。歌舞伎の<義経千本桜>に登場する狐忠信の留守模様とみられる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製銀色絵、二本足の向差の歩揺簪。七宝に銅製金銀色絵の桐の葉、珊瑚玉で桐の蕾を表している。珊瑚玉と棒状の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金銀色絵、二本足の向差の歩揺簪。雪輪に桜を表し、桜を銀と蕊を珊瑚で表している。珊瑚玉と棒状の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪。飾りは銀・金銅・珊瑚で、扇の地紙の上に、月、梅、鼓を表し、銀製、短冊形の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製銀色絵、二本足の歩揺簪で向差として使用するための形状になっている。飾りは銀・金銅・珊瑚で大きな桜の花弁に菊の折枝が付き、珊瑚玉と銀製管形の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪で向差として使用するための形状になっている。飾りは銀・金銅・珊瑚で雪輪形の内に桜を毛彫し、桜の折枝と鼓が付き、棒状の先に珊瑚玉を付けた桜桃の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製金色絵、二本足の歩揺簪。輪の上の飾りは銀・金銅・珊瑚で梅の折枝が付き、銀製色紙形の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、耳掻き付き、二本足の歩揺簪。梅折枝の飾りは銀製で、蕾に珊瑚玉が付き、銀製短冊形の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めたが、文化・文政頃に江戸で廃れ、上方でも廃れて、文久頃には全く絶えたとされるが、近年まで作られ、使用された。
銀製金色絵、二本足の歩揺簪。蓑亀の飾りは差込式で、銀と金銅製で、胴に珊瑚玉が連なる。鎖の下に梅紋と蔦紋の真鍮製銀鍍金の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金銀色絵、二本足の歩揺簪。牡丹と桜の飾りは銀製金色絵で珊瑚玉を付け、短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金銀色絵、二本足の歩揺簪。四季の花の飾りは銀製金色絵で珊瑚玉を付け、短冊と蝶の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金銀色絵、二本足の歩揺簪。四季の花の飾りは銀製金色絵で珊瑚玉を付け、短冊と蝶の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銅製金銀色絵、二本足の歩揺簪。蔦の蔓を銀線で巻き付け、金・銀色絵の葉と珊瑚玉、金銅製の短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪で、足先が後世に詰められている。八重桜の飾りは銀製で、蕊に珊瑚玉が付き、銀製の短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足、角耳の歩揺簪で、一対(251と252)揃いで伝わる。差込式の飾りは銀製の橘の枝葉と金銅製の橘の実と燕が付き、銅製銀色絵の短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足、角耳の歩揺簪で、一対(251と252)揃いで伝わる。差込式の飾りは銀製の橘の枝葉と金銅製の橘の実と燕が付き(252の橘の実は欠失)、銅製銀色絵の短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足、角耳の歩揺簪で、一対(253と254)揃いで伝わる。銀製の松に鶴の飾りと色紙の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足、角耳の歩揺簪で、一対(253と254)揃いで伝わる。銀製の松に鶴の飾りと色紙の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪で、一対(255と256)揃いで伝わる。銀製の菊の枝葉に金銅製の花と蕾、銀と赤銅製の蝶、銀製短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪で、一対(255と256)揃いで伝わる。銀製の菊の枝葉に金銅製の花と蕾、銀と赤銅製の蝶、銀製短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製銀色絵、二本足の差込式の歩揺簪で、一対(257と258)揃いで伝わる。差込式の飾りは銀製金色絵で檜扇の上に松竹梅と鳥籠を付け、銀製短冊と金銅製の桜の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製銀色絵、二本足の差込式の歩揺簪で、一対(257と258)揃いで伝わる。差込式の飾りは銀製金色絵で檜扇の上に松竹梅と鳥籠を付け、銀製短冊と金銅製の桜の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の差込式の歩揺簪で、一対(259と260)揃いで伝わる。