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江戸から東京へー赤坂・霞が関・虎ノ門ー
明治政府は、大名屋敷が立ち並んでいた霞が関を官庁街として利用しました。明治3(1870)年にはまず外務省が移転、明治11(1878)年には煉瓦造りの新庁舎ができます。「溜池」は江戸の上水源に利用され、赤坂見附まで延びる池でしたが、明治に入り埋め立てられ町ができました。江戸城を守っていた「虎ノ門」は明治6(1873)年に撤去され、霞が関とともに官庁・ビジネス街として発展していきます。
このエリアでは、溜池の埋立てと変化、霞が関官庁街の形成の様子、虎ノ門の洋風建築の風景と、一方でほぼ現代と変わらない日枝神社、弁慶橋の風景などをご覧ください。