
金属を主な素材として加工した工芸美術の一分野、およびそれをつくる技術。金工には、金属を溶かし型に入れて成形する鋳造、鎚で打ち延ばして造形する鍛造(たんぞう)、鏨(たがね)で彫刻する彫金などがある。
紀元前4000年頃、古代文明が発達した地域に発生し、諸金属のうち採取加工が容易であった金、銀、銅を用いて発展した。特に金は、加工しやすく、つねに輝きを保つことから、古来最も貴重な素材とされた。
日本では、弥生時代の紀元前300年頃に、中国・朝鮮から技術が伝わり、紀元前100年頃には刀剣類や装飾品など小型作品がつくられた。飛鳥時代に仏教が伝来すると、造寺・造仏のために金工技術が飛躍的に発展。この時代の代表的なものとして、飛鳥寺の丈六仏(606)や法隆寺釈迦三尊像(623)など、蠟型鋳造で金メッキを施された仏像があり、奈良時代には座高15m、重さ250tの巨大な鋳物仏、東大寺の本尊・盧舎那仏坐像(754)もつくられている。また、元明天皇の和銅元年(708)には、武蔵国から銅が献上されたのをきっかけとして、「和銅開珎(わどうかいちん)」と呼ばれる日本最初の鋳銭がつくられた。
貴族に代わり武家が台頭した鎌倉時代以後、金工は武具や甲冑類の製造技術として発展。室町時代の彫金家・後藤祐乗(ごとうゆうじょう)による「三十匹龍図三所物」など、鐔(つば)や目貫(めぬき)、小柄(こづか)など刀装具に見るべきものが多い。刀装具は技術を持った職人が、何万回も鉄をたたく、鍛造によって制作されていた。
工業製品としても金工の技術向上は続き、江戸時代にかけて、鉄の精錬に使う炉・たたらが改良されたことで、良品質の鉄鋼生産が可能になった。これにより鋤や鍬など、それまで青銅製品が使われていた農耕具が鉄製品に置き換わり、農作物の生産効率の向上とそれに起因する人口増加、都市の発展につながっていった。
関連するひと・もの・こと
機能性と美術性を兼ね備えた、日本固有の刀剣
平安時代に制作された日本刀。室町時代に天下五剣の一つに数えられ、昭和26年(1951)に国宝の指定を受けた名刀中の名刀。
書画、漆芸、陶芸に通じた桃山・江戸初期を代表する芸術家。本阿弥家は刀剣の鑑定や研磨を家業としており、当初は光悦もその仕事に携わっていたとされる
金銀などの細かい粒子を使い、漆器の表面に装飾をほどこす日本を代表する漆芸技法
古代から続く日本の染物と織物。江戸時代にその文化が開花した。
縄文時代から利用された、日本を代表する工芸品。ヨーロッパではjapanと表す。
本で知る
[舎人親王] [編]
『日本書紀』神代には、金工の神・天目一箇神(あまのひとつのかみ)が登場する。左ページ2行目に、天目一箇神が作金者(かなだくみ)に任命されたとある。
藤原継縄,菅野真道 編,写
『続日本紀』には、和銅1(708)年に、和同開珎の発行にそなえてその鋳造を督促する「催鋳銭司(さいじゅせんし)」が設置されたと記録されている。左ページ後ろから3行目に「催鋳銭司」の字がみえる。
藤原継縄,菅野真道 編
『続日本紀』には、天平勝宝4年4月9日(752年5月26日) に大仏開眼供養会が盛大に開催され、聖武太上天皇、光明皇后、孝謙天皇、文人、武官、一万人の僧など参列したと記録されている。右ページ最終行に「盧遮那仏」の字がみえる。
写
12番本「東北院職人歌合」を1番ずつ全12葉に書写したもの。下絵には四季の草花や山水が美麗に画かれている。書風や料紙から室町末〜江戸初期頃の書写と見られる。本頁には、「刀磨」と「鋳物師」が紹介されている。
菱川師宣 画,刊
菱川師宣の職人尽歌合絵本。中世以来、職人絵の題材として盛んに描かれた『七十一番職人歌合』の本文に基づいたもので、序には、『四十三番職人歌合』に従ったとするが、不審。各丁は、上欄に、『七十一番職人歌合』の歌、判詞を載せ、下段に師宣の職人絵を配する。また、絵にも会話文の詞書がある。師宣の職人絵は32丁(1丁欠)で、計64種。本頁で紹介される「かぢ師」は烏帽子から中世風と判断される。
明宋應星撰,江田益英校,河内屋茂八等刊
農産物・衣服・火器・金属製品などの製造法を、挿絵入りの詳細な記述で体系的にまとめた中国、明代の科学技術書。日本では宝永5(1708)年に貝原益軒の大和本草などに引用され、平賀源内も読んでいたとされる。本頁では鋳銭の様子を描かれている。