差込式の飾りは銀製の粟に鶉で粟の穂は金銅製、銀製の鈴の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の差込式の歩揺簪で、一対(259と260)揃いで伝わる。差込式の飾りは銀製の粟に鶉で粟の穂は金銅製、銀製の鈴の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足、耳掻付きの歩揺簪で、一対(261と262)揃いで伝わる。金銅製の松に銀製の鶴の飾りと、銀製の蝶と鈴の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足、耳掻付きの歩揺簪で、一対(261と262)揃いで伝わる。金銅製の松に銀製の鶴の飾りと、銀製の蝶と鈴の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製銀鍍金、二本足、耳掻付きの歩揺簪で、一対(263と264)揃いで伝わる。扇地紙形の透かしに銀製の菊花と金銅製の菊の蕾の飾りと、銀製の蝶と短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製銀鍍金、二本足、耳掻付きの歩揺簪で、一対(263と264)揃いで伝わる。扇地紙形の透かしに銀製の菊花と金銅製の菊の蕾の飾りと、銀製の蝶と短冊の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足、耳掻付きの歩揺簪。梅花形の飾りに、銀製の梅花形の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金色絵、二本足、耳掻付きの歩揺簪。銀製、唐花形の歩揺飾が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足、耳掻付きの歩揺簪。締太鼓の革部分を菊花形に表したもので、菊花の蕊部分は金銅製。歩揺飾りは銀鎖の下に銅製金色絵の鈴が下がる。銀製の歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の平打ち簪に、歩揺を付けた歩揺簪。胴の部分に唐草文の蹴彫があり、紫陽花を象った飾りから銀製の鎖と蝶の歩揺飾りが下がる。銀製の歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の平打ち簪に、歩揺を付けた歩揺簪。平打ち部分は菊花の毛彫があり、銀と金銅による菊花飾を載せ、菊花と菊葉を交互に付けた銀製の歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
銀製、二本足の歩揺簪。雪の結晶の「山吹雪紋」を金銅と象牙の板を重ねて表し、同文の歩揺飾りも金銅製と象牙製が交互に下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製銀鍍金、二本足、耳掻き付きの歩揺簪。銀と金銅で八重桜の飾りが付き、銀製で桜文と蝶文を交互に付けた歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製銀鍍金、二本足の平打ち簪に、歩揺飾りを付けた歩揺簪。平打ち部分に菊花の飾りがあり、鎖の先に菊文を付けた歩揺飾りが下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金銀色絵、二本足の向差に使用する歩揺簪一対(273と274)である。直角に折れた源氏車の上に、銀製金色絵の牡丹に蝶の飾りが載り、源氏車から鎖状に珊瑚玉と銀板の短冊が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。
真鍮製金銀色絵、二本足の向差に使用する歩揺簪一対(273・274)である。直角に折れた源氏車の上に、銀製金色絵の牡丹に蝶の飾りが載り、源氏車から鎖状に珊瑚玉と銀板の短冊が下がる。歩揺簪は寛政年間に流行し、鎖の先に蝶や鳥・小鈴などを付けて、歩くたびに揺れ動いて音がするようにしたもので、主に上流階級で用いられて華美を極めた。文化・文政頃に江戸で廃れ、その後上方でも廃れて文久頃には全く絶えたとされるが、実際には近年まで作られ、使用されていた。花柳章太郎(1894~1965)の旧蔵品で平成15年(2003)に遺族の青山久仁子氏より国立劇場へ寄贈された。
銀製の花櫛で、「源氏車牡丹蝶金銀珊瑚歩揺簪」(273と274)と共に伝わっているが、当初からの揃いとは考えられない。銀板の石橋の上に銀製金色絵と珊瑚で牡丹の飾りがあり、石橋から銀製の鎖と細筒・珊瑚玉が下がる。
木製黒漆塗軸の両側に、真鍮製金銀色絵と珊瑚で、片側に芍薬、片側に牡丹の花を付けた歩揺簪である。両側に飾りを付けた簪は両差簪あるいは両天などとよばれ、『守貞漫稿』によれば、「京坂両差簪は文化文政頃までこれを用ふ。又、江戸は京都より僅に前に廃す」とあるが、明治中期にもまた流行している。276と277で揃いとして伝わる。
鼈甲製、二本足、松葉形の簪。前小僧とも呼ばれ、前差として使用する。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。『玳瑁亀圖説』によると、「松葉簪」は江戸で明和・安永頃に流行したとされる。
