花見
目次
第一章 花見の始まり
第二章 一般庶民の花見
第三章 時代ごとの花見の変化
第四章 花見の名所
第一章 はじめに ~花見の始まり~
はじめに
花見はいつから始まったのだろうか。
花見 - ジャパンサーチ (jpsearch.go.jp)より花見が始まったのは、奈良時代からといわれている。
しかし、本格的に庶民に広がり始めたのは江戸時代からと考えられる。その理由としては江戸時代には花見の名所が変わっていったことからだと思う。
第二章 一般庶民の花見
江戸時代に庶民に広がり始め、全国に広がったのが明治時代だと考えられる。その理由として考えられるのは、明治時代に花見のしほりというものが出てきたことから。花見のしほり - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)
またその後、明治19年に明治天皇は小金井に桜花の観賞に行かれた。小金井は江戸の市外から遠距離のため一般庶民が行くことは少なかったが、天皇の桜花の観賞により、風流人や武士が遠乗りで訪れるようになり、徐々に庶民が遊覧として花見に行くことになっていった。
(有岡利幸,桜Ⅰものと人間の文化史137-Ⅱ,2007,法政大学出版局 参考)
第三章 時代ごとの花見の変化
江戸時代の享保(1716~36)までは花見といえば上野であり他に名所はなかったと言われている。しかし元文(1736~41)のはじめに飛鳥山に蹴落とされたと言われている。(有岡利幸,桜Ⅰものと人間の文化史137-Ⅰ,2007,法政大学出版局 参考)
明治時代の花見の変化
明治時代に入り大政奉還を終えたことから、家臣の郭、第、邸といった建物の取り壊しが可能となった。そのため、名桜などの庭園の破壊などが行われた。しかしその後明治7年5月3日に老樹愛護例というものが東京市内各区あてに発せられ、古樹や老木の伐採をしなくてよくなった。
このように明治時代には花見に関することが変化していった。(有岡利幸,桜Ⅰものと人間の文化史137-Ⅱ,2007,法政大学出版局 参考)
第四章 花見の名所
むすびに
今回花見を年代ごとに追うことで、江戸時代の花見が盛んに感じた。明治時代には様々な事柄が起き、花見の仕方も変わったのかなと思った。
また花見が行われる場所として、江戸(東京)が多いように感じた。花見の対象となる花は桜が多いように感じた。
参考文献
有岡利幸,桜Ⅰものと人間の文化史137-Ⅰ,2007,法政大学出版局
有岡利幸,桜Ⅰものと人間の文化史137-Ⅱ,2007,法政大学出版局
花見のしほり - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)
- 飛鳥山花見
鳥居清長筆,By Torii Kiyonaga (1752–1815),東京国立博物館,Tokyo National Museum
- 花見
桜や梅などの花をめで、楽しむことで、もともとは貴族の間で行われていたが、江戸時代には一般の人々にも広まった。
- 「大堰川の花見船」
三木翠山,さとう章はん 佐藤章太郎商店
- 花下群舞図
狩野派
京都での花見のにぎわいを描いた名所遊楽図。右隻は祇園社、左隻は上賀茂社での花見に興じ、舞い踊る人々が賑やかに描かれています。右隻には大黒天と恵比須といった福神、左隻には南蛮人に扮装した人々を中心に風流踊が行われており、南蛮人に財福神としてのイメージが重ねられていたことを推測させます。周囲には酒宴をはじめ、喫煙、双六、けんか、一服一銭、犬にほえられる猿曳、物乞い、高野聖、恋文を手渡すところ、蜂に襲われる琵琶法師、腕相撲、宴会のための料理作りなど、さまざまな風俗が散りばめられています。金雲の構成や松樹の形態などから、慶長期(1596-1615)後半の狩野光信系の画家による作品と考えられます。近世初期風俗画の優品です。 【南蛮美術】
- 東都名所・飛鳥山花見
歌川広重筆,By Utagawa Hiroshige (1797–1858),東京国立博物館,Tokyo National Museum
- 江戸名所・御殿山花見
歌川広重筆,By Utagawa Hiroshige (1797–1858),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>広重晩年に制作された若狭屋与市から出版された中短冊判の「江戸名所」シリーズは、近景のモチーフを極端に拡大し、大小の対比で遠近感を強調した構成が取られている。晩年の代表作「名所江戸百景」への構図展開を物語るものとされている。<br /></p>