温古会 編,中島京栄社
蒔絵と金工の名品を収録した昭和時代の図録。
もっと知りたい
東京国立博物館,Tokyo National Museum
皇朝十二銭のはじめとされる銭貨。銀銭と銅銭とがある。銅銭は孝謙帝の天平宝字(757~765年)頃までの長期間鋳造された。
進藤端堂氏寄贈,Gift of Mr. Shindo Zuido,東京国立博物館,Tokyo National Museum
和同開珎の鋳型。古代には鋳銭司(じゅせんし)と呼ばれる銭貨を作る役所があり、山城国、周防国、長門国などに置かれていたと考えられている。本品は土製の鋳型で、加工しやすく、原形を型抜きすることができるなどの特徴がある。一方で、壊れやすく残りにくいため、本例は大変貴重な例といえる。
後藤祐乗(正奥),By Gotō Yūjō,東京国立博物館,Tokyo National Museum
室町時代の彫金家・後藤祐乗による刀装具。
平瀬, 徹斎,長谷川, 光信,城戸市右衛門
産物名産案内書。著者の平瀬徹斎(てっさい)が画師の長谷川光信(はせがわ・みつのぶ)に頼んで実物を写させ、これに解説をしたもの。宝暦4(1754)年刊。ふいごによる送風作業。足踏み式ふいごは、踏鞴(ふみふいご)、踏吹き、踏たたらともよばれる。
鋳造
東京国立博物館
弥生時代に作られた青銅製のかねです。もとは、内側に舌(ぜつ)と呼ばれる棒を吊るし全体を揺らして音を鳴らしました。青銅は、主に銅と錫(すず)の合金です。この銅鐸も、いまは錆(さび)に覆われ黒くなっていますが、つくられた当時は金色に光り輝いていたはずです。弥生時代の人々は、いままで知らなかった金属の輝きと音にどんな思いを抱いたことでしょう。銅鐸が、どこでどのように使われたのか、詳しいことはわかっていませんが、おそらく、何らかのマツリに関わる祈りのための道具だったと考えられています。銅鐸は、これまで近畿地方を中心に約600個の発見例がありますが、そのうち70個ほどに絵が描かれています。それらの絵は、当時の人々の暮らしを今に伝えるたいへん貴重な資料です。 この銅鐸は、なかでも優れた表現で知られ、銅鐸としてははじめて国宝に指定されています。
門司庸夫氏寄贈,東京国立博物館,Tokyo National Museum
弥生時代中期(前2~前1世紀)に造られた鉄剣。佐賀県鳥栖市柚比町字安永田出土にて出土した。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
鏡の縁が三角形の断面であり、神仙と霊獣を主文様とすることから、三角縁神獣鏡と呼ばれる。「天王日月」という銘の周囲には、朱雀や青龍など霊獣が巡る。中国大陸で培われてきた天上の世界観を反映する図像をもつ銅鏡を、古墳時代の権力者は好んで所有した。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
飛鳥時代に造られた銅製の印。全高7.3cmで印面方は6.0cm。印面方形で周縁は欠損。印文の鋳出し深く、鈕は幅広の高い撥形。印面の寸法、書体からみて諸国印の制に倣った。当時の官印を思わせる。重要文化財。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
このように長い首と下膨(しもぶく)れの胴を持ち、把手(とって)を備えた水差しは古代イランの地に栄えたササン朝ペルシャに源流を持ちます。また胴には翼をもつ馬、すなわち天馬(てんま)の姿が刻まれています。四頭の天馬は太陽神の馬車をひく動物として知られ、シルクロードの要の地、現在のアフガニスタン中部、バーミヤーンの大仏の頭上の壁画にもその姿が描かれていました。この水瓶(すいびょう)のペガサスには中国唐時代と朝鮮の百済(くだら)の美術の影響が見られ、これらを受容した日本で製作されたと考えられます。これは我が国で表わされた天馬の最も古いものです。水の注ぎ口と把手は中国の竜をかたどり、蝶番(ちょうつがい)でとめた頭部が蓋(ふた)の役割をしています。