二本足、頭付の鼈甲製簪で、短い前小僧・前差として使用される。「折柏紋」の頭と大きい丸耳の耳掻きが付く。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。『玳瑁亀圖説』によると石持頭付は江戸で寛政頃から流行した。
竹の節形に梅が付いた鼈甲製の中差である。『守貞漫稿』によれば、「此竹節の如きは笄に近く簪とは云ず 是等形笄なれども江戸今俗は専ら中差と云也」とされる。また『玳瑁亀圖説』によると「耳掻竹中差」は天保年間に江戸で流行したとされる。
二本足、頭付の鼈甲製簪で、短い前小僧・前差しとして使用される。頭を菊花の容彫として大きい丸耳の耳掻きが付く。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。『玳瑁亀圖説』によると石持頭付は江戸で寛政頃から流行し、頭に彫刻を施すことは文化頃から流行したらしい。
胴の2箇所を中空に透かした中差。胴を透かして足先を繋いだような形状の簪は、『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。全体に唐草蒔絵を施し、耳掻きの内も金地としている。
擬珊瑚玉の穴の上下に耳掻きと足を差し込んで連結し、胴の2箇所を中空に透かした鼈甲製簪である。胴を透かして足先を繋いだような形状の簪は、『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。全体に唐草蒔絵を施し、耳掻きの内も金地としている。
金工の平打簪の形状を馬爪で作った二本足の簪で、八重桜文を表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。
二本足、馬爪製の中差で、胴に唐草と足先に薄露の蒔絵がある。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。『玳瑁亀圖説』によると、「松葉流シ」は、松葉形で突起のない形状を意味し鼈甲製の二本足、松葉簪・松葉流簪は江戸で明和・安永の頃に流行したとされる。また「松葉流耳掻中差」として、天保年間にも流行したとされる。
二本足、馬爪製、琴柱形の擬鼈甲製簪である。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。『玳瑁亀圖説』によると、二本足の「前差琴柱」は寛政・享和の頃に流行したとされる。
胴の2箇所を中空に透かした中差。『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。
胴の2箇所を中空に透かした中差。胴を透かして足先を繋いだような形状の簪は、『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。
胴の2箇所を中空に透かした簪。胴を透かして足先を繋いだような形状の簪は、『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。
一本足、馬爪製で四方を鼈甲張とした擬鼈甲製簪である。金工の平打簪の形式を模したもので、花と実がある西王母の桃を表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。
一本足、馬爪製の擬鼈甲製簪である。足は二本足のように中央に溝が彫られるが、一本足となっている。金工の平打簪の形式を模したもので、瓢箪の実と葉を表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。
一本足、馬爪製の擬鼈甲製簪で一対(321と322)の揃いである。金工の平打簪の形式を模したもので、竹の葉を透かし、足には節を象っている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。
一本足、馬爪製の擬鼈甲製簪で一対(321と322)の揃いである。金工の平打簪の形式を模したもので、竹の葉を透かし、足には節を象っている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。
一本足、馬爪製の擬鼈甲製簪で一対(323と324)の揃いである。足は二本足のように中央に溝が彫られるが、一本足となっている。差込式で扇の上に桜に蝶と烏帽子の容彫が飾りとして付けられている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。
一本足、馬爪製の擬鼈甲製簪で一対(323と324)の揃いである。足は二本足のように中央に溝が彫られるが、一本足となっている。差込式で扇の上に桜に蝶と烏帽子の容彫が飾りとして付けられている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。
擬珊瑚玉を付け、胴の2箇所を中空に透かした擬鼈甲簪。胴を透かして足先を繋いだような形状の簪は、『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。
擬珊瑚玉を付け、胴の2箇所を中空に透かした擬鼈甲簪。胴を透かして足先を繋いだような形状の簪は、『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。
