織田信長
戦国時代・安土桃山時代の武将。天下統一を目指したが、本能寺に宿泊中、家臣の明智光秀に襲撃され、自害した。
戦国時代・安土桃山時代の武将。天文3年(1534)、尾張下四郡を統治する清洲織田家の家老・織田信秀(おだのぶひで)の子に生まれる。
信秀死後18歳で家督を継ぎ、本家に当たる清洲・岩倉の両織田家を滅ぼして尾張をほぼ統一。永禄3年(1560)、桶狭間(おけはざま)の戦いで、上洛する駿河(するが)の戦国大名・今川義元(いまがわよしもと)を破り、永禄5年(1562)には、三河の領主・徳川家康(とくがわいえやす)と同盟を結ぶ。
家康に東の防衛を委ねて、永禄10年(1567)には、美濃の戦国大名・斎藤竜興(さいとうたつおき)を稲葉山城(いなばやまじょう)で攻め滅ぼすと、ここを岐阜と改めて本拠とした。この頃から「天下布武」の朱印を使い始める。
永禄11年(1568)、前将軍足利義輝の弟義昭と共に上洛し、義昭を将軍とするが、その政治的行動に制約を加えたため不和となる。義昭に呼応した近江の浅井長政、越前の朝倉義景、比叡山延暦寺僧徒集団、甲斐の武田信玄、一向一揆らとの間の戦いを制し、天正4年(1576)には、現在の滋賀県近江八幡市に当たる安土に城を築き、移り住んだ。
天正8年(1580)に大坂石山本願寺を、天正10年(1582)に甲斐武田氏を滅ぼすと、中国・四国制圧に転じ、羽柴秀吉に指示を与えるため上洛して本能寺に宿泊中、家臣の明智光秀(あけちみつひで)に襲撃され、自害した。
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| タイトル | 主催者 | 会場 | 開始 | 終了 |
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滋賀県蒲生郡安土町にある幻の信長の城、安土城の天守上部を原寸復元を展示する観光施設。
滋賀県蒲生郡安土町にある、織田信長が築いた安土城の跡地。
JR安土駅南広場に所在。織田信長が築城した安土城のひな形が、実物の20分の1の大きさで再現されている。
古代と戦国時代の城をテーマとした博物館。安土城の復元模型や安土城跡から出土した金箔瓦や出土遺物、織田信長の人物像や動向を示す歴史資料などを常設展示しており、信長公に関連する貴重な資料を見ることができる。
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平成22年8月2日に、戦国武将「織田信長公」が城を構えた地である、岐阜市、近江八幡市、小牧市、清須市の四市が連携し、「信長公居城連携協議会」を設立しました。