竜首水瓶は、古代シルクロードを通じた壮大な国際交流の結晶ともいえるでしょう。ササン朝ペルシャでは銀製の水瓶が多く作られました。この作品も銅に銀のメッキが施されています。しかし、銅に直接銀メッキを施すことはできず、いったん金でメッキをしたうえから、銀メッキし、さらに竜の頭部や把手、天馬の文様部分は金で仕上げられています。鉱物資源の活用が十分ではなかった古代の日本にあって、遠い異国の銀器に似せた作品には工人の知恵と工夫を見ることができるでしょう。我が国における古代工芸の傑作です。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
日本の古代金工美術を代表する極めて大型の鏡です。奈良時代に製作された法隆寺の財産目録『法隆寺資財帳』によると、この2面の鏡は天平8年、西暦736年の2月22日に光明皇后によって奉納されたことが分かります。2月22日は聖徳太子の命日にあたるため、初期の太子信仰に関わる遺品としても重要です。 白銅という白く輝く銅を鋳造することで作られており、現在は、文様がある鏡の背面側を展示しています。2つの鏡の文様はわずかに異なり、同じ原型を用いて鋳造する作業のなかで、鋳型の破損などにより、文様に手直しが加えられたと考えられています。 鏡の四方からは中心に向かって4つの山がそびえたち、その間は波の文様で埋められています。海磯鏡、つまり海と磯を表した鏡という名前ですが、波間にはオシドリの姿があるため、川や湖を表わしたものでしょう。島々にはオナガドリやトラ、シカなどが雄雌のつがいで表され、波間には船に乗って釣りをする人物や流木に乗る人物が見えます。こうした文様は聖なる山々と仙人たちをテーマにしたものと考えられ、古代の人々が憧れた平和で豊かな世界を見てとることができます。
奈良国立博物館,Nara National Museum
左手を腰に当て、右手を高く挙げて持物(欠失)を握り、左足で全身を支え、右足を高く挙げる蔵王権現像。本像の場合、姿勢を正すかのように、顔を正面に向け、上体を真直ぐに起こし、左足を垂直に立てて、力感と緊迫感を内に籠めている。このような威力ある表現は、初期の蔵王権現の姿を髣髴させる。均衡の整った頭体部、豊かな胸の肉取り、細身の手足などには平安後期(12世紀)の特色があらわれている。しかし、目鼻の造作が大きく、目が吊り上り(二眼)、上歯が唇を噛む顔つきは厳しく、当代の蔵王権現像としては古様である。条帛、腰布、裙を身にまとうものの、蔵王権現が身につけるべき獣皮はみえない。裙の下端を両足にそれぞれ巻き込み、その先が両膝頭辺で舌状に跳ね上がるが、これは初期の図様の継承とみてよいだろう。臘型鋳造で、双髻の後半分と右足裏に像内へ通じる孔があり、中型の支柱を通したかと推測される。銅厚は薄く、背面裳裾に型持の大きさほどの埋め金が外れたままにある。表面は鬆が多いものの、鍍金を施す。頭上の宝冠(三鈷冠か)は欠失。体躯の正面側には、瓔珞を留めた孔(数個所)がある。古式の形制を残した平安後期の蔵王権現であり、秀作のひとつに挙げられよう。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
鈴身に金剛界四仏、胎蔵界四仏、あわせて八仏の種子を円相内に表した五鈷鈴。鈷はすんなりとした形で、唐草文を線彫りし、把手の中央の鬼目は4個の花文にしている。鈴身の種子の周りも連珠文、華文、渦巻文などがあらわされ、装飾性が豊かである。 密教は仏教の宗派の一つで、古代インドで発生し中国にも広まります。平安時代のはじめ、弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)はその教えを中国で学び、日本で真言密教(しんごんみっきょう)を開きました。密教では、「大日如来」(だいにちにょらい)という仏を中心に、多種多様な仏が異なる役割をもち宇宙を構成していると考えられています。 密教では、「密教法具」(みっきょうほうぐ)と呼ばれる独特の道具が用いられます。密教法具には様々な種類がありますが、その内容は大きく2つに分かれます。一つは捧げものや液体、花やお香を入れる実用的な器類。