二本足、差込式の鼈甲簪。差込式の飾りは柿の容彫で、柿の実は珊瑚玉で表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。延享元年(1744)に金銀製の櫛・笄が禁止されてからは象牙・鼈甲・錫が用いられたが、寛政頃から金銀製の簪が再流行した。『玳瑁亀圖説』によると、鼈甲製の差込簪は明和・安永頃から行われたとされる。
一本足の鼈甲簪で一対(329と330)の揃いである。足は二本足のように中央に溝を彫り、上部では二本に分かれて透かしまで設けている。葡萄の飾りは白甲で葡萄の葉と蔓を、琥珀玉で実を表している。
一本足の鼈甲簪で一対(329と330)の揃いである。足は二本足のように中央に溝を彫り、上部では二本に分かれて透かしまで設けている。葡萄の飾りは白甲で葡萄の葉と蔓を、琥珀玉で実を表している。
二本足の擬鼈甲簪で、一対(331と332)の揃いである。宝船の飾りは、船の側面を丁子とし打出小槌・七宝・分銅を付け、舳先には宝珠を付け、鍵と帆と枝珊瑚を船の上に付ける。歩揺には珊瑚玉を付ける。
二本足の擬鼈甲簪で、一対(331と332)の揃いである。宝船の飾りは、船の側面を丁子とし打出小槌・七宝・分銅を付け、舳先には宝珠を付け、鍵と帆と枝珊瑚を船の上に付ける。歩揺には珊瑚玉を付ける。
鼈甲製、徳利足で、菊と菖蒲を表した花簪。胴を透かして足先を繋いだような形状の簪は、『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。外箱に大正十一年五月九日の墨書があり、笄135と揃いである。
角耳で、二葉葵形の飾りが付いた二本足の木製簪である。木地漆塗で、金地に高蒔絵で桔梗に蝶と二葉葵の飾りを表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。
角耳で、金工の桜の飾りが付いた二本足の木製簪である。木地黒漆塗で、耳掻近くを象牙張とし、表のみを金粉溜地とし、角龍・菊唐草文を高蒔絵で表す。金工の飾りは金銅・銀・珊瑚玉を用いて桜を表して取り付けている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。
二本足、黒鼈甲製の松葉流簪である。耳掻き付近を金粉溜地とし、高蒔絵で萩に雁を表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。『玳瑁亀圖説』によると、「松葉流シ」は、松葉形で突起のない形状を意味し、鼈甲製の二本足、松葉簪・松葉流簪は江戸で明和・安永の頃に流行したとされる。また「松葉流耳掻中差」として、天保年間にも流行したとされる。
胴の2箇所を中空に透かした中差。胴を透かして足先を繋いだような形状の簪は、『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。霞に桜を高蒔絵で表し、耳掻きの内も金地としている。
胴の2箇所を中空に透かした中差。胴を透かして足先を繋いだような形状の簪は、『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。朱石目研出塗に秋草を平蒔絵で表し、耳掻きの内も金地としている。
胴の2箇所を中空に透かした中差。胴を透かして足先を繋いだような形状の簪は、『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。木製黒漆塗で壺々を平蒔絵と朱の漆絵で表し、耳掻きの内も金地としている。
胴の2箇所を中空に透かした中差。胴を透かして足先を繋いだような形状の簪は、『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。木製黒漆塗で夕顔を平蒔絵で表し、耳掻きの内も金地としている。
胴の2箇所を中空に透かした紫檀素地の中差。胴を透かして足先を繋いだような形状の簪は、『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。木製黒漆塗で壺々を平蒔絵と朱の漆絵で表し、草花文を平蒔絵で表している。
胴を中空に透かした中差。胴を透かして足先を繋いだような形状の簪は、『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。木製黒漆塗で、両端を金粉溜地とし、亀甲繋文を高蒔絵で表している。
木製漆塗で、角耳、頭付、一本足の簪で、立差か中差として使用されたと考えられる。耳掻と胴の両端を金粉溜地として菊に蝶を高蒔絵とし、中間を片身替で錫粉溜地とする。頭は黒漆塗に麻葉繋文の平蒔絵と金粉溜地を片身替としている。
胴を中空に透かした中差。胴を透かして足先を繋いだような形状の簪は、『守貞謾稿』では「中差徳利形」と記され、江戸では従来からあって京阪では見ないという。また『玳瑁亀圖説』によると江戸で文化年間に発生し、幕末には「光輪足」とも呼ばれている。木製漆塗で金地に波千鳥の高蒔絵としている。
木製漆塗で、石持頭付、二本足の簪。金粉溜地に青金粉の高蒔絵と金粉の付描で瓢を表し、頭部分は「左三巴紋」を金貝の極付で表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。『玳瑁亀圖説』によると、鼈甲製の石持頭付簪は、江戸で寛政年間に流行したとされる。