もう一つが、先の尖った武器のような形をしており、実用というよりはシンボルのような役割を果たすものです。実際には古代インドの武器が原型になったといわれています。武器のシンボルで、煩悩や邪悪なものを打ち破るという意味が込められているのです。密教法具は壇の上に規則にのっとって整然と並べられ、僧侶はその壇を前に儀式を行います。 五鈷鈴は密教法具の一つで、持ち手に五鈷、つまり5つの尖った部分をもつ鈴、ベルです。素材は銅で、表面に金メッキを施した金銅製です。持ち手部分はかつて武器であった名残をとどめ、いかめしさを示しています。一方でベルは実際に儀式の際に振り鳴らしたもので、この道具には実用性とシンボル性が同居しています。ベルの部分には密教に登場する、重要な8つの仏を表す種子(しゅじ)。種子とは古代インドで使われたサンスクリット文字のことで ある仏には、ある特定の文字が決められており、仏を描き表すさい、仏像ではなくしばしば文字で表されました。細部の彫刻はたいへん細かいのですが、エッジが鋭く、表現に力強さがあります。こうした表現は鎌倉時代の特色です。およそ700年前、この五鈷鈴ベルはどのような音色を響かせていたのでしょうか。
畑野勇治郎氏寄贈,Gift of Mr. Hatano Yūjirō,東京国立博物館,Tokyo National Museum
形姿、透文様の美しい釣燈籠。火袋(ひぶくろ)は円筒形にして、梅樹と竹を透かす。台、火袋、笠まですべて共造で、高い技術を示す。笠に天文十九年の銘文があるが、当時茶の湯釜の生産地として名高かった下野佐野(しもつけさの)(栃木佐野市)の天明で製作されたと考えられる。 寺院で軒につるして使われた燈籠です。中に小さな皿を入れて油を満たし、そこに灯心を入れて灯りをともして使われました。火は、水、花、香とともに供物として仏に捧げられるもの。燈籠は仏教ではたいせつな道具のひとつです。 バランスがよく美しい姿もさることながら、見どころはやはり透し文様でしょう。可憐な梅の花としなやかな竹が表わされています。梅の花のしべや竹の節、さらに小さなたけのこまで、丁寧に表わされています。灯りがともされて、梅と竹が影絵になってゆらゆらとゆれるさまを想像してみてください。幻想的で、うっとりするような美しさです。 笠には天文十九年の銘文があり、当時茶の湯釜の生産地として名高かった下野佐野(しもつけさの)(現在の栃木県佐野市)の天命(てんみょう)で製作されたと考えられています。茶釜は通常鉄でつくられるもの。天命でつくられた銅の作品は珍しくたいへん貴重なものといえるでしょう。
京釜,Kyoto ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
安土桃山時代の茶釜。八角の形と突起を浮き出た地肌が特徴的。
大川功氏寄贈,Gift of Mr. Ōkawa Isao,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸初期、慶長6(1601)年から江戸幕府が鋳造した長円形の金貨。後藤徳乗の門人で徳川家康の命により江戸に下った後藤光次(みつつぐ)の製造とされる。
津村亀女作,By Tsumura Kamejo,東京国立博物館,Tokyo National Museum
一対の鶉を写実的に鋳造した香炉で、羽の部分を取り外すことができ、蓋となる。作者の亀女(かめじょ)は長崎で活躍した女性の鋳工で、蝋型(ろうがた)による鋳物を得意とした。本作のような蝋型鋳物は18世紀頃中国から伝わったが、長崎はその中継地であった。
鍛造
東京国立博物館,Tokyo National Museum
熊本県の江田船山古墳から出土した2つの耳飾りです。江田船山古墳は菊池川中流域に位置する前方後円墳です。5世紀後半から6世紀初めに造られたと考えられています。明治6年(1873)に、刀剣や、甲冑(かっちゅう)などの武器・武具類、金銅製の冠帽や沓(くつ)、耳飾りや玉などの装身具、6面の銅鏡、馬具、須恵器など、豪華な副葬品がたくさん出土しました。現在それらは一括して国宝に指定されています。 この2つの耳飾り、少し大ぶりですが、どちらも現代の人がつけていてもおかしくないようなデザインですね。一つは純金製で、ハート型のような飾りが二枚重なっています。この部分は可動式なので、揺れると光を反射し二枚がすれあってかすかな音がしたでしょう。もう一つは、チェーンが三つ連なったデザイン。玉の飾りがたくさんついていて、ひとつのチェーンの先には青色のガラス玉もついています。こちらはよりダイナミックに揺れ輝き、耳元でしゃらしゃらと音をたてたことでしょう。全体的に金製ですが、よく見ると一部色が違うのがわかるでしょうか。黒っぽい部分は銀製です。 これらは、当時の日本ではほかに類を見ないデザインです。しかし、ハート型の方は、そっくりな耳飾りが百済(くだら)の武寧王(ぶねいおう)のお墓から出土しています。また、チェーンのものは、同じく朝鮮半島にあった大伽耶(だいかや)という地方で似たものが出土しています。つまりこの2つの耳飾りは、熊本にいた豪族が百済や大伽耶と直接交流があったことを示しているのです。 6世紀の豪族の間では、金色に輝くものを身につけることが流行しました。これらの耳飾りは5世紀後半から6世紀初めに作られたものですから、いわば、流行の先駆けでした。最先端のきらびやかな飾りを身につけ、遠い国とも交流があることが誇らしい、そんな豪族達の姿が目に浮かんできませんか。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
朝鮮半島や日本列島では、中国・後漢(AD.8~200)で成立した銘文様式を踏襲しながら、各地域の言語表現を採り入れて、新しい銘文様式を生み出しています。本銘文は、文中に独自の歴史的記述と古代日本語による人名表現を含み、5世紀の世界観や社会の様子が窺えて重要です。江田船山古墳は熊本県の菊池川中流に位置する前方後円墳です。墳丘の長さはおよそ62メートル。5世紀後半から6世紀初めに造られたと考えられています。明治6年(1873)に、刀剣や、甲冑(かっちゅう)などの武器・武具類、金銅製の冠帽や沓(くつ)、金製の耳飾、玉などの装身具、6面の銅鏡、馬具、陶質土器など、豪華な副葬品がたくさん出土しました。現在それらは一括して国宝に指定されています。ここでは、銀の象嵌(ぞうがん)で記された銘文と鳥、魚、馬の文様をもつ鉄製の大刀をご紹介します。銘文は、75文字からなり、埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した国宝の鉄剣に記された金象嵌の銘文とともに、本格的な記録的文章としては日本列島で書かれた最古の例とされます。銘文にはこんな内容が書かれていました。ワカタケル大王(雄略天皇)が天下を治めておられた時代に、文書をつかさどる役所に仕えた人、その名はムリテが、8月に製錬用の鉄釜を用いて、4尺(約1メートル余り)の立派な大刀を製作した。80回、90回に至るほどに丹念に打ち、また鍛えたこの上もなく上質の大刀である。この大刀を身に着ける者は、長寿を得て子孫が繁栄し、さまざまな恩恵を受けることができ、その支配地を失うこともない。命じられて大刀を製作した者の名はイタワで、銘文を書き記した者は張安である。埼玉の稲荷山古墳の鉄剣の銘文にも、ワカタケル大王(雄略天皇)に武人として仕えた人物が作らせたとあり、当時、関東や九州の豪族が中央の大王のもとに出仕していたこと、それも一方は文人、一方は武人であったことがわかりました。この時代、すでに倭王権が強大な力をもっていたことを示しています。さらに、ムリテやイタワといった人物名の読みに漢字を当てて表記している点、中国では皇帝のみが使った「治天下」といった表現を使っていることなど、日本列島独自の文化や世界観の形成をうかがわせます。
陸軍省火薬製造寄贈,Gift of Powder plant of the Ministry of Army,東京国立博物館,Tokyo National Museum
平棟平造の直刀である。直角関で、関部には鎺元孔を有する。茎部は一文字尻で、目釘穴2個を有し、鉄の目釘を通す。関部には鉄製の鎺を装着する。銀象嵌は表裏共、鎺元孔周囲に、外周にC字形文列を伴う円文を施し、鎺の側面にも波状文を施している。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