木製漆塗で、琴柱形、二本足の前差である。金粉溜地に高蒔絵、金貝の極付で花菱紋を表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。『玳瑁亀圖説』によると、鼈甲製の琴柱形前差は、江戸で寛政年間に流行したとされる。
木製漆塗で、琴柱形、二本足の前差である。金粉溜地に高蒔絵、金貝の極付で牡丹を表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。『玳瑁亀圖説』によると、鼈甲製の琴柱形前差は、江戸で寛政年間に流行したとされる。
木製漆塗で、琴柱形、二本足の前差である。足先を黒漆で、胴から耳掻きまでを金粉溜地として間を蒔き暈し、高蒔絵で菊を表し、蕊には平目粉を蒔いている。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。『玳瑁亀圖説』によると、鼈甲製の琴柱形前差は、江戸で寛政年間に流行したとされる。
木製、陶耳、一本足の木彫簪。木製漆塗で、両端を金粉溜地に金粉と青金粉の高蒔絵で菊に蜻蛉を表し、中間を錫粉溜地としている。簪は笄から分化して発生した。『玳瑁亀圖説』に図示される鼈甲製の「陶耳抓中差」に近い形状で、江戸で弘化年間に流行したとされる。蒔絵の特徴もその頃の様式を示している。
木製、陶耳、一本足の木彫簪。木製黒漆塗で、両端を金粉溜地に高蒔絵と珊瑚の象嵌で南天を表し、中間を淡平目地としている。簪は笄から分化して発生した。『玳瑁亀圖説』に図示される鼈甲製の「陶耳抓中差」に近い形状で、江戸で弘化年間に流行したとされる。蒔絵の特徴もその頃の様式を示している。
象牙製、石持、一本足の中差。象牙地に金粉と青金粉の高蒔絵で菊桐唐草を表している。簪は笄から分化して発生した。『玳瑁亀圖説』に図示される鼈甲製の「石持中差」に近い形状で、江戸で天保年間に流行したとされる。胴に「古巌」の蒔絵銘がある。作者の鈴木古巌(1812~?)は幕末・明治の江戸の蒔絵師で橋原文斎に師事し、印籠・茶器・蒔絵物全般を製作した。明治維新後は内国勧業博覧会で花紋賞牌を受賞、パリ万国博覧会にも出品した。
象牙製、石持、一本足の中差。象牙地に高蒔絵で波丸文・菊兎丸文・牡丹丸文と唐草を表している。簪は笄から分化して発生した。『玳瑁亀圖説』に図示される鼈甲製の「石持中差」に近い形状で、江戸で天保年間に流行したとされる。胴に「古巌」の蒔絵銘がある。作者の鈴木古巌(1812~?)は幕末・明治の江戸の蒔絵師で橋原文斎に師事し、印籠・茶器・蒔絵物全般を製作した。明治維新後は内国勧業博覧会で花紋賞牌を受賞、パリ万国博覧会にも出品した。
骨製、二本足の石持簪。石持部分に高蒔絵で表に三日月に雁、裏に平蒔絵で薄と藤袴を表している。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。『玳瑁亀圖説』によると『玳瑁亀圖説』に図示される鼈甲製の「石持前指」に近く、江戸で天保年間に流行したとされる。
ガラス製、一本足、頭付の中差で、頭は面取した切子としている。『玳瑁亀圖説』に図示される鼈甲製の「切子中差」は、江戸で天保年間に流行したとされ、本作のような硝子簪を模したものだったのであろう。
石持形、撥耳の位置止で、馬爪に張鼈甲としている。撥耳は角耳、あるいは京耳ともいい、上方で流行した。黒い斑があり、江戸ではこれを「ばらふ」と呼び、京・大坂では「もく」あるいは「ふ」と呼んだことが『守貞謾稿』に記される。
白鼈甲製(馬爪、張鼈甲)、二本足、丸耳、一重肩琴柱簪で、短い位置止である。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。『玳瑁亀圖説』によると、一重肩琴柱簪は江戸で天保頃に流行したとされる。
擬鼈甲製、二本足、丸耳、一重肩琴柱簪で、短い位置止である。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。『玳瑁亀圖説』によると、一重肩琴柱簪は江戸で天保頃に流行したとされる。
白鼈甲製、二本足、丸耳、一重小町簪で、短い位置止である。簪は笄から分化して発生し、二本足の簪は享保以降に出現した。『玳瑁亀圖説』によると、一重小町簪は江戸で天保頃に流行したとされる。







































































































































































































































































































































































































