香木を焚いて仏に捧げるため手に持つ道具です。聖徳太子に仏教の哲学を教えた僧、慧慈法師(えじほうし)が用いたものとして伝わりました。慧慈法師は朝鮮半島の北部に栄えた高句麗(こうくり)から渡来した僧侶で、飛鳥時代前期における仏教文化の中心的な存在でした。この作品は真鍮(しんちゅう)を打ち出して作られたもので、表面に金メッキが施されています。当時、真鍮はペルシャの特産品として知られ、中国では4世紀以降、真鍮に関する記述が残されています。わが国ではこの柄香炉をはじめ、正倉院宝物にいくつか使用例がありますが、いずれにせよ、極めて貴重な素材であったと考えられます。柄の先が3つに分かれていて、鵲(かささぎ)という鳥の尾羽(おば)のようなので、鵲尾形柄香炉(じゃくびがたえごうろ)と呼ばれています。火炉(かろ)と呼ばれる香木を炊く部分は底が深く、刀の鍔(つば)のように縁が張り出し、柄(え)には大きな半球状の飾りが付いています。こうした形は奈良時代以降の柄香炉と大きく異なっており、わが国に残る最古の作品と考えられます。火炉の台座が特殊な花形をしていることにもご注目ください。花弁の間には内側に丸い穴がありますが、これは6世紀から7世紀の朝鮮半島の百済(くだら)における飾り金具に多く見られる特徴です。これにより、この作品は朝鮮半島で制作され、わが国にもたらされたもので、実際に聖徳太子の周辺で使用されていた可能性が考えられます。
来国光(埋忠磨上),Rai Kunimitsu (Umetada Suriage),京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
来国光(らいくにみつ)は、鎌倉時代末期に活躍した、京、来派の刀工である。彼は来派の中でも作域が広く、刀身は細く古様なものから身幅の広い豪壮なものまである。また来派の特色である直刃(すぐは)基調の刃文も、細直刃から広直刃まで焼いている。
 この刀は身幅が広く、刃縁(はふち)から刃先に向かって線・点状の足・葉(よう)を交えた広直刃を焼いて、来国光の一作風を示す。元来は長寸の太刀であったが、江戸初期に埋忠明寿(うめただみょうじゅ)がやや短く磨上(すりあ)げて刀としたものである。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
釈迦の誕生日(四月八日)は仏生会(ぶっしょうえ)、花祭りといい、誕生釈迦像に甘茶をかけて祝い、供養する行事が行われる。この時、釈迦像を安置し甘茶を受ける盤が灌仏盤である。側面全体に宝相華唐草文を線刻で表わす。現存する灌仏盤の中でもっとも華麗な作である。 盤とは丸くて大きな皿のことです。この盤は直径が46センチと大型で、平たい皿というよりは、浅い鉢のような形をしています。銅を叩いて打ち延ばしながら形を整え、表面には連続して展開する花と蔓の文様を線刻し、全体に金メッキをしています。いっけん牡丹にも見えるこの花は、宝相華(ほうそうげ)といい、仏教美術の装飾文様に頻繁に登場する架空の花です。さて、この盤には、いったい何が入れられていたのでしょうか? その大きさと形、仏教に関係のふかい文様などから、この盤の中心には仏像が据えられ、その周りを水や茶などの液体が満たしていたと考えられています。おそらくその仏像は、生まれたばかりの釈迦の姿。両足でしっかり立ち、右手を上げて天を、左手を下げて地を指さす、「誕生仏」のお姿だったはずです。タイトルにある「灌仏」(かんぶつ)とは、仏の頭から聖水を注ぐということ。釈迦の誕生日である4月8日、誕生仏の頭から聖水をかけてお祝いする「灌仏」の儀式は、仏教の伝来とともに日本に定着しました。奈良の大仏で有名な東大寺には、奈良時代8世紀に造られた灌仏盤と誕生仏のセットが伝わっています。この行事は今なお4月8日、日本各地の寺院で行われており、仏像の頭に甘茶をかけてお祝いする人々の姿があります。 あらためてこの灌仏盤を見てみましょう。巧みな叩きのばしの技術によって、薄造りに仕上げられており、想像を裏切る軽さに驚かされます。器の丸みやすぼんだ口、細やかな宝相華の文様は、おだやかで美しい表現が好まれた12世紀の日本美術の特色をよく示しています。
奈良国立博物館,Nara National Museum
懸仏は鏡に擬した銅板に浮彫り状あるいは丸彫りの尊像を装着し、吊り下げるための装置をそなえたものをいい、鏡像より派生したものと考えられている。本品は銅円板に、銅板を打出し細部を毛彫りで表した山王十社の諸尊を鋲留めした山王曼荼羅懸仏。銅円板は覆輪(ふくりん)をめぐらし、上方二ヶ所に花形鐶座(はながたかんざ)と吊鐶(つりかん)をそなえる。中央にひときわ大きく僧形の大宮を表し、周囲は右上から時計回りに男神の八王子、僧形の聖真子、僧形の二宮、猿神の大行事、臥牛の牛御子、男神の早尾、地蔵形の十禅師、女神の客宮、女神の三宮を配する。背面には諸尊の背後にそれぞれの尊名を針書きするほか、中央に「阿蘇谷預主也/建保六年[歳次/戊寅]七月十九日/阿蘇谷預所院主惣公文/中御子平景俊」という針書銘があり、この作品が建保6年(1218)、阿蘇谷(熊本県球磨郡須恵村)預所院主惣公文であった平景俊によって作られたことがわかる。鎌倉前期の懸仏の基準作例として貴重であるとともに、日吉山王関係遺品として注目すべき作品である。
奈良国立博物館,Nara National Museum
福島・如法寺伝来の鉄鍛造製の釣燈籠。笠と脚部を猪目透かしの葛形葉状につくり、火袋に片開き扉2面をもうける。扉は1面を斜め格子に霰文、他面を網地に霰文を透彫し、残りの火袋4面には沢瀉に橘文、桜カタバミ文、松竹梅文、籬に菊文をそれぞれ文様透かし(文様を透かし、地を残す透彫技法)で表している。火袋の上部欄間にも透彫が施されている。欄間には「奥州会津稲荷之庄如法寺之御堂之金」、「燈爐之寄進大旦那鍛冶渡邊孫兵衛」、「長吉作内□取持猪野弥五良房宗金之」、「旦那永禄七年甲子五月十七日奉懸之也」、「當住寺頼真之御代鍍旦那長治太良衛門通□(両)」という刻銘があり、また笠頂部の宝珠に「奉執金剛神大槻形部少輔与定」と刻銘されており、永禄7年(1564)に如法寺御堂の執金剛神に奉納された由緒が確かめられる。
彫金
東京国立博物館,Tokyo National Museum
銅鋳製の経筒で銘文も鋳出です。本来ならば底であるところが蓋になっており、身の上辺に瓔珞(ようらく)を線刻で描いています。銘文によれば、檀越(だんえつ)(施主)が平致幹(むねとも)で、延暦寺の僧経暹(きょうせん)が儀式を執り行ったことがわかります。また、この経筒を銅壺と呼んでいます。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
水滴と匙、墨をのせる台からなる日本最古の文房具。匙で水をすくう水入れを水盂という。水滴は銅板を袋状に打出して作り、3方に楕円形の区画を設け、鳳凰と唐花文を線彫で表わす。聖徳太子が法華義疏を撰したときに使用したとの伝承がある。聖徳太子の文房具として伝えられた作品です。これらの品は、太子がわが国ではじめて法華経など仏教の経典の解説書を書いた時に使われたとされています。墨台(ぼくだい)は墨を置く台。中央に大きな六弁の花を、いまは一つ欠けていますが、周囲に6個の花が表わされています。また軸の部分や台座にも草花が刻まれており、さらにその輪郭や葉脈がごく細い鏨(たがね)の線で刻まれています。墨をするための水を入れる水滴(すいてき)は柿の実のような形をしており、三方を楕円形に区切って、翼を広げた鳳凰(ほうおう)と草花が彫り表わされています。底には3つの脚が付き、小さいながらもどっしりとした造形です。蓋は周囲が反りあがった形で、宝珠(ほうじゅ)という玉の形をしたつまみを中心に、四方には花が刻まれています。3本の匙(さじ)はそれぞれ、蓮の花びら、ひょうたん、柳の葉の形で、丸く作った柄は微妙な曲線を描いています。もともとこのようなセットであった確証はなく、実は、ほんとうに墨台や水滴などの文房具として制作されたかも明らかではありませんが、奈良時代の見事な金工技術が発揮された名品です。
石川県寄贈,Gift of Ishikawa Prefecture,東京国立博物館,Tokyo National Museum
胴の中央に鳥、その周りに蔓をのばす唐草を蹴彫で表わす。石川県白山山頂から出土したもので、肩に細い注口、蓋の左右に提手を付けている。このふっくらとした形の水滴は、源氏物語絵巻の夕霧の段に描かれる黒漆塗硯箱に納められるものとよく似ている。 ルビ:けりぼり
服部和彦氏寄贈,Gift of Mr. Kazuhiko Hattori,奈良国立博物館,Nara National Museum
鎌倉時代の輪羯台。輪羯台(1395・工316)と形状がきわめて近似する作品であるが、若干細部の寸法や彫金技術に差異が認められる。両作品を一具と考え、この差異を工人による違いと見るか、あるいは別の作品と考えるかは判断の難しいところであるが、いずれにせよ近い時期に近しい関係を有する工人によって製作されたと推定される。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
やや厚めの銅板に鋤彫りで宝相華唐草文や竜文、雲文などを左右対称に表わし、金鍍金を施す。図巻一の図中の貼紙には「迦陵頻等童舞」と記されるが、四天王など行道面に付属するものという説もある。 ルビ:ほうそうげからくさもん、きんときん、
東京国立博物館,Tokyo National Museum
腰刀は腰に指す短い刀装です。合口造(あいくちづくり)を基本とし、日常にも軍陣にも用いられました。鞘(さや)には、袴(はかま)の帯などから抜け落ちるのを防ぐため、下緒(さげお)を通す栗形(くりがた)と折金(おりかね)を付けています。この腰刀は、柄(つか)や鞘の鐺(こじり)などを鍍金(ときん)した枝菊(えだぎく)文の高肉彫(たかにくぼり)とし、鞘を銀色で鮫皮(さめがわ)風にあらわした板で包んだ華麗な拵(こしらえ)です。
銘 宗みん(花押),Inscription of Somin (Colophon),京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
小柄(こづか)と目貫で、二所物(ふたどころもの)と呼んでいる。小柄は赤銅魚子地に素銅の仁王像を高彫りにして、天衣・腰衣を金色絵であらわしている。裏は金斜鑢地で右下に宗みん(花押)の銘がある。目貫も素銅で、仁王像の阿形・吽形を高彫色絵でほどこす。宗みんは、苗字は横谷で、寛文10年(1670)に江戸で生まれた。横谷家は代々彫金家で宗みんも後藤家の下職をながくつとめ、のち独立して、自由な彫法をふるって大成した。片切彫りに新味をだしたが、のちには高彫り色絵のものを主とした。作品も鐔より、小柄・笄・目貫・縁頭などの小道具を得意とした。
動画を探す
過去の展覧会を探す
| タイトル | 主催者 | 会場 | 開始 | 終了 |
|---|---|---|---|---|
見に行く
国立国会図書館は、国会に属する唯一の国立の図書館です。国内外の資料・情報を広く収集・保存して、知識・文化の基盤となり、国会の活動を補佐するとともに、行政・司法及び国民に図書館サービスを提供しています。
日本と東洋の文化財を守り伝える中心拠点としての役割を担う我が国の総合的な博物館です。
平安時代から江戸時代の京都文化を中心とした文化財を取り扱う地域に根ざした博物館。フロア1階には金工品の展示室がある。
仏教美術及び奈良を中心として守り伝えられてきた文化財を取り扱う博物館です。
茶人中村栄俊氏が収集した美術品を中心とした所蔵品を持つ。年4~6回の展覧会あり。
ジャパンサーチの外で調べる
国立文化財機構の4つの国立博物館 (東京国立博物館、京都国立博物館、 奈良国立博物館、九州国立博物館)と研究所(奈良文化財研究所)が 所蔵する国宝・重要文化財の高精細画像を見られる。
日本の伝統工芸作品を紹介するサイト。金工の技法や産地、種類などを解説している。
岩手県の南部鉄器や福井県の越前打刃物など、全国各地の金工品を見ることができる。それぞれの特徴、作業風景、作り方など各地の金工品の魅力を伝えている。
参考文献
- 香取正彦 [ほか]共著,理工学社
- 永田和宏 著,講談社
- 責任表示
- 国立国会図書館
- 二次利用について
ただし、画像は個々の権利表示による
- 最終更新日
- 2024/03/05